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2026年2月23日月曜日

AIを使ってみてくれますか


前にも書いたことがあるんですが、今の先生達ってどのくらいAIを使っているんでしょうか。 世代による違いもあるかもしれませんね。若い世代は頻繁に利用し、それなりに使いこなしている印象があります。ただ、彼らは意外とパソコンを使わず、すべてスマホで完結させているという話もよく耳にします。

いずれにしても、AIに触れる機会を増やしていくことは、これからの時代とても大切です。

汎用的なAIとしては、以下の3つが有名です。

  • Gemini(Google)

  • ChatGPT(OpenAI)

  • Microsoft Copilot(Microsoft)

これらは検索代わりにもなりますし、対話型のパートナーとしても多くの人に活用されていることでしょう。 僕自身も、このブログの文章を校正してもらったり、イラストを作成してもらったりして活用しています。お馴染みのキャラクターも、Geminiと対話しながら誕生しました。一度ベースを作ってしまえば、新しいポーズや動きをつけることも簡単です。

ただ、やみくもに使うのではなく「必要性がある場面で利用する」のが良いと感じています。実際に文章を作らせたり、校正させたりして初めて「AIに何ができるのか」を実感として理解できるからです。最近は教育用のGeminiも登場しているようですから、すでに学校業務で活用し始めている先生も多いかもしれませんね。


また、子どもたちの学びをサポートするAI教材としては、Qubena(キュビナ)やMonoxer(モノグサ)が有名です。名古屋市では4年ほど前からQubenaを全市で導入していると聞きますし、Monoxerの活用事例についても耳にする機会が増えました。どちらも確かな使用実績があるため、自分で直接使ったことはなくても、名前を知っている先生は多いはずです。

ともかく、今の段階で「AIに全く触れていない」という人は少なくなってきているのではないでしょうか。最先端を追いかける一部の人だけでなく、私たちの日常業務の中にも使える場面はたくさんあります。

「まだ使ったことがないから」と立ち止まるのではなく、積極的に活用できる場面を見つけていく姿勢が大切です。その試行錯誤の経験こそが、何よりも大きな力になるはずですから。

2026年2月22日日曜日

定時退勤のメリット・学ぶ側の心理を知る重要性

定時退勤の最大のメリットは、自分のための時間を作れることです。それだけで心身ともにリラックスできますし、学校の出来事や子どもたちのことを一旦忘れる時間を持つことを強くお勧めします。オンオフの切り替えがしっかりできれば、日々の辛い気持ちも少しずつ軽減されていくはずです。

そしてもう一つお勧めしたいのが、文化的なことやスポーツなど「何かを学ぶ時間を作る」ことです。これは単なるリフレッシュの目的だけでなく、「自分が学ぶ側に回る」という点に大きな価値があります。 例えば、トレーニング中にトレーナーから的確な一言をかけられると、それだけで内容が大きく改善することがあります。自分だけでは気づかない点を指摘される効果です。私たちは普段、常に「教える側」にいるため、どのような指導が本当に効果的なのかを客観的に実感しにくくなっています。だからこそ、自分が学習者の立場に立ってアドバイスを受ける経験が不可欠なのです。

また、指導者によって指摘の仕方や技術的な説明の仕方は千差万別です。「どう教えられると理解しやすいか」を自分自身で体感することは、日々の授業や生徒指導の引き出しを増やすことに直結します。

さらに、自分自身が「上達する喜び」を再確認することも非常に大切です。子どもたちは誰もが「上達したい」「理解したい」と望んでいます。彼らに諦めさせることなく、少しでも前進している事実を伝えてあげることは大きな意味を持ちます。学年が上がるにつれて学習に諦めを抱く子どもを出さないためにも、まずは先生自身が学ぶ側になり、励まされ、褒められる経験を味わってほしいと思います。

朝が早い職業なのですから、一般の人よりも早く帰宅できるのは当然の権利です。この環境をチャンスと捉え、ぜひ定時に帰り、ご自身の時間を最大限に有効活用してください。

2026年2月21日土曜日

あと1か月。学級担任頑張れ!

 学級担任をもつと、「完璧にクラスをまとめなきゃ」とプレッシャーを感じるかもしれません。でも、最初からすべての先生がうまくいくわけではないんです。子ども達と上手くいかず、一度躓くとなかなか軌道修正できなくて悩む……そんな時期は誰にでもあります。これは、私自身にも上手くいかなかった経験があるからこそ言えることです。


振り返ってみると、子ども達と良い関係性が築けなくなる要因は、「教師が強引に物事を進めようとした時」にあるのだと思います。よく言われがちな「子どもに舐められちゃいけない」と肩肘を張ってしまう感覚が出てきたときは、要注意です。そこで強く出て押し切ろうとしても、良いことは何一つありません。 関係性がぎくしゃくしている時に、上から押さえつけたり強引に進めたりすれば、子ども達の不満はたまる一方です。特に高学年になると、その傾向はより顕著になります。

大切なのは、まずは子ども達の話を丁寧に聞き、よく観察してあげることです。強引な態度や上からの強気な発言は控え、ソフトで柔らかな対応を心がけてみてください。

もし、教室に向かう廊下や階段で「足取りが重い」「行きたくない」と感じるようになったら、それは心がかなりSOSを出している状態です。精神的に追い込まれ、子ども達の前に立っても気力を保てなくなっているサインです。

学級担任制の難しさは、教室という密室に「先生が一人しかいない」という点にあります。困った時に他の先生が応援に来てくれても、最終的には担任自身が子ども達と向き合わなければ、本当の収拾はつきません。 だからこそ、学級が荒れそうになると、つい大きな声を出したり物を叩いて音を立てたりと、「威圧」によってコントロールしようと考えてしまいがちです。その焦る気持ちは、とてもよく分かります。

でも、そんな時こそ、学級担任は「ソフトに、柔らかく、丁寧に」子ども達に接することが不可欠です。何よりもまず、「先生は話を聞いてくれる」「話しやすい」という安心感を子ども達に持ってもらうことが、クラスづくりの第一歩になります。

どうか、精神的にすり減ってしまうことのないよう、自分自身の心を守りながら、目の前の子ども達と向き合っていってくださいね。

2026年2月18日水曜日

教員採用試験って、どうなっていくのかな

ネットニュースなどで、様々な地域の来年度の教員採用試験に関する情報が出始めています。

教員採用試験は、この40数年間に大きく変容してきました。僕が採用試験を受けたのは1981年です。この年は、試験内容が大きく変わった年でした。実技試験が実施されるようになったのです。記憶が定かではありませんが、オルガンでの弾き語りや水泳、器械運動などが試験科目にあったような気がします。いくつかの自治体を受験したのですが、どこも同じような試験内容でした。

ちょうどこの頃、前時代の大量採用が終わり、採用者数が「激減」したのだと思います。採用枠が狭き門になったからこそ、一人ひとりをじっくり見る実技試験を実施できるようになったわけです。僕の上の世代はまさに大量採用時代で、地方まで教育委員会の人が学生の勧誘(あいさつ回り)に来ていたこともあったようです。

その後、1990年代になると教員採用がほぼなくなり、採用数が極端に少ない「氷河期」を迎えます。今の50代の先生方は、本当に大変だったと思います。臨任(臨時的任用教員)を何年も続けながら、採用試験に挑戦し続けた方も多かったはずです。

それが、2000年を過ぎたあたりから再び状況が変わってきます。第2の大量採用時代の到来です。当時のベビーブーム世代が一斉に定年退職を迎えたことから始まりました。さらに、35人学級への移行に伴う教員の需要増も拍車をかけています。

これまでにも何度か触れてきましたが、SNSで広まった教員のブラックな働き方のイメージや、民間企業の好景気、少子化による若者の減少などが重なり、現在に至るわけです。

現在の採用試験ですが、各教育委員会はともかく「受験者を集めること」に腐心しています。一歩間違えれば定員割れを起こしかねない状況ですからね。今後は実質的に、一次試験(筆記)が無くなっていく流れになるのかもしれません。

でも、本当にそれでもいいのかなぁと思います。「先生としての最低限の学力が保証されなくてもいいのだろうか」「ペーパーテストの結果なんて関係ない、という声もあるかもしれないけれど…」と。 ただ、現場で教員が「1人不足する」ことのダメージがあまりにも大きい現状を考えると、多少なりとも目をつぶって人数を確保しなければならないのも事実です。ここは非常に大きなジレンマですね。

でも、試験のハードルを下げるような小手先の対策よりも、本当は「教員という仕事がこれだけ魅力のある職場なんだよ」とわかってもらうことの方が、ずっと大切だと僕は思っています。

2026年2月16日月曜日

給与の話。先生の給与が、バイトの時給より低くてもいいのか。

 ■ バブル期に言われた「公務員の安定」という神話 1980年代、日本の教員の給与は欧米諸国よりも高いと言われていました。当時の欧米の教員は教会のボランティアから発展した歴史があり、給与水準が低かったという背景もあったようです。 私はバブル期にも教壇に立っていましたが、ものすごい勢いで潤っていく民間企業を羨ましく見ていたものです。その際、「公務員は好景気の恩恵は受けられないが、不景気の影響も受けないのだから我慢しろ」とよく言われました。

■ 20年間の「給与据え置き」と管理職の給与カット しかし、現実は全く違いました。いざ不景気になるとベースアップは停止し、気づけば20年近く給料が上がらない時代を経験しました。 上がらないどころか、私が副校長を務めていた時には、かなりの金額の給与カットまで断行されました。管理職である私の方が、同い年の一般の先生よりも給
料が低くなるという逆転現象まで起きていたほどです。

■ 国際比較:いつの間にか開いた欧米との埋めがたい格差 国際比較で見ても、この20年で状況は激変しました。20年前は日本の教員の方が高給でしたが、現在ではドイツの教員の半分程度に留まっています。円安の影響を考慮したとしても、決して教員の地位が高いとは言えないアメリカと比べても、300万円以上の開きがあるのが現実です。

■ 現場のリアル:時給換算「200円以下」を生み出す給特法 しかも、これは純粋な額面だけの比較です。実質的な「時間外勤務の長さ」を考慮すると、さらに悲惨な現状が見えてきます。 例えば、年収400万円程度の20代の若手教員が月に60時間の時間外勤務をした場合、時給換算で1,500円程度にすぎません。さらに深刻なのが「給特法」の問題です。若手の場合、4%の教職調整額は月1万円程度。これで60時間の時間外労働を計算すると、残業代の時給はなんと「200円以下」になってしまいます。

■ 見えない残業:「月60時間の時間外労働」は決して大げさではない この「月60時間」という数字は、極めてリアルな実態です。朝30分早く出勤し、終業後に2時間残るだけで月50時間になります。そこに持ち帰り残業で明日の授業準備や指導案の作成を行えば、プラス10時間などあっという間に超えてしまいます。

■ 結論:自己犠牲を前提としたシステムからの脱却 これまで日本の教育は、現場の先生たちの「献身的な努力」によって維持されてきました。そして社会も、それを当然のこととしてここまで来たのです。 現在、深刻な教員不足が叫ばれていますが、労働力人口そのものが減少している中で、若者がより良い条件の仕事を見つけるのは当然の帰結です。今の50代前後が経験したような「先生になりたくても、競争率が高くてなれなかった時代」とは完全にフェーズが変わっているのだという認識を、私たちは今こそ再確認しなければなりません。

2026年2月15日日曜日

学校のお金事情 〜「計画的な発注」の建前と本音〜

計画的に発注を」はあくまで建前? 「急に必要なものなどない。計画的に学習を進めていれば、1か月前だって発注ができるはず。ともかく、計画的に物事を進めましょう」 学校ではよくこう言われます。確かにその通りです。教育課程は決まっており、教科書も事前に確認できるので、必要なものはすべて前もって用意できるはず……。 でも、これって建前なんですよ。

小学校では一人の教員が5〜6教科を担当することも珍しくありません。何度その学年を経験していても、その日その日の業務に追われる中で、どうしても準備が抜け落ちてしまうことがあります。 特に、家庭科や理科などの実習・実験を伴う教科では顕著です。1か月前にすべての消耗品を完璧にチェックするのは至難の業。例えば調理実習の調味料も「クラス数×グループ数」となるとかなりの量で、最後のクラスの時には足りなくなってしまうことだってあるのです。

結局、先生の「自腹」で解決してしまう現状 もし急に足りなくなったらどうするか。正規のルートなら業者に発注しますが、見積もりや発注書などの事務手続きが必要で、それでは明日の授業に間に合いません。 そうすると、「数百円のことだし……」と、先生が帰りにスーパーで自腹を切って買ってくるケースが大半となります。

「学年費などの予算を使えないの?」と思われる保護者の方も多いでしょう。しかし今は、4月に1年分の予算を算出して口座引き落とし等で集金しているため、こうした突発的な買い物に使うことはできない仕組みになっています。

数万円の「立て替え」が当たり前の出張費 もう一つ、社会科見学や宿泊体験学習の費用についても触れておきます。 引率する先生たちも、当日は交通費や宿泊費を支払います。後日、出張費として支給されるのは2〜3か月後。それまでは、各自が数万円を立て替えておかなければなりません。これは事前の下見の際も同様です。 「いずれ戻ってくるお金だから」とはいえ、教員個人の財布に負担を強いるこの仕組みはどうなのでしょうか。

「現金を持たない学校」のジレンマ 過去の様々な不祥事(お金にまつわる問題も含め)を背景に、学校は「現金を扱わない方向」へと進んできました。 私自身、昔は現金で集金袋を扱っていた経験があるので、現金管理がどれほど煩雑で責任が重いかは身をもって知っています。先生たちが直接現金に触れない仕組みづくりは正しい方向だとは思います。

しかし、現場に「全く現金がない状態」というのも、現実の運用を考えると難しい気がしています。小口現金としていくらか用意しておく仕組みもあるにはありますが、それですべての不足を補えるわけではありません。

「ではどうすればいいのか?」という完璧なアイデアは、まだ私にもありません。ただ、学校の裏側にはこうした「実態」や「ジレンマ」があるということを、まずは知っていただきたいのです。


2026年2月14日土曜日

学校現場のお金の話〜教員の初任給と一般企業との「恐ろしい差」〜

 

学校にいると、あまり給料の話は出てきませんよね。 昔は「お金のことなどどうでもいいだろう」という雰囲気が職場全体にありました。僕は昔の人間ですから、初任から数年間は現金で給料をもらっていました。就職して10年くらいたってから、ようやく銀行振り込みに変わったと記憶しています。

さて、昔話はこれくらいにして、今回は**「現在の教員の給料」**について考えてみたいと思います。

見た目の初任給は「プライム上場企業」並み?

昨年の初任者の給与を見てみると、東京都や横浜市は27万円前後の初任給が出ているようです。実はこの金額、プライム市場に上場している大企業と遜色ない水準です。

一方、同じ神奈川県でも地域手当がつかない一部自治体(県西の地域など)の初任給は22万円前後。東京都や横浜市と比較すると、毎月5万円程度の差が生じています。(もちろん鎌倉市や藤沢市など、横浜市と大差ない地域もありますし、近年はベースアップで以前より少し差が小さくなっている傾向はありますが)。

「残業代ゼロ」がもたらす逆転現象


額面だけ見ると、一般企業との差は意外と小さいように思えます。しかし、ここには毎回問題になる**「時間外労働に対しての残業代」**が含まれていません。

教員は「給特法」により残業代が数パーセント上乗せされてまとめて支払われているため、どれだけ働いても実質的に残業手当は出ません。一方、一般企業は残業した分だけしっかりと手当が支給されます。これが積み重なると、1年目から月に数万円の大きな差になっていきます。

何十年も働いた後に待ち受ける「恐ろしい差」

では、初任給以降はどうなるのでしょうか。 長く働いていく中で、一般企業と教員に大きな差を生むのが以下の要素です。

  • 役職手当の差: 一般企業は学校よりも役職のポストが多く、昇格による給与アップが見込めます。

  • 業績連動型ボーナス: 企業が好業績であれば、連動して大きなボーナスが支給されます。

  • 昇給率と残業代の蓄積

何十年も働き続けた結果、生涯賃金で見ると一般企業と教員とでは恐ろしいほどの差がついてしまうのが現実です。

これでは、優秀な人材が待遇の良い一般企業に流れてしまうのも納得できます。今では「教員採用試験の一次試験は実質的にフリーパスだ」という見方すらあります。倍率が下がりすぎて、一次試験で絞り込む意味が失われつつあるのです。

お金に関心を持つことも、教育の未来を守るため

最初に書いた通り、学校はあまりお金の話題が出ない職場です。自分で給与表を見なければ、将来の待遇を理解するのは難しいでしょう。

しかし、先生も現実に一人の労働者です。もっと給与に関心を持つべきだと思います。 労働人口全体が減っている今の時代、給与の面でも魅力を感じさせられる職業でなければ、誰も教員を選んでくれなくなるのではないかと、強く心配しています。

2026年2月13日金曜日

40分、午前5時間授業は、どうなんでしょう。賛成ですか、反対ですか?


以下にご紹介するのは、午前中に5コマを設定する場合(1コマ40分ベース)の一例です。


以前、私が勤務していた学校でも、午前5時間を「45分授業」で実施した経験があります。その際は、朝の会を8時10分開始とし、給食を12時半から設定していました。

午前5時間制の是非については様々な意見がありますが、実際に取り組んだ先生方からは「この日課の方が楽だ」という感想が多く聞かれました。6時間目まである日でも、午後は残り1コマとなるため、時間的な切迫感をあまり感じずに済むようです。

編成上の課題としては、給食の時間が挙げられます。配膳や調理の都合上、給食時間を大きく動かすことは難しく、その制約がある以上、時間割の工夫にも限界があります。 また、休み時間の長さについても議論になります。私は15分で十分だと考えていますが、委員会活動などの時間を確保するためには「20分は必要だ」と主張する先生もおり、調整が必要です。

さらに大きな問題点は、1年生の授業時数が過多になることです。 1年生の標準時数は年間850時間ですが、午前5時間制を導入すると、本来4時間授業で済む日も5時間授業となります。計算上は35時間程度の超過ですが、実際の日数で考えると50時間以上も授業が増えてしまう計算になります。最大の問題は、この超過分を解消する有効な手立てがないという点です。

ご参考までに、日課表のサンプルを作成しました。

【日課表の例】

時間帯内容備考
8:00出勤
8:10児童登校開始
8:20朝の会
8:30 〜 9:101時間目40分間
9:15 〜 9:552時間目40分間
10:00 〜 10:403時間目40分間
10:40 〜 10:55休み時間15分間
10:55 〜 11:404時間目45分間
11:45 〜 12:205時間目35分間
12:20 〜 13:00給食40分間
13:00 〜 13:15休み時間15分間
13:15 〜 13:506時間目35分間
13:50 〜 13:55帰りの会
13:55 〜 14:05清掃クラスの半分

まだ全国的な取り組みとは言えないかもしれませんが、文科省には、40分授業や午前5時間制の運用について、現場が判断しやすい明確な説明やガイドラインを求めたいところです。



2026年2月12日木曜日

これからの先生たちの働き方について考えてみたい


これからの先生たちの働き方について考えてみたいと思います。

先生の仕事の中核は「授業」です。何よりも優先すべきは授業です。 今後、AIの導入によって授業の形は大きく変わるでしょう。しかし、「AIを活用するための基礎力」を育てるという本質は、何ら変わるものではありません。

「読む力」「書く力」。これらはAI活用の授業になっても不可欠です。AIへの指示(プロンプト)が音声であれキーボードであれ、的確に入力するためには言語的な基礎力が求められるからです。また、そもそも「問いを立てる(疑問を持つ)力」も必要であり、そのためには基礎知識も欠かせません。 これらは現在の授業でも重視していることです。つまり、AI時代になっても「授業をしっかり行う」という重要性は変わらないのです。

子どもたちが疑問を持ち、それを解決しようとすること。 今まで以上にこうした姿勢が必要になります。授業では子どもたちにしっかりと考えさせ、その手段としてAIを使わせていくべきでしょう。

一方で、授業以外の事務作業はDXによって大幅に削減できるはずです。 テストはスキャンして自動採点し、文書作成もAIで大方解決できます。指導案、教材、習熟度確認プリントなどもAIが作成してくれるようになるでしょう。評価業務も、日々のデータ入力さえ行えば、集計・分析はAIが担ってくれます。 ドリルはAIドリルに、行事計画書やしおり作成もAI活用で効率化できます。すでに週案などは専用ソフトでかなり楽になっている実感があります。

こうして事務作業の多くをAIに任せることで、先生は本来の仕事である「授業」に集中できるのではないでしょうか。 全国的な進捗状況は様々ですが、「授業こそが先生の仕事である」ということは間違いありません。 もちろん保護者対応など、他にもやるべき業務はありますが、「先生は授業をする人だ」ということを社会全体で再認識し、そこに集中できる環境をつくることが大切だと思います。

2026年2月11日水曜日

40分授業にするなら

「40分授業にしてもいいですよ。5分×6コマで30分浮きますね。その30分は研修や研究など、有効に使ってくださいね。使い道さえ説明できればOKです」  ――これが、新しい「40分授業」の考え方なのでしょうか。

 昔々、まだ土曜日に授業があった頃の話です。当時も40分授業がよく話題に上りました。  しかしその時、文部省(現・文科省)は猛烈に反対したのです。「それは法的違反行為だ」と。  実際には、子供の下校時刻などを考慮して、土曜日は40分授業にしている学校も多かったのですが、それでも文部省は頑なに「それはおかしい」と言い続けていました。

 まあ、省庁の名前も変わりましたし、今更昔のことを蒸し返しても仕方がないのかもしれませんが、隔世の感があります。

 さて、40分授業にすることで浮いた時間の使い方は、学校の裁量に任されることになります。  当面は「モジュール学習」という形で活用するケースが多いでしょう。実験校のように特別な教科(探究など)に充てる学校は、新しいカリキュラム開発の負担があるため、そう多くはない気がします。  一方で、浮いた時間を教員の研究や研修、事務処理などに割り振る学校は増えてくると思います。つまり、実質的に「40分授業」がスタンダードになる形です。

 いつも思うのですが、遠回しな言い方ではなく、ハッキリ言えばいいんですよ。  「小学校は1コマを40分にします。コロナ禍での実践を通じて、これが可能だと証明されました」と。

 保護者がそれをマイナスに受け止めることはないと思います。実際、今は子供たちの下校時刻は早くなっており、1時過ぎには下校してくる姿を見る日も多くなりました。

 学校の多忙化の主たる原因を作っているのが文科省であることは明白です。そして、それを改善する権限を持っているのもまた、文科省です。  制度を分かりやすく変え、学校の惨状を何とかする責任があるのは彼らです。  解決策はシンプルです。はっきりと法律を変えればいいのです。年間の授業時数の数字を書き換える、ただそれだけで済むのですから。

2026年2月10日火曜日

【現場の悲鳴】「先生が一人足りない」は、単なる1コマの負担増ではない

■「家庭科」の授業を担任が持つということ  学校現場で「専科の先生が一人配置されない(欠員)」という状況がいかに深刻か、具体的なシミュレーションをしてみたいと思います。

 例えば「家庭科」です。週1.5コマ(2週で3コマ)の配当ですが、実習準備や後片付けが必須の教科です。専科の先生がいれば、複数のクラスを連続して授業することで準備・片付けを効率化できます。  しかし、これを担任が持つとなると話は別です。

  • 空き時間が消滅する

  • 準備・片付けの時間が新たに発生する

  • 慣れない実習手順の確認作業が増える

 結果として、他の教科の準備や採点業務がすべて後回しになります。感覚としては、授業1コマの負担増ではなく、**「3時間分の業務ロス」**が発生するのに等しいのです。

■「月44時間」の残業が生む矛盾  こうした業務のしわ寄せは、すべて時間外勤務に直結します。  よくある勤務実態として、朝30分、放課後1時間半の残業をしたとします。

  • 1日2時間 × 22日 = 月44時間

 これは、労働基準法の原則的上限(月45時間)ギリギリの数字です。しかし、教員の場合は給特法の壁があり、これを「残業」とは呼んでもらえません。

  • 現状: 月額約1万6千円(調整額)のみ支給

  • 本来: 年額約150万円相当の残業代が未払い(試算)

  • 罰則: いくら働かせても管理職への罰則なし

 給特法制定当時(昭和40年代)の「残業月8時間」という前提は、もはや完全に崩壊しています。


■「1兆円」を惜しんで現場を疲弊させるのか
 もし今、教員に正当な残業代を支払うと、国全体で約1兆円が必要になるそうです。国や自治体がこの問題に口をつぐむのは、結局のところ「教員の健康より予算が大事」だからではないでしょうか。

 若手教員の増加に伴う産育休の取得、メンタル不調による休職……。「先生が足りない」というリスクは今後ますます高まります。  「未配置」の穴埋めで現場が倒れてしまう前に、時間外勤務の削減と、給特法の抜本的な見直し(残業代の支払い含む)が急務です。

2026年2月9日月曜日

一人いないと、だから、非常勤講師でもほしい!

 

 非常勤講師と臨任では、大きな違いがあります。非常勤講師は、最大29時間勤務することができます。1日6時間を上限にしています。おそらくそうしたのは、社会保険料の雇用者負担が増えることを避けるためだったのではないかと思います。

 1日6時間だと、8時半にスタートして、14時半までが勤務時間になります。もちろん、スタートの時間を変えることはできますが、よくあるパターンは8時30分から14時30分だと思います。6時間勤務ですから、休憩時間は必要ないので、6時間ぴったりの勤務になります。雇用する自治体によって異なるようですが、授業の持ち時間は20コマ以下が一般的ではないかと思います。残り3分の1は事務処理や教材研究の時間になっています。正規の職員よりも待遇はよい面もあります。

 一方、臨任は、基本的にはすべて正規の職員と同じ条件になります。ですので、小学校のように配当人数が少ない場合、当然のように担任をすることが求められます。他の都道府県で正規に先生をやっていたけれど、年度の切り替えで家族が転勤になった場合などに臨任で1年間働こうという人などが以前はいました。今は、未経験でも担任を依頼することすらあるというのが実情だと思います。そして、より人員が配当されないのが、急な療休です。産休の場合には、いつという目安がありますし、最近では、産休だと分ると4月からお休みが取れるようになっている自治体もあるようです。ともかく、療休への対応はバタバタになります。

 教員不足が言われる中、教育委員会の方でも人員をストックしておくことができなくなっています。ですから、急に療休だといわれても、代わりの先生が来ないわけです。

 非常勤の先生は、勤務時間を考えても、所謂校務に関しては、ノータッチになります。ですから、非常勤講師が配当されても、授業をする以外の面では、+にはなりません。

 一方臨任の先生は、正規の先生と同じように校務などの分担もあります。ただ、全く経験がない方の場合には、配慮していかないと、業務が停滞することがあります。ですので、それなりに仕事をしてもらうというのが現実です。

 最近では非常勤講師を配当して、何とかしてほしいという声を聴くことがあります。定年で辞めた先生などは非常勤ならやってもいいというからです。

 教員の希望者の不足、時間外勤務の問題など、いろいろなことが関わってきて今うのです。

2026年2月8日日曜日

週の授業時数は、他の国より少ないんだって

 


 調べると、意外なことに日本の先生の1週間の授業時数は、欧米諸国より少ないようです。それには、いろいろと理由があるようです。

 欧米諸国の先生たちは、授業をすることが仕事なわけです。契約の段階で授業をすることが仕事ですとはっきりしているわけです。以前にも書きましたが、先生が掃除や給食などの面倒を見ている国などないようです。また、放課後に会議があるということも少ないようです。

 ともかく、しっかり授業さえすれば、それで仕事は終わりになり、フランスなどは、それで、帰宅してよいことになっているようです。夏休みは、授業がないわけですから、当然学校に来ることすらない期間になるようです。

 なぜ、こんなことになってしまったのでしょう。一つは戦後、日本経済に余力がなかったことが考えられます。例えば、欧米並みに清掃は業者がやるという形をとれればよかったのに、そのための経費を計上しなかったことが考えられます。昼食についても同様です。そのためのスタッフを雇用するということができなかったのではないでしょうか。

 先生の仕事が、授業をすることではなく、学校で起きていることにすべて対応するというのは、本当に豊かな国ではないということの証明ではないでしょうか。自分たちの教室を自らきれいにすると言われれば、とても聞こえがよいです。給食についても、自分たちの力で配食し、協力する場として活用する。食べ物の意味や価値を考えるなどといわれれば、これも、とても高尚なことをしているような気にさせられます。しかし、現実は、そのことが多忙化だったり、休憩時間が取れないことにつながっているわけです。

 授業時数が多くても、それに対応することができる仕組みがあればよいのですが、表面的なきれいごとで済ましてしまっている行政の責任は大きいと思います。

 週休2日にしたときに、文科省は、学校週5日制という表現を使いました。実際には、教職員の週休2日を実施しなければならなくなっただけなのに、美辞麗句でごまかすような姿勢を見せたことが、いい例だと思います。はっきり、先生も週休2日にしなければならないのですと言ってしまえばよかったのです。そして、先生の仕事は授業をすることだと、明言すべきです。

 夏休みについても、未だに先生は通常勤務だと言っています。これだって、おかしいと思います。逆に、休みだと言ってしまえば、職業としての魅力も上がるはずなのですが。

 言い方を間違えると、社会的批判を受けるからではなく、職業としての在り方をしっかりというべきだと思います。

働き方改革の実態

  働き方改革は進んでいないのが実態じゃないでしょうか。統計的な値では進んでいることになっています。例えば、月の時間外労働時間が減っている。月に45時間以上勤務している人の割合が3割以下になった。これらは、教育委員会を通して、文科省に伝わっているデータです。実際、時間が労働の時間が減少しているのは事実だと思います。働く時間を短くするための努力は、各自していると思うのです。学校の組織としても、午前中5時間を実施し、子ども達の下校時間を少しでも早めようと努力したり、会議をなくしていこうとしたり、校内の授業研究会を止めたりとか、ともかく時間外労働時間を減少させることに取り組んでいると思います。

 しかし、これって、何ら抜本的な改革ではないわけです。教育DXを進めることで、労働時間の短縮を図ることも同時に進んでいます。教育DXの効果は抜群だと思います。例えば、週案の作成時間を極端に短くすることができるようになりました。テストの丸つけも、スキャナで読み込み、画面上での採点を行い、数値処理はアプリにお任せできるようになってきました。図工の評価も、デジカメでプロセスをとり、評価に活用することで、メモだけではわからない部分を見ることができるようになっています。体育でも同じことが言えます。成績の評定なども、ちょっとした記録だけで、解決することができるようになっています。グループウェアの活用も、会議や情報の共有化という点では各自に進んできています。

 50代よりも上の人たちからすれば、これらのことは、非常に働き方改革を進める上で大きな効果を上げていると感じると思います。

 しかし、40代よりも下の先生たちにとっては、これらは、当たり前のことであり、別段驚くようなことではないのです。スマホが普及し、デジタル情報を処理することに慣れている先生たちにとっては、アナログだらけだった教育現場の方が不思議な正解だったかもしれません。通知表に文章での起債が無くなったことで、通知表を作る時間が何十時間も減っていく。すごい改革だと思うのですが、最初から文章での記載がない先生たちにとっては、何ら改革ではなく、通知表は大変な仕事なのです。

 働き方改革を進めるためには、定数法の改正が必要です。これまで、何十年もの間、仕事量を増やしたにもかかわらず、教員の定数をまったく増やしてこなかったことのつけが回ってきているのです。もちろん、やっていることややらされていることを減らしていかなければどうにもならない面もあります。

 表面的には働き方改革が進んでいるように見えるかもしれません。しかし、それは、表面的なことだけであり、数値の問題だけなのだと言いたいです。


2026年2月7日土曜日

1人先生が不足すると、どうなるんでしょう。


  学校は、人事の季節になります。特に大きいのは、人事異動です。今は、数年前には考えられなかったことが起きています。それは、定数臨任と呼ばれるものです。定数を正規の先生で補うことができず、4月の最初から臨任の先生が着任することを指します。まあ、人数が足りているんだから十分じゃないという声もあるかもしれません。しかし、1人でも、大きな影響があるんです。以前は、臨任は採用試験に落ちた人がなるケースが大方ような気がします。先生になる意思はあるけれど、採用試験に受かっていない浪人状態の先生です。これは、採用試験の枠が狭く、5倍以上の倍率だったというのが理由です。しかし、今では、採用試験に落ちることが珍しいぐらい倍率も下がっていますので、浪人というケースは減っているかもしれません。でも、浪人という形の作用の人も一定数いると思います。それから、再雇用状態の先生もいます。これは、65歳以上の先生もいるということです。小学生から見れば、おじいちゃん、おばあちゃんになりそうですよね。それから、正規にはなりたくないというケースです。正規になり、様々な業務を抱えるのは嫌だという場合に、臨任や非常勤を選択するというケースも出てきます。いずれにせよ、学校としては、正規の先生を配当してほしいわけです。それじゃなくても、小学校は先生の人数が少ないのです。

 その理由は、教員の定数に関しての規定です。小学校の先生の人数は単純に言えば、学級数×1.1何です。実際にはこれほど単純ではないようですが、おおよその数としては、学級数の1.1倍だと思っていていよいと思います。14学級(個別支援学級を含みます)だと15.4人になります。ですので、15人の先生ということになります。15学級だと16.5になり、17人の先生ということになります。まあ、14学級以下の場合は、だいたい非常勤講師をつけてくれますが、正規の人数は2人差がつくという形にな

ります。3人プラスになるためには、25学級なければいけません。

 人数が少ないと、一人当たりの授業時間も多くなってきます。僕は、一人当たりの授業時間が22時間以下になるように考えて、人事配当をしていましたが、その辺は、校長の考え方やや学校としての考え方により、違いがあります。授業時数が22時間と言っても、29時間中の22時間ですから、毎日4時間以上授業をすることになります。

 ですので、1人の占める割合がとても全体に大きな影響を与えているんです。

 今週は、これらのことをもう少し細かく書いていきたいと思います。

 疑問や質問があればコメントをください。

2026年2月6日金曜日

今どうなっていますか。子ども達の机の配置

 

 子ども達の机って、1999年に今の規格に変わりました。机の盤面が大きくなったんです。1990年までは45人学級が残って今いた。5人減ったことにより、盤面が大きい机を入れることができるようになったですかね。僕自身46人担任したことがあります。学期の途中で転校してきた子がいて、45人が46人になったわけです。

 規格が大きくなった机は使いにくいと、なかなか、導入が進まなかったのを覚えています。40人だって、今になってみればだいぶ多いですからね。

 コロナ禍以前は、何故か机を二つ、くっつけていたのが普通でした。コロナ禍で、一つ、一つの机を独立させることが多くなったと思います。僕は、担任をしているとき、できるだけ机は一つずつ話していました。その方が子ども達が落ち着いて学習できると考えていたからです。

 僕が子どもの頃二人が一つの机を使うようになっていました。戦後だったんですね。まだ。二つの机をつけて使うというのは、その名残何でしょうか。

 教室の中のレイアウトは、子ども達に大きな影響を与えると思います。なぜ、そうするのがよいのか、もっと良いレイアウトはないのか考えることは大切です。決して、今までそうしていたからという理由で、今まで通りを踏襲するのはやめた方がよいと思います。今は、PADやパソコンを使って、子ども達の意見を交流させたり、共有したりすることができるわけです。そう考えれば、机は話して、一人一人が独立した形で座ったほうが効率もよいですし、子ども達の集中力も高まると思います。

 コロナ禍で、いろいろ変化してきたことも、妙に昔に戻そうとする力が働くことがあります。ぜひ、つまらないことでも、立ち止まって考えることが必要だと思います。

2026年2月5日木曜日

卒業文集書かなきゃだめですか。

 卒業文集って、年々大変な作業になってきたような気がします。大変がたくさんありすぎます。
 まず、書かせることが大変です。これは、学校によって異なってきます。学校間格差って、実際にあります。全体的に学力が高い学校では、書かせることにそれほど問題はないのです。でも、書かせるのが大変な子どもが何人もいろと、時間も手間もかかってしまいます。一文ずつ、一対一で聞き取りながら、先生が子どもの行った言葉を書き留め、進めたこともあります。そして、先生がまとめて、それを書き写させるという作業になります。パソコンを使わせて書かせたこともあります。その方が、手書きで作るより楽なのは間違えありません。手書きの場合、鉛筆ではなくペンでの清書になります。間違えると、修正テープで修正します。一文書いた後に、気がつけばよいのですが、下記進めてからの修正は、修正テープでは間に合わず、原稿を切ったり、はったりしながらの作業になります。
 書き終わってから、家に持ち帰り、原稿を家庭で見てもらいます。保護者が了解できる内容化をチェックしてもらうわけです。この部分は、書いてほしくないということを見てもらうわけです。
 その次に、他の担任や副校長、校長にも読んでもらい、不適切な表現がないか、差別的な表現がないかをチェックしてもらいます。ここまでの作業を1カ月くらいかけて行っています。
 働き方改革だから、やめようというよりは、作業が煩雑になり、それでも、書き終わってから問題になるようなことが出るようになってしまったことが大きな理由だと思います。不適切な表現が問題視され、回収などの例も出てきました。
 一番問題になりやすいのは、クラスのページかもしれません。クラスの○○ランキングなどがよくありますが、その中に問題になることが隠されていたりするわけです。ですので、クラスのページをなくすということもあるかもしれません。子ども達には悪意がなくても、大人が見た時、問題だということも多くあるわけです。
 そして、一人一人かかる時間に差があることも問題なのでしょう。早く終わる子は、さっさと仕上げてしまいます。その子たちがクラスのページを作っていることが多いのですが、そのことも、問題になると思います。

 今や、卒業アルバムも問題になっていると思います。値段も高いです。アルバムも意外と編集に時間がかかります。全員が同じような枚数で乗せられているのかをチェックしたりするからです。名簿を片手に、誰が何枚写っているとチェックするんです。これも、クレームが付くポイントです。
 そういう時間の使い方をするより、卒業までの時間を思い出に残るものにしようという意図が、アルバムや文集づくりをやめる最大の理由だと思います。
 卒業アルバム、文集、作らなきゃダメですか。

2026年2月4日水曜日

読書は、学校だからできること。本を好きになれますか。

  

 今、子ども達はテレビを見ないと言われています。子ども達だけでなく、若い人たちも同じようにテレビよりもYouTubeやInstagramなどを見る方が多くなっているそうです。たしかに、自分が好きなものや興味のあることだけを見ることができるという点では、マスメディアであるテレビよりも便利で、使いやすいメディアだと言えるでしょう。

 映像系のメディアはこの50年余りでものすごく進化しました。今では、誰でも、情報を作り出し、送り出すことさえできます。


 こうなってくると、映像メディアがあれば、文字情報はいらなくなるのでしょうか。そうはならないと思います。文字情報は、言語だけで構成されます。映像メディアが具体的で、視覚的なのに対して、言語情報は、抽象性が高い情報です。ですので、短い文章での表現で、多様な情報を送り出すことができます。デジタルであろうと、アナログであろうと関係なく、言語情報の優位性はあると思います。AIの時代になっても、言語的な理解ができなければ、AIを生かすことはできないでしょう。今のプロンプトは基本的に言語ですから。

 学校教育は、この点に関して、とても高い可能性を秘めていると思います。学習自体がそうですが、それ以外に読書があるからです。

 学校生活の中での娯楽は、休み時間だけではありません。学校図書館で過ごす時間は、娯楽になりうるのです。子ども達の全員がそう感じるわけではありませんが、ある一定数は、学校図書館での活動を楽しみにしています。それは、物語を読むことの面白さを知っている子どもがいるということです。

 文字を読むことで、様々な世界を体験できる読書は、本来とても楽しいものなのだと思います。家庭の中では、YouTubeやInstagram、様
々なゲーム、アニメーションなど、魅力的な媒体が子ども達を取り囲んでいます。

 しかし、学校には、それらの媒体が入り込んでいません。学校の中にいる間は、読書は娯楽性のある活動になれるのです。

 読書をする習慣のない子どもも多くなっています。それは、読書体験を楽しむことができていないからです。学校にいる間に、読書は楽しいものだと体験させることができれば、それは、一つの強みになると思います。強制ではなく、自主的にそうできる機会を作っていくことが大切だと思います。特に、低学年のうちに、よい読書体験をさせていきたいものです。

 そのためには、たくさんの本が、子ども達の周りにあることが大切だと思います。

2026年2月3日火曜日

学校に限界があるって思っていないんですか。


  学校で起こったことでも、学校で完全に対処できないことがあると思います。

 例えば、病気や怪我です。基本的に学校には、すべての学習ができる状態で登校していると学校は考えていると思います。朝、調子が悪いかどうかの確認はしますが、全員の体温を測るわけでも、顔色をチェックするわけでもないです。体調に問題がある場合は、欠席するなり、連絡をしてくるなりが、学校としての前提になっていると思います。

 学校での対応で難しいのは、怪我です。頭部を強打することもあります。ねん挫や骨折などもあります。授業中でも、体育の器械運動ではかなりの頻度で怪我をします。特に、とび箱を使っての運動は、怪我が多いと思います。力の加減が難しいのでしょうね。どうしても無駄に勢いを使た利することで、怪我をしてしまいます。あれって、空中でのバランスが大切なんだと思いますが、子ども達は、高さを求める傾向が強く、どうしても、勢いをつけて飛びたくなるのでしょうね。

 まあ、授業中は状況が分かりやすいので、対応しやすいのですが、休み時間は、状況を把握することが難しいのです。特に、低学年になるほど、自分の状況もわかりませんし、言語化することも難しいのです。また、痛さを伝えることも難しいというの現状です。よくあるのは、鉄棒やジャングルジム、雲梯などからの落下事故。そして、衝突事故です。これらで、問題になるのはどこを打ったのかということです。頭部なのか、臀部なのか、背中なのか。でも、これも、子ども達の説明では判断ができません。どう考えても、頭部からの落下は考えずらい状況でも、最初に頭を打ったという子は多くいます。

 頭部の一部ですが、歯の打撲もあります。特に、永久歯を破損した場合です。一生使うはですから、何とか修復できることを願ってしまいます。折れてしまった部分を探し、修復してくれる歯科に連れていくこともあります。

 骨折や眼球への衝撃なども、すべて、病院へ連れていく対応になります。骨折は、病院でも、レントゲンを撮らないと判断ができないわけですから、学校で骨折だと分るわけがありません。もちろん、外から見て、骨折と分かる場合もあります。その場合はかなり緊急性を要するものになります。

 亀裂骨折のように、レントゲン以外で分からないものは、当然お医者さんの診断がなければ、学校ではわからないのです。

 学校で判断しろと論じているときがあります。救急車を呼びとか。でも、救急車が来るというのは、かなり一大事です。まず、校医に相談するか、診断してもらうか、または、近隣の病院で診断してもらうという選択が、学校としての限界ではないでしょうか。学校には、何の施設もありませんし、テレビドラマのように医師が常駐しているわけではありません。限界があるって、分かっていて、報道したり、批判したりしているのでしょうか。

2026年2月1日日曜日

小学校1年生の基礎学力をしっかり身につけさせたい

小学生の基礎学力低下が話題になりますが、やはり鍵を握るのは低学年での基礎学力ではないでしょうか。

小学校1年生の段階で、ぜひ身につけてほしいことが3つあります。

1つ目は、文字の習得です。 平仮名とカタカナを読み書きできること。そして、教科書程度の文章をしっかり音読できること。 これはすべての学習のベースになります。ここができなければ、他の教科でも前に進むことはできません。

2つ目は、数の感覚です。 数と具体物(おはじきやリンゴなど)が頭の中で結びついていることが大切です。 中でも意外と重要なのが、**「10の構成(いくつといくつ)」**です。 「1と9」「3と7」といった10の構成が瞬時に出てくるかどうかで、その後の計算力に大きな差が出ます。私は、これは九九を覚える以上に大切なことだと感じています(九九は忘れても足せば答えが出ますが、10の構成は感覚的なものだからです)。


3つ目は、学習習慣です。
特に「先生の話を聞くことができる」こと。これはどんな学習でも必須の力です。もちろん、これには私たち教師側も、子どもが話を聞きたくなる環境づくりに努める責任があります。 また、「45分間座っていられること」や、鉛筆を正しく持って「手先を自由に動かせること」も大切な要素です。

どんなに新しい学習法を取り入れても、この基礎部分ができていなくては成果は上がりません。 AIを活用する時代になっても、AIへの指示を言語化したり、回答を読み解いたりするための「言葉の基礎」は絶対に必要だからです。

今は幼児教育が進み、入学前から読み書きができる子も多いですが、小学校に入ってから改めてしっかりと「学びなおす」姿勢が大切だと思います。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...