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2025年9月27日土曜日

“時間外勤務 月45時間超ゼロに” 教員の働き方改革へ指針改定なんてできないでしょ。

 表題通りのことができるわけないと思うのですが、どうでしょう。

できないということの根拠がいくつかあります。

まず、何故それだけの時間外勤務をする原因を追究していないこと。原因があるから、それだけの時間外勤務が発生してしまうわけです。それなのに、原因については、追及していないわけです。

二つ目。解決すべき方法が示されていないこと。人員増をするとか、業務内容を明確にするとか、それらのを避けていること。それでは無理があります。

三つ目。保護者との問題です。保護者は、これまでと同様のサービスを受けることを当然と思っています。それに応えようとする教員の意識。これが解決するまで、何ら解決することは難しいのではないでしょうか。

時間外勤務の原因は、足し算しかしてこなかった文科省にあるのは歴然としています。新しい政策を実施する際には、それに応じた人員を増加させるというのが当たり前のことだと思います。それをしなければ、オバーワークになるのは、当然のことです。でも、多くの場合、現場に任せればやってもらえると勝手に決めつけられてきました。そして、そのことが、多忙化を生み、教員のなり手がいなくなるという最悪のシナリオを作ってしまいました。業務内容もそうです。先生の仕事は、授業をすることです。学力を高めることが第一の仕事です。だから、OECDのピサ型の結果に一喜一憂してきたんだと思います。それなのに、給食指導だとか、清掃指導だとか、教室の整備だとか、まで教員にやらせているのが無理を生じさせていると思います。先進国の中で、こんな扱いを受けている教員は日本だけじゃないでしょうか。それは、すべて、コストカットのために行われていることなんです。

保護者との問題は、現場にも原因があります。業務時間など気にせず、いつでも対応しますという姿勢が保護者に伝わってしまっているのです。24時間営業なのかと思うような例が多々あります。これは、業務時間を明確にしてこなかった現場に問題があるはずです。

原因を追究し、その解決を図らなければ、いつまでも、時間外勤務が0になりません。0にすることが目標のはずですから。

2025年9月25日木曜日

すべてを戦力にすることができるのか

 教員不足が切実な問題になっている状況がもう何年も続いています。

これって、本当に深刻だと思うんです。小学校は、教員の配当の定数が低いですから、一人の割合が大きく全体に影響するんですよね。校長をやっているときは、ともかく、少しでも先生たちが楽になるように工夫することばかり考えていました。楽って言い方は正しくないかもしれませんせんが、楽をすることは間違えではないと思うんです。余裕があることは、大切ですし、今までの働き方や時間の使い方は、本当に無茶苦茶ですから。

余裕があることで、授業のことや子ども達のことを考えることもできますし、様子をしっかりと見る気持ちの余裕もできます。

担任としては、授業をどう進めるかを考える余裕があることは、とても大切にすべきです。事務処理だって、ちゃんと勤務時間内に収まるようにすべきなんです。だって、今の給与の在り方は、勤務時間で仕事が終わることを前提にしているんですから。給与だって、いつの間にか、OECDの中で、低い部類に入ってしまっています。僕が勤め始めたころは、日本の教員の給与って、比較的高かったような気がするのですが…。

話がそれました。教員不足で、雇用できる先生を捕まえることができない現状では、今いる先生達で、うまく回していかなければならないわけです。ところが、新採用の先生が多かったり、体調やメンタルが十分に整っている先生ばかりではないという状況があったり、産休や育休の代替さえ、見つからず、頭を抱えたりすることがたくさんあります。なかなか、配当人数とそれをもとにした戦力が一致しないということさえ起きています。もちろん、そういう時に何らかのアイディアを出すのが校長だと思うのですが…。

難しいことは百も承知で書けば、職員に少しでも負担をかけないように、無理をしないで済むように考えなければいけないと思うのです。その責任は校長が背負うべきだと思います。

校長って、考えるだけなんです。考えることだけが仕事なんです。僕は、そう思っていました。自分手では何一つ実現することができない立場です。だって、校長は先生ではないんですから。

2025年9月23日火曜日

なぜ、先生になろうと思わないかのを考えた方がいいのではないですか。

 教員採用試験を受けることすらしてもらえないというのが、現実だと思います。

もし、そうであるならば、何故先生になろうと思ってもらえないのかから考えなければならないでしょう。

大学生活の中で、人より多くの時間講義を受け、教育実習を初めとする実習に参加し、得ることができる教員免許。大変ですよね。僕は、教育系の大学だったので、それをとらなければ卒業できませんでしたから、問題はありませんでしたが。それでも、それなりの単位数をとることが必要でした。そこまでして、教員免許を取得したわけです。

でも、教員採用試験を受けてくれない。大学によって大きな差があるようですが、教育系の学部の3割程度しか教員採用試験を受けないという大学もあるようです。

何故なんでしょう。一説にはSNSの影響だと言われています。実際に学校に先生として勤務してやめた人たちのYouTubeやxなどの投稿は影響があると思います。僕は、YouTubeを何本か見ましたが、それが、全面的に正しいとは思いませんでした。SNSだけでなく、メディアの報道も悲惨な状況ばかりを伝えていますし、ドラマなどでも、いい状態を伝えているとは思えません。まあ、現在の状況からすれば、学校現場をよい職場だと、楽しい仕事だと言いにくいところがあるでしょう。

本来先生の仕事は、授業をすることです。最近になり、ようやく雑用の一部がアウトソーイングできるようになってきましたが、本当に、本来業務がおろそかにされているのだと思います。

先生がワックスのかけ方やポリッシャーの使い方を知っている必要があるのでしょうか。プールの水の管理を先生がする必要があるのでしょうか。学校に一方的に送られてくるチラシを子ども達に渡す必要があるのでしょうか。宿題の丸を付け、漢字を治す作業が必要なのでしょうか。それよりも、どうやって授業をするか考える方が大切だと思います。なぜ、先生がいろいろなことをやらなければならくなっているのか。それは、先生がやることが規定されていないからです。授業をするための人だと、分かっていれば、現状が変化していくと思います。

ぜひ、難しい議論だけでなく、一番シンプルなことを話し合ってほしいと思います。

2025年9月16日火曜日

不祥事って、組織的な責任なんですか?

 教員だけではないですよね。警察官や自衛官、医療関係などもそうでしょうが、何か不祥事が起きると、その業界関係全体が責任があるように言われるのはおかしいのではないでしょうか。あくまでも、不祥事を起こしたのは一個人です。その人物が様々なことを言われたり、非難されることは問題はないと思うのですが、関係のない職員全体に問題があると考えるのはおかしいと思います。

不祥事防止という名目で、どれだけ多くの時間を割いているのか。学校関係であれば、教育委員会が旗を振り、不祥事防止を盛んに言うわけです。しかし、不祥事の中でも、猥褻関係に関しては、確実に個人的な犯罪ですから、その個人以外がどうすることもできないわけです。もちろん、該当者が務めている学校に責任がないのかといえば、全く責任がないとは言えないかもしれません。兆候を見ることができたかもしれないし、言動についても、把握できることがあったかもしれません。また、保護者が自分の子どもが被害にあっていないか、疑心暗鬼になるでしょうし、他にもそういうことがなかったのか、聞きたくなる気持ちは理解できます。

それでも、言ってしまえば、あくまでも、個人のしたことであり、不祥事を起こした本人が責められるべきことだと思います。

それに、冤罪ということもあります。実際、不起訴になった例もありますから、教育委員会が発覚後、丁寧に調査をすることは大切だと思います。不起訴になっても、そのことはほとんど報道されません。以前、事件は大きく報道されたのに、不起訴になり、当該職員は何も問題がなかったということがありました。街頭校の校長は、そのことが報道されず、事件を起こしたとされる職員の名誉が回復されないことを怒っていました。

ともかく、学校関係者全体が責任を負っているということは、事実ではありません。もちろん、不正会計などは、学校単位で責任を負わなければならないかもしれません。ですが、すべての事件を学校関係者全体が責任を負っているという方向性は間違っていると思います。

SNSの時代ですから、ことさら、この様な形になりやすいと思います。もう一度考えることってできないのでしょうか。

2025年9月15日月曜日

どうしたらいいのか。

 いろいろ問題点があることは、間違いないと思います。では、それらの問題点に対して解決方法があるのでしょうか。

まず、話すことについてです。

話をするとき、表情、声の大きさ、声の高さ、間の撮り方、話す速さなどに気を付けることが大切ですよね。当たり前のことかもしれませんが、これが、意外と意識されていないような気がします。表情はどうでしょう。笑顔で話しているでしょうか。僕は、担任だったころ、教室に行くまでに笑顔になるように、顔を動かしたり、笑顔を作る練習をしていました。基本的な表情が笑顔であることは、とても大切です。普段が笑顔であれば、笑顔じゃないときは、何か問題があると子ども達に気付かせることができます。普段から、深刻な顔をしていたら、それが通用しないわけです。子ども達は変化に敏感です。ですから、その特性をうまく使うことが大切だと思います。

もちろん、声の大きさも大切です。これも、日ごろから、大きな声にならないように気を付けることが大切です。日ごろから、大きな声を出していると、本当に必要な時により大きな声を出すことが必要になって今います。できるだけ、日常的な声の大きさをどの程度にするか考えることが必要になります。教室の前で話して、一番後ろの席の子どもにしっかり聞こえていればいいのですから、それほど、大きな声は必要ないと思います。まあ、声の高さにもよるかもしれませんが。声の高さも、あまり高い音だと、継続的に聞いていて疲れてしまいます。声質の問題もありますが、それほど高い音にならないように気を付けることも必要です。一方低い声が聞きとりにくい面があります。その場合には、少しトーンを高めにする工夫をしましょう。

話す速さですが、これも、気を付けた方がよいでしょう。結構話す速さが早いという先生もいます。しっかり聞くことを徹底したいのですから、話す速さにも気を使わなければなりません。特に、低学年になればなるほど、速さに気を付けてください。下の方の学年の子どもは、言葉を聞き取る能力がまだ低いです。聞き取れないことがあれば、集中力も途切れます。意識的にゆっくり話すようにしてほしいと思います。

2025年9月4日木曜日

不登校の子ども

不登校が話題になりますよね。

学校に来ないというのは、学校にとってもとても困ったことになるわけです。しかし、実際にどの学校でも、不登校になる子どもがいると思います。校長として、対応しているときに多くいると感じたのは、ASDの子ども達です。どうしても、円滑な友達関係を作ることができず、それが発端で不登校になっている子がいると思います。幸い、学習に関しては、リモートで学習を進めることもできていますし、ICT機器を利用して進めることもできていました。ただ、根本的な問題である人間関係を円滑に進める方法を獲得するためには、それなりの対処法を身に着けることも必要になってきます。学校としては、療育センターとの連携を図ったり、教育委員会が進める学習施設を紹介したり、スクールカウンセラーとの面談をセッティングしたりもしてきました。しかし、多くの場合、それらが解決するための手段になっているのかというと、そうではなかったと思います。6年間、不登校支援が施設に通っている子も何人か見てきました。我慢して、教室に行くことが必ずしもよいことだとは思いません。自分の学習が進められる環境があるならば、それを選択すべきだと思います。ただ、同じ人間関係でも、困ったことに、先生との相性が悪いというパターンがあります。特に、集団生活が苦手で、うまくコントロールできない子が、集団生活の規律を乱すという理由で、先生からしつこく指導されてしまい、教室にいられなくなってしまうのです。確かに、以前は、そういう指導もあったと思います。自分自身も担任だった時には、ちゃんとみんなと同じようにやりなさいと言っていた時期もあります。もともと、学級担任制は、担任にすべてが委ねられていましたから、そういう指導をしてでも、教室の秩序を保つことが求められていたのだと思います。先生が威圧的であったり、特定の児童を非難するような指導が今でも残念ながら残ってしまっていて、そのことが不登校の原因になっていることもあります。また、細かいところまで気が付いてしまうために、注意する回数が多い先生の場合にも、不登校の児童が出る場合もあります。よく教室に行けない子どもに話を聞くと、他の子のことを大きな声で怒っているのが怖くて行けないという言っています。

無理をしても学校に行くようにという指導は、さすがに見られなくなっていると思います。しかし、ASDの傾向がある子どもにとっては、それでよいかもしれませんが、先生が自分の指導法を改善すれば修正できることも多いと思います。学校としては、考えることがいっぱいでなかなか手が回らないかもしれませんが、改善することが必要なことを改善した方がいいですよね。


2025年9月2日火曜日

外国人問題って何

 話題にはなるけれど、地域によっては、ピンとこない話でもあると思います。正直、外国人という一つのくくりでまとめることには、疑問があります。日本人の家庭にも、様々な家庭があるように、当然外国人といっても、一律にとらえることなどできません。僕は、担任として中国人、ベトナム人、フィリピン人の子どもを受け持ったことがあります。それぞれに、家庭状況が異なり、子どもに期待していることも全く異なったものでした。実際優秀だった子は、名古屋大学に進学しています。

母国で、どのような生活をしていたのか、また、どのような状況で日本に来ることになったのかなど、その子を取り巻く要因によって、異なることなので、一概に外国人だからという論調になるのは納得できません。

実際「明日1年生の娘が日本日来る」といわれたことがあります。「日本語は一言も話せない」と付け加えられました。その子は、実際に日本に来た翌日から学校に登校してきました。話せるのはポルトガル語だけ。まあ、半年もたつ日本語をすらすらとしゃべっていましたが…。

外国人に関しては、言語的なことが一番気になります。これは、帰国子女も同様ですが、いったい何語をベースにしているのかということです。イギリスに3歳ごろ行き、小学生になって日本に帰ってきた子は、言いたいことがあると、基本的には英語で話していました。感情的になった時もです。同時にイギリスに行っていた5歳上のお姉さんは、日本語で、話していました。この例からは、3歳前後の言語環境が大きく影響するのかと思わされました。同じような例は、いくつか見てきています。確かに我々は、日本語で物を考えています。新しく入る言語も加え、複雑な思考をしているわけです。しかし、ベースにある言語が、日本語でない場合、成長の上でどのような影響があるのかも、理解することが必要だと思います。

もちろん、日本で生活をしていくうえで、日本語の習得は必要になると思います。しかし、その子にとって、大切なことは何なのかを考えることも大切だと思います。また、母国語を習得することも必要です。親族とスムーズに話をできる機会を大切にした方がよいと思います。


2025年9月1日月曜日

100本目

 100本目の投稿です。

目標100本だったので、とりあえず目標達成ができました。

こんなことでもしないと、文章を書くこともないので、意味があるかどうかは分かりませんが、とりあえず思っていることを書き続けようかなと思います。読んでくれている人がいれば、嬉しいです。まあ、内容について、いろいろ考えることがあるでしょうが、今の現状に危機意識をもってもらえたら嬉しいです。

一番今心配しているのは、子ども達と先生の関係についてです。子ども達の権利が大切だという論調には反対する気はありません。子ども達が安全に、安心して過ごせる学校にすることを誰もが考えているはずです。でも、子ども達の権利が何よりも優先してしまうことも危険だと思います。先生たちの姿勢を批判する保護者もいると思います。その姿勢が子ども達にも影響し、先生を軽く見る子供も出てきています。また、自分の権利を主張し、先生の指示が徹底しないことも出てくるような気がします。

この様な事態は、学校という存在を危うくすると思います。指導することで改善できることが、だんだんできなくなってくることだって考えられるのではないでしょうか。今、様々なことが起き、先生達を委縮させるようなことがあると思います。もっと、先生たちが自信をもって取り組むことができるようにすることが大切だと思います。

学校って楽しい場所だと思うのです。先生にとっても、子どもにとっても。ただし、楽しい状況を作るためには、一定のルールも必要ですし、先生の威厳も必要だと思います。楽しい授業をすることができればすべて解決するというのも、今では幻想に過ぎない気がします。それに、楽しい授業をするための労力や技能がすべての先生にあるわけではありません。言ってしまえば、それができる先生の方法が少数なのではないでしょうか。

100本書きましたが、もう少し、細かいことも書きたいなと思います。


働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...