このブログを検索

2025年7月3日木曜日

不祥事が連発

 職業と性癖って関係性が薄いんだと思います。教員だから起きていることではなく、性癖ゆえに起きていることだと思うのですが、どうなのでしょう。

もちろん、職業的な面として問題なのはわかります。キャリアがあればあるほど、関係している人間が増え、影響力が多いわけです。ですから、教員がやっちゃいけないというのは間違いないことだと思います。

では、どうすれば、ここまで起きている様々な不祥事が無くなるのでしょうか。すでに書いたのですが、罰則規定だけを厳しくしても、具体化しても、ダメなのだと思います。それが、有効であるなら、すでに不祥事は起きなくなっています。

では、解決法はあるのでしょうか。方法としては、採用する際に、確認書を作り、次のようなことは禁止されていると明記したものを交わし、それに反した場合の罰則規定を明確に伝えることが大切だと思います。また、猥褻事案に関する事柄を内容的に明記しておくことが必要なのではないでしょうか。それだけで、効果があるのかといわれればないとしか言いようがありませんが、明記しておくことは大切だと思います。

採用時の契約はとても大切だと思います。子どもが可愛いと思うことと、子どもを性的な対象にすることは全く別の次元です。

不祥事が起きたこときのことは、以前書きましたので重複は避けたいのですが、本当に現場を疲弊させます。無用の対応が必要になってくるわけですから。そのことだけでも、すべての教員が自覚している必要はあると思います。

2025年7月1日火曜日

何時まで対応すればいいのか

 よく新聞やテレビなどで取り上げられているの一つが、夜遅くなってからの保護者からの連絡への対応です。夕方以降、電話とったら、それが1時間にわたる苦情だったり、抗議だったりしたという話です。

一番の対処法は、留守番電話にしてしまうことです。留守番電話にしたくても、一定の時間になったら、対応しないと決めることだと思います。僕は、10年近く前にいた学校から、留守番電話にするようにしてきました。実際、10年間、留守番電話にして困ったことはありませんでした。

まず、学校だよりに「職員の勤務時間」について書きました。その中で、就業時間後は、電話での対応はできません。と書きました。今どきの保護者は、男女を問わず会社での勤務経験がある人が多くなっていますから、「職員の勤務時間」と電話対応の時間が書かれていれば、納得してくれるのだと思います。もちろん、学校側からは電話をすることができるわけですから、どうしても、その日のうちに家庭にお知らせしておきたいことがあればできます。また、連絡用のアプリを活用している学校が多いと思います。保護者は、連絡帳機能のようなものを活用して、学校に連絡しておきたいことは連絡してくると思います。逆に、学校からも、個人単位でアプリを通して、連絡することができるようになっていると思います。まあ、持ち物の連絡を忘れたからと、手軽に利用することも多いようですが、保護者からの連絡もアプリを通してというのが多くなっていると思います。

学校は、警察や消防、大規模な病院とは違います。これらの組織は24時間体制で仕事をしているわけで、しっかりとシフトができています。学校は、朝8時ごろから、夕方の5時前までの勤務になっています。ですから、24時間対応するような形をとってしまったことが問題なのです。留守番電話やアプリの活用など、いまさらのことが多いと思います。ですが、もしやっていない学校があったら、すぐにやるべきです。仕事をしている保護者だって、休憩時間はありますから、決して、夜にならないと連宅が取れないということはありません。先生たちの勤務について、しっかりお知らせすれば、すむことが大半です。夜遅くまで学校にいたためにつらい思いをすることがあってはいけないと思います。

2025年6月30日月曜日

余裕があればできるのに

 余裕があれば、休み時間に子どもと一緒にドッジボールをしたり、追いかけっこをすることができます。まあ、体力も必要ですから、余裕だけではないのですが。

若手の先生のアドバンテージは、子どもと同じように動くことができることだと思います。たとえ、6年生でも、一緒に遊んでいると、いろいろな話をしてくるようになります。休み時間の遊びながらのコミュニケーションは、とても大切だと思います。子ども達も、素直に喜んでくれます。若い先生が好きな理由の一つは、やはり一緒に何かできるという期待感だと思います。

僕が若いころは、授業が終わって、子ども達が下校した後、学校に遊びに来る姿をよく見ました。そして、子ども達の輪に先生が加わることもよくある光景だったと思います。

もちろん、ここまで書いてきたように、現在は、そんな余白の部分は学校にはありません。ぎっしりと予定が詰まっています。

不祥事が起きたりすると、学校はひたすら防御態勢に入っていきます。教育委員会は、研修を白と繰り返し言ってきます。研修をするのはよいのですが、そこに貴重な時間を当てなければいけないという現実があります。子ども達と遊ぶなんて、もってのほかになるわけです。

クラスの中で中心になる子どもと一緒に遊びながらいろいろと話し、クラスへの全体の求心力を高めることができることが多くあります。子ども達と気持ちを通じ合わせることはとても大切な学級づくりの要素だと思います。

ぜひ、余裕のある学校にしてほしいなと思います。

2025年6月29日日曜日

人が足りないのを解消できるのでしょうか。

昨年、12月に給与表の改定をしたのだと思います。初任給を上げるためが一番の理由だったと思います。初任給を上げるということは、若手の給与を同じように上げなければなりません。その結果、勤続年数が多いほど、給与を上げないということが起こったわけです。物価だから、給与の引き上げをするという報道がありました。しかし、20代は、1カ月分の給与引き上げをしたのですが、40代以上は、5000円程度の引き上げにとどまることになりました。企業の状況は分かりませんが、教員に関しては、そういう実態がありました。「いまさら転職するわけないから、給与は引き上げない」と考えているんじゃないという声が職員室で聞かれました。

人材不足が著しい中、大企業では、初任給30万という発表が続きました。それに引き換え、教員の初任給は、手取りで20万ちょっとだと思います。そう考えると、やはり教員になってもらうためには、初任給を引き上げるというのも必要な戦略だとは思います。

ですが、ここまで、失った30年といわれる中で、公務員の給与を抑えることに熱心に取り組んできたのは政府です。教員の給与も例外ではありません。僕自身、その中にいましたから、給与って上がらないという感覚があります。バブル以前から仕事をして痛みとすると、本当に、異常な事態が続いていたんだという実感があります。

今まで、就職氷河期などがいい例ですが、就職難の時代ほど、簡単に人材を集めることができたのだと思います。また、就職氷河期の時代は、ちょうど、教員の採用が少なかったじきでもあります。ですから、採用試験のハードルも高く、苦労した人たちも多いと思います。ちなみに、僕が採用試験を受けた時には、実技試験がありました。実技試験を始めた年でした。水泳をしたり、跳び箱運動をやったり、オルガンを弾いたりしました。

今の20代は実技試験が無くなっています。採用試験を受けてくれる人を増やすためです。試験の負担の軽減を図っても、実際には採用試験を受けてくれる人が増えているという様子はないような気がします。もちろん、一つの自治体が実技試験をやれば、そこだけが避けられるというのも事実でしょう。

教員免許を取得するための大学も増え、初任給も上げ、採用試験の煩雑さをなくした。これだけのことをしても、今年の採用試験の倍率が上がらい。これが事実です。では、どんな手を打てばよいのでしょう。初任者研修を進めるために、初任者のためのサポートのための先生を雇用しています。しかし、毎日いてくれるわけではなく、週に1日だけ、いてくれる程度なのです。こういう直接担任をするのではない職種なら、定年で辞めた人でも、やってくれる可能性はあります。思い切って一人に一人指導教官をつけ、複数で1クラスを見るという手も打てるのではないかと思います。

それから、思い切った手としては、夏休みです。夏休みをしっかりとれる仕事だと謳ってしまえばよいと思います。長期の休暇が取れる職種として、魅力が出るのではないでしょうか。夏季休暇を10日つけるとか。そうすれば年休(有給休暇)と合わせれば2週間以上休みを取ることができます。これならば、人件費が増えることはないので、実行可能だと思います。世間的にも、学校の先生をこれだけ優遇しているとアピールできることになると思います。

そこまでしないと人が集まらないという実態を訴えるべきです。

2025年6月27日金曜日

楽しい仕事なんです。先生は。

 いろいろ世間から言われたり、報道されている教育会です。確かに、問題も、課題も山積なのです。学級崩壊だったり、保護者からの苦情に対応しきれなかったり、メンタルをやられて給食する人数が多かったり、等々。

でも、本当は楽しいんです。先生という仕事は。授業をしていても、子ども達と話していても、遊んでいても、楽しいことはたくさんあります。イメージしたとおりに行けばとても楽しいと実感できるのです。まあ、僕があまり授業がうまくなかったからかもしれませんが、いい授業だったと感覚的に思えるのって、年間数回かもしれません。でも、イメージしたとおりに行ったときは、とても気持ちが良いものです。

先生という仕事は、とても素敵な仕事だと思います。毎時間、毎時間、自分が考え、自分で進め、自分で評価するわけですから、大変だと言えば大変ですが、それ以上に、楽しいと感じることが多くあるんです。けして、つらくて、つまらない仕事ではありません。人それぞれ、感じ方や考え方は異なっているので、すべての人がそう感じるかといえば、そうではないと思います。しかし、これだけ、いろいろなことを任されて、自分の裁量で進めていくことができる仕事は少ないのではないでしょうか。まあ、数値的な評価がないため、客観的に自分の授業や学級経営を計測することは難しいのですが、自分のクラスの子ども達が褒められたり、意欲的に頑張っている姿を見れば、心が満たされます。

うまくいって当たり前、ということは言えます。

ちゃんとできてて当たり前、なんです。

でも、その中でも、頑張っている子ども達や自分を褒めてあげる何かがあるはずです。

そして、先生という仕事が楽しい仕事だということをもっと強調していいのではないかと思います。

2025年6月26日木曜日

6月までに

 初任の先生のクラスが崩壊しちゃうのは、理由がはっきりしているのではないでしょうか。

4月は、子ども達が頑張ります。多少の疑問はあっても、進級したことで緊張感もありますし、今年は頑張ろうと素直に思っている子が多いと思います。

5月は子ども達がクラスや先生に慣れてきます。それでも、ゴールデンウィークがあったり、運動会がある学校や遠足などのイベントがある学校が多いと思います。家庭訪問や個人面談などもあり、子ども達は自分の良い面を見てほしいと思っています。

この2か月で、ペースをつかめればよいのですが、そこまでがうまくいっていなければ、どうすることもできなくなってきます。

4月、子ども達にしっかりと話し器を聞く習慣を作る。そのために、先生は分かりやすく話す技術を磨く。

5月、子ども達に学級意識を植え付ける。自分だけでなく、共同生活をしている人がいるということをしっかりと学ばせる。

もちろん、1年生と6年生では、内容は異なってきますが、まず基本として、この2つのことが定着するようにしなければなりません。

前にも書きましたが、どんなに素敵な話をしても、聞いてもらえなければ、意味がありません。話の内容ももちろん大事ですが、話し方や表情などを豊かにすることがまず第一です。

新人の先生たちの多くは、授業をどうするかを考えます。それは大切なことですが、どうやって話すのかを考えることの方が大事だと思います。ゆったりしゃべることやはっきりしゃべることをうまく使分けることができれば、それだけで、子ども達に伝わる内容が増えていきます。表情もです。笑顔で話すことを基本に、にこやかな先生のイメージを植え付けていかなければなりません。何か問題が起きた機、少し表情を曇らせるだけで、普段と先生の様子が変わったことを伝えることができます。

授業の内容を理解し、どのように板書をするかを考えることも、大切ですが、自分の話し方を考え直すことも大切です。

6月は、一番最初の鬼門になる可能性が高いです。そうならないように、今一度、考えてほ見てほしいと思います。

2025年6月25日水曜日

学校の1週間

 どこの学校も年間のスケジュールを立てる前に基本的な1週間の予定を考えます。

月曜日 企画会(運営委員会とか、主幹会とか読んでいる学校も)、職員会議

火曜日 研究日(ただし、初任研が入るから回避して学年研やクラブにしている学校も)

水曜日 研究日 学校横断の研究会

木曜日 学年研

金曜日 クラブ・委員会

など、1週間の基本的な予定が入っています。ということは、授業が終わると、それぞれの会議に時間がとられるわけです。書いたのは、ほんの1例。これに、人権教育の研修会だの、ハラスメント対策の研修だの、いじめ防止のための研修だったり、児童指導上の問題についての共有をするための会議だったり、運動会や卒業式などのイベント向けの会議があったりします。

と、いうことは、授業が終わり、子ども達が下校すると、残った時間は会議に参加するということになります。もちろん、会議があるということは、立案者は資料を作らなければいけませんし、プレゼンもしなければいけないわけです。

授業が終わって、残り時間はどう頑張っても、2時間。そのうち休憩時間が45分。残りは1時間程度。その残りの1時間を会議のために使っています。

もちろん、情報を共有することも大事ですし、イベントの実施などについては、全員に係ることですから、それぞれが意見を出せるようにしておくことは重要です。ですから、すべての会議を否定する気にはなりませんが、なくても成立することが多くあると思います。

空き時間を利用することも大切ですが、1日を終えた時に、必ず記録しておきたいことや誰かと共有しておきたいことがあるはずです。そのために使える時間の確保は、定例的な会議よりも大事だと思います。

1週間を有意義に過ごすこと。大事だと思うのですが。

先生の不祥事

 今日も、不祥事の話が出ていました。全国に先生といわれる仕事をしている人は100万人以上いるんですよね。100万人いるから不祥事が起きていいということではないです。不祥事はいろいろと波及効果をもたらしてしまうので、全体に無くさなければならないと思います。

担任をしていた時です。6年生の担任になりました。その学年は、4年生の時の担任が猥褻系の不祥事を起こし、懲戒免職になっています。その先生は、子ども達には人気もあった先生だったようです。直接接したわけではないので、周囲から聞いた話ですが。初任でその学校に勤務し、まだ20代前半の先生でした。子ども達に何か危害を与えたわけではなく、学校外でわいせつ行為をしたのですが、子ども達にとっては、とてもショックだったようです。そうですね。先生って言っていた人が警察に捕まり、テレビや新聞などで取り上げられたのですから。一部の子ども達は、先生という人たちに対しての不信感を抱いていたと思います。不祥事を起こした本人だけでなく、大人、とりわけ先生という人たちに対しての接し方が変わってしまうと思います。

盗撮や痴漢行為、金銭的な問題など、様々な不祥事があります。どの不祥事も、起こしてはいけないことです。

不祥事でいえば、以前一緒に働いていた先生が起訴されたこともあります。とても優秀な先生でした。こちらは、金銭的な窃盗でしたが、実際に懲戒処分になり、辞めてしまいました。この先生も、子ども達にはとても信頼されていた先生でした。同じ職場にいるときも、てきぱきと仕事をこなし、同僚からも、子ども達や保護者からも、とても信頼されていました。

では、不祥事が起きる前に、不祥事を起こしそうだと分ったでしょうか。この2つの例しか直接に走りませんが、この人が将来不祥事を起こしそうだなんて分からなかったと思います。しかし、起きてしまうのです。

罰則規定を厳しくすることや何が不祥事になるのかを知ることが不祥事防止になるとは思えません。それよりも、一人一人が自分の仕事に自信を持つことや誇りを持つことが大事なのだと思います。最近の学校=ブラック職場のような構図は、マイナスでしかありません。給与を上げることも大事でしょうが、職場環境をよくすること。例えば、職員室を良い環境にするだけでも、かなり変わってくると思います。職員の環境など、後回しにしてはいけないと思います。狭い職員室に詰め込まれている先生達だって多くいると思います。戦後から続いているような職場環境の学校が大半ではないでしょうか。DXなどといっているなら、それ相応の環境も提供されるべきです。

先生たちが誇りを持てるように、それ相応の待遇を与えることも不祥事防止になると思います。

2025年6月21日土曜日

休息・休憩時間って何

 前にも書きましたが、僕が勤め始めたころは8時半始まりの4時終わりだったんです。休憩・急速時間の15分×2と45分を始業と就業の前後に入れていたんです。15年くらいは、その通りになっていたのですが、労働基準法に反しているということで、労働時間の間に45分を入れることになりました。ですから、勤務時間が延び、8時15分始まりの4時45分終わりになったわけです。

本来的に、休憩時間は昼食休憩なのですが、学校は、給食指導をしなければならない時間であり、昼食休憩が取れないわけです。もちろん、子どもがいる時間帯は同様に休憩時間をとることはできません。ですから、15時に子ども達が全員下校してから45分の休憩時間をとるわけです。でも、休憩時間といっても、校内に全員が同時に休憩をとることができるスペースがあるわけではありませんし、多くは住宅地の中にある学校ですから、お茶を飲みに行くとか、買い物に行くとかできるわけでもないわけです。そのうえ、子ども達が下校したばかりですから、下校中に何かトラブルがあれば対応しなければなりません。また、1日の授業が終われば、その時間を使って採点をしたり、事務処理をしたりしたくなるわけです。

時間の設定をしたのだから、そこからは、先生たちの判断であり、休憩時間に仕事をしているのは、先生たちの勝手だというのが教育委員会や文科省の考えなのだと思います。確かに、同じ法律の上で働いているのですから、時間枠さえ作れば問題はないだろうという発想なのでしょうが、実態を把握していながらなのか、把握もしていないのか分かりませんが、現場の実態とは到底折り合わない制度だということは言えます。実際には労働基準法で労働者が守られるのではなく、無休で働く時間を実質的に強制しているというのが実態だと思います。実際、多くの学校で、この休憩時間のせいで会議が4時45分を過ぎても終わらないということもあるのです。

無休での労働時間の存在、会議が長引くという実態、いろいろな問題があるにもかかわらず、改善策すら提示されないのも、考えるべきなのではないでしょうか。

目標よりも、実行と評価を

 学校にはたくさんの目標があります。まず学校教育目標。市の教育委員会が出した教育目標。もちろん、文科省が示す目標的なもの。学校教育目標のもと作られる瞠目、図書、総合学習、情報教育、情操教育、環境教育、学校保健目標、学校給食目標、まあ、それぞれの分野で目標を作れと言われるわけです。でも、こんなに目標があって、その上に学年目標、学級目標まで。子ども達だって、先生だって、覚えているわけないじゃないですか。それぞれの部署が、自分のところは大切だからと思うのでしょうか。ともかく目標的なものが山とあります。学校が多忙化する要因の一つは、そういう各部署ごとにいろいろといってくる教育委員会の姿勢にあると思います。もちろん、教育委員会にいろいろ言ってくる文科省の責任であることは、間違いありません。それから、目標でいえば、公立学校という立場の危うさでしょうか。基本的に、公立学校ですから、どこの学校に行っても、同質の教育が受けられるはずです。また、公立学校として、日本全国津々浦々、同じ教育目標であるはずなのです。各学校ごとの特性や特質を生かしてといいますが、まず、基準となる学校教育の指導要領が示されているわけですから、目標だけが、各学校で異なっていることが不思議でたまりません。少なくとも、教育委員会単位で、示される目標は同じではないのでしょうか。異なった目標を立てる必要性がよくわかりません。第一、近隣の学校と学区が明確に線引きされ、学校間での競争があるわけでもありません。国によっては、学区が廃止され、児童数に応じて教育予算が異なることもあるようです。その場合は、学校間で競争が発生するのかもしれません。隣の学校よりも優れている点を強調したいでしょうし、特性を伸ばしたいと思うかもしれません。しかし、そのような競争もありません。また、目標を立てるということは、実行した後に、効果測定があるべきなのです。しかし、その点もされていない現状があるのではないでしょうか。一時期数値化することに意味があるという論調の時代がありましたが、それも、なんとなく消えています。目標を立てるなら、しっかりと、評価するべきだと思います。保護者へのアンケートをとったりしていますが、そのアンケートも学校単位ではなく、教育委員会単位でアンケートを十すべきだと思います。少なくとも、学校への満足度の比較をすることはできるのではないでしょうか。目標を持つことはいいことだと思います。学級目標を作り、それを実現した姿を子供たちに考えさせ、実現するための手順を明確に示すことができれば、少なくとも、学級崩壊を招くことはないと思います。また、先生達にも、達成すべき姿を明確に示し、そのために、どのようなことをしていかなければならなかを議論してもらうことには意味があると思います。

2025年6月19日木曜日

コンピュータの活用は遅れているのが現状ですよね

パソコンを学校で初めて導入したのは、かなり遅いと思います。パソコンよりも、ワープロが90年だに入ってから使われるようになり、それから、さらに遅れ、2000年代に入ってから一般化してきた気がします。基本的に小学校は、文系の出身者なので、パソコンを利用するという発想がなかったと思います。パソコンが普及しても、学校関係は一太郎の利用率が高く、教育委員会からパソコンが配当されてからWordを使うようになりました。もちろん、Excelの活用も始まり、校内のネットワークも準備されました。

文科省は、DXの活用で、校務が合理化されたといっていますが、ここまでの状態を作るだけでも大変だったということを知ってほしいと思います。機材はない。ソフトはない。それで生産性が上がるわけがない。コロナ禍になって、ネットワークの必要性が出てきたこと。世の中すべてがデジタル化され、教科書のデジタル化が問題になったこと。CBTでOECDの調査で結果が悪かったこと。などがあり、一気に進んできました。しかし、校務に関しては、本当に進んだと言い切れるのか分かりません。順番に活用法を考えるタイミングがなかったと思います。先生たちの発想に必ずしも合った形でコンピュータやネットワークの活用がされていないと言えます。もちろん、今やコンピュータを使わず、ネットワークを使わず仕事が進むわけはないので、みな使っています。でも、それが、合理化につながったり、授業の効率化につながっているのかというとそうではないと思います。

宿題のプリントなど自動化しようと思えば、それほど蒸すかしいことはないのです。Excelで組んでいた時代にだって、半自動化をすることはできていました。今だったら、何の問題もなく進めることができるはずなのです。しかし、すべてメーカーに提供されたものばかりが先行しています。なぜ、ソフトを作成している会社と共同開発ができないのでしょうか。当然何らかの形で動いているのかもしれません。これは、校務処理のシステムについても言えます。より利便性の高いものを選択すべきです。何社も開発し、販売をしていることは、担当している先生ならばわかっていると思います。

学校がDXから遠藤いところにいる現状を認め、より効率的にDXの活用ができるようにしてほしいと思います。

2025年6月17日火曜日

就職としての教員採用試験

 学生にとって、教員採用試験はあくまでも就職すための試験だと思います。ほかの免許とは違い、教員採用試験に合格しなければ、教員免許って役に立たない資格です。ですが、世の中の人手不足が進んでくると、教員免許があるというだけで仕事を選ぶことはないのだと思います。様々な職種があり、就職するうえでの条件面も違いや差があります。

大体4月になったら、すぐに担任ですと言われても、ピンとこないでしょうし、わずか数日の研修を受けたところで、対応することができる人ばかりだとは思えません。どこの企業も、こんな数日で仕事を任せるなどという暴挙に出ることはないと思います。確かに、僕自身、新採用で教室に立っていました。もう、昔のこと過ぎて覚えていませんが、でも、あの時代は先生が先生として前に立つことで、制御できる部分があったような気がします。今は、違います。様々な環境が異なっています。幼児教育も幼稚園が中心ではなく、保育園の卒園生が1年生の半数以上を占めている学校も多いと思います。保育園と幼稚園はやはり違いがあります。生活を中心にしている保育園で過ごしてきた子ども達にとって、必ずしも学校でのやり方がなじみやすいとは言えないと思います。保護者の考え方も変わってきています。そういう環境下で、4月の初日から担任です。頑張りましょうと言われても、頑張りようがないことも多いと思います。特に小学校は、人員数も少なく、事細かに指導をしてくれる先生がいるわけではありません。週1日来てくれるとか、毎日来てくれても、1時間見てくれるだけとか、そういうことの方が多いと思います。

安心して学生が先生として就職することができるようにする方法を考えることが、教員不足を解消するための一番の方法ではないでしょうか。今の時代、ふと思ったことをSNSに書き込むことができます。YouTubeを使っての発信も難しいことではありません。この投稿もそうかもしれませんが、あっという間に、誰からの反論も受けず発信されたことが、大きく影響を与えてしまいます。そうであるならば、よけい安心感を与える受け入れ方を考える必要があるのだと思います。

以前にも書きましたが、初任者に小学校で担任をさせるのは無理があると思います。1年間じっくりと育てる機会を作っていくことがトータルコストを考えてもベターなのではないでしょうか。

2025年6月15日日曜日

全国同じ環境なのだろうか。

 僕は、生まれてから、ここに至るまで、ずっと都市部に住んでいます。まあ、子どもの頃は都市部といえるような今日ではなかったですが。

今、日本の教育をどうすればよいのか考えるとき、2つの課題があると思います。一つは、小学校入学の年齢です。小学校に入学してくる子どもを見ていると、果たして、この段階で小学校に入学してくるのが、この子にとって一番ベストなのかと思うケースがあるんです。一番大きいのは早産で生まれた子どもです。早産であるから、すべての子どもがということではもちろんありません。ただ、かなり早産で生まれていても、年齢は年齢だと区切るだけではいけないような気がします。もう1年後から入学する権利を与えることが大切なのではないでしょうか。選択できる環境づくりをし、周りの大人たちが話し合い、その子にとって一番良いタイミングを選んであげることが、余裕を生むと思います。

もう一つは、地域格差です。格差という言い方は適切ではないかもしれません。その地域の置かれている環境に応じて、教育内容が変わってもよいのではないかと思います。もちろん、現在のような基準は必要かもしれません。しかし、すべての地域の教育環境は大きく異なっていると言えます。子ども達の置かれた環境に応じて、教育内容を変更できるように制度を変えていくことが必要だと思います。

もちろん、1クラスの人数をどうすればよいのか。どれだけ予算をかけて、教育に投資すればよいのか。教員を志望してくれる学生を増やすためには、どのような対策が必要なのか。学校で現在行っている教育内容は、本当に適切で、時代に応じたものなのか。考えていかなければならないことは、山ほどあります。なぜ、戦後80年の間に、課題だけが増え、明確な方向性を持つことなく教育活動を行ってきたのか、地方分権が進んでいれば、解決できたことが多くあったはずなのに、なぜ中央集権的な教育を目指しているのか。大人たちが明確な考えを示さなければ、学校教育は、良い方向を見出すことができないまま、進んでいくことになると思います。

全国同じ環境でないことは、すべての大人が知っていることです。その地域にあった教育環境をつくべく努力するべき時なのではないでしょうか。

2025年6月14日土曜日

給料の問題なのか

 働かせ放題の温床は、給特法にあるのは間違えないでしょう。基本的に、公務員ですから人件費も予算の枠内で納めなければなりません。教員の「訳の分からない」残業にも給与を出していったら、いったいいくらかかるか分からない、と、感じている財務省や文科省には、それを推し進めることはできないでしょう。

ただ、お金の問題は、実は、表面的なものではないかと思うのです。それ以上に、「やりがい」ということの方が問題のような気がします。先生は、子ども達のことを第一に考え、子ども達のためならば、できるだけのことをするものだと、刷り込まれている方が問題なのではないでしょうか。最近はさすが出てきませんが、「聖職」などといわれていた時代もあります。その歴史があるからでしょうか、お金のことって職員の間では話題にならないような気がします。もちろん、給料が高いに越したことはありませんが、そのことが話題に出ることはないような気がします。日教組自体が給与闘争をして問いことも聞いたことはあまりありません。労働組合なのに、給料や労働環境にあまり熱心に取り組んできたとは言えない気がします。「やりがい」は、とても危険な言葉だと思います。それでも、これまでは、「やりがい」があるんだから、頑張れるという風潮が職員の中にはあったのではないでしょうか。

今でも、実際には土曜日や日曜日に学校に来ている職員がいます。仕事が終わらないからだけでなく、自分が考えていることを実現させるために、教材づくりや授業準備をするために学校で休日も働いているわけです。これらは、まさに「やりがい」マジックのなせるものだと思います。ライフワークバランスが言われ始めたのもつい最近のことだと思います。「やりがい」に浸食されている先生たちにライフワークバランスなどといっても響くものがないような気がします。

働き方を考えることは、大切なことです。しかし、仕事をすることで理想を実現できると感じている「やりがい」世代には考えようがないのかもしれません。自分の時間をたっぷり楽しむことを体感していかないと駄目なような気がします。ですから、単に給料の引き上げを実現しても、改善はされないでしょう。

2025年6月13日金曜日

運動会のテント

 運動会というと、テントが何梁か、用意されます。でも、必要なんでしょうか。実際に運動会の際にテントを出さずに実施したことがあります。確かに、調子が悪くなった子がいた時、日影が必要という話も出ましたが、それならば、冷房が効いている保健室に連れて行った方がよいということになりました。その他にテントが必要になる理由は「来賓」席です。来賓といっても、町内会や自治会の会長や歴代のPTA会長です。まあ、他の学校の校長が来た入りすることもあるので、その際には来賓席にというしきたりのようなものがありました。

コロナ禍で、運動会が縮小した際に、近隣の校長間で、他校の運動会や卒業式、入学式には相互に招待をしない、行かないということを決めました。また、町内会や自治会の会長も呼ばないと、決めました。そうするとテントを張る必要がないわけです。校長だから、副校長だからといって何もしないで座っている必要はないので、それぞれに自由に動き、いろいろな係の活動を支援したり、保護者と話をしたりする機会にしていました。また、いろいろな場所で、演技や競技を見たりすることも、熱心に行いました。これらのことは、次年度の運動家につなぐために、大事なことだと思います。

そうすると、敬老席が問題になるのです。祖父母が見来た時、暑い中での参観は難しいといわれます。確かに、これは配慮すべきことなのですが、敬「老」がいったい誰を指しているのか問題になります。実際、60代の祖父母だって多いわけですし、何をもって老とするのか難しいものがあります。一応対策としては、日影にパイプいすを並べ、休んでいただくことができるようにしました。校庭に面した教室を解放したこともあります。

テントを出さないと、設置したり、撤去したりする手間が無くなります。また、見学している側とすれば、邪魔なものが無くなり、良い位置での参観ができるようになるメリットがあります。割合からすれば、テントがない方がよいという声が多く聞かれました。

ちょっとしたことですが、実際にはテントを出さないと決めるまでにいくつかの決断を迫られます。学校は、今までどおりが好きですから。

2025年6月12日木曜日

水泳って必要なんですか?

 子ども達は、夏に水泳の学習を楽しみにしています。全員ではないですが、かなりの割合で楽しみにしているということは分かります。しかし、年間に行う水泳の学習は5回程度です。5回の水泳学習で何が身に付くのでしょうか。まずそれが、第1の疑問です。

都市部では、スイミングスクールがかなりの数で来ています。選手コースから、泳げるようになろうという子まで、幅広い層がスイミングスクールに通っています。今では、これは、学校とは全く関係のない次元で行われている教育活動だと思います。水泳が体作りに良いという判断をしている保護者の割合が多くなっていることが最大の理由なのでしょう。確かに、水泳は陸上での運動の3倍の力を使うそうです。また、全身運動なので、子ども達の成長に良い運動になるという判断は正しいような気がします。 これが第2の理由です。

そして、第3の理由は、膨大にかかっているコストです。学校のプールはとてもきれいです。低学年が入るときには、プールの水浸を半分程度まで下げます。中学年でも、満水状態よりも多少下げています。高学年だけが満水状態で使用します。ですから、低学年→中学年→高学年と入ると、プールの水を順番に多くしていくので、あまり問題がないように思えます。しかし、高学年が入った後は、高学年→中学年→低学年とおこなうと、半分の水を捨てることになります。そのうえ、何故か、先生たちは低学年、中学年、高学年が、いずれも、1日は間隔をあけるように日程を設定するので、かなりの水を捨てなければならなくなっています。これが、学年単位であれば、水の使用量はますます増えていきます。入っている時間やそこで得られる効果を考えると、かなりなハイコストだといえると思います。これを日本中の学校が行っていると考えると、驚きしかありません。

そして、最後に水泳の時間でも、熱中症になる可能性があるということです。水の中にいても、条件によっては、かなりの汗をかき、脱水症状になったり、熱中症になったりすることを考慮しなければならなくなっています。

毎年、何人かの子どもの学校のプールでの水難事故が報告されています。リスクがあることは分かっています。リスクをとるだけの意味があるのか、考えるべきではないでしょうか。コストン対してのリターンも極めて小さいと思います。何でもやればいいという時代ではありません。また、水泳のための施設も、日本中十分にあることを考えれば、学校が負うべきものなのか、答えは出るような気がしますが…。

2025年6月11日水曜日

現場を知ってもらうために

働き方改革の議論をする前に、文科省に入ったら、2年間学校現場で仕事をすることを義務化したらどうでしょう。

教育問題って、誰でも参加することができるテーマなんですよね。だって、国民の全員が、経験していることなんですから、教育については一言、二言、三言、話すことができるわけです。でも、学校の現状を実感できるのはその場にいたことがある人だけだと思うんです。国によっては、教育に関わる人は、全員学校での教員経験がある人という条件が付いているという話を聞いたことがあります。この国は、全く違いますよね。様々な会議や委員会の席に、現場からは数人出ているだけだと思います。有識者ということで、畑違いの人が参加していたり、メディアで話題になっている人が出ていたり、あとは、学者さんばかり。実際の学校の様子を理解sているとはとても思えません。

コンビニやファストフード、チェーン店化しているレストランなどに就職すると、3年間程度は、店舗の店長や副店長を経験しなければならないということを聞いたことがあります。文科省に入ったら、学校現場で経験を積むことで、現場の課題や問題などを実感できるようになるのではないかと思うんです。まあ、担任をやれとまでは言いません。免許法の関係もありますから、難しいと思います。せめて、校長を2年間やってみるというのがいいのではないでしょうか。確かに、文科省から教育委員会に出向している人もいます。教育委員会の課長級で、様々な場面の視察をする機会もありますし、学校の職員の声も聴く機会があると思います。しかし、それでは不十分だと思います。何が学校で起こっているのか実際に一緒に働かなければ分からないのではないでしょうか。

学校は、視察があるといえば、その場しのぎでも格好をつけます。悪く見えるようなことはしません。それはそうですよね。だから、問題がないと見えるかもしれませんが、実際には小さな出来事がたくさん起きているわけです。

本当に困っていること、悩んでいること、それらを実感できるような仕組みを作ることはとても大切なのではないでしょうか。

2025年6月10日火曜日

なぜ、崩壊するクラスが出てくるのか。出ないようにするためには。

 いろいろなことが書かれていますが、何故という回答はないのでしょうね。回答があれば、これだけ、多くのクラスが崩壊しないでしょう。まあ、それでも、書いていいる以上は、回答に近いものを考えなければなりません。

ひとつは、先生の話がしっかり伝わっているのかという点です。話をするという行為は、あまりにも自然なことで、言葉がでていればよいということになるのだということになるのです。常に、私たちは、言語的なやり取りをしていますから、それが特別なことだとは意識していません。しかし、子どもの前で話すということは、普段の言語的なやり取りとは全く違った行為です。どの学年の子どもに話をするのか、どのような場面で話をするのか、そのことを考えながら話をしなければなりません。話すときの速さ。間のとり方。話の内容。話すときの表情。手振りや身振り。話すをするときの位置。僕はあまりバラエティ番組というのを見ないので、よくわかりませんが、明石家さんまさんの話し方は、さすがプロだと感じます。話のテンポ、声の大きさ、話をするときの速さなど、とても分かりやすく話をされています。そして、何よりも、相手から花井を返された時のリアクションや、突っ込みをかけていくときのリズム感など、見習うべきものが多くあると思います。

先生は、ステージの上に立っている役者さんや芸人さんと同じようなスペックが求められているのだと思います。聞いていてわかりにくい、何を話しているのか聞こえない。聞き取りにくい。話が早すぎてついていけない。こういうことが積み重なると子ども達は、話を聞かなくなります。これが、学級が崩壊するうえでの最初の問題だと思います。話が通じ合わなくなった先生と子どもの間に信頼関係などできるはずはないのです。

もちろん、それだけではないでしょう。先生は、話を聞くことも大事にしなければなりません。子ども達は、子どもたちなりにいろいろ考えて、話をしてきます。大切な話をしっかりと聞いてあげることが大切です。

それから、褒めること。褒めてあげることはとても大切です。でも、これが意外と難しいのではないでしょうか。褒めるという行為をするときには、しっかりと先生というモードに入っていることが必要になります。先生という立場があることで、褒めるという行為が意味があるものになります。

そして、先生に、理想とする教室の様子をイメージする力も大切になります。どんな教室にしたいのか。どんな雰囲気を作りたいのかというイメージを持ち、そのために何をすればよいのかを考えてほしいと思います。イメージがないと、なんとなく教室で過ごしてしまいがちです。そうならないために、自分の中の理想的な教室の様子をイメージしてほしいです。

2025年6月9日月曜日

働き方を変えることってできるのでしょうか。

 いろいろなことが言われている教員の働き方。改革だとか、改善だとか、言われていますが、どうなんでしょう。

一番の問題は、仕事量と人員の配置であることは間違いありません。戦後から、ずっと続いている文科省(以前は文部省でしたが)の政策は、足し算だけを行ってきました。ひたすら新しいことを打ち出し、内容を増やし、授業時数を増やし、新しい課題だと言っては、政策をふやし、でも、人員も予算も増やさず、ずっとやってきています。特に、「教育改革」と銘打って、いろいろな課題や問題を現場に放り投げてきたことが、一番の課題だと思います。

このことを解消するためには、定数の改善と予算の確保が一番大切であることは言うまでもありません。

しかし、現場にも問題があります。僕が教員になったころ(40根に錠前ですが)8時半始まりの16時終わりでした。まあ、その頃も、遅くまで働くことはありましたが、しかし、もう少し余裕があったような気がします。なぜなのかというと、それほど社会の目が厳しくなかったからでしょう。先生という肩書が、まだ、十分社会的な立場を保っていたからだと思います。それでも、当時は、土曜日も学校をやっていましたから、週休1日という状態でした。

それから、週休2日になり、2日休みがあると、こんなに違うんだと感じたものです。でも、この時も、文部省は「学校週5日制」という言葉を使いました。労働省に教員も週休2日にしろと言われ、教員の週休2課を実施するために始めたことを、ことばをかえてしまったために、新しい仕事を作り出したのです。こういう姿勢が今の状態の基礎となっていると思います。

話はそれてしまいましたが、現在の状況の中で、ずっと、様々な政策的な課題を押し付けられ、社会的な課題を押し付けられてきた世代が現在の50歳前後の先生達です。この世代は、一番忙しい時期を経験しています。そして、その中で、自分が頑張れば、なんとかやれると考えている世代だと思います。様々な責任を押し付けられ、それでも、頑張ってきた先生達です。この世代は、働き方改革にうまくマッチできないと思います。それくらい、頑張ってきた世代です。人数も、とても少ない世代ですので、いろいろとやらざる得ないということもあります。

働き方を変えろという大合唱は、本当にそうだと思います。しかし、これまでの経過を無視して、強引に進めることは難しいと思います。

2025年6月8日日曜日

採用試験の倍率

 鹿児島や宮崎などの教員採用試験の倍率が発表されています。びっくりするような数字です。教員採用試験の倍率が2を割り込むと、人を選ぶことができなくなるといいます。それに、教員採用試験の倍率は高めに出ていいるんです。受験者は一つの自治体だけを受けているわけではありません。自分の出身地と都市部を受けるというのが多くいると思います。僕も、面接官を何回かやりましたが、申込書に書かれている住所はかなり遠方のものが多くありました。そういう人は、地元の採用試験に受かれば、併願していた場所には行きません。ですから、そう考えると最終倍率は、本当に低い値になると思います。

それに、今はやりの3年生で受験させるというのも、あまり実質的な効果がないような気がします。滑り止め程度に考えて、就職活動をする人も多くいると思います。

教員だけではないでしょうが、公務員全般に言われるのは、景気が割るとき、失業率が高いときには、応募が増えるのですが、景気が良くなり、初任給が上がり、失業率が低い今の状態では、あえて公務員になろうとか、教員を志望しようということは無くなってくるのだと思います。

教員免許を簡単にとらせるということも言われていますが、教員免許の取得者が増えても、結果はあまり変わらないような気がします。実際小学校の教員免許を取得できる大学の数はものすごく増えていると思います。僕が学生の頃には、国大+6校程度の私立で小学校の教員免許が取れるという感じでしたが、今では、かなり多くの大学で小学校の教員免許の取得ができるようになっています。そう考えると、免許の取得が問題ではなく、教員という職業事態に魅力がなくなっているということだと思います。

何回か書きましたが、一つは広がってしまったイメージです。実際テレビドラマなどを通して描かれる教員の姿はあまりやりたくなるようなものではありません。いまさら、強烈な個性の先生が登場してもリアリティはないでしょう。そうすると、困難な状況に追い込まれる姿が多くなるのも仕方ないのかもしれません。次に問題なのが待遇です。けっして給与が高いわけではありません。求められる倫理観は高く、職業的な制約も強く感じることを求められます。それに対する代償が少ないのだと思います。やりがいという言葉で、すべて絵のことが帳消しにできるような状態でもないと思います。

では、どうすればよいのでしょうか。前にも書きましたが、少なくとも、小学校の場合は、新採用の先生に担任を持たせないようにすべきです。そのために、かかるコストは膨大なものになりますが、それでも、やる価値はあると思います。教育現場に必要なことを実施していくのが行政の仕事であり、議会の仕事だと思います。採用試験を受けて、採用されて、安心して仕事ができるようにすることが、今は一番大事なのではないでしょうか。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...