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2026年3月30日月曜日

アプリとグループウェアの活用


様々な場面でタブレット端末などが普及し、学校現場でもここ数年の間に、専用のアプリが使われることが当たり前になってきました。 保護者からの出欠連絡、学校からの文書配信、そして校内での出欠席管理など、その用途は多岐にわたります。

アプリを導入したことで最も大きく変わったのは、「情報の流れ」です。今までは「保護者と担任」「担任と養護教諭」といった、いわば1対1の閉じた形でのやり取りが中心でした。しかし今は、「保護者と全教員」「全教員と養護教諭」というように、オープンな情報共有へと変化してきています。

兄弟のうち1人が休みなのか、2人とも休みなのか。休みの理由は家庭の事情なのか、感染症なのか。今までは、保護者や養護教諭、あるいは他のクラスの担任にわざわざ確認して回らなければならなかったことが、今ではアプリ上の情報を確認するだけで済むようになりました。

これは管理職の視点からも、非常に大きな変化だと言えます。今までは、担任等によって「まとめられた報告」だけが手元に届いていましたが、今では保護者からの一次情報や、担任と保護者のやり取りの過程などを、自分で直接確認できるようになりました。 情報が校内で相互に共有され、それぞれの立場から多角的に状況を見ることができるからです。何日か続けて休んでいる児童に対し、何人もの先生が気づき、関連する情報を出し合えること。そして校長自身が、子どもたちの状況を解像度高く把握できることは、学校運営において極めて重要だと感じています。

こうした連絡・コミュニケーション用のアプリに加えて、やはり「グループウェア」もこれからの学校には欠かすことができません。 グループウェアの導入により、「定例会議自体をなくす」「会議の内容を事前に共有する」「会議の結果だけを示す」「教員間の連絡をシステム上で行う」「提出物を管理する」「特別教室や専科の授業予定を修正・共有する」といったことがスムーズにできるようになりました。 特に、会議や打ち合わせを行わずにグループウェア上で処理することで、現場の先生方が有効に活用できる時間が増えたことは、最大の成果だと思います。

ただし、情報共有アプリにしても、グループウェアやメールにしても、「全員が確実にそれを見ていること」が大前提となります。「自分は見なくてもいいのではないか」という人が一部でもいると、システムとして成り立ちません。導入当初とは異なり、今はそうした意識のズレも少なくなっているとは思いますが、やはり毎朝、情報を確認して共有するための時間をしっかりと確保し、お互いが共通理解を持てるようにしてほしいと願っています。

2026年3月29日日曜日

4月が始まります。スタートする前に気持ちを整えて


4月って、特別な月ですよね。他の仕事をしたことがないので、どの仕事でもそうなのかもしれませんが。先生をやっていると、4月はそれまでのことをいったん忘れて、新しい1年を迎える切り替えになる月です。

去年1年がどうだったかということを考えるのも大切ですが、新しい1年をどう迎えるかを考えるのはワクワク、ドキドキするものです。転勤をした年でなければ、少なからず子ども達の様子は分かるのですが、新しいメンバーで始める新しいクラスというのを想像すると、やはり緊張感が漲ってきます。

この時期にすべきことは何でしょう。

まずは、自分のクラスの子どもの名前を覚えることです。名簿を何回か見て、名字だけでよいので覚える。これが基本だと思います。初日から名簿を見ずに名前を呼んであげることができると、子どもとの距離がぐっと近くなりますね。そうはいっても、急に35人の名前を覚えることは難しいと思います。僕は、よく上履きに書かれている名前をさりげなく見て、声をかけていました。何回も名前を呼んでいるうちに、しっかり頭に入ってきます。

それから、ともかく笑顔でいることを心掛けるとよいと思います。前にも書いていますが、基本が笑顔であれば、ちょっと困った顔や曇った顔をするだけでも、子ども達は反応してくれます。常に困った顔や厳しい表情を見せていると、先生の表情に対して反応してくれなくなってしまいます。子ども達は優しい表情を見せてくれる先生が好きですし、そういう先生には積極的に話しかけてくれるものです。

4月のスタートがうまくいくことは、何よりも大切なことです。先生達も、まず自分が理想としているクラスをイメージしてほしいと思います。こんな風な授業がしたいとか、こんな雰囲気のクラスにしたいとか。ともかく良いイメージを頭の中に思い浮かべることが大切です。

そして、そういうイメージのクラスにするという気持ちを持つこと。子ども達は、先生の最初の言葉を待っているはずです。自信をもって、子ども達に向き合ってほしいと思います。



2026年3月28日土曜日

対話的学習とデジタル化の前に。低学年で本当に大切にすべき「基礎」とは

小学校の6年間は、子どもたちの心身が最も著しく成長する期間です。だからこそ、この変化の大きい期間を「同じ小学校だから」と一括りにし、同じような学習方法で進めることが果たして適当なのか、疑問に感じることがあります。

理想的な「対話的な学習」の条件 今、教育現場では「対話的な学習」が重視されています。子どもたち同士が話し合い、考えを深めていくこと自体に異論はありません。現在ではタブレット端末が普及し、インターネットや生成AIを活用して論拠を明確にし、異なる意見を持つ他者と対話を通して考えを広げていくことができます。これは間違いなく、理想的な学習の進め方の一つです。

しかし、問題は「どの時期からその学習形態を取り入れるか」です。 質の高い対話には、基盤となる知識や手段の活用能力が不可欠です。中学生や、小学校の高学年であれば、こうした学習も十分に成立するでしょう。しかし、学校生活の大半を占める学習時間において、最初の3年間は「一番基礎になる部分」を構築する時期です。3年生くらいまでは、高度な対話的学習に時間を割くよりも、もっと基本的な活動に重点を置くべきだと私は考えます。


低学年に必要なのは「鉛筆とノート」による脳への刺激
文科省は、発達段階に応じた工夫を前提に「1年生からの対話的な学習の導入」を大切と考えており、学校現場もこれまでそれに素直に従ってきました。 しかし、低学年に本当に必要なのは、何よりも基礎の徹底です。

鉛筆を持ち、ノートに書く。年齢が低い子どもほど、この行為は高い学習効果をもたらします。指先で鉛筆を動かすことが脳への強い刺激につながることは、研究でも示されています。黒板の文字を読み取り、自分の手を動かして書き写す。一見単純に思えるこの「身体性を伴う学び」こそ、大切にしなければなりません。

デジタルを否定するのではなく、順序の問題 私は決してデジタル化を否定しているわけではありません。これからの時代、デジタル機器の活用は必須です。 しかし「初めからデジタルありき」ではなく、子どもたちの能力を真に高めるためには、まず基礎をしっかりと固める順序が重要です。無理に理想論を押し付けるのではなく、発達の段階ごとに何が重要なのかを大人がしっかりと見極めて示していかないと、教育の向かう先が誤った方向に進んでしまう気がしてなりません。

2026年3月27日金曜日

春休みだ!

新しい年度が始まる前は少し緊張するものですが、できるだけ前の学年の担任(前担任)に話を聞いておく方がいいと思います。

時間が経つと忘れてしまうことも多いですし、異動してしまう先生もいます。たとえ異動しなくても、新しい自分のクラスを持てば当然そちらの対応が優先されるため、以前のクラスのことはどうしても後回しになってしまいます。

年度末に学級編成が行われ、十分な引き継ぎの時間が確保されていればよいのですが、現実にはしっかりと時間が取られていない場合も多いと思います。また、前担任だけでなく、専科の先生や児童支援専任の先生からの情報も大切です。

もちろん、自分が直接指導していたわけではないので、前担任の言うことをすべて鵜呑みにする必要はありませんが、参考資料として聞いておくことは重要です。特に、誰がリーダーシップをとれるのか、誰が集中力が途切れがちかなどの話は、担任として1年間関わってきたからこその大切な情報になるはずです。

それにしても、新学年が始まる前の春休みは少し短すぎるのかもしれません。欧米の多くは、長期休業(2か月以上)の後に新しい学年が始まるため、気持ちの区切りがつきやすいシステムになっています。日本も今の2週間ではなく、3週間の休みがあれば、先生達もリフレッシュのための休暇がとれるでしょうし、前年度の片付けと新学年に向かう準備にしっかりと時間を充てることができると思います。

今の実態では、春休みのほとんどを出勤して過ごしている状況ではないでしょうか。普段とは異なる時間の使い方になるため、あまり効率的に作業を進めることができなかったり、ミーティングの時間がやたらと長くなったりすることもあります。そう考えると、「休暇をとらない(とれない)」という前提に立つならば、2週間は適当な長さなのかもしれません。難しいところですね。

でも、やはり休みは取ったほうがよいと思います。1年間働き続けた自分を褒めてあげることも、癒してあげることも大切です。しっかりとリフレッシュすることで、気持ちよく新しい学年のスタートが切れるのではないでしょうか。


2026年3月26日木曜日

漢字ドリルって必要なんですか。

漢字ドリルって、比較的よく使われるものだと思います。特に、宿題を出す際に利用しませんか。今は、アプリの方が多くなっているかもしれませんが。

いつごろからか、漢字ドリルを集めると、間違っている漢字の書き取りを先生が修正し、修正があるページについては付箋を貼るというのが当たり前のようになりました。たぶん、僕が担任をしていた頃には、なかったやり方です。

保護者が見るとひとり分ですから、大した労力に見えないと思います。しかし、先生の側では、1人2分かかったとすると、30人見ると1時間かかるということになります。これを毎日のようにやっていると、毎日1時間は漢字ドリルの処理時間ということになります。漢字ドリルの処理だけでいいのでしたら、まあ、それも仕方ないことだと思います。また、処理速度を上げて、1人1分と決めてやっていればよいのですが、実際の現場がそうなっているのか心配になります。

漢字ドリルの使い方として、このように手間をかけることが有意義なのか、実際に検証している人はいるのでしょうか。漢字を覚えるためにただ反復練習をすることは、あまり有益ではないと思います。それよりも、小テストを実施することの方が「テスト効果(Testing Effect)」があるという研究もあるようです。僕自身、担任をしていたときには、なるべく頻繁に小テストを実施するようにしていました。また、どのような用紙を使うのが効果的なのかも考えていました。

今は、漢字ドリルではなくアプリを利用して漢字を覚えるということも多くなっていると思います。東大の研究で、紙と鉛筆を使う方が、学習の始めの段階では有効だという成果が出ているそうです。ただ、他の研究では、アプリを使う方が子どもの学習意欲が持続し、よい結果を生み出しているというものもあるようです。

そう考えると、学習の始めの段階では2、3回紙と鉛筆で書いて覚え、たとえば1週間の間に覚えるべき10個の漢字があるなら、それを毎日アプリを使って2、3回練習し、週末にアプリを使って小テストを行うことで、効率よく学習を進めることができるのではないでしょうか。

僕は今それを試す立場にはいないので、ぜひ、読んでくれている先生がいれば、試してほしいなと思います。

統計処理も簡単にできる時代です。様々な試みをすることが大切だと思います。みんながやっているからといって、まねをする必要はありません。自分が有効だと思うことをやっていきましょう。

2026年3月24日火曜日

学校は、保育はできないのですが…。

学校の本来の役割とは何か 学校に求められる役割が、本来の目的から大きく広がってしまっていることが現在の課題だと感じています。 もともと学校は、文字を覚え、言葉を獲得する「学習の場」です。1872年の学制発布から、その基本的な役割は変わっていません。しかし現実には、それ以上のことが求められるようになっています。

変化する働き方と「預かり」への期待 戦後の「専業主婦」モデルが少数派となり、今は共働きやシングルを問わず、誰もが働くスタイルがスタンダードです。リモートワークなど働き方は多様化しましたが、時間になれば仕事に集中しなければならない点に変わりはありません。

ここで生じているのが、保護者の中に芽生えた「学校に子どもを預かってもらう」という意識です。 以前にも書きましたが、日本の学校教育がいくら全方位型であっても、学校に「保育機能」はありません。コロナ禍で一番問題になったのが「学校が預かってくれないこと」だった点に、保護者側と学校側の認識の大きな乖離が現れていたと言えます。

放課後の整備と、残された「朝」の課題 放課後の問題に関しては、かなり整備が進んできました。これは児童福祉法に基づく福祉関係の部局(青少年育成局など)の管轄であり、教育委員会が管轄する学校とは、同じ場所であっても異なる施策として動いています。

そこで最後に残されているのが「朝」の問題です。 「もっと早くから学校を開けてほしい」という保護者の声は分かります。しかし、これを行政や学校に何とかしてもらうのではなく、企業側がフレックスタイムを導入・活用しやすくするなど、社会全体での子育て支援が必要ではないでしょうか。

教育や行政の枠組みだけでなく、企業側の「働きやすい環境づくり」こそが、今求められているのだと思います。

2026年3月23日月曜日

免許制度を変える意味があるのかな


文科省なのか、中央教育審議会なのかは知らないけれど、教員免許について変更しようと考えているみたいですね。教員免許状は、小学校ならば、専修免許状(大学院卒)、一種免許状(四大卒)、二種免許状(短大卒もしくは専門学校卒)と分かれています。

僕の友人や一緒に働いていた先生の中にも、専修免許を持っている人はいましたが、その割合は低いです。大半は一種免許状を持った人たちです。最近の教員不足のためなのでしょうか、二種免許状を持っている人も見かけるようになりました。文科省は以前から、学校の先生の学歴を高め、基本的に修士課程を修了している状態にしたいという構想を持っているようですが、現実は、そうはなっていません。

研究をしたいという希望があり、自ら勉学に励んだ結果として修士号を手にするということには、とても意義のあることだと思います。

ただ、この免許状の違いで、実質的なメリットは発生していないと思います。短大、大学、大学院と、卒業した時の年齢が違いますので、初任給は違います。ただし、短大を卒業して4年後は、大学院を卒業した人と同じ給与になるはずです。

じゃあ、実益的にはどのようなメリットがあるのでしょう。管理職になるためには、一種免許状を持っていなければいけないと聞いたことがあります。しかし、二種免許を持っている人が希望すれば、通信教育や教育委員会の研修制度などを利用して、それほど多くの単位を取得せずとも一種免許を手にすることができる制度があります。また、専修免許を持っているから、管理職になるときに有利だという話も聞いたことはありません。僕の知人の中でも、同年齢で、同じ性別で、一種免許状を持っている人と専修免許状を持っている人で、同じ年に管理職試験を受けていますが、合格したのは一種免許状の人でした。

決定的なのは、教員の給与表は、校長、副校長(教頭)、主幹教諭、教諭の4種類に分かれているということです。ですから、免許状の種類による給与の差は全くないと言えます。

因みに、学校社会の中では、委員会が認定する特別支援教育コーディネーターという役割があります。他には、国家資格の衛生管理者を取得しに行き、資格を取った人たちもかなりいます。役職も、児童支援専任を役職として設けています。他にもICTコーディネーターというのもあったと思います。もちろん、学校に関係するライセンスを他にも持っている人たちがいます。ICT関係であれば、マイクロソフトやAppleなどが認証している制度もあります。

しかし、何を持っていても、給与は変わりません。何の手当も出ません。免許状の違いだけではないのです。研修に何十時間も割き、レポートを書いてライセンスを取得したとしても、仕事が増えるだけで、給与は増えません。かなり不思議な仕組みですよね。まあ、これも、定額使いたい放題の給特法のおかげかもしれません。

民間企業であれば、会社が推奨している資格を取れば、継続的に資格手当をくれたり、資格取得時に一時金をくれたりするわけです。

免許状のことだけを考えるのではなく、様々な資格の取得を奨励し、インセンティブを与えることの方がモチベーションが上がると思うのですが、皆さんどうですか?

2026年3月22日日曜日

学校の不思議。体育着や赤白帽がいりますか。


体育の時間になると、どの学年でも着替えをします。特に1年生などは、ものすごく時間がかかりますよね。ここ10年ほどの間に、更衣室がない学校では、教室の中央にアコーディオンカーテンを設置し、男女に分かれて簡易更衣室を作るようになりました。2000年以降に建った比較的新しい学校には更衣室があったりするのですが、そこでのトラブルが多いこともあり、教室を半分に仕切る方法が広がったのでしょう。

体育の時間に「体育着(体操着)」に着替えるのは、大人からすると当然のことだという感覚があります。「体育着を忘れたら見学」と言われた経験が、皆さんにもあるのではないでしょうか。

しかし、みんなが同じような体育着(学校によっては校章をプリントした指定服)を着るというのは、日本独自の学校文化のようです。(転校生が前の学校の体育着を着ているのを見て、そう実感することもあります)。考えてみると、必ずしも体育着である必要性はないんです。別に、運動ができる格好であればよいだけの話です。大体の子どもは普段から動きやすい服装で登校していますから、そのまま体育をやればよいと思うことが多くありました。

「衛生面で問題がある」と指摘する先生たちも少なくありません。しかし、休み時間に外で走り回って汗びっしょりになって教室に帰ってきても、着替えるわけではないのです。家庭にいても、外で遊んで汗をかいたからといって、いちいち着替えさせるご家庭も少ないのではないでしょうか。

体育着は戦前からあったようです。女子に評判の悪かったブルマは1960年代あたりから普及し、現在のハーフパンツは2000年ごろから定着しました。しかし、本当に「全員お揃いの着替え」が必要なのでしょうか。

それから、赤白帽です。これは1959年ごろに登場したものらしいです。チーム分けで鉢巻を結ぶ手間を省き、日射病対策にもなるということで普及したそうです。まあ、近年の猛暑の前では何の役にも立たない「時代の遺物」のような気がしてなりません。

現在では、チーム分けに赤白帽を使うことも減っていると思います。ビブスが普及し、学校にはすぐに着られるビブスが何セットも用意されています。本当に熱中症対策を考えるなら、より意味のある帽子を使うべきです。今は熱中症計が普及し、危険な暑さの時は外での活動自体が禁止されます。それに、普段から「必ず帽子をかぶって外に出ましょう」と徹底されているわけでもないと思います。

なぜ赤白帽や体育着が必要なのか、校内でしっかりと議論されているのか疑問です。「これまで使ってきたから」という理由だけで使われているような気がしてなりません。また、その理由が「他校も使っているから」「それが普通だから」ということであってはならないと思うのです。

ちなみに、体育着も赤白帽も、他の先進諸国では使われていません。これらはまさに、日本独自の学校文化なのです。

2026年3月21日土曜日

保護者との関係づくりのために、こんな方法はどうでしょう。

 


保護者との関係をよくすることも、担任の大切な仕事だと思います。

個々の保護者と直接会う機会は、学校にもよりますが、個人面談や家庭訪問などに限られがちです。あとは必要に応じて面談を設定することになりますが、そうしたケースは何らかの問題が発生していることが多く、お互いにとってあまり歓迎すべき状況ではないでしょう。

クラス懇談会も、複数の保護者に向けて担任のメッセージを伝える貴重な機会です。ただ、最近増えているチーム担任制の場合、学年懇談会のみになってしまうこともあり、そこは今後の課題と言えます。学年全体で共有すべきことと、学級の実態に合わせて話すことでは、おのずと内容が異なってくるからです。

一方、個人面談の回数が複数回確保できれば、保護者と十分な意思疎通を図ることができます。学年初めに行えば保護者の要望や期待を把握でき、各学期末に行えば、学習やその他の活動の様子、友達関係などについて、具体的な資料を提示しながら話せます。そう考えると、充実した個人面談を実施することで、通知表の所見欄などの記載事項を減らす工夫もできるのではないでしょうか。

課題となるのは、日々の教育活動をどう伝えるかです。今は以前と異なり、アプリやメールを通して全家庭へ簡単にお知らせを配信できるようになりました。これをうまく活用すれば、保護者と担任のコミュニケーションは格段に容易になります。

保護者が一番知りたいのは「日々、学校でどのような教育活動が行われているか」です。一人ひとりの様子を細かく書く必要はなく、「クラスとして今何に取り組んでいるか」を知らせるだけでも十分であり、それほど難しい作業ではありません。

理想を言えば「今日のことを今日」お知らせしたいところですが、管理職や教務主任、学年主任の確認が必要な学校も多いでしょう。その場合は、「月曜日の様子を火曜日に伝える」というサイクルで構いません。あくまでクラス全体の活動の様子ですから、個人名を出す必要はありません。

「算数の時間は、かけ算の計算の仕組みについて学習しました」「国語の時間は、ごんの気持ちを想像し、音読の練習をしました」といった内容に、子どもたちの様子を少し書き足し、図工の作品やノート、体育の様子などの写真を添えれば立派なお知らせになります。これを毎日配信するだけでも、保護者からの信頼は確実に深まります。

一つ保護者に伝えることがあります。この配信は、細かいことは載せていないことです。なぜなら、この配信をきっかけに子ども達と学校の話をしてほしいからだと伝えてください。

新たな業務が増えることに抵抗を感じるかもしれませんが、慣れてしまえば15分程度でできる作業です。デジタル配信という形をとれば、学級通信のように「A4の紙を文字で埋めなければ」というプレッシャーもありません。そこに明日の予定や持ち物を書き加えれば完璧です。

新学期の学級経営プランを考える際、ぜひこの方法を一つに加えてみてはいかがでしょうか。

2026年3月20日金曜日

福利厚生はしっかりしていますけど。掛け金が…。

福利厚生って、よく言われますよね。基本的には、法的に定められた健康保険や年金等が、福利厚生の基本だと思います。今は、介護保険や労災なども、その範囲に入ります。ちなみに公務員は雇用保険には入っていません。これらが法的に定められた福利厚生です。健康保険や年金などの掛け金は、本人だけでなく雇用している国や地方自治体も本人と同額で支払いをしてくれます。

社宅があるなどというのも、福利厚生です。同じように、住宅手当や交通費などは、雇用しているところが用意してくれるものです。

教員の場合は、公立学校共済組合というところが、福利厚生全般を処理してくれます。健康保険や年金だけでなく、人間ドックの費用補助や結婚や出産、子どもの義務教育卒業の祝い金なども、共済組合からもらうことができます。それから、福利厚生の一環として財形貯蓄などもあります。これは、労働金庫が実際には担当しています。

以前は、共済組合が直営の宿泊施設などもありましたが、共済組合もそれらの施設を維持することが難しくなってきたので、最近では売却等が行われています。

福利厚生の基本的な部分は国が策定しているものです。ですから、公務員はそれがしっかりと守られています。しかし、年金や健康保険、介護保険などの自分に係る部分だけでなく、共済組合が負担しているものが他にもあるのです。

産休の期間は、全額給与が支払われます。言ってみれば、有給休暇扱いです。療養休暇も、90日間(土日祝日も含みます)は有給です。しかし、育児休業は給与の支払いはありません。また、療養休暇も90日を超えると、無給になります。その無給の期間は、共済組合が生活支援として給付をしています。

さらに最近は、男性の育児休業も奨励され、取得するようになっています。また、メンタルの問題で休暇に入り、長期に生活支援を受けている人も多くいます。

現在、共済組合に支払っている掛け金は給与の約1割近くになります。以前はボーナス時には支払っていなかった掛け金ですが、2000年を過ぎたあたりからしっかりと天引きして支払わなければならなくなりました。これは金額的にも大きかったので、当時は驚きました。その後も、掛け金の率は何回も上げられています。

たしかに、年金も健康保険の支払いも対象者が多くなることで、共済組合も財政的に大変なのだと思います。昔は、もっと純然たる福利厚生が提供されていたと思いますが、今は「こんなにしてくれている」と恩恵を感じることは少ないような気がします。それ以上に、共済組合が支払うべき対象(支出)が増えているのです。

福利厚生について書こうと思ったのですが、ふと「支払っている金額ほど、自分は使っていないな」と思ってしまいました。まあ、相互扶助という協調的精神でやっていかなければならないのでしょうが……。少し、僕の心が狭いのかもしれません。

この国は税金と社会保険料を別々に集めています。しかし、実質的に合わせた金額が「税金」として重くのしかかっています。そういう意味では、決して税金が安い国とは言えないのではないでしょうか。

2026年3月19日木曜日

【年度末のお金の話】教員の退職金の実態と、若い人へ伝えたいこと

年度末なので、今日はお金の話、特に「退職金」について書いてみようと思います。 公立学校の退職金は、実際には計算方法も給与表も公開されているので、それらを照らし合わせれば誰でもわかるようになっています。

■ 管理職を経験しての退職金額 僕は60歳定年だったので、60歳の時に退職金をもらいました。正確な金額までは覚えていませんが、おおよそ2,400万円くらいだったと思います。主幹教諭、副校長、校長と経験してきたので、ずっと教諭だった場合よりは多くなっています。

ただ、10年以上前の退職金と比べると、実は500万円以上も低くなっているんです。給与と同様に、退職金も段階的に引き下げられてきた歴史があります。同じように長く勤めても500万円以上差が出るというのは、正直がっかりさせられる話ですよね。

■ 退職金は「まとまった給与」。税制優遇も それでも、退職金は「まとまってもらう給与」という感覚です。一時期話題になった「老後資金2,000万円問題」の金額とも一致しますね。

 退職金は税制的にも優遇されていて、長く勤めれば2,200万円くらいまでは税金がかからない仕組みになっています。

ちなみに僕は再任用として退職後も5年間働きましたが、その期間に対する退職金は出ません。1年ごとの契約職員のような形になるからでしょう。その代わり、雇用保険には入っているので、退職後に雇用保険から少しお金(失業給付など)を受け取ることができます。

■ 若い先生方へ。投資のすすめ 退職金は、基本的には投資に回しています。 資産運用の話は、教育の現状を伝えるこのブログの趣旨とは異なるので詳しくは書きません。ただ、これからの時代、ある程度「投資に慣れる」ことも必要だと感じています。

若い先生方はぜひ、勉強しながら投資を始めることをおすすめします。短期的には変動があって難しいと感じるかもしれませんが、長期的な視点で考えれば、必ず運用益が出てきますよ。

2026年3月18日水曜日

卒業式の不思議な光景

卒業式のシーズンを迎えました。小学校6年間で最も重要な式典とされるため、かつては準備に膨大な時間を割いていました。歩き方や証書の受け取り方、お辞儀の角度に至るまで徹底し、さらに歌や「呼びかけ」の練習を3月以前から始めていた時代もありました。現在では、さすがにそこまで長時間の細かい指導は行われていないでしょう。

以前は、ある程度仕上がった通し練習を校長が視察し、その鶴の一声で急遽変更が入ることもありました。今となっては昔話ですが、とにかく大変な時間をかけていたのです。

コロナ禍を経て、卒業式の風景は大きく変わりました。歌唱数の減少、在校生(5年生)の不参加、保護者の入場制限などが見直しのきっかけとなりました。中には紅白幕の設置をやめた学校もあると聞きます。幕そのものに本質的な意味はないため、それも一つの英断だと思います。

そこで見直しの俎上に載せたいのが「呼びかけ」です。証書授与を省略できないとすれば、簡略化の余地があるのはここではないでしょうか。「呼びかけ」は本来、形式的で退屈な儀式から脱却し、子どもたちが主体的に参加できる場面を作ろうと考案されたものです。自分たちで言葉を紡ぎ、声を合わせることで参加者としての自覚を促す意義は、確かにありました。

しかし、今こそその「やり方」を再考すべきです。必要最低限の形式的進行にとどめ、校長や来賓の祝辞を3分以内にするなど工夫すれば、式はもっと短縮できます。そうすれば練習は1時間もあれば十分で、浮いた時間を卒業前のより有意義な活動に充てられるはずです。半世紀も前に「当時の子どもたちのため」を思って考案された形に、現代の私たちが縛られ続けることは、創始者にとっても本意ではないはずです。

2026年3月17日火曜日

チーム担任制がよいですか?

 


昨今、小学校で「チーム担任制」が流行っています。いよいよ従来の「学級担任制」が終焉を迎えるのか、という空気すら感じます。

思えば、これまで日本の小学校教育を驚くほど「コスパよく」維持してきたのは、間違いなくこの学級担任制でした。そして、それを支えてきたのは、他でもない現場の先生方一人ひとりの圧倒的な力量と、身を削るような努力に他なりません。

現在、チーム担任制のメリットが盛んに宣伝されています。「複数の目で見ることで子どもの変化に気づける」「教員の精神的負担が軽減される」「教員が休んだ際もカバーできる」といった具合です。

しかし、手放しで喜んでよいのでしょうか。 中学校を例に考えてみます。中学校は「学年」という組織が非常に強固です。1学年の生徒数は小学校の数倍規模になることも多く、学年を構成する教員数も豊富です。学年には生徒指導担当などが置かれ、トラブル発生時に対応する担当者が明確になっています。さらに、担任・副担任が固定され、基本的には3年間同じスタッフで持ち上がるため、教員間のコミュニケーションも成熟し、有事の際の人員的な対応力が担保されています。それでもなお、日々問題は発生するのです。

一方、現在小学校で進められているチーム担任制は、十分な人的補充を伴っているとは言えません。教職員の定数には法的な縛りがあり、現状の限られた人数のままでシステムだけを移行することには、大きな不安を感じざるを得ません。本気でチーム担任制を機能させるのであれば、学年の教員数を増やすなどの抜本的な対応が不可欠なはずです。

また、子どもや保護者の視点に立ったとき、「自分たちを一番に見てくれる固定の担任がいない」という点に不安を抱くケースは少なくないでしょう。中学校であれば、学年内の生徒指導担当などが保護者・生徒対応の中核として機能します。小学校においても、最低でも「学級数+1」の教員配置がなければ、現場は回らないのではないでしょうか。

もちろん、これまでの「担任丸抱え」のシステムに戻すべきだと言いたいわけではありません。私が最も危惧しているのは、「同じ人員数で新しいシステムを運用できるのか」ということです。小学校の学年規模は、多くても5学級前後、少なければ2学級というケースも多々あります。そうした小規模な人員制約も含めた上で、真に実効性のある「チーム担任制」のあり方を、改めて問い直す必要があるのではないでしょうか。

2026年3月16日月曜日

少子化止まりませんね。


少子化ということが言われるようになって、既に30年以上の年月が経っています。実際には1975年に合計特殊出生率が2を切っているので、その時点が人口問題の分岐点だったのかもしれません。そして、現在は合計特殊出生率が1.2を下回っているわけです。

この問題に関しては、2000年代に入り、担当大臣を置いたり、直近の出来事としては

子ども家庭庁を設置したりしています。しかし、一考に少子化は止まっていません。むしろ低下しているわけです。

政治は、戦前から戦後にかけて、人口問題に常に口を出し、手を出してきました。昭和初期は、子どもが多ければ表彰されるような仕組みがありました。これは、日本が生産力を高めるため、軍事力を高めるために必要なことであったからです。本来、政治とはかけ離れた個人ベースのことに、政治が加入したよい事例だと思います。一方、戦後は、人口の増加に歯止めをかけるために、産児制限を行います。家族計画という言葉ありましたが、字の通り計画的に出産をすることを政府が中心になり進めたわけです。4人家族という「標準」を作り、国民にそれを提示してきました。これも、家庭や家族に、政治が介入した例になると思います。

この経験から、政治は、人口問題や家族の問題にも口を出すことができると考えているのかもしれません。しかし、実際にこの50年の間、何一つ成功した事例はありません。ひたすら人口は減少しています。

人口減少が起こっている原因は、よく出てくるように経済的な問題だけではないと思いますが、経済的なことも問題ではあります。労働者を再生産することは、資本家たちにとって大切なことだったはずです。労働者がいなければ、生産自体ができないわけです。ですから、従来の労働者が子どもを作り、新たな労働者となることをできるような給与を支払ってきたわけです。しかし、現在一時雇用や非正規採用が増えたことで、労働者を再生産するだけの給与の支払いをしなくなったという現実が大きな要因の一つです。

ただ、それ以上に、子どもを育てることに対する価値が下がっていることが大きい影響を与えているのではないでしょうか。以前、「勝ち組」と「負け組」について書きました。実際に子どもを産み育てる中で、競わされている部分が多くあります。また、1度か2度しかない子育ての中で失敗は許されないという心理も働いていると思います。これは、過酷な戦いです。そういう心理的負担が影響しているのではないでしょうか。

また、「楽しいこと」がたくさんあるのに、あえて子どもを育てるという事業を自ら呼び込む気にならない人も多くいるような気がします。SNSなどでのコミュニケーション、推し活のような熱中できる活動など、今の時代になり力を持ってきた事柄が多くあるわけです。

そして、誰かと濃密な関係性を持つことに対する拒否間のようなものもあるのかもしれません。

いずれにしても、少子化に政治が介入しても、何一つ解決にはならないのでしょう。それよりも、本当に少子化を改善するのならば、仕事をする人たちが子どもを育てる余裕のある社会にしなければいけないのではないでしょうか。

2026年3月14日土曜日

教員の間の人間関係ってどうなんですか。

 人間関係の話に入る前に、採用試験についてはこれまでも何回か書いてきました。 僕は1982年に教員になりました。教員採用試験に「実技試験」が導入された年です。

■ 1980年代:採用減と実技試験の導入 それまでは採用枠が広かったのですが、少しずつ採用数が減り、実技試験が導入されるようになりました。

■ 1990年代~2000年代:採用超氷河期 この時期は、一番採用がなかった時代です。「当面は採用0でも問題はないけれど、後々の年齢構成を考えると0という訳にはいかない」という話が出るほどでした。1994年ごろだったと思いますが、実際に4月の新規採用者が「一桁」だった都市もあるくらいです。採用試験の倍率も10倍を超えていました。

■ 2010年代:大量退職と採用枠の拡大 大量採用されたベビーブーマー世代の先生たちが、一斉に退職し始めた頃です。

ここから、教員の出身大学も大きく変わっていきました。 僕の頃は都市部であっても、まだ地元の国立大学の卒業生が半数くらいいました。僕自身は私立大の出身なのですが、以前は国大出身の先生が多くいたものです。しかし今は、地元の国大卒業生が「0」という学校も少なくありません。

地方になれば、現在でも教員の大半は地元の国大出身者というところが多いはずです。ですので、大学の先輩・後輩関係は未だにあるのではないでしょうか。 その辺りの実情は僕にはわかりませんが、人間関係が濃厚な地方と、希薄になりやすい都市部とでは、職員室の雰囲気にも大きな差があるかもしれません

■ 飲み会から見る、職員室の人間関係 基本的に、今の教員同士で飲みに行くとか、食事に行くということは少ないと思います。それでも、人数の多い若い子たちは月に1回くらい食事に行ったりすることはあるようです。

昔は「野郎会」(男子だけで飲みに行く)なんていうものもありました。行事の後や研究授業の後などにも飲みに行く機会がありましたが、今はほとんどない気がします。 ハラスメントへの配慮もありますし、昔ほど人間関係が濃厚ではないからかもしれません。やっても、5月の歓送迎会と12月の忘年会くらいでしょうか。それも強制ではないので、全員が参加するわけではありません。 前回も書いた通り、年代間の差が大きく、感覚のずれも大きいのです。その辺りも現在の人間関係に影響しているのでしょう。

まあ、仕事にプライベートを持ち込む必要はないので、その程度のドライな人間関係でも問題はないと思います。ただ、ちょっとした愚痴を言ったり、相談したりできる相手は、やっぱり必要ですよね。

2026年3月13日金曜日

世代間の差があっても、共感はしないとね。

40年前、通知表はすべて手書きでした。全教科の所見を年3回書き、さらに行動欄や特別活動欄、総合所見まで手書きで埋めていたのです。小さな枠に文字を詰め込むため、0.3mmの極細ペンを使い、修正液は使用禁止だったため、間違えた時は電動消しゴム(今の若い方はご存知ないかもしれませんね)で慎重に消していました。

テストの成績処理も、パソコンが普及していない当時は、ノートに記録した点数をひたすら電卓で計算する時代でした(もっとも、私は自分のパソコンを持っていたので、自作のプログラムで計算していましたが)。こうした時代を知っているのは、今の50代以上の教員でしょう。その後、20年ほど前にExcelの通知表フォーマットを作成し、周辺の学校にも配布しました。パソコンを使えるようになっても、通知表の作成には20時間前後かかっていたと記憶しています。手書き時代は、さらにその倍近くの時間を費やしていたことになります。ただ、当時は今よりも会議などが少なかったため、子どもたちが帰った後の教室にこもって、ひたすら書く時間を確保できていました。

ここで言いたいのは、「昔は大変だった」という自慢ではありません。手書き時代を知らない若い世代にとっては、パソコン処理が当たり前です。だからといって、彼らの仕事が「楽になった」わけではないのです。今は出席日数の表記や総合所見、行動欄がなくなり、文章による所見を一切記載しない学校も増えました。それでも、その体制になってから教員になった人たちにとって、通知表の作成は依然として大きな負担なのです。

自分の過去の経験だけを基準にしてしまうと、ここ数年で教員になった人たちの本当の苦労は見えてきません。私たちが感じた大変さは、その時代を共有した人にしか分からないのと同じです。決して自分の経験を絶対的な基準にして、今の状況を語らないよう気をつけなければならないと自戒しています。

例えば、最近は教室のワックスがけをアウトソーシング(外部委託)する学校が増えました。剥離剤とポリッシャーで床をきれいにしてからワックスをかけるなんて、本来なら教員がやらなくてもいい作業ですが、以前はみんな自分たちでやっていました。これは、かつての非効率な業務の典型例です。教員にそんな作業をさせていたこと自体が問題なのであって、「自分たちはその苦労をしてきたから」と、それを今の基準にする必要は全くありません。

この40年間の学校現場の変化は非常に大きいものです。だからこそ、昔の苦労を基準にして「今は楽になった」と決めつけるべきではありません。大変さの形は、時代とともに変化していくからです。もし「昔より楽そうだ」と思ってしまったとしても、それは心の中に留め、今の時代ならではの大変さに寄り添い、共感する姿勢を持つことが何より大切だと思います。

2026年3月12日木曜日

どこで働くかで年収100万円の差?教員給与の「地域手当」と民間比較

教員の給与については以前にも触れましたが、現在の公務員の給与制度では、東京都に勤務する教員の給与が相対的に高くなる仕組みになっています。その理由は「地域手当」の存在です。

首都圏の1都3県を見ても、この手当によって大きな差が生まれます。東京23区では地域手当が基本給の20%も加算されるのに対し、千葉県や埼玉県の平均は8%程度にとどまります。この差が積み重なると、50代の年収ベースで約100万円もの開きが生じるのです。

隣接する市町村で生まれる理不尽な給与差

地域手当は、地域間の必要な生活費の差を反映させる目的で、国の人事院や各自治体の人事委員会が等級を定めています。しかし、教員の業務内容はどの地域でも基本的に変わりません。

それにもかかわらず、例えば県内に3つの政令指定都市を抱える神奈川県の場合、横浜市や川崎市に勤めていれば16%の手当がつきますが、それ以外の市町村に勤務するだけで、同じ50代でも年収で40万円ほどの差が出ます。隣接する地域間でこれほどの給与格差があることは、やはり制度的な課題と言えるでしょう。

これが東京都と千葉・埼玉県の比較になれば、先述の通り100万円の差になります。これから教員を目指す方にとって、どこに勤務するかを決める上で、給与は非常に大きな判断材料になるはずです。

プライム上場企業との比較で見える実態

公務員にはストライキなどの労働基本権が認められていないため、代わりに人事院が客観的な数値をもとに給与を算出しています。しかし、過去30年近くにわたり「いかに公務員給与を引き下げるか」という方向で制度改定が重ねられた結果、東証プライム市場に上場するような大手企業とは生涯賃金で大きな差が開いてしまいました。

もちろん、プライム上場企業は日本を代表する大企業であり、優秀な人材を集めるために給与の引き上げに躊躇しない側面もあるでしょう。ですから、公務員と差があってしかるべきだという意見もあると思います。実際に民間企業間でも、50代になれば大企業と小企業で倍近い給与差が生じます。

ただ、民間企業と教員の給与を単純に比較することには注意が必要です。教員などの公務員には性別による給与の差がなく、同じ職務・経験年数であれば同一の給与が支払われます。一方、民間企業では依然として男女間の給与格差が存在することが統計からもわかっています。

この点を考慮すると、特に男性に絞って比較した場合、教員と大手民間企業との実際の給与差は、表面的な平均値のデータ(※ここに表を挿入)よりもさらに開いているのだということをご理解いただけるかと思います。

給与の引き上げが無理なら、別の魅力を

深刻な教員不足についてはこれまでも何度も指摘してきましたが、人材確保のためには給与水準の引き上げが本来「マスト」の施策です。

しかし、財政的な理由ですぐにそれが叶わないのであれば、給与面以外で異なったアピールができるように考えるべきです。一つの提案として、夏休み期間中の教員の特別休暇を現在の5日間から10日間に増やすだけでも、教職の魅力を高める有効な手立てになるのではないでしょうか。

皆様はどのようにお考えになりますか?もしご意見があれば、ぜひコメント欄でお聞かせください。

参考資料

教員の給与
地域(地域手当の割合)20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
東京23区(20%)約450万円約620万円約804万円約870万円
横浜市・川崎市(16%)約435万円約600万円約777万円約840万円
さいたま市・千葉市(15%)約430万円約595万円約770万円約835万円
神奈川県(平均約10%※)約415万円約570万円約737万円約800万円
埼玉県・千葉県(平均約8%※)約405万円約560万円約723万円約785万円
民間企業の規模別給与20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
大企業(1,000人〜)約430万円約580万円約720万円約840万円
中企業(100〜999人)約380万円約480万円約580万円約630万円
小企業(10〜99人)約340万円約420万円約490万円約510万円
プライム市場に上場している企業
年代(目安)20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
平均年収の推計(諸手当・賞与込み)約480万円 〜 520万円約650万円 〜 720万円約850万円 〜 920万円約950万円 〜 1,050万円

2026年3月11日水曜日

新採用された先生たちは今

 もうすぐ今年度の新採用の先生たちは、1年間の試用期間を終えようとしています。教員の試用期間(正式には「条件付採用期間」といいます)は、1989年に半年から1年間へと変更されました。一般の地方公務員の試用期間は現在も旧来通り半年ですから、教員の場合は「初任者への指導を手厚く行い、早く一人前の先生に育てたい」という制度上のねらいがあるのでしょう。

この1年間、新採用の先生は「初任者研修」を受けることが義務付けられており、学校内では「指導教員」が担当として付きます。指導教員は、実際に初任者の学級で模範授業をして見せたり、初任者の授業を観察して指導法の改善に向けた助言を行ったりと、日々の業務をバックアップする役割を担います。

この指導教員の配置には、主に2つのパターンがあります。1つは「専任の指導教員」が配置されるケースで、これは退職後に再任用されたベテランの先生が担うことが多いです。もう1つは「校内の教諭が兼任する」ケースです。この場合、指導教員となる先生の授業負担を減らすため、非常勤の先生が割り当てられ、指導教員のクラスの授業を代わりに受け持つことになっています。

しかし現在、深刻な教員不足により、この体制が崩れつつあります。特に、兼任方式において代わりを務めてくれる非常勤の先生が見つからない事態が起きています。

学校のシステムは本来「どの先生が教えても授業が成立し、子どもたちの学習が進む」ことを前提としていますが、この時点で、現状に合わなくなっているのは明白です。また、専任の指導教員が配置されたとしても、複数の学校を巡回するため「週に1日だけの指導」となるケースも少なくありません。以前にも書きましたが、放課後になれば会議などに追われ、初任者が腰を据えて指導を受ける時間を確保すること自体が難しいのが実情です。

報道によれば、都市部における新採用教員の1年以内の離職率は、今や約6%に達しているというデータもあります。退職の多くは「自己都合退職」として処理されるため、適性がないと判断されての事実上の不採用なのか、心身の不調等による真の自己都合なのか、数字の内訳は区別できません。そのため、この6%という数字が持つ意味を単純に断定することはできません。しかし、1年目の壁を越えられずに教壇を去る若者が増えているという重い事実については、十分考える必要があると思います。

お子さんがいる方が読まれていたら教えていただきたいのですが、

1.新採用の先生が担任でも、かまわない。

2.新採用の先生だけは、担任にならないでほしい。

3.新採用かどうかより、先生としての力量があれば、どちらでもよい。

コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

2026年3月10日火曜日

ランドセルじゃなければダメですか

 僕が教員になったころは、高学年になるとランドセルを使っている子は少なく、多くの子どもたちはデイパックなどを利用していました。

それが30年ほど前でしょうか、「6年間ランドセルを使わせたい」という流れが定着してきたように感じます。学校には不思議な文化があり、時にこうした流行が作られます。何か大きなきっかけがあったわけではなく、おそらく当時の保護者の集まりなどで「うちは卒業まで使わせることにしたの」といった発言があり、「じゃあ、うちもやってみよう」と口コミ的に広がっていったのではないでしょうか。

現在のランドセルは、本革や高品質な素材が使われているものが多く、正式な「ランドセル」として認定されるには国内製造であるといった厳しい基準もあるそうです。価格が高騰しているのには、そうした背景もあります。

学校現場にいた頃、「必ずしもランドセルじゃなくてもいいのではないか」と提案しようとしたことがありました。実際に、新1年生の説明会であえて「ランドセル」という名称を使わず、「背負ってこられるもの」という表現を試みたこともあります。 しかし、「今は早いご家庭だと、年長の春にはもう購入しているんですよ」という実情を聞き、諦めざるを得ませんでした。入学の1年も前から購入活動(ラン活)が始まっているのなら、直前の説明会で学校側がどう表現しようと、まったく意味をなさないわけです。人気のランドセルを手に入れるためには、そこまで早く動かなければならない時代になっていました。

最近では、富山県の立山町がモンベルと共同開発した通学用リュック「わんパック」が話題になり、それに追従するように布製や合皮製の軽いバッグを無償配布する自治体も増えてきているようです。

学校現場でも負担軽減の工
夫は進んでおり、以前とは違って教科書やノートを教室に置いて帰る「置き勉」が広まっています。下校時の子どものランドセルの重さを量ったことがありますが、5キロ以上もありました。子どもの体重を考えれば、明らかに重すぎます。その点からも「本当に従来のランドセルでなければいけないのか」と考えてしまいます。

もちろん、ランドセル市場は日本全国で見れば巨大な経済活動ですから、「廃止しよう」などと言い出す政治家や官僚はいないでしょう。しかし、ランドセルは決して法律で制度化されたものではありません。 両手がふさがらないリュック型の安全性を保
ちつつ、従来のランドセルに代わる軽くて自由なカバンを使っていこうというムーブメントが、今後さらに広がっていくといいなと願っています。

軍隊の背嚢(はいのう)が原型だということで、軍国主義の名残だとまで言うつもりはありません。ただ、「みんなと同じカバンでなければいけない」という同調圧力のような考え方については、これからの教育において少し見直していく時期に来ているのかもしれません。

2026年3月9日月曜日

FAXを使っているのはダメですか。確かにDXじゃないですね。

今日、ニュースで「小中学校の7割がFAXを使っている」と言っていました。 実際のところ、職員室には今もFAXがあります。利用頻度は低いですが、使っているのは事実です。その理由は大きく3つあります。

1. 教育委員会や学校給食会からの緊急連絡 給食に入っていないはずのものが入っていることが分かったとか、アレルギー対応などについての緊急の知らせが届くためです。

2. 学校には「メールを見る習慣」が意外と根付いていない 現在は欠席や体調不良の連絡がアプリで行われるようになったため、担任は必ずアプリを起動してチェックします。事務職員も、委員会や業者とやり取りをするので比較的メールを見ているかもしれません。

ところが、委員会からのメールは「誰が見るか」が必ずしも決まっておらず、誰もチェックしていないという事態が起こり得ます。学校宛てのメールは全員に届くわけではなく、校長宛てのものや、基本的には校長・副校長・事務職宛てに送られてきていました(他の職員に送るよう設定することもできましたが)。

しかも、「何時までに必ずメールをチェックする」というルールもありません。ですから、朝にメールチェックをしない校長や副校長がいてもおかしくはないわけです。そうなると、委員会側も「緊急の用件をメールで送るのはリスクがある」と考えても不思議ではありません。

3. 業者側の事情 業者によっては「FAXで」と指定されることがあります。給食を納品している会社の一部など、メールを使う習慣がない場合や、注文書に押印を求めてくる会社もあるため、どうしてもFAXが必要になります。

デジタル化を進めたい文科省としては、早くすべてをデジタル化しろと言いたいのでしょうか。 確かに、今の管理職世代は、メールチェックの重要性をそれほど感じていないのかもしれません。僕は、必ずしていましたが…。

話を聞く姿勢を作りましょうⅡ

  ■ 低学年の子どもには「話す速さ」に要注意   子どもたちに話をするときは、「話す速さ」を意識しなければなりません。特に低学年の子どもは、耳から入った音の情報を脳で処理する能力がまだ十分に発達していません。人間の聴覚の素晴らしいところは、必要な音だけを拾い上げて脳に伝えられる...