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2026年5月31日日曜日

不登校について考えてみませんか。

 学校教育において、深刻な課題の一つとなっているのが不登校です。子どもたちが学校に登校できなくなる理由は一様ではありませんが、なかでもよく耳にするのが「先生が怖い」という理由です。

これは必ずしも、担任の先生から直接、乱暴な言葉や強い口調で怒られたという意味ではありません。先生が「他の子を怒っている姿」を見て怖くなり、教室にいられなくなってしまうケースがあるのです。しかも、その怒り方が体罰を伴うような過激なものではなくても、ただ「声が大きかった」というだけで恐怖を感じてしまうという話を何度も耳にしました。近年では、他人の感情を敏感に察知してしまうHSC(ひといちばい繊細な子ども)や、教室の騒音に耐えられない聴覚過敏の特性を持つ子の存在も知られるようになりましたつまり、直接的な叱責や人間関係のトラブルだけが不登校の理由ではないのです。

もちろん、友人関係の不和や、特定の先生への苦手意識が原因になることも多々あります。しかし、そうした従来想定されてきた理由が見当たらなくても、不登校になる子が増えているように感じます。他にも「授業がつまらない」「教室内の騒音がうるさくて耐えられない」と訴える子もいます。このように、これまでとは異なる理由による不登校が、近年増加しているのかもしれません。

子どもたちが変化している一方で、教員側が「今まで通りの指導でよい」と思い込んでいる側面はないでしょうか。教員側が指導法や子どもへの接し方をアップデートしていかなければ、不登校の増加を抑えることは難しいでしょう。

一方で、不登校の増加には、リモート授業の普及も影響していると考えられます。教室にいなくても学習に参加できる体制が整ったことは非常に重要です。また、学校や保護者が無理に登校を勧めなくなったことも、結果として不登校の「人数(統計上の数字)」を押し上げる要因になっています。子どもたちが安心して学べるのであれば、必ずしも学校という場所に縛られる必要はないはずです。

「子どもたちが繊細になりすぎている」「社会的な場である学校に適応する力が必要だ」という意見もあるでしょう。もちろん、いじめなどの加害・被害関係によって不登校になる事態はあってはなりません。しかし、安心・リラックスして学習できない子どもたちにとって、不登校を選択することは一つの「自己防衛の手段(対抗手段)」であるとも捉えられます。

多様な学習形態を選択できる時代だからこそ、子どもたちが健やかに成長できるよう、私たちはどのような支援をすべきなのか、今一度多角的に考えていく必要があります。

2026年5月22日金曜日

子ども達が落ち着かなくなってしまう原因は

子どもたちが落ち着かない、先生の話を聞くことができない、立て歩いてしまう子どもがいる――。新学期が始まってしばらく経つと、このような様々な現象が見られるようになっているかもしれません。

話を聞くことができる子を育てることが大切だと、以前書きました。話を聞くことが、まず一番のベースだと思います。授業が抜群に上手な先生でなくても、話を聞くことができるように子どもたちを育てることはできると思います。

もし、落ち着きがない子どもたちがいるクラスがあれば、ぜひ、客観的に観察してみてください。「先生の話は分かりやすいか」「聞かせるためにどのような工夫をしているか」――もし改善できることがあれば、早期に改善すべきです。

教室内の環境(視覚的・聴覚的な刺激)に問題がないかも、重要なチェックポイントです。落ち着きがない子どもがいると、その動きに影響されて周囲の子も落ち着かなくなっていくという、連鎖的な増加が起こることがあります。その場合、きっかけ(起点)となる子が必ずいます。その子がなぜ落ち着かないのか、原因を丁寧に見極めることも有効です。

学級が落ち着かないのには、必ず理由があります。子どもたちは、基本的によい子でいたいと思っていますし、自分のクラスがよいクラスであったほうがよいことも理解しています。落ち着かず、学習も進まないような状態を望む子はいないはずです。原因は必ずどこかにあります。

原因は子どもでしょうか。それとも、先生でしょうか。子ども自身に根本的な原因があるケースは決して多くありません。 例えば、発達障害などで自己制御が難しい場合です。その子の動きが刺激となって全体に影響を与えたり、逆に、周囲のちょっとした刺激に極端に反応してじっとしていられなくなったりする子が、新たな起点になることがあります。

いずれの場合も、学校や家庭だけで対応することは難しいでしょう。専門的なアプローチや療育が必要になるケースだと言えます。保護者と密に協力することはもちろん、児童精神科医、ソーシャルワーカー、そして公認心理師などの専門家の力を借りることが不可欠です。

一方で、子ども以上に原因になり得るのは、指導側の工夫不足です。**何度も書いていますが、「話を聞かせることができているか」「そのための適切な工夫をしているか」が大きな課題になります。

一度うまくいかなくなると、その状態を挽回するのはとても大変です。ですが、諦めることなく、全員が話を聞くことができる状態を作らなければなりません。そのための丁寧なアプローチが必要です。

子どもたちは、落ち着いて学習できる環境を望んでいます。決して、荒れた状態やいい加減な環境を好んでいるわけではありません。子どもの「学びたい」という思いに寄り添うことこそが、学級改善の大きなチャンスになるはずです。

2026年5月19日火曜日

特別支援学級の在り方

 

日本の学校の特別支援学級の大きな特徴は、児童生徒の「学籍」そのものが一般学級ではなく、特別支援学級にあるということです。

諸外国の多くでは、どの子どもも原則として学籍は一般学級にあり、日常的にも一般学級で学習をしています。日本のように、特別支援学級をベースにして子どもの育成を図るというケースは稀のようです。もちろん、どの国にもそれぞれサポートシステムは存在します。しかし日本の場合は、特別支援学級から一般学級に出向いて「交流及び共同学習」を行う際、基本的にはそこに専門のサポートがつきません。もともと特別支援学級で一日を過ごすことが前提の仕組みになっているため、子どもは特別支援学級の担任と一緒に学習を進めるのが基本だからです。

特別支援学級には、法律上7つの種別(自閉症・情緒障害、知的障害、肢体不自由、病弱、弱視、難聴、言語障害)が定められており、学校現場では対象となる子どもの特性に合わせて学級が設置されます。 例えば、知的障害学級には知的な発達が緩やかな子が在籍しており、学年別の指導というよりは、個々の成長度合いに合わせた個別最適な学習を進めていくことが多くなります。一方、自閉症・情緒障害学級には、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動症)などと診断された子が偏在しています。学力自体には問題がなくても、集団生活やコミュニケーションに課題がある場合、この学級で在籍・学習することになります。また、弱視学級などは対象となる児童生徒が地域にいる場合に設置され、視覚を補助する器具などの環境整備や、安全確保への配慮が不可欠となります。

特別支援学級の標準定数は、法令で「8名」と定められています。学年にかかわらず、障害の種別ごとにカウントされるため、例えば同じ種別の子どもが16名いれば、8名ずつで2クラスという計算になります。

現在、日本の特別支援教育における大きな課題となっているのが、「一般学級で過ごす時間」のあり方です。インクルーシブ教育が主流となっている現代において、一般学級での活動を増やすこと自体は望ましい方向性だと言えます。しかし、そこには構造的な問題があります。 一般学級へ交流に行く際、多くは「子ども単独」で向かうことになる点です。もし特別支援学級の担任がその子に付き添って一般学級へ行ってしまえば、特別支援学級に残された他の子どもたちの指導体制が崩れてしまいます。かといって、子どもだけで一般学級へ行かせれば、本来何らかの専門的サポートが必要だからこそ特別支援学級籍になっているにもかかわらず、何の支援もないまま一般学級の集団に置かれることになります。これは現場の大きな矛盾です。

国連からは、日本の分離された特別支援教育について「差別的である」との是正勧告を受けています。文部科学省はこれに対し、インクルーシブ教育の推進や交流学習の充実を掲げていますが、現場の体制が追いついていないのが現状です。ここでもやはり、教員定数や人件費というコストの問題が横たわっているように感じられます。 教育を効率性や「コスパ」だけで測ってよいのでしょうか。みなさんは、この現状をどう考えますか。








2026年2月26日木曜日

一人一人に応じた教育、とても大事ですよ。心配なこともあるけれど。

 

一人一人に応じた教育の実現に向けて、文科省は様々なケースを挙げ、学校現場に対応を求めています。各自治体の教育計画も同様の方向性を示しています。 外国籍の子ども、経済的な配慮が必要な子ども、個別支援教室や情緒支援級で学ぶ子ども、発達障害やギフテッドと呼ばれる子ども、不登校やその傾向にある子ども――。どのような子どもに対しても合理的配慮は必要であり、適切に対応すべきです。その理念は、間違いなく「正しい」ものです。

しかし、なぜ今になってこの問題が強く叫ばれるようになったのでしょうか。その発端は、2022年に国連の「障害者権利委員会」から日本が受けた厳しい指摘にあります。国連は、現在の日本の個別支援学級を「分離型の教育」であり、フル・インクルーシブとはかけ離れた制度だと批判しました。

日本の個別支援学級が、世界のインクルーシブ教育の潮流と異なっているという国連の指摘は、もっともな部分があります。ただ、問題の根本は別のところにあります。それは、日本の教育制度が長年「コスパ(費用対効果)」ばかりを重視してきたという事実です。

私たちは、戦後の経済力がない時代に作られた枠組みを、未だに使い続けています。少ない教員に多種多様な業務を押し付けられる「35人学級」や「個別支援学級」のシステムは、お金を出す側からすれば、これほどコスパが良く、ありがたい仕組みはありません。そして皮肉なことに、**現場の教員たちが身を削って「それなりの成果を上げてきてしまったこと」**が、この古い制度を温存させる最大の原因になっているのかもしれません。

さらに、教育予算の財源を「地方交付税交付金」という一般財源に頼っている仕組みにも問題があります。国が教育費として計算した予算であっても、各自治体の財政事情によっては全く別の事業に使われてしまうのが現状です。

「障害者差別解消法」が施行され、誰もが合理的配慮を求められる社会になりました。国として条約を批准し、社会全体で共生を目指す以上、文科省や教育現場だけがその波から逃れることは許されません。

私が危惧しているのは、十分な予算的配慮も、現場を支える「人的な保障」もないまま、理念だけが先行し、学校にさらなる圧力がかかってくる未来です。このままでは現場が破綻してしまうのではないかと、心配でなりません。

2026年2月25日水曜日

「一人一人に応じた教育って、今のままでできますか。


2月も終わろうとしています。学校では今年度のまとめをしつつ、来年度への準備も始まっていることと思います。来年度の準備と言っても、今の時期は校長が次年度の構想を練ったり、教育課程の日程を組んだりすることが中心になるでしょう。

さて、現在文科省が中心となり、「一人一人に応じた教育」を推進することになっています。しかし例のごとく、理念ばかりが先行し、それを実現するための予算の手当てが伴っていないように見受けられます。

確かに、全学年で35人学級が実施されたことは大きな一歩かもしれません。しかし、現場の感覚からすれば35人は依然として多いのが実情です。これだけで「一人一人を見るための条件が整った」とは到底言えません。先進諸国と比較しても、一つの教室にいる子どもの数としては明らかに多い水準にあります。

文科省はよく全国平均を用いて「1学級22人」という数字を挙げます。これならば先進諸国と同等に見えますが、あくまで平均値のトリックです。都市部の学校では35人ぎりぎりの教室がひしめき合っている一方で、過疎化が進む地域では35人が全校児童数というケースもあり、全国平均で語ることにまったく意味はありません。

では、現状からさらに踏み込んで「35人を30人に」できるかといえば、それは不可能に近いと言わざるを得ません。

理由は大きく二つあります。一つは「教員不足」です。これは当面解消のめどが立たない深刻な課題です。

そしてもう一つが「ハードウェア(施設)の問題」です。都市部の学校では、教室の絶対的な不足が起きています。自治体は6年先までの推計児童数に基づき計画を立てますが、一部の地域では予測を超えて児童数が増加し続けています。

さらに首都圏などでは、児童数が飛躍的に増加した時代(1950〜70年代)に建てられた校舎が一斉に建て替えの時期を迎えています。しかし、建設費の高騰に加えて建築基準が変更されているため、「これまで4階建てだった校舎が、建て替えると3階建てにしかできない」といったケースが多発しているのです。児童数が増え、35人学級化などで必要な学級数も増えている中、建て替えすら一筋縄ではいきません。その結果、21世紀の今の時代にあっても、運動場に簡易的なプレハブ校舎を建てて急場を凌ぐ事態となっています。

教員不足も教室不足も、一朝一夕には解決しない中長期的な課題です。そうであればこそ、国はもう少し先を予見し、実効性のある施策を立てるべきだったのではないでしょうか。

このような厳しいハード・ソフトの現状がある中で、果たして本当に「一人一人に応じた教育」など実現できるのでしょうか。

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化

私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より...