2026年6月4日木曜日

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化


私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より早く帰ることもありました。

教頭の職務内容は自治体や学校によって様々ですが、ここでは私が実際に経験したことをベースに、その一日の流れを振り返ってみます。

当時は朝7時30分前に出勤し、まずは校舎内を巡回して必要な場所の鍵を開けて回りました。学校によっては、校舎の周囲を見回る教頭先生もいると思います。 その後、7時45分ごろからは校長、教頭、教務主任による「朝の打ち合わせ」を行っていました(もちろん、これは勤務時間外の割り振りのない時間です)。ここでは一日のスケジュール確認や、課題の協議を行います。 打ち合わせが終わると、登校してくる子どもたちに挨拶をするために校門に立つか、あるいは電話対応に追われました。現在では、職員室に補助職員が配置されて電話対応を代行してくれたり、欠席連絡の手続きがアプリ化されたりしている学校が多いのではないでしょうか。これにより、朝の電話対応に割かれる時間は大幅に減っているはずです。

また、職員の出勤状況の確認も教頭の重要な仕事です。もし急な欠勤や病休の先生がいれば、その日の補欠授業の手配など、対応策を練るのも教頭の役割となる学校が多いでしょう。

ところで、校長には校長室があり、担任や専科の先生方にはそれぞれの教室があります。しかし、教頭だけは個室がありません。「職員室こそが教頭の教室だ」と言われたこともありますが、様々な書類を扱う特性上、事務スペースはある程度広く確保されるべきだと感じています。

午前中は、突発的なトラブルがなければ基本的に事務ワークに没頭します。教育委員会から届く大量のメールをチェックし、回答が必要なものや提出書類の作成をこなしていきます。午後になり、授業を終えた先生方が職員室に戻ってくると、様々な相談や対応案件が持ち込まれます。そのため、「書類仕事はできるだけ午前中に終わらせておきたい」というのが教頭の本音です。 しかし、いざトラブルが発生すればその対応に追われ、保護者や地域の方々からの相談窓口にもなります。「誰の仕事か分からない業務」は、結果的に「学校の便利屋」である教頭に集約されがちなのが現状です。

ここまで多忙な側面を書いてきましたが、私自身は教頭職の時代に「嫌だな」と思ったことはあまりありませんでした。ある意味では、組織の方針(校長の指示)に沿って実務を実直にこなしていけばよいという側面もあったからです。最終的な責任を負って大きな決断を下す場面は校長より少ないため、その点では心理的に気楽な部分もありました。実際、その後に校長を務めていたときの方が、精神的なプレッシャーや辛さは圧倒的に多かった記憶があります。

昨今、教育DXが進む中で、教頭職の業務イメージも変わりつつあります。自治体によって教頭と事務職員の業務分担(テリトリー)は異なりますが、ICTの活用によって業務自体は以前より効率化され、楽になってきているのではないでしょうか。さらにこれからは、生成AIの活用によって、事務負担はより一層軽減されていくはずです。

巷ではよく「教頭職には就きたくない(管理職忌避)」という声を耳にします。しかし、私は教頭職を決して「辛くて大変すぎる業務」だとは思いません。「校長より遅く帰らなければならない」というのもおかしな話です。今の時代、民間企業でも「課長が残っているから係長が帰れない」という職場は少なくなっているでしょう。

教頭自身が「自分の働き方」への意識を変えることはもちろん、それ以上に、校長の意識改革も強く求められているのではないでしょうか。

2026年6月2日火曜日

保健室登校 保健の先生



ドラマの中で「保健室登校」の場面が描かれていました。実際、保健室登校をする子どもは存在し、多い学校では複数の児童生徒が保健室に集まっているのが実態です。

彼らは「教室には行けないけれど、学校に自分の居場所があれば登校できる」という状況にあります。つまり、保健室が校内で唯一の安心できる居場所になっているのです。学校の状況によっては、空き教室を活用して「特別支援教室(あるいは適応指導教室など)」「校内適応指導教室」「校内フリースペース」「別室」を設け、教室に入りづらい子どもたちを集めている場合もあります。しかし、そうした特別な教室があっても、あえて保健室を選ぶ子どもたちがいるのが現状です。

本来、保健室の第一の役割は身体的な不調への対応です。そのため、かつては自治体によって、看護師免許を持つ人を養護教諭として積極的に採用していた時期もありました。しかし、養護教諭は「教諭」という名称の通り、あくまで教育職員(先生)であり、医療従事者(看護師)ではありません。医療行為ができるわけではなく、その本質的な役割は、子どもたちの心身の健康な発達を促す「健康教育」の実践や、健康維持のための教育活動にあります。また、多くの養護教諭は全校生徒と関わるため、驚くほど多くの子どもたちの名前や特性を把握しています。

子どもたちにとって「保健の先生」は、心身のつらさを感じたときにいつでも助けてくれる存在です。学校経営の視点からも欠かせない存在であり、経験豊富な養護教諭は、校長にとっても大きな安心感をもたらします。この子どもたちや学校全体に与える「安心感」こそが、保健室登校という選択肢を生む背景にあると考えられます。

一方で、保健室登校には学習面での課題があります。養護教諭は教科指導を行うことができません。もちろん、子どもが教室から持参した課題を保健室で自習する様子を見守ることはありますが、教室と同様に新しい単元の学習を進めるのは困難です。さらに、養護教諭は教頭や事務職に匹敵するほどの膨大な事務書類を抱えています。特に年度初めの2ヶ月間は一斉健康診断の対応に追われるため、保健室登校の子どもだけに注力できないという現実的な問題もあります。


保健室登校の子どもが多い学校では、かつて非常勤の養護教諭が追加配置されることもありました。正規の養護教諭が本来業務を進め、非常勤の養護教諭が保健室登校の対応に当たるためです。それほど対応を必要とする子どもが多いという証左でもあります。加えて、現代の学校現場では、熱中症対策、胃腸炎などによる嘔吐処理、食物アレルギーへの緊急対応など、養護教諭の守備範囲は広がる一方です。そのような多忙を極める状況下でも、先生方は子どもたちに優しく笑顔で接し、子どもたちもまた、それを頼りにしています。

なお、日本の「養護教諭」は独自の職種です。海外の「スクールナース(学校看護師)」とは役割や位置づけが大きく異なります。

今日もきっと、全国の保健室で、ちょっとした愚痴をこぼしたり、友達との関係を相談したりしながら、先生の存在に救われている子どもたちがいるはずです。


2026年5月31日日曜日

不登校について考えてみませんか。

 学校教育において、深刻な課題の一つとなっているのが不登校です。子どもたちが学校に登校できなくなる理由は一様ではありませんが、なかでもよく耳にするのが「先生が怖い」という理由です。

これは必ずしも、担任の先生から直接、乱暴な言葉や強い口調で怒られたという意味ではありません。先生が「他の子を怒っている姿」を見て怖くなり、教室にいられなくなってしまうケースがあるのです。しかも、その怒り方が体罰を伴うような過激なものではなくても、ただ「声が大きかった」というだけで恐怖を感じてしまうという話を何度も耳にしました。近年では、他人の感情を敏感に察知してしまうHSC(ひといちばい繊細な子ども)や、教室の騒音に耐えられない聴覚過敏の特性を持つ子の存在も知られるようになりましたつまり、直接的な叱責や人間関係のトラブルだけが不登校の理由ではないのです。

もちろん、友人関係の不和や、特定の先生への苦手意識が原因になることも多々あります。しかし、そうした従来想定されてきた理由が見当たらなくても、不登校になる子が増えているように感じます。他にも「授業がつまらない」「教室内の騒音がうるさくて耐えられない」と訴える子もいます。このように、これまでとは異なる理由による不登校が、近年増加しているのかもしれません。

子どもたちが変化している一方で、教員側が「今まで通りの指導でよい」と思い込んでいる側面はないでしょうか。教員側が指導法や子どもへの接し方をアップデートしていかなければ、不登校の増加を抑えることは難しいでしょう。

一方で、不登校の増加には、リモート授業の普及も影響していると考えられます。教室にいなくても学習に参加できる体制が整ったことは非常に重要です。また、学校や保護者が無理に登校を勧めなくなったことも、結果として不登校の「人数(統計上の数字)」を押し上げる要因になっています。子どもたちが安心して学べるのであれば、必ずしも学校という場所に縛られる必要はないはずです。

「子どもたちが繊細になりすぎている」「社会的な場である学校に適応する力が必要だ」という意見もあるでしょう。もちろん、いじめなどの加害・被害関係によって不登校になる事態はあってはなりません。しかし、安心・リラックスして学習できない子どもたちにとって、不登校を選択することは一つの「自己防衛の手段(対抗手段)」であるとも捉えられます。

多様な学習形態を選択できる時代だからこそ、子どもたちが健やかに成長できるよう、私たちはどのような支援をすべきなのか、今一度多角的に考えていく必要があります。

2026年5月30日土曜日

生成AIを活用できるようにした授業にしたいですよね。

デジタル教科書の是非論がありますが、デジタル教科書を導入することが、学校の在り方や授業の展開方法を変える大きなきっかけになることは間違いありません。特に、授業の形態は大きく変化していくでしょう。

調べる活動を行うには、その根拠となる情報を手に入れなければなりません。従来であれば、教科書や資料集に書かれている記述から根拠を見出していました。また、自分の考えを修正したり補足したりするうえで、友達の意見が大きな役割を果たしてきました。その中で教師は、基本的に子どもたちの意見をまとめる、いわゆるファシリテーターだったと言えます。もちろん、デジタル教科書が普及しても、教師のファシリテーターとしての役割は大きく変わらないでしょう。

しかし、子どもたちの側は、より主体的に学習に取り組む必要があります。今後、生成AIを活用していくことになれば、子どもたちと生成AIとの間に「対話」が生まれます。子どもたちは、生成AIと様々な角度から考えをぶつけ合うことができるようになるのです。そして、生成AIが提示してきた内容に対して、その「根拠」を明示するよう求めることも可能です。思考するうえで、対話する相手がいること、そして根拠を明確にしながら思考を進められることは、子どもたちにとって非常に楽しい経験となるはずです。

また、これまでは自分一人では難しかった「まとめ(推敲・校正)」の段階でも、生成AIはその得意分野としてきっちりサポートしてくれます。教師にとっても、校正という作業段階を生成AIに委ねることで、子どもたちの「思考のプロセス(経過)」をじっくり見守ることができるようになり、授業を行ううえで大きなプラスになります。さらに、子どもたちは生成AIが作成したプレゼンテーション資料をすぐに活用し、発表に移ることができます。資料はクラス全体で共有されているため、自分の考えと他者の考えを容易に対比することも可能です。

結論として、どの教科であっても、これからは「考えること」が中心の学習になっていくと考えます。ただし、これを成立させるためには、いくつかの条件が整わなければなりません。

まず、「文章を読むこと」についてです。低学年の段階から、しっかりと文章を読む習慣を身に付ける必要があります。言語に関するリテラシーが低ければ、どの学年であっても学習は成立しないでしょう。デジタル教科書や生成AIをどのように駆使しようとも、学習の基盤が「文章の読み書き」であることに変わりはありません。確かに、紙とペンで文章を書くことと、キーボードや音声入力で文章を作成することは異なります。現状のデジタルツールによる表現は、かなり音声言語(話し言葉)に近いものが多くなっていると感じるからです。だからこそ、まずは基本となる「文章の読み書き」の力が不可欠なのです。

同時に、資料の整理の仕方も生成AI任せにするのではなく、自分でカテゴリーを設定し、情報を分類・整理する力を育むことが大事です。そして、ただ答えを聞くのではなく、「〇〇の視点から見るとどう違いますか?」「この根拠となるデータを教えてください」といった、AIを動かすための質の高い問い(プロンプト)をデザイン
する力
が、新たな資質・能力として必要になります。

そして「修正(推敲)」の力です。文章の構成としての修正は生成AI任せでもよいかもしれません。しかし、AIとの対話や他者の意見を聞く中で、新しく気づいたことや、それらを踏まえて「自分の考えを柔軟に変更・更新していくこと」こそが、これからの子どもたちに必須の資質能力であると考えます。


2026年5月26日火曜日

チーム学年担任制でいいですか。

「チーム」という言葉が頻繁に使われ始めて、5、6年が経つと思います。相も変わらず、「予算はないけれど、アイデアは出したから現場で頑張ってね」という国の姿勢は変わっていないように感じられます。

簡単に言ってしまえば、これまで担任1人の力で保ってきた学級経営が、いよいよ保てなくなったということでしょう。東京都が公表している数値では、初任の先生が1年間で約5%(実数では200人以上)も退職しているそうです。これは教員採用試験の倍率が低下している現状を考えても、極めて深刻な数字です。

今の時代、初任者がいきなり単独で担任を持つこと自体、構造的に難しくなっているのだと思います。その大きな要因の一つが「デジタルデバイス」の存在です。

タブレットなどの端末を子どもたちに適切に使わせるためには、使用ルールの徹底が不可欠です。そうでなければ、学習のツールから一瞬でおもちゃへと変貌してしまうからです。今の世代の子どもたちはデジタルデバイスの扱いに慣れています。家庭でも触れる機会が多いですが、そのほとんどは学習のためではなく「お楽しみ(娯楽)」のためです。

慣れ親しんだ「おもちゃ」を学校で与えられ、「授業中に使っていい」と言われれば、最初のお約束を忘れて夢中になってしまう子が出てくるのは当然です。指導者側は、この子どもの心理をしっかりと理解した上で、これはおもちゃではなく「学習のためのツール」なのだという認識を、子どもたちの中に浸透させなければなりません。

これは「先生がその場で注意すればいい」というレベルの話ではありません。そんな簡単なことで約束が守れるなら、最初から問題にはならないのです。繰り返し、繰り返し指導し、子どもたちが心から納得した上で活用できるよう、粘り強く文化を作っていく必要があります。正直なところ、経験の浅い初任の先生に、最初からこれほどの指導技術を求めるのは酷だと言わざるを得ません。今まで以上に、教員に求められる指導技術のハードルが上がっている局面に来ていると感じます。

こうした背景もあってか、中学校から始まったとされる「チーム担任制(学年担任制)」が小学校でも導入され始めています。しかし、これが本当に小学校で機能するのでしょうか。

小学校のシステムは、基本的に「1学級に1人の担任」を前提に作られてきました。先生と子どもたちが密に関わり、時間をかけて一つの学級(集団)を作り上げていくことに価値が置かれてきたのです。

もし1週間ごとに担任が変わるシステムになったらどうなるでしょうか。 金曜日にトラブルが起こったとして、月曜日にはその経緯を深く知らない別の先生が担任になる。あるいは、友達関係で悩んでいる子が「本当に話を聞いてほしい先生」が担任として回ってくるのは1か月後……そんな事態が起きないと言い切れるでしょうか。

保護者は一体、どの先生に連絡や相談をすればよいのでしょうか。特定の人気のある先生に相談が集中してしまうことはないでしょうか。また、「学年全員が担任」という建前の中で、誰が最終的な責任を持って学年をまとめ、運営していくのでしょうか。

疑問は尽きません。このシステムは、一歩間違えれば「責任の所在を曖昧にする」だけになってしまうのではないか。そう危惧せざるを得ません。

みなさんは、この「チーム学年(チーム担任制)」というシステムについて、どのようにお考えになりますか。ぜひご意見をお聞かせください。

2026年5月24日日曜日

教員っていい仕事の面もあるって、思いませんか。


教員は、本当にいい仕事だと思います。決して、今世間で言われるほど敬遠されるばかりの仕事ではないと感じています。

この仕事の性質上、数字で何かを評価されることはほとんどありません。確かに、全国学力・学習状況調査の結果などは数字で出ますが、前年度の時点で学級編成がなされている(=前任者の影響や子どもの実態が多様である)関係上、その数字だけで担任の技量が測れるわけではなく、数字自体が大きな意味を持つことはありません。そのため、学級担任の間で過度に数字を競い合うようなこともあまりないと言えます。

また、「自由度が高いこと」も、仕事としては非常に面白いところです。授業の進め方や学級での活動について、最初から強い制約があるわけではありません。自分で考え、有効だと思う方法で学習を進めることができます。子どもたちの人間関係をよくするためにどんな工夫をすればよいかも、担任の裁量で考え、実行することができます。

もちろん、自由度が高いということは、裏を返せば「正解がない」ということであり、何でも担任一人で抱え込んでしまいがちになる大変さもあります。しかし、だからこそ自分の工夫がピタッとハマり、子どもたちに届いたときの喜びは、何物にも代えがたいものがあります。

教室内のレイアウトや掲示物も、工夫のしどころです。「どんな掲示をすればよいか」「どんな効果を期待しているのか」、それらもすべて自分で考え、自由に教室という空間をデザインすることができます。

こうした工夫は、必ずしもすぐに効果が表れるわけではありません。しかし、数か月が経ったとき、子どもたちの姿に変容が見え、確かな効果を実感できる瞬間があります。

また、担任は教室の中では一人ですが、決して孤立した仕事ではありません。「どうすればクラスがよくなるか」「この授業をどう組み立てるか」を、学年主任や同僚の先生たちと相談し合い、チームとして知恵を出し合える一体感も、この仕事の大きな魅力です。

自由度が高いということは、工夫の仕方がいくらでもあるということです。私は学校以外の職場で働いた経験がないため、他業界との比較は難しい部分もありますが、それでも「先生」という仕事は、自分が考えたことを形にし、同僚と支え合いながら、子どもたちと一緒に学級を作り上げていくことができる、極めてクリエイティブで楽しい仕事であることは間違いありません。

マイナス面を見れば、確かにSNSなどで言われている「ブラック部活」や「長時間の時間外労働」といった指摘も、決して的外れではありません。「やりがい」という言葉を隠れ蓑にして、無理をするのが当たり前になっている現状は、明確に間違っていると思います。

だからこそ、マイナス面だけでなく、この仕事が持つ本来の「よい面」にも同じように光を当てることが大切なのだと思います。

教員という仕事には、まだまだたくさんの魅力があるはずです。この記事を読んでくださった皆さんが思いつく「先生のよい面」があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

2026年5月23日土曜日

教員免許の在り方について考えてみた。

教員免許のあり方について様々な議論がなされているが、まず「教員という職業そのものの魅力」が向上しなければ、どのような制度改革も生きてこないのではないだろうか。

現在、教員免許には専修・一種・二種の3種類が存在する。しかし、採用時点でそれぞれの免許にどのような優位性があるのか、あるいは差がないのかすら判然としない。現場でも「専修免許を持っていたから、こんなメリットがあった」という話を聞いたことがない。二種免許では管理職になれないという事実は知られているが、免許の違いによる実質的な差として認識されているのはこの点くらいではないだろうか。実態として、採用試験の段階で免許による差が付くという印象はなく、事実、新規採用された教員が二種免許を保持しているケースもあった。

一般的な資格制度であれば、取得した区分によって採用時や給与面で明確な差(処遇の違い)が設けられているはずである。採用にも昇進にも直結しないのであれば、国が目指す「教員免許の修士レベルへの移行」など進むはずがない。現在、医学部や歯学部、薬学部などはライセンス(受験資格)そのものが大学の修業年限(6年制)と結びついている。理系分野全般において大学院進学率が高いのも、それが単なる自己研鑽ではなく、就職や研究職に就くための実質的な条件として機能しているからだ。一方で教員免許の場合、大学院を出ても相応のメリットが乏しい。教員採用試験の倍率が低下し続けている現在の状況では、志望者が「あえて大学院を出てから教員になろう」という発想に至らないのは当然である。


また、現在の「開放制(オープンライセンス制)」をとる教員免許だが、これも他の専門資格と同様に、統一された「国家試験」を実施し、合格者にライセンスを発行する形へ移行すべきではないだろうか。採用試験の倍率が下がれば、当然ながら教員の質を担保することは難しくなる。であれば、免許自体を厳格な国家資格とすることで、最低限の質の高さをスクリーニングできる。この土台があれば、将来的に「修士課程修了後に国家試験を受ける」という形への移行もスムーズになるはずだ。

いずれにせよ、冒頭に述べた通り、教員採用試験の志望者数そのものが増えない限り、どのような政策も「絵に描いた餅」に過ぎない。

どうなんでしょう。教員免許について、皆さんは、どのようにお考えでしょう。ぜひ、ご意見をお聞かせください。

2026年5月22日金曜日

子ども達が落ち着かなくなってしまう原因は

子どもたちが落ち着かない、先生の話を聞くことができない、立て歩いてしまう子どもがいる――。新学期が始まってしばらく経つと、このような様々な現象が見られるようになっているかもしれません。

話を聞くことができる子を育てることが大切だと、以前書きました。話を聞くことが、まず一番のベースだと思います。授業が抜群に上手な先生でなくても、話を聞くことができるように子どもたちを育てることはできると思います。

もし、落ち着きがない子どもたちがいるクラスがあれば、ぜひ、客観的に観察してみてください。「先生の話は分かりやすいか」「聞かせるためにどのような工夫をしているか」――もし改善できることがあれば、早期に改善すべきです。

教室内の環境(視覚的・聴覚的な刺激)に問題がないかも、重要なチェックポイントです。落ち着きがない子どもがいると、その動きに影響されて周囲の子も落ち着かなくなっていくという、連鎖的な増加が起こることがあります。その場合、きっかけ(起点)となる子が必ずいます。その子がなぜ落ち着かないのか、原因を丁寧に見極めることも有効です。

学級が落ち着かないのには、必ず理由があります。子どもたちは、基本的によい子でいたいと思っていますし、自分のクラスがよいクラスであったほうがよいことも理解しています。落ち着かず、学習も進まないような状態を望む子はいないはずです。原因は必ずどこかにあります。

原因は子どもでしょうか。それとも、先生でしょうか。子ども自身に根本的な原因があるケースは決して多くありません。 例えば、発達障害などで自己制御が難しい場合です。その子の動きが刺激となって全体に影響を与えたり、逆に、周囲のちょっとした刺激に極端に反応してじっとしていられなくなったりする子が、新たな起点になることがあります。

いずれの場合も、学校や家庭だけで対応することは難しいでしょう。専門的なアプローチや療育が必要になるケースだと言えます。保護者と密に協力することはもちろん、児童精神科医、ソーシャルワーカー、そして公認心理師などの専門家の力を借りることが不可欠です。

一方で、子ども以上に原因になり得るのは、指導側の工夫不足です。**何度も書いていますが、「話を聞かせることができているか」「そのための適切な工夫をしているか」が大きな課題になります。

一度うまくいかなくなると、その状態を挽回するのはとても大変です。ですが、諦めることなく、全員が話を聞くことができる状態を作らなければなりません。そのための丁寧なアプローチが必要です。

子どもたちは、落ち着いて学習できる環境を望んでいます。決して、荒れた状態やいい加減な環境を好んでいるわけではありません。子どもの「学びたい」という思いに寄り添うことこそが、学級改善の大きなチャンスになるはずです。

2026年5月21日木曜日

この時代、メディアとのかかわり方が難しい。

 

多様なメディアの時代になりました。それって、みんな感じていることだと思います。テレビを見るか、見ないか。テレビって見ないという話をよく聞きます。特に、リアルタイムでテレビを見る人って、どれだけいるのでしょう。特に若い世代は、リアルタイムでテレビを見ないんでしょうね。

情報の収集の仕方が大きく変化しているんですね。新聞から情報を獲得することを大切にしているNIE(エヌ・アイ・イー/Newspaper in Educatio)。様々な紙面から情報を選択し、それをもとに学習の展開を考えています。新聞ですから、画像と活字から、どう情報を獲得し、そこから、どのように対話を進めていくかなど、研究をしています。テレビでは、学校放送番組(NHK for School)が学習の中で活用されています。今は、オンデマンドで利用することができているので、番組を活用しなくても、資料として活用することも多くなっているんでしょうね。

新聞やテレビを一切見ないという子供も年々増えていっていると思います。自分の興味や関心に沿って情報を獲得する力はとても高くなっています。逆に言えば、関心がないこと、興味が持てないことについては、一切情報が入ってくることはなくなっています。新聞は、政治や経済、文化やスポーツ、地域情報と、自分が見たいと思っていない内容でも、1日分の情報として提供されてきていました。ですから、どんな記事でも、見出しが目に入ることも多かったのですが、新聞を読まなくなっているこの時代には、どんな記事があるのかということも目に入らなくなっているわけです。これは、テレビでも同じでしょう。ニュースなどに目を向けることがない子ども達も増えていると思います。

メジャーな新聞やテレビという媒体に触れることなく、自分が必要としている情報だけをSNSやYouTubeで選択していく。そうすると、ブラウザーのアルゴリズムはそのユーザが必要としている情報のみを選び出すようになっています。パーソナライズされていくのでしょう。フィルターバブル(泡の中に閉じ込められる環境)」「エコーチェンバー(似た意見だけが反響する部屋)」と呼ばれる現象です。そうなるとより狭い範囲の出来事を情報として獲得し、様々な情報に触れることが無くなってくるのだと言えます。

学校で、情報活用能力を高めることが必要だと言われています。確かに、偏った情報に左右されることも多くなるでしょう。だから、様々な情報に触れることた大切だと思います。本当に必要なのは「偏った情報に流されない態度」「あえて自分の興味の外にある良質な情報(新聞や信頼できるメディア)を取りに行く意志」です。

2026年5月19日火曜日

特別支援学級の在り方

 

日本の学校の特別支援学級の大きな特徴は、児童生徒の「学籍」そのものが一般学級ではなく、特別支援学級にあるということです。

諸外国の多くでは、どの子どもも原則として学籍は一般学級にあり、日常的にも一般学級で学習をしています。日本のように、特別支援学級をベースにして子どもの育成を図るというケースは稀のようです。もちろん、どの国にもそれぞれサポートシステムは存在します。しかし日本の場合は、特別支援学級から一般学級に出向いて「交流及び共同学習」を行う際、基本的にはそこに専門のサポートがつきません。もともと特別支援学級で一日を過ごすことが前提の仕組みになっているため、子どもは特別支援学級の担任と一緒に学習を進めるのが基本だからです。

特別支援学級には、法律上7つの種別(自閉症・情緒障害、知的障害、肢体不自由、病弱、弱視、難聴、言語障害)が定められており、学校現場では対象となる子どもの特性に合わせて学級が設置されます。 例えば、知的障害学級には知的な発達が緩やかな子が在籍しており、学年別の指導というよりは、個々の成長度合いに合わせた個別最適な学習を進めていくことが多くなります。一方、自閉症・情緒障害学級には、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動症)などと診断された子が偏在しています。学力自体には問題がなくても、集団生活やコミュニケーションに課題がある場合、この学級で在籍・学習することになります。また、弱視学級などは対象となる児童生徒が地域にいる場合に設置され、視覚を補助する器具などの環境整備や、安全確保への配慮が不可欠となります。

特別支援学級の標準定数は、法令で「8名」と定められています。学年にかかわらず、障害の種別ごとにカウントされるため、例えば同じ種別の子どもが16名いれば、8名ずつで2クラスという計算になります。

現在、日本の特別支援教育における大きな課題となっているのが、「一般学級で過ごす時間」のあり方です。インクルーシブ教育が主流となっている現代において、一般学級での活動を増やすこと自体は望ましい方向性だと言えます。しかし、そこには構造的な問題があります。 一般学級へ交流に行く際、多くは「子ども単独」で向かうことになる点です。もし特別支援学級の担任がその子に付き添って一般学級へ行ってしまえば、特別支援学級に残された他の子どもたちの指導体制が崩れてしまいます。かといって、子どもだけで一般学級へ行かせれば、本来何らかの専門的サポートが必要だからこそ特別支援学級籍になっているにもかかわらず、何の支援もないまま一般学級の集団に置かれることになります。これは現場の大きな矛盾です。

国連からは、日本の分離された特別支援教育について「差別的である」との是正勧告を受けています。文部科学省はこれに対し、インクルーシブ教育の推進や交流学習の充実を掲げていますが、現場の体制が追いついていないのが現状です。ここでもやはり、教員定数や人件費というコストの問題が横たわっているように感じられます。 教育を効率性や「コスパ」だけで測ってよいのでしょうか。みなさんは、この現状をどう考えますか。








2026年5月17日日曜日

学習指導案って大切ですか?

学習指導案は、すべての教員がゼロから書けなければならないものなのでしょうか。確かに、新しい指導法や、子どもがより学習しやすい方法を考えることは大切です。また、学習指導の予定や記録としても、指導案には意義があるでしょう。しかし、すべての教員が常に学習指導案を自ら作成する必要があるかといえば、疑問を感じます。

第一の理由は、物理的な時間の制約です。1時間の授業についてじっくり考察することは有意義ですが、すべての授業の指導案を書くことは不可能です。また、学級担任制が基本の現状では、同じ授業を繰り返す機会はほとんどありません。教科担任制であれば複数クラスで実践できるため意義があるかもしれませんが、日常の授業とかけ離れた「特別な準備」を要する指導案の作成は、あまり現実的とは言えません。

第二の理由は、どの学校・どの学級でも通用する「普遍的な授業」は存在しないということです。学校や学級によって児童の学力や特性に差があるのは当然です。いくら素晴らしい授業プランであっても、目の前の児童の実態に合っていなければ授業として成立しません。同一の指導案で、どこでも同じ反応が得られるわけではないのです。

第三の理由は、多様な方法で学習指導案を入手できる環境が整っていることです。現在では、生成AIを活用すれば数分で指導案のベースが作成できます。AIを使わずとも、インターネットで検索すれば全国の教員が作成した優れた指導案を容易に閲覧できます。単元に入る前に自分のイメージに近い指導案を見つけ、それをベースに自学級向けにアレンジするだけでも、十分に有効な教材研究になるはずです。

もし教材研究にたっぷり時間を割けるのであれば、白紙の状態から指導案を練り上げるのもよいでしょう。しかし、多忙を極める現状では、それは非現実的です。

一から学習指導案を作成することに労力を費やすよりも、自分の考えに近い既存の指導案を活用し、実際の授業実践に注力することのほうが意義があるのではないでしょうか。どのようにすれば子どもたちを引きつけられるか、どのように新しい疑問を持たせることができるかなど、目の前の子どもたちに向けたアプローチを工夫することこそが、現実的な授業改善につながります。これまでの授業研究は「まず指導案ありき」でしたが、これからは指導案の形式に縛られることなく、授業を実践する「パフォーマンス力」を高めることが求められていると考えます。

2026年5月16日土曜日

体を鍛えた方がよいですか。

先生という仕事ですが、結構体力勝負なところがありますよね。そうでもないでしょうか。

担任の頃、万歩計をつけて授業中の歩数を測ったことがあります。僕の場合は6,000歩くらいでした。文科省が出している数値では8,000歩以上らしいので、あまり動きの良い先生ではなかったということになります。反省ですね。

先生という職業は、歩くことに関してはゆっくりとした移動が多いので、それほど激しい運動量があるわけではありません。ただ、基本的には「立ち仕事」だと言えると思います。 45分の授業のうち30分立っているとすると、4時間授業をすれば丸々2時間立っている計算になります。ただ立っているだけでなく、しゃがんだり、子どもの視線まで腰を下げて話をしたりする場面もあります。同時に、子どもたちの活動全体を見渡したり、板書をしたりと、肉体的にはそれなりに負荷がかかる仕事です。実際、腰痛になったりすると本当に大変なことになります。

また、5月ごろになると、声が出なくなる若手の先生を見かけることがあります。原因は声の出しすぎです。必要以上に大きな声を出すのはよくないのですが、若手の頃は体力勝負ができてしまう分、どうしても体に過度な負荷をかけてしまいがちです。教員の仕事は精神的な負荷が問題になることが多いですが、肉体的な負荷も確実にかかっています。

さらに、先生といえば「日焼け」です。体育や野外活動などの際にはどうしても日焼けします。正直なところ、男性は女性ほど日焼け対策をとっていない人が多いので、かなり焼けてしまう傾向にあります。水泳の授業が始まると、なおさらひどいかもしれません。10年くらい前からラッシュガードが普及してきたのでだいぶ良くはなりましたが、それでも焼ける部分は出てきます。 最近では、目からの紫外線が体に悪影響を与えると言われているため、体育を続けて行う場合などにサングラスを着用するケースも見られるようになってきました。

「先生=頭脳労働」というイメージがあるかもしれませんが、実際は結構体力勝負なところもあります。日頃からストレッチや軽い運動をする習慣を持つことが、意外と大事だと思います。


2026年5月14日木曜日

直接意見を聞くことも、大切だと思います。

 5月の連休が終わると、5月や6月に運動会を予定している学校は、いよいよ練習を始めますね。

運動会を実施することの意義については意見が分かれるところだと思いますが、正直なところ、やめることが難しい学校行事であることは確かです。 何年か前に、運動会に関するアンケートをとりました。その時、「従来の運動会をやめて、陸上記録会やダンス発表会のように、体育学習の一環にしたらどうだろうか」という提案を入れてみたのですが、圧倒的に「現在の形の運動会がよい」という反応でした。 これには、ちょっと驚きました。そんなに保守的な考えの保護者が多い地域ではなかったので、「運動会はいらない」という意見が多くなるのではないかと期待していたのですが、そうはなりませんでした。

たしかに、「自分たちが経験したことを子ども達にも経験してほしい」と願う傾向が強いのだと思います。これは、運動会だけでなく修学旅行などにも言えることかもしれません。

それでも、運動会を午前中開催にすることで、だいぶ先生たちの負担を軽減することができるようになりました。ただ、ここ数年のアンケートの回答などを見ると、一番午前中開催を望んでいたのは、実はお弁当を作る保護者だったということが分かります。 そうですよね。雨が降って延期になれば、用意していた材料だけが残ってしまいます。それに、当日の朝の時間が非常にタイトになり、忙しい思いをする人が出てくるのですから。「お弁当作りが無くなることが何よりよかった」という声があがるのも頷けます。

しかし、コロナ禍以前は、そうした声を拾い上げることができませんでしたし、学校側は「午前中開催の方が求められている」などと考えたこともなかったわけです。だ
からこそ、盛りだくさんのプログラムを組み、午後3時ぐらいまで運動会をやっていたのですね。

保護者の考えと学校の考え。それらをすり合わせることは意外と難しいものです。「保護者はこう考えているのだろう」という学校側の思い込みもあるのかもしれません。 今はICTの活用などで様々な意見を集めることも簡単にできる時代です。思い込みで進めるのではなく、保護者に直接意見を求めてみることは、大いにやってみる価値があると思います。

今年は、昨年よりも一段と暑さが厳しくなりそうです。運動会の練習で子ども達の体調が崩れないように配慮することも、これからの学校の重要な役割の一つになるんでしょうね。お疲れ様です。

2026年5月10日日曜日

デジタル教科書の賛否。紙の教科書の方がよいですか?

デジタル教科書を、紙の教科書と同等に扱うことになったようですね。ノートと鉛筆を使うのか、タブレット端末(以下、タブレット)を使うのか。いろいろと意見が分かれる部分だと思います。しかし、実証されていないことですから、意見が分かれるのも無理はありません。少なくとも、小学校時代にタブレットを使って学習をした経験を持つ大人は一人もいないのですから。

タブレット学習を早くから牽引していたのは、ベネッセやジャストシステムでしょう。この2社の展開により、タブレットを活用した学習が進んだと言えます。ただ、この2社が提供していたのは「学習専用のタブレット」であり、現在学校で配備されている「汎用性のあるタブレット」ではありません。以前、ジャストシステムの方から「試験的にアメリカで導入した際、保護者からは汎用端末ではなく、学習にしか使えない専用システムがとても好評だった」というお話を伺ったことがあります。

最近、スウェーデンで教科書を紙に戻すことについて取り上げている記事を読みました。スウェーデンだけでなく、オランダやデンマークでも同様の方向性が示されているようです。

いったい何が問題なのでしょうか。デジタル教科書そのものが問題なのでしょうか。私はそうではないと思います。タブレットを「どう使わせるか」という指導のあり方が問題なのです。

現場でよく耳にするのは、先生の指示とは関係なく、好きな時間に好きなようにタブレットを触ってしまう子どもの話です。みんなが学習で使っているときに、関係のない動画を見たり、ゲームをしたりしている。先生が注意しても、手放すことができない。しかし、これらは「タブレットを使った学習」以前の話です。クラスの中でタブレットを使うための約束事(ルール)が確立されていないこと、そして、学習のツールとして使う意味が子どもたちに理解されていないことが根本的な問題なのです。

今の時代、タブレットを使って学習できなければ、子どもたちが将来困ることになります。さらに言えば、生成AIを活用する力はこれからの必須スキルだと言えます。それにもかかわらず、ルール作りという「学習以前の問題」がクリアできないために、最新のツールが活用できなくなるのは残念でなりません。

タブレットは、これまでになかった画期的な学習ツールです。と同時に、子どもたちにとっては家庭で「楽しむためのツール」として親しんできたものでもあります。そこに指導の難しさがあります。しかし、学級の中でしっかりとした約束を作っていくことで、間違いなく「学習のためのツール」に切り替えることができると思います。

もし問題が起きたなら、それこそがチャンスです。問題を子どもたち自身に話し合って解決させることで、学級内に納得感のある確かな約束が出来上がるはずです。決まった約束は、誰もが忘れないように教室内に掲示しておけば、しっかりと浸透していくでしょう。

まずは、学習の基盤となる確固たるルールを作ることが大切です。そして、作ったルールはぜひ保護者にも伝え、家庭内でも徹底されるよう協力を求めるべきです。

その上で、先生方には今の時代に合った素晴らしい授業を展開してほしいと願っています。

2026年5月9日土曜日

寝ることって、とっても大切。

今回の話題は「睡眠」についてです。直接学校とは関係ないことですが、少し書いてみたいと思います。

退職して、毎朝決まった時間に起きる必要がなくなりました。それでも、遅く起きすぎると生活リズムが崩れますし、日々の家事もあるため、7時過ぎには起床するようにしています。 在職中は、学校ごとの通勤時間の違いや、教諭時代と管理職時代での立場の違いもあり一定ではありませんでしたが、だいたい朝6時に起き、7時過ぎには家を出るという生活でした。就寝は11時30分ごろになることが多く、睡眠時間は平均6時間程度だったと思います。

今も就寝は11時から11時30分頃と大きくは変わりませんが、確実に12時前には眠りについています。そして起床は7時過ぎ。つまり、睡眠時間が現役時代より1時間以上長くなりました。

たった1時間程度の差ですが、日中に眠くなることがほとんどありません。昼寝をする時間はたっぷりあるのに、不思議と「昼寝をしたい」とは思わないのです。この体の変化に気が付いたのは、いまの生活を始めてから半年ほど経った頃でした。

20代の頃は「3時間寝れば大丈夫」と豪語していました。年齢とともに体力が落ちたのか徐々に睡眠時間は長くなっていきましたが、それでも在職中は、日中に眠気を感じる時間帯がありました。 当時は、寝ている時間を「無駄だ」とすら思っていました。睡眠時間を削ってでも活動時間を増やすことが大切だと信じ、夜遅くまで自宅で仕事をするパターンも多かったです。

しかし、時間を自由にとれるようになった今、強く感じるのは「体が要求している時間だけ、しっかり寝ることの大切さ」です。(そして、睡眠と同じくらい、しっかり運動することも大切だと実感しています)

教育現場の働き方改革において、よく「持ち帰り仕事の多さ」が問題になります。他業種でも同様かもしれませんが、教員は授業以外の雑務に加え、授業準備などでどうしても持ち帰り仕事が多くなりがちです。 身を削って働くことで「頑張っている自分」を感じられる側面はあるかもしれません。しかし、それは同時に視野を狭くし、体力的な無理を強いている状態ではないでしょうか。

そうそう、ベッドに入ってからのスマホはやめたほうがよいですよ。本当に眠れなくなりますから。

まずは、しっかり寝ること。そして、先生方がしっかりと睡眠をとれる「環境づくり」こそが、今一番大切なのではないかと思います。

2026年5月6日水曜日

初任に担任させなきゃダメですか。

 

初任の先生の離職率が高いということについては、以前も記事にしました。これまで、初任で辞めてしまう先生はほとんどいなかったのですが、それが今や1割を超えている自治体も出てきていることは、大きな問題だと思います。

聞いた話では、1年経った時点で「本採用には適さない」という校長の意見を聞き入れず、教育委員会が本採用にするよう指示してきた例もあります。(※教員は、最初の1年間は「条件付採用」となっています)。これも以前であれば、考えられなかったことです。実際、本採用にしてもらえず裁判を起こした例もあるくらいです。

1年で見切りをつけるという決断も一つの選択肢ですから、決してそれを否定するものではありません。しかし、現場で見て「教員を続けることは難しい」という判断があっても、辞めさせたくない教育委員会があるという事実が問題だと思うのです。

初任者研修についても、以前書いたことがあります。法定研修ですから、かなりの予算をつぎ込み、時間をかけて研修を行っています。しかし、そんなことをするよりも、まず1年間じっくりと育てることが大切ではないでしょうか。そのためには、小学校では「最初の1年間は担任を持たせない」というのが、唯一の解決法だと考えています。これは、私が実際に校長をしていたときに試みた手法でもあります。

今の時代、4月の始めからいきなり学級担任を任せるというのは難しいのだと思います。どんな仕事でも、4月の頭から「仕事は任せた。よろしく。」と言って丸投げすることはないでしょう。「今日から営業担当だ。取引先のリストを渡すから、1人で行って契約を成立させてこい。」なんて、ありえない話ですよね。

確かに、大学の4年間でそのための学習をしてきていますし、教育実習も4週間経験しています。だからと言って、「今日から担任よろしく。」というのはやはり無理があると考えています。

ですので、私の学校では、高学年や中学年の教科担任として理科などを担当してもらい、特別活動や道徳などは信頼できるベテランの先生のもとで、実際に授業を見せてもらったり、一部の授業をさせてもらったりする形をとってきました。個人面談の際なども「副担任」という立場で同席させ、保護者とのやり取りを学んでもらいました。

人員が不足していなければ、このような形を今でもとることはできます。しかし、学校には様々な事情で担任を持つことができない先生もいます。正規の教職員だけで構成されていればよいのですが、それが叶わない状況も多々あります。そうなると、初任であっても担任を任せざるを得ないわけです。

初任者研修に多くの時間を割くよりも、OJTとして、担任を持たずに実践と研修を兼ねる「形」をとることが、今の教育現場には必要なのではないでしょうか。

2026年5月5日火曜日

心が病まないために

学校で働く教員にとって、いかに心を病まないようにするかは、今や非常に重要な課題になっていると思います。

心を病んでしまう最大の原因は、学級の状態にあるのではないでしょうか。指示が通らない、子どもたちに落ち着きがない、思い通りに授業が進められない、あるいは子どもたちとの関係がうまくいっていない。このような状態があれば、朝、教室に向かうことすら苦痛になっていくでしょう。足取りが重くなり、子どもたちが下校した後もため息ばかりが出てしまうような状況は、本当に苦しいはずです。

状況を改善するためには、以前にも触れましたが、子どもたちと「話をしっかり聞く」ためのルールを作ることが大切です。それと同時に、教師自身も子どもたちに話を聞かせるための技術を身につけなければならないと思います。

もし、心が折れそうになったり、すでに苦しい状態に陥ってしまったりした場合は、一人で抱え込まず誰かに助けを求めましょう。校長、教頭、学年主任、養護教諭、児童支援専任教諭など、誰でも構いません。ただし、あまり多くの人に意見を求めすぎるのは、かえって混乱を招くため避けた方がよいでしょう。できれば、自分が目指す教育スタイルを実践している先生を見つけて、相談するのがベストです。

教師の性別や体格によって、適した授業スタイルは異なります。例えば、小柄な女性の先生が、体格の良い男性の先生と全く同じ方法で指導するのは難しいでしょう。その場合は、同じように小柄な女性の先生のやり方を見せてもらう方が、自身の現場でも実践しやすいはずです。力技で押し切るような指導をしている先生を参考にするのはお勧めしません。やはり、確かな指導技術を持っている先生のやり方を見習うべきです。

また、心を病まないための防衛策として、最低限の仕事を早く終わらせて、少しでも早い時間に帰ることも重要です。気分が落ち込んでいると、つい学校でダラダラと過ごしてしまいがちになります。しかし、それでは疲労感が増すばかりか、一人暮らしの場合などは、負の感情を自分の部屋にまで持ち込むことになりかねません。


プライベートでの気分転換も非常に大切です。リフレッシュの方法は人それぞれですので「これが一番」とは言えませんが、仕事から完全に離れる時間を作るよう意識してください。ジムで筋トレに励んだり、ランニングを日課にしてみたりするのも楽しいでしょう。格闘技の練習などは、無心になれるという点でとても効果的です。シミュレーターを使ったゴルフや、サッカー・野球などのチームスポーツに参加するのも良いですね。もちろん、映画鑑賞や観劇、ライブに行くといった楽しみ方もあります。

どのような形であれ、仕事から自分自身を解放し、心を休ませる時間を持つことが何よりも大切だと思います。

2026年5月3日日曜日

話を聞く姿勢をつくりましょう。

4月になりました。新しい気持ちと期待でいっぱいなのは、子ども達だけではないでしょう。先生たちにとっても、子ども達以上に緊張感と期待感に満ちた時期だと思います。

4月の学校のスケジュールによっても変わってくると思いますが、僕の経験上、個人面談や家庭訪問が一区切りになります。もちろん、どの学校でも予定されているとは限りませんが、その場合でも、5月の連休までが一つの区切りとなるでしょう。

スタートの時期に当たる4月。必ずやらなければならないのは、「話を聞く姿勢」を作ることです。先生が前に立ち、動きを止めたら、全員が話を聞く意思を見せることができるようになることが大切です。

どんなに素敵な話をしても、どんなに大切なことを伝えようとしても、子ども達の側に「話を聞く」という意思がなければ伝わりません。子ども達に話を聞くことの大切さを伝えることも必要ですが、まずは、先生が教室の前に立ち、子どもたち全員が先生の方を向いて、話を聞く態勢をとれるようにすることが何より重要です。

もちろん、そうするためには、しなければならないことがあるでしょう。 まず、話し始めるタイミングをはっきりと分かるようにすることです。先生が黒板の前に立ち、動きを止める。そうした行動で、先生が何かを話す時だということを教えます。また、話をするときは、先生自身が子ども達をしっかりと見ること。子どもたち全員が話を聞くことができると判断するまで、話し始めないことも伝えておきましょう。

初めの頃は、定位置以外では話さないようにする工夫も有効です。特に、板書をしながら話をするのは避けましょう。板書しているときは子ども達に背を向けていますから、その状態で話をしてしまうと、全員が話を聞いているかどうか確認できません。

声の大きさも大切です。子どもたち全員が教室内にいるとき、先生の声がどう聞こえているのかを確認しましょう。声質によって、声の響きや通り方に差が出ます。一番後ろの子どもにまで、しっかりと声を届けることは絶対条件です。しかし、大きすぎる声もよくありません。大きい声には限界がありますし、言葉がきつく感じられてしまうこともあるからです。

話す「速さ」も、わかりやすい話し方の重要なテクニックです。小学生の場合、低学年の聞き取る力はまだかなり低いと考えておいてよいと思います。子ども達がしっかり聞き取れる速さで話をしなければなりません。**一方で、高学年に対して全く同じ話し方をするわけにはいきません。**それぞれの学年にとって、適切な速さはどれくらいなのかを理解する必要があります。

こうやって文章にすると簡単なのですが、時間が少ない時、あわてているとき、子ども達が落ち着かない様子の時などに、話し方に気を付けるのはなかなか難しいものです。

もし、これを初任の先生や若手の先生が読んでくれていればいいなと思っています。 続きがまだありますので、また明日書いてみたいと思います。

読んでくださっている方々、ありがとうございます。 もしよければ、どんな方が読んでくださっているのか、コメント欄で教えていただけると幸いです。


話を聞く姿勢を作りましょうⅡ

 

■ 低学年の子どもには「話す速さ」に要注意 

子どもたちに話をするときは、「話す速さ」を意識しなければなりません。特に低学年の子どもは、耳から入った音の情報を脳で処理する能力がまだ十分に発達していません。人間の聴覚の素晴らしいところは、必要な音だけを拾い上げて脳に伝えられる点です。以前、聴覚障害のある子どもたちを教える先生から、「補聴器は音を単純に大きくするため、必要のない雑音まで大きく聞こえてしまう」という話を伺ったことがあります。実は、小学校低学年の子どもたちもそれと似ていて、必要な音だけを上手に拾い上げることがまだ十分にできないと言われています。そのため、大人の話すスピードが速すぎると、理解への大きな障害になってしまうのです。まずは、十分にゆっくりと話すことが必要です。もちろん、速さだけの問題ではありません。周りの雑音が極力遮断されている環境をつくることも、子どもたちが話を聞き取りやすくなる重要なポイントです。

■ 1回の指示は短く!「1文を長くしない」工夫 次に気をつけてほしいのは、「1文を長くしないこと」です。話の中に、いくつもの指示が詰め込まれていることがよくあります。例えば、「休み時間になったら校庭に出ます。チャイムが鳴るまでは遊んでいてよいですが、鳴ったら鉄棒の前に集まり、班ごとに分かれます。校庭に出るときには赤白帽を持っていってください。」といった具合です。指示を出す側としては伝えたいことばかりですが、1回の話に複数の指示内容を盛り込むのは避けるべきです。どうしても複数の指示を出したい場合は、話した後に黒板に書くなどの視覚的なフォローが欠かせません。指示に限らず、子どもたちに何かを理解させたい場合は、図表や具体的なイラストなどを用いることも非常に効果的です。

■ 「間」の取り方と、視覚的な補助道具の活用 「間の取り方」もよく指摘されるポイントです。「間の取り方」もよく指摘されるポイントです。間をとることには、重要な部分を強調する効果があります。また、子どもたちの理解度を判断したり、話すペースを調整したり、内容を繰り返したりするためにも大切な時間です。適切な間をとることで、言葉が子どもたちの心に印象深く残るため、上手に活用してほしい技術です。

よく実践される方法ですが、時計の模型を使って「長い針がここに来たら、こうします」と視覚的に示すなど、話す際の補助的な教具を導入することも大切ですね。

■ 学年始めに押さえたい「聞く姿勢」の育て方 「話を聞く姿勢」を育てることは、学年始めに取り組むべき最重要課題の一つです。「これから先生が話しますよ」という合図を子どもたちに理解させる。そして先生自身も、声の大きさや表情、話す速さ、間の取り方などに気を配り、子どもたちが「理解できる話し方」を心がける。まずは、この基本となる部分をしっかりと押さえていくのがよいのではないでしょうか。

教室の中で、先生が気を付けなければいけないことって。

 

子どもたちの座席は、基本的には机を一つひとつ離して配置するのがよいでしょう。1クラスの児童数が最大35名の場合、横に7列、縦に5列のレイアウトが基本になります。机を2つ繋げた配置は集中力が途切れやすくなるため、一人ひとりが自分のパーソナルスペースを確保できる独立型のほうがメリットは大きいです。活動内容に応じて、その都度レイアウトを工夫するとよいでしょう。

教室における先生の立ち位置は、基本的に黒板の前です。そこで重要になるのが「子どもたち全体をどの程度見渡せているか」です。実は、一番前の席は先生が立っていると死角になりやすく、意外と視野に入りません。先生の身長にもよりますが、最も視界に入りやすいのは前から2〜3列目あたりです。

続いて、横の視野についてです。先ほどの「7列×5列」の配置は横に広いため、両端の席の子が視野から外れやすくなります。教員としての経験を積むにつれて自然と視野は広がり、クラス全体を無理なく見渡せるようになります。それができるようになれば、顔の向きに関わらず「先生はいつもみんなを見ているよ」と態度で示せるようになります。とはいえ、最初から完璧にこなすのは難しいため、まずは一人ひとりの顔を見ながら、視線を合わせて話す習慣をつけることが大切です。子どもは先生と目が合うことで「見られている」と自覚し、自然と話に集中するようになります。

また、学級経営においては荷物の整理整頓も重要です。小さな机の引き出しに何を入れるのか、ロッカーや教科書ボックスはどう使うのか、タブレット端末はどのように保管するのか。学校によっては、これらについて全学年共通のルールが定められていることも多いでしょう。全員に徹底させるのは根気のいる作業ですが、基本的なルールは一つずつ丁寧に確認していく必要があります。

決まったルールを守るのが得意な子もいれば、苦手な子もいます。しかし、習慣化してしまえば必ずできるようになりますので、ここは焦らず丁寧に指導し、定着させていきたいですね。

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化

私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より...