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2025年6月25日水曜日

学校の1週間

 どこの学校も年間のスケジュールを立てる前に基本的な1週間の予定を考えます。

月曜日 企画会(運営委員会とか、主幹会とか読んでいる学校も)、職員会議

火曜日 研究日(ただし、初任研が入るから回避して学年研やクラブにしている学校も)

水曜日 研究日 学校横断の研究会

木曜日 学年研

金曜日 クラブ・委員会

など、1週間の基本的な予定が入っています。ということは、授業が終わると、それぞれの会議に時間がとられるわけです。書いたのは、ほんの1例。これに、人権教育の研修会だの、ハラスメント対策の研修だの、いじめ防止のための研修だったり、児童指導上の問題についての共有をするための会議だったり、運動会や卒業式などのイベント向けの会議があったりします。

と、いうことは、授業が終わり、子ども達が下校すると、残った時間は会議に参加するということになります。もちろん、会議があるということは、立案者は資料を作らなければいけませんし、プレゼンもしなければいけないわけです。

授業が終わって、残り時間はどう頑張っても、2時間。そのうち休憩時間が45分。残りは1時間程度。その残りの1時間を会議のために使っています。

もちろん、情報を共有することも大事ですし、イベントの実施などについては、全員に係ることですから、それぞれが意見を出せるようにしておくことは重要です。ですから、すべての会議を否定する気にはなりませんが、なくても成立することが多くあると思います。

空き時間を利用することも大切ですが、1日を終えた時に、必ず記録しておきたいことや誰かと共有しておきたいことがあるはずです。そのために使える時間の確保は、定例的な会議よりも大事だと思います。

1週間を有意義に過ごすこと。大事だと思うのですが。

先生の不祥事

 今日も、不祥事の話が出ていました。全国に先生といわれる仕事をしている人は100万人以上いるんですよね。100万人いるから不祥事が起きていいということではないです。不祥事はいろいろと波及効果をもたらしてしまうので、全体に無くさなければならないと思います。

担任をしていた時です。6年生の担任になりました。その学年は、4年生の時の担任が猥褻系の不祥事を起こし、懲戒免職になっています。その先生は、子ども達には人気もあった先生だったようです。直接接したわけではないので、周囲から聞いた話ですが。初任でその学校に勤務し、まだ20代前半の先生でした。子ども達に何か危害を与えたわけではなく、学校外でわいせつ行為をしたのですが、子ども達にとっては、とてもショックだったようです。そうですね。先生って言っていた人が警察に捕まり、テレビや新聞などで取り上げられたのですから。一部の子ども達は、先生という人たちに対しての不信感を抱いていたと思います。不祥事を起こした本人だけでなく、大人、とりわけ先生という人たちに対しての接し方が変わってしまうと思います。

盗撮や痴漢行為、金銭的な問題など、様々な不祥事があります。どの不祥事も、起こしてはいけないことです。

不祥事でいえば、以前一緒に働いていた先生が起訴されたこともあります。とても優秀な先生でした。こちらは、金銭的な窃盗でしたが、実際に懲戒処分になり、辞めてしまいました。この先生も、子ども達にはとても信頼されていた先生でした。同じ職場にいるときも、てきぱきと仕事をこなし、同僚からも、子ども達や保護者からも、とても信頼されていました。

では、不祥事が起きる前に、不祥事を起こしそうだと分ったでしょうか。この2つの例しか直接に走りませんが、この人が将来不祥事を起こしそうだなんて分からなかったと思います。しかし、起きてしまうのです。

罰則規定を厳しくすることや何が不祥事になるのかを知ることが不祥事防止になるとは思えません。それよりも、一人一人が自分の仕事に自信を持つことや誇りを持つことが大事なのだと思います。最近の学校=ブラック職場のような構図は、マイナスでしかありません。給与を上げることも大事でしょうが、職場環境をよくすること。例えば、職員室を良い環境にするだけでも、かなり変わってくると思います。職員の環境など、後回しにしてはいけないと思います。狭い職員室に詰め込まれている先生達だって多くいると思います。戦後から続いているような職場環境の学校が大半ではないでしょうか。DXなどといっているなら、それ相応の環境も提供されるべきです。

先生たちが誇りを持てるように、それ相応の待遇を与えることも不祥事防止になると思います。

2025年6月21日土曜日

休息・休憩時間って何

 前にも書きましたが、僕が勤め始めたころは8時半始まりの4時終わりだったんです。休憩・急速時間の15分×2と45分を始業と就業の前後に入れていたんです。15年くらいは、その通りになっていたのですが、労働基準法に反しているということで、労働時間の間に45分を入れることになりました。ですから、勤務時間が延び、8時15分始まりの4時45分終わりになったわけです。

本来的に、休憩時間は昼食休憩なのですが、学校は、給食指導をしなければならない時間であり、昼食休憩が取れないわけです。もちろん、子どもがいる時間帯は同様に休憩時間をとることはできません。ですから、15時に子ども達が全員下校してから45分の休憩時間をとるわけです。でも、休憩時間といっても、校内に全員が同時に休憩をとることができるスペースがあるわけではありませんし、多くは住宅地の中にある学校ですから、お茶を飲みに行くとか、買い物に行くとかできるわけでもないわけです。そのうえ、子ども達が下校したばかりですから、下校中に何かトラブルがあれば対応しなければなりません。また、1日の授業が終われば、その時間を使って採点をしたり、事務処理をしたりしたくなるわけです。

時間の設定をしたのだから、そこからは、先生たちの判断であり、休憩時間に仕事をしているのは、先生たちの勝手だというのが教育委員会や文科省の考えなのだと思います。確かに、同じ法律の上で働いているのですから、時間枠さえ作れば問題はないだろうという発想なのでしょうが、実態を把握していながらなのか、把握もしていないのか分かりませんが、現場の実態とは到底折り合わない制度だということは言えます。実際には労働基準法で労働者が守られるのではなく、無休で働く時間を実質的に強制しているというのが実態だと思います。実際、多くの学校で、この休憩時間のせいで会議が4時45分を過ぎても終わらないということもあるのです。

無休での労働時間の存在、会議が長引くという実態、いろいろな問題があるにもかかわらず、改善策すら提示されないのも、考えるべきなのではないでしょうか。

目標よりも、実行と評価を

 学校にはたくさんの目標があります。まず学校教育目標。市の教育委員会が出した教育目標。もちろん、文科省が示す目標的なもの。学校教育目標のもと作られる瞠目、図書、総合学習、情報教育、情操教育、環境教育、学校保健目標、学校給食目標、まあ、それぞれの分野で目標を作れと言われるわけです。でも、こんなに目標があって、その上に学年目標、学級目標まで。子ども達だって、先生だって、覚えているわけないじゃないですか。それぞれの部署が、自分のところは大切だからと思うのでしょうか。ともかく目標的なものが山とあります。学校が多忙化する要因の一つは、そういう各部署ごとにいろいろといってくる教育委員会の姿勢にあると思います。もちろん、教育委員会にいろいろ言ってくる文科省の責任であることは、間違いありません。それから、目標でいえば、公立学校という立場の危うさでしょうか。基本的に、公立学校ですから、どこの学校に行っても、同質の教育が受けられるはずです。また、公立学校として、日本全国津々浦々、同じ教育目標であるはずなのです。各学校ごとの特性や特質を生かしてといいますが、まず、基準となる学校教育の指導要領が示されているわけですから、目標だけが、各学校で異なっていることが不思議でたまりません。少なくとも、教育委員会単位で、示される目標は同じではないのでしょうか。異なった目標を立てる必要性がよくわかりません。第一、近隣の学校と学区が明確に線引きされ、学校間での競争があるわけでもありません。国によっては、学区が廃止され、児童数に応じて教育予算が異なることもあるようです。その場合は、学校間で競争が発生するのかもしれません。隣の学校よりも優れている点を強調したいでしょうし、特性を伸ばしたいと思うかもしれません。しかし、そのような競争もありません。また、目標を立てるということは、実行した後に、効果測定があるべきなのです。しかし、その点もされていない現状があるのではないでしょうか。一時期数値化することに意味があるという論調の時代がありましたが、それも、なんとなく消えています。目標を立てるなら、しっかりと、評価するべきだと思います。保護者へのアンケートをとったりしていますが、そのアンケートも学校単位ではなく、教育委員会単位でアンケートを十すべきだと思います。少なくとも、学校への満足度の比較をすることはできるのではないでしょうか。目標を持つことはいいことだと思います。学級目標を作り、それを実現した姿を子供たちに考えさせ、実現するための手順を明確に示すことができれば、少なくとも、学級崩壊を招くことはないと思います。また、先生達にも、達成すべき姿を明確に示し、そのために、どのようなことをしていかなければならなかを議論してもらうことには意味があると思います。

2025年6月19日木曜日

コンピュータの活用は遅れているのが現状ですよね

パソコンを学校で初めて導入したのは、かなり遅いと思います。パソコンよりも、ワープロが90年だに入ってから使われるようになり、それから、さらに遅れ、2000年代に入ってから一般化してきた気がします。基本的に小学校は、文系の出身者なので、パソコンを利用するという発想がなかったと思います。パソコンが普及しても、学校関係は一太郎の利用率が高く、教育委員会からパソコンが配当されてからWordを使うようになりました。もちろん、Excelの活用も始まり、校内のネットワークも準備されました。

文科省は、DXの活用で、校務が合理化されたといっていますが、ここまでの状態を作るだけでも大変だったということを知ってほしいと思います。機材はない。ソフトはない。それで生産性が上がるわけがない。コロナ禍になって、ネットワークの必要性が出てきたこと。世の中すべてがデジタル化され、教科書のデジタル化が問題になったこと。CBTでOECDの調査で結果が悪かったこと。などがあり、一気に進んできました。しかし、校務に関しては、本当に進んだと言い切れるのか分かりません。順番に活用法を考えるタイミングがなかったと思います。先生たちの発想に必ずしも合った形でコンピュータやネットワークの活用がされていないと言えます。もちろん、今やコンピュータを使わず、ネットワークを使わず仕事が進むわけはないので、みな使っています。でも、それが、合理化につながったり、授業の効率化につながっているのかというとそうではないと思います。

宿題のプリントなど自動化しようと思えば、それほど蒸すかしいことはないのです。Excelで組んでいた時代にだって、半自動化をすることはできていました。今だったら、何の問題もなく進めることができるはずなのです。しかし、すべてメーカーに提供されたものばかりが先行しています。なぜ、ソフトを作成している会社と共同開発ができないのでしょうか。当然何らかの形で動いているのかもしれません。これは、校務処理のシステムについても言えます。より利便性の高いものを選択すべきです。何社も開発し、販売をしていることは、担当している先生ならばわかっていると思います。

学校がDXから遠藤いところにいる現状を認め、より効率的にDXの活用ができるようにしてほしいと思います。

2025年6月17日火曜日

就職としての教員採用試験

 学生にとって、教員採用試験はあくまでも就職すための試験だと思います。ほかの免許とは違い、教員採用試験に合格しなければ、教員免許って役に立たない資格です。ですが、世の中の人手不足が進んでくると、教員免許があるというだけで仕事を選ぶことはないのだと思います。様々な職種があり、就職するうえでの条件面も違いや差があります。

大体4月になったら、すぐに担任ですと言われても、ピンとこないでしょうし、わずか数日の研修を受けたところで、対応することができる人ばかりだとは思えません。どこの企業も、こんな数日で仕事を任せるなどという暴挙に出ることはないと思います。確かに、僕自身、新採用で教室に立っていました。もう、昔のこと過ぎて覚えていませんが、でも、あの時代は先生が先生として前に立つことで、制御できる部分があったような気がします。今は、違います。様々な環境が異なっています。幼児教育も幼稚園が中心ではなく、保育園の卒園生が1年生の半数以上を占めている学校も多いと思います。保育園と幼稚園はやはり違いがあります。生活を中心にしている保育園で過ごしてきた子ども達にとって、必ずしも学校でのやり方がなじみやすいとは言えないと思います。保護者の考え方も変わってきています。そういう環境下で、4月の初日から担任です。頑張りましょうと言われても、頑張りようがないことも多いと思います。特に小学校は、人員数も少なく、事細かに指導をしてくれる先生がいるわけではありません。週1日来てくれるとか、毎日来てくれても、1時間見てくれるだけとか、そういうことの方が多いと思います。

安心して学生が先生として就職することができるようにする方法を考えることが、教員不足を解消するための一番の方法ではないでしょうか。今の時代、ふと思ったことをSNSに書き込むことができます。YouTubeを使っての発信も難しいことではありません。この投稿もそうかもしれませんが、あっという間に、誰からの反論も受けず発信されたことが、大きく影響を与えてしまいます。そうであるならば、よけい安心感を与える受け入れ方を考える必要があるのだと思います。

以前にも書きましたが、初任者に小学校で担任をさせるのは無理があると思います。1年間じっくりと育てる機会を作っていくことがトータルコストを考えてもベターなのではないでしょうか。

2025年6月15日日曜日

全国同じ環境なのだろうか。

 僕は、生まれてから、ここに至るまで、ずっと都市部に住んでいます。まあ、子どもの頃は都市部といえるような今日ではなかったですが。

今、日本の教育をどうすればよいのか考えるとき、2つの課題があると思います。一つは、小学校入学の年齢です。小学校に入学してくる子どもを見ていると、果たして、この段階で小学校に入学してくるのが、この子にとって一番ベストなのかと思うケースがあるんです。一番大きいのは早産で生まれた子どもです。早産であるから、すべての子どもがということではもちろんありません。ただ、かなり早産で生まれていても、年齢は年齢だと区切るだけではいけないような気がします。もう1年後から入学する権利を与えることが大切なのではないでしょうか。選択できる環境づくりをし、周りの大人たちが話し合い、その子にとって一番良いタイミングを選んであげることが、余裕を生むと思います。

もう一つは、地域格差です。格差という言い方は適切ではないかもしれません。その地域の置かれている環境に応じて、教育内容が変わってもよいのではないかと思います。もちろん、現在のような基準は必要かもしれません。しかし、すべての地域の教育環境は大きく異なっていると言えます。子ども達の置かれた環境に応じて、教育内容を変更できるように制度を変えていくことが必要だと思います。

もちろん、1クラスの人数をどうすればよいのか。どれだけ予算をかけて、教育に投資すればよいのか。教員を志望してくれる学生を増やすためには、どのような対策が必要なのか。学校で現在行っている教育内容は、本当に適切で、時代に応じたものなのか。考えていかなければならないことは、山ほどあります。なぜ、戦後80年の間に、課題だけが増え、明確な方向性を持つことなく教育活動を行ってきたのか、地方分権が進んでいれば、解決できたことが多くあったはずなのに、なぜ中央集権的な教育を目指しているのか。大人たちが明確な考えを示さなければ、学校教育は、良い方向を見出すことができないまま、進んでいくことになると思います。

全国同じ環境でないことは、すべての大人が知っていることです。その地域にあった教育環境をつくべく努力するべき時なのではないでしょうか。

2025年6月14日土曜日

給料の問題なのか

 働かせ放題の温床は、給特法にあるのは間違えないでしょう。基本的に、公務員ですから人件費も予算の枠内で納めなければなりません。教員の「訳の分からない」残業にも給与を出していったら、いったいいくらかかるか分からない、と、感じている財務省や文科省には、それを推し進めることはできないでしょう。

ただ、お金の問題は、実は、表面的なものではないかと思うのです。それ以上に、「やりがい」ということの方が問題のような気がします。先生は、子ども達のことを第一に考え、子ども達のためならば、できるだけのことをするものだと、刷り込まれている方が問題なのではないでしょうか。最近はさすが出てきませんが、「聖職」などといわれていた時代もあります。その歴史があるからでしょうか、お金のことって職員の間では話題にならないような気がします。もちろん、給料が高いに越したことはありませんが、そのことが話題に出ることはないような気がします。日教組自体が給与闘争をして問いことも聞いたことはあまりありません。労働組合なのに、給料や労働環境にあまり熱心に取り組んできたとは言えない気がします。「やりがい」は、とても危険な言葉だと思います。それでも、これまでは、「やりがい」があるんだから、頑張れるという風潮が職員の中にはあったのではないでしょうか。

今でも、実際には土曜日や日曜日に学校に来ている職員がいます。仕事が終わらないからだけでなく、自分が考えていることを実現させるために、教材づくりや授業準備をするために学校で休日も働いているわけです。これらは、まさに「やりがい」マジックのなせるものだと思います。ライフワークバランスが言われ始めたのもつい最近のことだと思います。「やりがい」に浸食されている先生たちにライフワークバランスなどといっても響くものがないような気がします。

働き方を考えることは、大切なことです。しかし、仕事をすることで理想を実現できると感じている「やりがい」世代には考えようがないのかもしれません。自分の時間をたっぷり楽しむことを体感していかないと駄目なような気がします。ですから、単に給料の引き上げを実現しても、改善はされないでしょう。

2025年6月13日金曜日

運動会のテント

 運動会というと、テントが何梁か、用意されます。でも、必要なんでしょうか。実際に運動会の際にテントを出さずに実施したことがあります。確かに、調子が悪くなった子がいた時、日影が必要という話も出ましたが、それならば、冷房が効いている保健室に連れて行った方がよいということになりました。その他にテントが必要になる理由は「来賓」席です。来賓といっても、町内会や自治会の会長や歴代のPTA会長です。まあ、他の学校の校長が来た入りすることもあるので、その際には来賓席にというしきたりのようなものがありました。

コロナ禍で、運動会が縮小した際に、近隣の校長間で、他校の運動会や卒業式、入学式には相互に招待をしない、行かないということを決めました。また、町内会や自治会の会長も呼ばないと、決めました。そうするとテントを張る必要がないわけです。校長だから、副校長だからといって何もしないで座っている必要はないので、それぞれに自由に動き、いろいろな係の活動を支援したり、保護者と話をしたりする機会にしていました。また、いろいろな場所で、演技や競技を見たりすることも、熱心に行いました。これらのことは、次年度の運動家につなぐために、大事なことだと思います。

そうすると、敬老席が問題になるのです。祖父母が見来た時、暑い中での参観は難しいといわれます。確かに、これは配慮すべきことなのですが、敬「老」がいったい誰を指しているのか問題になります。実際、60代の祖父母だって多いわけですし、何をもって老とするのか難しいものがあります。一応対策としては、日影にパイプいすを並べ、休んでいただくことができるようにしました。校庭に面した教室を解放したこともあります。

テントを出さないと、設置したり、撤去したりする手間が無くなります。また、見学している側とすれば、邪魔なものが無くなり、良い位置での参観ができるようになるメリットがあります。割合からすれば、テントがない方がよいという声が多く聞かれました。

ちょっとしたことですが、実際にはテントを出さないと決めるまでにいくつかの決断を迫られます。学校は、今までどおりが好きですから。

2025年6月12日木曜日

水泳って必要なんですか?

 子ども達は、夏に水泳の学習を楽しみにしています。全員ではないですが、かなりの割合で楽しみにしているということは分かります。しかし、年間に行う水泳の学習は5回程度です。5回の水泳学習で何が身に付くのでしょうか。まずそれが、第1の疑問です。

都市部では、スイミングスクールがかなりの数で来ています。選手コースから、泳げるようになろうという子まで、幅広い層がスイミングスクールに通っています。今では、これは、学校とは全く関係のない次元で行われている教育活動だと思います。水泳が体作りに良いという判断をしている保護者の割合が多くなっていることが最大の理由なのでしょう。確かに、水泳は陸上での運動の3倍の力を使うそうです。また、全身運動なので、子ども達の成長に良い運動になるという判断は正しいような気がします。 これが第2の理由です。

そして、第3の理由は、膨大にかかっているコストです。学校のプールはとてもきれいです。低学年が入るときには、プールの水浸を半分程度まで下げます。中学年でも、満水状態よりも多少下げています。高学年だけが満水状態で使用します。ですから、低学年→中学年→高学年と入ると、プールの水を順番に多くしていくので、あまり問題がないように思えます。しかし、高学年が入った後は、高学年→中学年→低学年とおこなうと、半分の水を捨てることになります。そのうえ、何故か、先生たちは低学年、中学年、高学年が、いずれも、1日は間隔をあけるように日程を設定するので、かなりの水を捨てなければならなくなっています。これが、学年単位であれば、水の使用量はますます増えていきます。入っている時間やそこで得られる効果を考えると、かなりなハイコストだといえると思います。これを日本中の学校が行っていると考えると、驚きしかありません。

そして、最後に水泳の時間でも、熱中症になる可能性があるということです。水の中にいても、条件によっては、かなりの汗をかき、脱水症状になったり、熱中症になったりすることを考慮しなければならなくなっています。

毎年、何人かの子どもの学校のプールでの水難事故が報告されています。リスクがあることは分かっています。リスクをとるだけの意味があるのか、考えるべきではないでしょうか。コストン対してのリターンも極めて小さいと思います。何でもやればいいという時代ではありません。また、水泳のための施設も、日本中十分にあることを考えれば、学校が負うべきものなのか、答えは出るような気がしますが…。

2025年6月11日水曜日

現場を知ってもらうために

働き方改革の議論をする前に、文科省に入ったら、2年間学校現場で仕事をすることを義務化したらどうでしょう。

教育問題って、誰でも参加することができるテーマなんですよね。だって、国民の全員が、経験していることなんですから、教育については一言、二言、三言、話すことができるわけです。でも、学校の現状を実感できるのはその場にいたことがある人だけだと思うんです。国によっては、教育に関わる人は、全員学校での教員経験がある人という条件が付いているという話を聞いたことがあります。この国は、全く違いますよね。様々な会議や委員会の席に、現場からは数人出ているだけだと思います。有識者ということで、畑違いの人が参加していたり、メディアで話題になっている人が出ていたり、あとは、学者さんばかり。実際の学校の様子を理解sているとはとても思えません。

コンビニやファストフード、チェーン店化しているレストランなどに就職すると、3年間程度は、店舗の店長や副店長を経験しなければならないということを聞いたことがあります。文科省に入ったら、学校現場で経験を積むことで、現場の課題や問題などを実感できるようになるのではないかと思うんです。まあ、担任をやれとまでは言いません。免許法の関係もありますから、難しいと思います。せめて、校長を2年間やってみるというのがいいのではないでしょうか。確かに、文科省から教育委員会に出向している人もいます。教育委員会の課長級で、様々な場面の視察をする機会もありますし、学校の職員の声も聴く機会があると思います。しかし、それでは不十分だと思います。何が学校で起こっているのか実際に一緒に働かなければ分からないのではないでしょうか。

学校は、視察があるといえば、その場しのぎでも格好をつけます。悪く見えるようなことはしません。それはそうですよね。だから、問題がないと見えるかもしれませんが、実際には小さな出来事がたくさん起きているわけです。

本当に困っていること、悩んでいること、それらを実感できるような仕組みを作ることはとても大切なのではないでしょうか。

2025年6月10日火曜日

なぜ、崩壊するクラスが出てくるのか。出ないようにするためには。

 いろいろなことが書かれていますが、何故という回答はないのでしょうね。回答があれば、これだけ、多くのクラスが崩壊しないでしょう。まあ、それでも、書いていいる以上は、回答に近いものを考えなければなりません。

ひとつは、先生の話がしっかり伝わっているのかという点です。話をするという行為は、あまりにも自然なことで、言葉がでていればよいということになるのだということになるのです。常に、私たちは、言語的なやり取りをしていますから、それが特別なことだとは意識していません。しかし、子どもの前で話すということは、普段の言語的なやり取りとは全く違った行為です。どの学年の子どもに話をするのか、どのような場面で話をするのか、そのことを考えながら話をしなければなりません。話すときの速さ。間のとり方。話の内容。話すときの表情。手振りや身振り。話すをするときの位置。僕はあまりバラエティ番組というのを見ないので、よくわかりませんが、明石家さんまさんの話し方は、さすがプロだと感じます。話のテンポ、声の大きさ、話をするときの速さなど、とても分かりやすく話をされています。そして、何よりも、相手から花井を返された時のリアクションや、突っ込みをかけていくときのリズム感など、見習うべきものが多くあると思います。

先生は、ステージの上に立っている役者さんや芸人さんと同じようなスペックが求められているのだと思います。聞いていてわかりにくい、何を話しているのか聞こえない。聞き取りにくい。話が早すぎてついていけない。こういうことが積み重なると子ども達は、話を聞かなくなります。これが、学級が崩壊するうえでの最初の問題だと思います。話が通じ合わなくなった先生と子どもの間に信頼関係などできるはずはないのです。

もちろん、それだけではないでしょう。先生は、話を聞くことも大事にしなければなりません。子ども達は、子どもたちなりにいろいろ考えて、話をしてきます。大切な話をしっかりと聞いてあげることが大切です。

それから、褒めること。褒めてあげることはとても大切です。でも、これが意外と難しいのではないでしょうか。褒めるという行為をするときには、しっかりと先生というモードに入っていることが必要になります。先生という立場があることで、褒めるという行為が意味があるものになります。

そして、先生に、理想とする教室の様子をイメージする力も大切になります。どんな教室にしたいのか。どんな雰囲気を作りたいのかというイメージを持ち、そのために何をすればよいのかを考えてほしいと思います。イメージがないと、なんとなく教室で過ごしてしまいがちです。そうならないために、自分の中の理想的な教室の様子をイメージしてほしいです。

2025年6月9日月曜日

働き方を変えることってできるのでしょうか。

 いろいろなことが言われている教員の働き方。改革だとか、改善だとか、言われていますが、どうなんでしょう。

一番の問題は、仕事量と人員の配置であることは間違いありません。戦後から、ずっと続いている文科省(以前は文部省でしたが)の政策は、足し算だけを行ってきました。ひたすら新しいことを打ち出し、内容を増やし、授業時数を増やし、新しい課題だと言っては、政策をふやし、でも、人員も予算も増やさず、ずっとやってきています。特に、「教育改革」と銘打って、いろいろな課題や問題を現場に放り投げてきたことが、一番の課題だと思います。

このことを解消するためには、定数の改善と予算の確保が一番大切であることは言うまでもありません。

しかし、現場にも問題があります。僕が教員になったころ(40根に錠前ですが)8時半始まりの16時終わりでした。まあ、その頃も、遅くまで働くことはありましたが、しかし、もう少し余裕があったような気がします。なぜなのかというと、それほど社会の目が厳しくなかったからでしょう。先生という肩書が、まだ、十分社会的な立場を保っていたからだと思います。それでも、当時は、土曜日も学校をやっていましたから、週休1日という状態でした。

それから、週休2日になり、2日休みがあると、こんなに違うんだと感じたものです。でも、この時も、文部省は「学校週5日制」という言葉を使いました。労働省に教員も週休2日にしろと言われ、教員の週休2課を実施するために始めたことを、ことばをかえてしまったために、新しい仕事を作り出したのです。こういう姿勢が今の状態の基礎となっていると思います。

話はそれてしまいましたが、現在の状況の中で、ずっと、様々な政策的な課題を押し付けられ、社会的な課題を押し付けられてきた世代が現在の50歳前後の先生達です。この世代は、一番忙しい時期を経験しています。そして、その中で、自分が頑張れば、なんとかやれると考えている世代だと思います。様々な責任を押し付けられ、それでも、頑張ってきた先生達です。この世代は、働き方改革にうまくマッチできないと思います。それくらい、頑張ってきた世代です。人数も、とても少ない世代ですので、いろいろとやらざる得ないということもあります。

働き方を変えろという大合唱は、本当にそうだと思います。しかし、これまでの経過を無視して、強引に進めることは難しいと思います。

2025年6月8日日曜日

採用試験の倍率

 鹿児島や宮崎などの教員採用試験の倍率が発表されています。びっくりするような数字です。教員採用試験の倍率が2を割り込むと、人を選ぶことができなくなるといいます。それに、教員採用試験の倍率は高めに出ていいるんです。受験者は一つの自治体だけを受けているわけではありません。自分の出身地と都市部を受けるというのが多くいると思います。僕も、面接官を何回かやりましたが、申込書に書かれている住所はかなり遠方のものが多くありました。そういう人は、地元の採用試験に受かれば、併願していた場所には行きません。ですから、そう考えると最終倍率は、本当に低い値になると思います。

それに、今はやりの3年生で受験させるというのも、あまり実質的な効果がないような気がします。滑り止め程度に考えて、就職活動をする人も多くいると思います。

教員だけではないでしょうが、公務員全般に言われるのは、景気が割るとき、失業率が高いときには、応募が増えるのですが、景気が良くなり、初任給が上がり、失業率が低い今の状態では、あえて公務員になろうとか、教員を志望しようということは無くなってくるのだと思います。

教員免許を簡単にとらせるということも言われていますが、教員免許の取得者が増えても、結果はあまり変わらないような気がします。実際小学校の教員免許を取得できる大学の数はものすごく増えていると思います。僕が学生の頃には、国大+6校程度の私立で小学校の教員免許が取れるという感じでしたが、今では、かなり多くの大学で小学校の教員免許の取得ができるようになっています。そう考えると、免許の取得が問題ではなく、教員という職業事態に魅力がなくなっているということだと思います。

何回か書きましたが、一つは広がってしまったイメージです。実際テレビドラマなどを通して描かれる教員の姿はあまりやりたくなるようなものではありません。いまさら、強烈な個性の先生が登場してもリアリティはないでしょう。そうすると、困難な状況に追い込まれる姿が多くなるのも仕方ないのかもしれません。次に問題なのが待遇です。けっして給与が高いわけではありません。求められる倫理観は高く、職業的な制約も強く感じることを求められます。それに対する代償が少ないのだと思います。やりがいという言葉で、すべて絵のことが帳消しにできるような状態でもないと思います。

では、どうすればよいのでしょうか。前にも書きましたが、少なくとも、小学校の場合は、新採用の先生に担任を持たせないようにすべきです。そのために、かかるコストは膨大なものになりますが、それでも、やる価値はあると思います。教育現場に必要なことを実施していくのが行政の仕事であり、議会の仕事だと思います。採用試験を受けて、採用されて、安心して仕事ができるようにすることが、今は一番大事なのではないでしょうか。

2025年6月7日土曜日

学級経営って何

 僕が大学生の頃でも、学級経営について考える抗議がありました。当時も、いくつかの先端的な実践をしている私立小学校があり、それらについて勉強したことを覚えています。

ただ、実際に自分が立っている教室で起きていることは、システム的な問題などで片付けられるものばかりではないということことも事実だと思います。

6月は危険な時期だと思います。5月末から6月頭にかけて運動会があったり、土曜授業参観や遠足などの行事があることも多いです。それらが終わると、子ども達も、先生も、ひと段落付いた気分になるということもあります。また、大きな行事があると、そちらにばかり目が行き、身近な子どものことに目が届かないことがあります。最初は小さな問題だったものが、何週間か過ぎ、深刻な問題になっていることもあります。ちょうど、6月に入ると、それらの問題になっていることが、目につくようになったりします。子ども達も、大きな行事が終わり、緊張感が緩んでくる時期でもあるのです。

そうなってくると、学級経営の状況が問われるわけです。

学級経営というと、とても難しいことのように感じてしまいますが、実際には、基本的なルールができているのか、ということではないでしょうか。教室における一番の基本的なルールは、話を聞くことです。子ども達は、先生が話をしているのを聞く。聞いているときは、聞くことに集中する。先生も、話をしているときは、話すことに集中する。例えば、話をしているとき、どの位置で話をするのが効果的なのか。座って話すことと、立って話すことの意味の違いを考えているのか。立って話をするときと、歩きながら話すことの効果手の違いなど、いろいろ注意してほしいことがあります。話し方や内容、声の大きさの使い方、表情だってそうです。基本的には、いつもにこやかな笑顔で話すこと大切だと思います。だからこそ、笑顔じゃないときに、子ども達に何かを感じさせることができるのです。無表情で話をすることは、簡単ですが、笑顔をいつも作ることは難しいです。でも、それを通して、話を聞く姿勢を作っているのだと考えるほしいものです。

学級経営の様々な手法は理解しておく方がいいと思います。ですが、まず、基本的なルールとして、話を聞くこと、話をすることに、目を向けることが一番大切だと思います。それができていることが、学級経営の基本ですから。

2025年6月6日金曜日

採用試験を受けてくれない

 びっくりするようなニュースですよね。小学校の採用試験を受けてくれない。宮崎県の採用試験、小学校の教員採用試験の倍率0.9倍。必要な人材数だけを考えたら、全員合格ですからね。合格を出しても、そこからさらに辞退者が出るわけです。そうすると、この時点で、来年の法定数だけの人材確保ができないということになるわけです。いったい、何が起きているんでしょうか。

30年前は、合格者0でもいいと言っていたんです。今、何百人と採用している都市部でも、そのころは、ほぼ採用なしという言うことがあったのです。

ですから、今の職員室はベテランが極端に少なくなっています。

教員採用は、その時点、その時点で必要な人数を募集するというのが基本的な考え方になります。クラス数に応じた採用をするしかないのは当然です。ですから、退職者の数が多かったり、1クラスの定数が変わったりすると、採用数が突然増えてりします。それも仕方ないことだと思います。もちろん、それだけではないのでしょう。給与面でも、民間と比べて低くなれば、あえて選ぶわけはないのです。給与に関しては、国の方針として公務員給与引き下げが続きました。民間の給与が上がらないのに、公務員だけを上げるのはおかしいというのが基本的な論調だと思います。その影響は確実に、今の時代になって表れていると思います。

そして、SNSなどで、教員は割に合わないとか、どう大変なのかということが、伝えられたことも大きな影響を与えていると思います。ブラックもいいところだと書かれてしまっては、やろうという意欲もなくなってしまうかもしれません。まあ、教員免許を取るためには、実習をしているわけですので、全く自分の目で見ていないということではないと思います。僕は、必ず定時で実習生を返していましたが、学校によっては、かなり遅い時間までいさせているという話を聞いています。その辺も課題なんでしょうね。

僕は、長年教員をやっていましたが、とても素敵な仕事だと思っています。けっして、報道されたり、伝えられているようなことばかりではないということも強調したいです。

素敵な仕事ですから、少なくとも教員養成系の大学出た人は採用試験を受けてほしいなと思います。

2025年6月4日水曜日

集金はしていません

 1年間の中で、何件かお金にまつわる話が出てきます。PTA回避を着服したとか、学年費を私的に使ってしまったとか。基本的に今時ですから、現金を扱うことはほとんどないと思います。教材等を購入するための学年費は銀行振り込みですし、修学旅行や宿泊体験学習などの代金は旅行会社に直接支払うようになっています。運動会などの行事で写真を写真屋さんがとった場合も、web上で直接販売するようになっています。ですから、学年費やPTA会費を横領するためには、銀行から降ろしてという作業が入ってきます。そうなると、実際には、できない話だと思います。まあ、直接お金を扱うことはほとんどないので、通帳を管理している副校長なり、校長が行わない限り、難しい話だと思います。

この現金を扱わない仕組みが広がってきて、お金に関しては、とても楽になっていると思います。ただ、現金で買えば安く買えるのにということもあります。今は、百均ショップが多く存在しています。そこで購入してしまえば安いのにということもあります。ただ、そうすると、それを買いに行く手間がかかります。学校の周辺にあればよいですが、学校は基本的に住宅地の中にあることが多いですので、近くにあることは少ないと思います。以前、市販の価格よりかなり高い価格で調味料を購入しているということが話題になっていました。これは、学校に文房具などを販売している会社に、調味料等を頼んだからです。学校には現金が基本的にありませんから、いずれかの会社から購入しなければなりません。それぞれ専門としている商品であれば、卸問屋などから比較的安い金額で購入することができますが、普段扱っていない商品はその会社の人が、スーパーマーケットなどで購入し、学校に転売する形をとるわけです。ですから、スーパーマーケットで購入した商品に利益を上乗せして、学校に販売するため、高い値段の調味料などが存在することになるわけです。学校には現金がないので、職員が購入しに行くことはできません。ですから、起きている問題なのです。

昔は、給食費、学年費、遠足などの旅行代金、PTA会費など、いろいろなところで現金を扱っていました。お金が合わなくて困ったこともあります。そういう煩雑さから解放され、よりクリアにするようになったのは、良いことだと思います。

2025年6月3日火曜日

先生の服装

 男性と女性では、事情も違います。年代によっても違いはあると思います。

学校自体に、服装の規定などありません。ピアスをしていようが、髪の毛の色を何色にしていようが、それを注意することは基本的にはないと思います。行政からの指導で、見たことがあるのは、ジーンズはOK。だーめじのあるものはダメ。これは、文書で来たので、守らなければいけないということだと解釈していました。それ以外に、文書で服装などについて書かれたものは見たことがありません。実際、学校の先生はかなり服装に関しては、自由だと思います。髪型や髪の色などで、何かを言われることはないと思います。ただ、世代によって考え方や感じ方が違うので、女性の管理職が若い子に何かを言うことがあったということは聞いたことがあります。ネールについても、女性校長でネールをしている人もいるので、あまり最近は話題になることはないと思います。高学年になると、ネールをしたいとか、簡単なマニキュアをしてきて、先生に落とせお言われた時、〇〇先生のネールはどうなんだといわれた言う話が出たことはあります。

学校によって、様子が違うのは、ジャージでしょう。学校に付くとロッカールームで、すぐにジャージに着替える人が多い学校と、ジャージは体育の時以外、着ないという学校があるような気がします。確かに、ジャージに着替えてしまえば、どんな状況にも対応しやすいということがあります。嘔吐する子もいますし(嘔吐の処理は次亜塩素系の薬品を使うので、洋服にとぶちょ漂白されちゃいます)、外で土いじりをした手で触っていくる子がいてもおかしくないですから。まあ、考え方なんですが、子どもに、体育の時とそれ以外の時の服装は違うといっている手前、僕自身は、ジャージを体育の授業以外で来ていることは少なかった気がします。

基本的には、保護者が見て、不快に思わない服装であればよいのだとは思います。まあ、よほどの格好でない限り、保護者から何かを言われることはありません。どちらかというと、同僚や管理職のこだわりの方が強く影響しているのだと思います。子どもは、先生の格好などあまり関心はないでしょうが、それでも、きれいであったり、可愛いと思う服装が好きなような気がします。

たまに、スーツを着ていると、「今日は何があるの」といってくる子もいます。普段との違いは感じるんですね。


2025年6月2日月曜日

電話に出るのは誰

 学校にかかってくる電話って、かなりな本数になると思います。最近では、朝の出家席に関する連絡がネット上で行われるようになり、頻繁にかかて来ていた以前のような状況は無くなっているだけでも進歩だと思いますが…。

最近は、職員室で先生たちの事務的サポートをしてくれる会計年度職員がいます。導入された理由の一つが電話対応です。それまで頻繁にかかってきている電話を主にとっていたのは副校長です。確かに、何か仕事をしているときに電話がかかってくると中断されることもしばしばです。その上、校長の中には、3コール以内に電話に出ろという人もいます。また、校長や副校長の中には、若手の先生の仕事だと言っている人もいます。ですから、早く電話に出るように言われた若手が電話に出るという学校もありました。そういう問題を解決するためにも、職員室の事務サポートをしてくれる職員を雇用し始めたわけです。

事務的な面でも、電話対応という面でも、事務的なサポートをしてくれる人がいるだけでかなり改善されてきたと思います。

電話に関しては、面白いことに校長が電話をとることがないという現象があります。僕自身は、電話に出ることがそれほど嫌ではなかったので、校長の時も、電話に出ることをいとわなかったのですが、知り合いの後方からかかってきたときなど、驚かれることもしばしばでした。

電話に出た時、自分の名前や役職を言うのかも、話題になることがありました。これも、流行があるようで、電話をとった時に、名前を言う傾向がみられる時期もありました。ただ、名前を言ってしまうと、対応を考えなければいけないときなど、うまくいかないことがあるので、僕は、電話をとった時、名前を言わないようにしていました。

話がそれてしまいましたが、電話をとってくれる事務的なサポートの人の就業時間は短いことが多く、就業時間の終わりまでいることはありません。そうなると電話に出るのは誰なのかということが問題になるわけです。まあ、電話のそばにいる人がとればいいのではないかと単純に思うのですが…。意外と学校って、そうはいかない面もあるようです。


2025年6月1日日曜日

いろいろ言われるけれど、学校にできることって何

 教育に関するニュースって意外と少ないような気がします。ニュースに流れるのは、事故が起きた時だけ。言えば、学校って安全で当たり前、学校が楽しくて当たり前、学習したことがすべての子どもに身につくのが当たり前、って前提があるような気がします。

もちろん、そうなるように、職員はみんな頑張っているのです。そして、ユートピアみたいな学校を作ろうと、努力しているわけです。

でも、残念ながら日々の学校での様子はだいぶ違うような気がします。教室の中を見ていると、集中できないでもじもじしている子もいます。興味なさそうに、ボーとしている子もいます。しゃべりをしている子がいたり、等々。そこには、机上で考え、理想的な姿に近づけようと政策を考えている部門と大きな乖離ができてしまっているように思うのです。日々起きている小さな出来事を処理するのに先生達は躍起になっているといってもよいかもしれません。もちろん、授業がうまく、子ども達をうまく学習させている先生も多くいます。いつも、子ども達を楽しく学習させることができ、いつでも、子ども達が一生懸命に考える授業も見ることはあります。腕がある先生はいるのです。でも、全ての先生がそうできているのかというと、そうではないというのが現実でしょう。

6月に入りました。新しいクラスになって2か月が過ぎました。クラス間の差が出ているころだと思います。落ち着いて学習に取り組んでいるクラスも多いと思うのですが、7月まで持つだろうかと心配なクラスも出てきます。そういうクラスの立て直しは、とても難しいです。特に、低学年は、一度崩れてしまうと、それを立て直すのに苦労します。高学年になると、子ども達があきらめてしまっていると難しいですが、それでも、話し合いをすることで改善できることもあります。圧力をかけることで、制圧することもできるでしょうが、それでは、根本的中全にはつながりません。どこかで、破綻することが多い気がします。

学校はユートピアではありません。机上で考えている理想的な姿になることはないような気がします。もちろん、そこに近づく努力は必要です。しかし、机上のプランに書き込まれない、様々な問題があることももう少し考えてもらえればいいなと思います。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...