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2026年4月19日日曜日

残業させ放題。そんな言われ方をしても平気なのか。文科省。

 

教員の労働環境をめぐる議論の中で、現在最も耳目を集めているのは「残業代が支払われない」という問題です。基本給自体に大きな差がない以上、この残業代の未払いが民間企業との間に大きな生涯賃金の格差を生んでいることは、以前にも指摘した通りです。

教員の給与は、基本給のみで比較すれば極端に低いわけではありません。昨今の日本全体の賃金低迷を背景に、現在でこそ欧米に比べ低い水準となっていますが、かつての日本の教員給与は世界的にも高水準でした。1974年の人材確保法制定によって給与が引き上げられ、教員志願者が増加した時代があったのです。1980年代には大幅なベースアップがあり、期末手当とは別にまとまった「差額」が支給された記憶もあります。

しかし一方で、1971年には給特法が制定され、当時の月8時間分の残業代に相当する「教職調整額(給料月額の4%)」が一律支給される仕組みが作られました。当時から制度の欠陥は指摘されていましたが、当面の収入増があったことで、問題が顕在化しなかったという経緯があります。

学校現場において、教員同士が給与の話をすることは稀です。例外的に話題となったのは、三位一体の改革等で義務教育費国庫負担金が2分の1から3分の1に減額された時でした。自治体の財政難から校長・教頭ら管理職の給与がカットされ、一般教員と教頭の給与の「逆転現象」が起きたのです。これが教員の管理職離れを引き起こす一因となりました。

教員がお金の話を避けるのは、現在の待遇に満足しているからではありません。教員もまた、自身の時間と専門技術を提供する対価として賃金を得る一人の労働者です。しかし、「教員は聖職者である」という認識が、労働者としての権利主張を阻む罠として機能しています。「子どもたちのため」という大義名分が、無償労働を正当化する呪文となってしまっているのです。

特に、現代の若手教員にとって給与と残業代は死活問題です。初任者の多くが、大学卒業時点で500万円近い奨学金や教育ローンの返済義務を負っています。これは日本の相対的な貧困化を示すものでもありますが、多額の負債を抱える彼らにとって、適切な対価が支払われない現状は極めて切実です。

この構造的課題を解決するには、管轄省庁である文部科学省の抜本的な意識改革が不可欠です。現在、日本の公財政教育支出はGDP比で2%台にとどまっており、4%程度を維持する欧米諸国に大きく後れを取っています。文部科学省が迅速かつ抜本的な改革に踏み切らない限り、教育現場の崩壊は免れません。学校が再び「明るい未来を創造する場」となることを強く望みます

2026年4月17日金曜日

臨任や非常勤で勤めてくれる人がいなくなったのは

臨任と非常勤の大きな違いと、深刻化する人材不足の現状

学校現場を支える「臨任(臨時的任用教職員)」と「非常勤講師」には、働き方や役割に大きな違いがあります。

臨任(臨時的任用教職員)とは? まず「臨任」ですが、基本的には正規の教職員と同じように扱われます。臨任が必要になるケースは、大きく分けて以下の3つです。

  1. 正規教員の欠員補充 本来は正規の教員で埋まっていなければならない枠が足りず、その分を臨任で埋めるケースです。新規採用者の突然の辞退や、急な退職などによって生じます。現場からすればありえないことなのですが、実際には多くの臨任の先生が4月の最初からこの枠で勤務しています。

  2. 産休・育休の代替 現在、学校現場には35歳以下の若い先生、特に小学校では女性の先生が多く、出産を迎える世代が集中しています。また、少子化対策もあり、男女問わず育休制度が手厚く利用されるようになりました。そのため、代替要員としての臨任の需要が急増しています。 通常、妊娠の報告(大体2、3ヶ月目)を受けると、校長はすぐに教育委員会へ書類を出し「〇月〇日から産休代替が必要」と要請します。しかし、何ヶ月も前から伝えているにもかかわらず、休みに入るギリギリまで代替の先生が決まらないことがざらにあります。

  3. 精神疾患などによる休職の代替 前回も書きましたが、精神疾患による休職者が増えているという現実があります。この場合は突然お休みに入るケースが多く、前もって準備できないため、代替の臨任が見つからない事態が頻発しています。

非常勤講師とは? 一方、「非常勤」は時給制で、週の勤務時間数に上限があります。僕が所属していた自治体では「週29時間が上限」でした。 また、「授業ができるのは全勤務時間の3分の2まで、残りの3分の1は事務処理や教材研究に充てる」という規定もありました(この辺りのルールは地方自治体によって異なるようです)。

週29時間となると、1日あたり約6時間勤務です。6時間労働なら途中に休憩時間を挟む必要がないため、9時出勤なら15時退勤、8時30分出勤なら14時30分退勤となります。この勤務時間では小学校の学級担任を務めるのは物理的に厳しく、そもそも制度上、非常勤の先生は担任になれない決まりになっています。

非常勤の役割も多岐にわたります。育児短時間勤務を利用して早く退勤する先生の「抜けた時間分を埋める」ための配置や、教科担任制のための配置などです。また、教員が病気で休む際も、2週間以上の診断書があれば非常勤講師を雇用することができます。

なぜ学校に人が来ないのか? 以前は、欠員が出ればどんな場合でも、教育委員会の人事担当者が学校へ職員を紹介してくれました。しかし、今はそれがだんだんとできなくなっています。その理由として考えられるのは以下の3点です。

  • 採用試験の不合格者の減少: 今までは試験に不合格だった人が臨任をやるケースが多かったのですが、不合格者自体が極端に少なくなりました。

  • 定年延長と再任用制度: 60歳定年ではなくなり、再任用で65歳まで勤務できるようになったため、「定年後数年は臨任で働こう」というベテラン層がいなくなりました。

  • 待遇の地域格差: 非常勤を希望する人は、東京のように時給面で優遇されている自治体に集中しているのかもしれません。

理由は様々あるにせよ、ともかく「現場に人がいない」というのが切実な現状です。

さらに近年は制度が変わり、臨任や非常勤の先生が同じ学校に長く留まれるようになりました。先生にとっても、働きやすくて評判の良い学校にいられるなら、わざわざ他校へ移る必要はありません。学校側も、優秀な人材を手放したくないので「絶対に他に行かないように」と強く引き留めます。 その結果、各学校間で熾烈な人材の獲得競争が起き、流動性が下がることで、ますます全体の人手不足に拍車がかかる……という悪循環に陥っているのです。

2026年4月16日木曜日

小学校の教員採用試験が、人気がない理由は何でしょう。

2024年の小学校の教員採用試験を受けた人は3万5000人弱で、平均倍率は2倍だということです。ちなみに、小学校の教員免許を取った人は約2万7000人。確かに、その年に教員免許を取った人よりも多くの人が受験しているわけですから、納得といえば納得できる人数です。しかし、近年小学校の教員免許が取れる大学の数はかなり増えています。じゃあ、受験資格を持っている人が他にはいないのかということになります。

従来は採用試験の倍率が高く、教員になりたくてもなれない人が多くいました。その人たちは、臨任(臨時的任用教員)や非常勤講師をやりながら、翌年の採用試験を受けていたわけです。しかし、ベビーブーム世代の先生たちが大量退職し、少人数学級化などで学級数が増えたことで、大量採用時代に突入しました。その結果、臨任や非常勤をやっていた人たちが次々と正規の職員になり、採用試験を受ける人たちの「ストック」が減少していったのです。教員免許の取得状況については以前少し詳しく書きましたので、興味があれば見てみてください。

それだけではなく、社会全体で人手不足が叫ばれるようになっています。民間企業も初任給40万円などというインパクトのある金額を提示し、学生を集めています。 給与の話も以前書いているので、それを見てもらえば状況が少し詳しく分かると思いますが、一般的な企業と教員との間で、基本給にそこまで大きな差があるわけではありません。特に都市部ではそれほどの違いはないと思います。しかし、決定的な違いは「残業代があるか、ないか」です。ここで、月々の給与に大きな差が出てしまっています。

教員免許をとるためには、教育実習をやらなければなりません。これも、教員採用試験を受けるのを躊躇う理由になっているかもしれません。民間企業のインターンシップと同じように、教員の業務を実体験し、授業を行い、約1か月間子ども達と直接触れ合っていくのが教育実習です。そこでどのような体験をしたかも、進路に大きな影響を与えると思います。 僕が実習に来た学生に聞いた話では、先に教育実習を終えた友人たちが「帰る時間が遅いこと」や「なかなか指導案にOKをもらえずに苦労したこと」などを語っていたそうです。よく言えば、熱心に指導し、よい先生になるための基礎を築いてあげようという現場の先生たちの想いがあるのでしょう。しかし、それが今の学生には「ただのたいへんさ」としてしか伝わっていないということです。 もちろん、教育実習の指導を任されるくらいですから、現場でも所謂「できる」先生のはずです。学級経営もきちんとできるし、授業もしっかりとこなせる先生なのです。でも、その多くは「(身を粉にして)頑張ることをいとわない先生」だということです。その姿に嫌気が差してしまう学生がいても、何の不思議もありません。

YouTubeやX(旧Twitter)上には、そうした教員の働き方の現状を批判する声が多く流れています。今の学生は情報の収集をSNSに頼っているため、その影響力は計り知れません。確かにテレビのドラマなどを見ても、教員が楽をして働いているような描写は出てきません。フィクションであっても、そうしたイメージの蓄積は影響しているのかもしれません。

複数の要因が絡み合っているとは思いますが


、社会状況や、今のZ世代の学生たちが考えていること・志向していることに対応する施策をとらなければ、この状況は変わらない気がします。最近では、採用試験(筆記)を実質的に免除する自治体も出てきているようです。「大学で単位をとっているのだから教職教養の試験はいらない」という理屈のようですが、それは教員の質が低下することを防ぐ根本的な解決策ではないと思います。

残業代の出ない給与体系(給特法)の限界はもちろんですが、根本的には**「定時退勤が当たり前にできる業務量」**にまで仕事をスリム化しなければ、どれだけ初任給を上げても、免許を取りやすくしても、人は集まりません。AIを活用した事務作業の効率化や、学校が担うべき業務の線引きを国レベルで厳格に行い、「普通の若者が、健康的に長く続けられる職業」へと教職をデザインし直すこと。それこそが、質の高い教員を確保し、未来の教育を守るための唯一の「根本治療」だと考えます。

皆さんは、どう思いますか

2026年4月15日水曜日

メンタル不調を訴える教員が増え、休職に入る人が多く出た

文部科学省が昨年12月に公表したデータによると、メンタル不調を訴えて休職する教員が増加しています。精神疾患による休職者は全教職員の0.77%に上り、休職には至らないものの「1ヶ月以上の病気休暇」を取得した人を合わせると、その数は1万3,310人に達します。さらに、復職できずにそのまま退職に至るケースが約2割を占めており、これは民間企業で精神疾患により休職した職員の倍以上の割合になるそうです。

しかし、これは氷山の一角に過ぎません。実際には、休職や病気休暇を取得していなくても、心を病んだ状態で教壇に立っている先生方はいるはずです。そう考えると、統計の数値以上に、苦痛を感じながら仕事をしている教員が多いことが推察されます。

では、一体何が原因なのでしょうか。考えられる要因を3つ挙げてみましょう。

1.「子どもたちのため」という言葉の呪縛と、終わりのない業務 あらゆる作業や授業準備、話し合いが、「すべては子どもたちのためだから」という言葉で片付けられてしまう傾向があります。一般企業の残業は目標が明確なことが多いですが、教員の業務は必ずしもそうではありません。 授業の準備がそのよい例です。ただ授業で使う物を準備すればよいわけではなく、資料を作り、授業の流れを構想し、他学級との調整をするなど、やり始めればきりがありません。 昨今のDXの流れの中で、テスト用紙をスキャナで読み込んでパソコン上で処理し、スプレッドシートに自動転記されるなど、業務は進めやすくなっています。テストの採点や評価のように「きりのよいところまで進めれば済む仕事」は楽になりました。しかし、先ほどの授業準備のように、経験や知識が必要で、なおかつ「自分が満足するまで終わらない仕事」が現場にはまだまだ多く存在します。

2.職員室、子ども、保護者…複雑な人間関係のストレス 職員室の人間関係には独特の難しさがあります。教員は若手だろうとベテランだろうと、基本的に立場は同じです。若手でも授業や学級経営が上手な先生がいる一方で、ベテランだからといって全く問題がないわけではなく、毎年のように学級に課題を抱える教員もいます。(若手の方が不祥事を起こす割合は高いそうですが、必ずしも若手だけというわけではありません)。

そして、人間関係で最も悩まされるのは、やはり子どもとの関係です。一人ひとり異なる子どもたちと円滑な関係を築けなければ、学級経営は成り立ちません。 加えて、子どもの反応に敏感な保護者の存在もあります。世間では「モンスターペアレント」などと言われたりもしますが、僕が見てきた限りでは、教員側の保護者への対応(初期対応など)が悪いと思うことのほうが多かったです。保護者の言うことが無茶苦茶で、先生が一方的にかわいそうというシーンは見たことがありません。とはいえ、子どもや保護者との関係をうまく築けないことは、教員にとって計り知れないストレスになります。

3.「学級担任制」という密室と孤立 基本である学級担任制は、担任一人にすべてを委ねる形になります。担任がうまく学級をマネジメントできなければ、そこで行き詰まってしまいます。 いわゆる「学級崩壊」と呼ばれるカオス状態に一度陥ってしまうと、他の先生を応援に入れたり、保護者に教室に入ってもらったりしても、どうすることもできません。多くの場合、担任を交代させる以外に手の打ちようがなくなると思います。一度そのような状態になれば、精神的にかなりつらい状況に追い込まれます。「組織的なサポート」という手はよく打たれますが、それが根本的な改善につながるケースは少ないというのが実感です。

これらの要因が重なり、心の状態を維持できなくなってしまった結果、精神疾患を発症してしまうのだと思います。

2026年3月23日月曜日

免許制度を変える意味があるのかな


文科省なのか、中央教育審議会なのかは知らないけれど、教員免許について変更しようと考えているみたいですね。教員免許状は、小学校ならば、専修免許状(大学院卒)、一種免許状(四大卒)、二種免許状(短大卒もしくは専門学校卒)と分かれています。

僕の友人や一緒に働いていた先生の中にも、専修免許を持っている人はいましたが、その割合は低いです。大半は一種免許状を持った人たちです。最近の教員不足のためなのでしょうか、二種免許状を持っている人も見かけるようになりました。文科省は以前から、学校の先生の学歴を高め、基本的に修士課程を修了している状態にしたいという構想を持っているようですが、現実は、そうはなっていません。

研究をしたいという希望があり、自ら勉学に励んだ結果として修士号を手にするということには、とても意義のあることだと思います。

ただ、この免許状の違いで、実質的なメリットは発生していないと思います。短大、大学、大学院と、卒業した時の年齢が違いますので、初任給は違います。ただし、短大を卒業して4年後は、大学院を卒業した人と同じ給与になるはずです。

じゃあ、実益的にはどのようなメリットがあるのでしょう。管理職になるためには、一種免許状を持っていなければいけないと聞いたことがあります。しかし、二種免許を持っている人が希望すれば、通信教育や教育委員会の研修制度などを利用して、それほど多くの単位を取得せずとも一種免許を手にすることができる制度があります。また、専修免許を持っているから、管理職になるときに有利だという話も聞いたことはありません。僕の知人の中でも、同年齢で、同じ性別で、一種免許状を持っている人と専修免許状を持っている人で、同じ年に管理職試験を受けていますが、合格したのは一種免許状の人でした。

決定的なのは、教員の給与表は、校長、副校長(教頭)、主幹教諭、教諭の4種類に分かれているということです。ですから、免許状の種類による給与の差は全くないと言えます。

因みに、学校社会の中では、委員会が認定する特別支援教育コーディネーターという役割があります。他には、国家資格の衛生管理者を取得しに行き、資格を取った人たちもかなりいます。役職も、児童支援専任を役職として設けています。他にもICTコーディネーターというのもあったと思います。もちろん、学校に関係するライセンスを他にも持っている人たちがいます。ICT関係であれば、マイクロソフトやAppleなどが認証している制度もあります。

しかし、何を持っていても、給与は変わりません。何の手当も出ません。免許状の違いだけではないのです。研修に何十時間も割き、レポートを書いてライセンスを取得したとしても、仕事が増えるだけで、給与は増えません。かなり不思議な仕組みですよね。まあ、これも、定額使いたい放題の給特法のおかげかもしれません。

民間企業であれば、会社が推奨している資格を取れば、継続的に資格手当をくれたり、資格取得時に一時金をくれたりするわけです。

免許状のことだけを考えるのではなく、様々な資格の取得を奨励し、インセンティブを与えることの方がモチベーションが上がると思うのですが、皆さんどうですか?

2026年2月10日火曜日

【現場の悲鳴】「先生が一人足りない」は、単なる1コマの負担増ではない

■「家庭科」の授業を担任が持つということ  学校現場で「専科の先生が一人配置されない(欠員)」という状況がいかに深刻か、具体的なシミュレーションをしてみたいと思います。

 例えば「家庭科」です。週1.5コマ(2週で3コマ)の配当ですが、実習準備や後片付けが必須の教科です。専科の先生がいれば、複数のクラスを連続して授業することで準備・片付けを効率化できます。  しかし、これを担任が持つとなると話は別です。

  • 空き時間が消滅する

  • 準備・片付けの時間が新たに発生する

  • 慣れない実習手順の確認作業が増える

 結果として、他の教科の準備や採点業務がすべて後回しになります。感覚としては、授業1コマの負担増ではなく、**「3時間分の業務ロス」**が発生するのに等しいのです。

■「月44時間」の残業が生む矛盾  こうした業務のしわ寄せは、すべて時間外勤務に直結します。  よくある勤務実態として、朝30分、放課後1時間半の残業をしたとします。

  • 1日2時間 × 22日 = 月44時間

 これは、労働基準法の原則的上限(月45時間)ギリギリの数字です。しかし、教員の場合は給特法の壁があり、これを「残業」とは呼んでもらえません。

  • 現状: 月額約1万6千円(調整額)のみ支給

  • 本来: 年額約150万円相当の残業代が未払い(試算)

  • 罰則: いくら働かせても管理職への罰則なし

 給特法制定当時(昭和40年代)の「残業月8時間」という前提は、もはや完全に崩壊しています。


■「1兆円」を惜しんで現場を疲弊させるのか
 もし今、教員に正当な残業代を支払うと、国全体で約1兆円が必要になるそうです。国や自治体がこの問題に口をつぐむのは、結局のところ「教員の健康より予算が大事」だからではないでしょうか。

 若手教員の増加に伴う産育休の取得、メンタル不調による休職……。「先生が足りない」というリスクは今後ますます高まります。  「未配置」の穴埋めで現場が倒れてしまう前に、時間外勤務の削減と、給特法の抜本的な見直し(残業代の支払い含む)が急務です。

2026年2月8日日曜日

働き方改革の実態

  働き方改革は進んでいないのが実態じゃないでしょうか。統計的な値では進んでいることになっています。例えば、月の時間外労働時間が減っている。月に45時間以上勤務している人の割合が3割以下になった。これらは、教育委員会を通して、文科省に伝わっているデータです。実際、時間が労働の時間が減少しているのは事実だと思います。働く時間を短くするための努力は、各自していると思うのです。学校の組織としても、午前中5時間を実施し、子ども達の下校時間を少しでも早めようと努力したり、会議をなくしていこうとしたり、校内の授業研究会を止めたりとか、ともかく時間外労働時間を減少させることに取り組んでいると思います。

 しかし、これって、何ら抜本的な改革ではないわけです。教育DXを進めることで、労働時間の短縮を図ることも同時に進んでいます。教育DXの効果は抜群だと思います。例えば、週案の作成時間を極端に短くすることができるようになりました。テストの丸つけも、スキャナで読み込み、画面上での採点を行い、数値処理はアプリにお任せできるようになってきました。図工の評価も、デジカメでプロセスをとり、評価に活用することで、メモだけではわからない部分を見ることができるようになっています。体育でも同じことが言えます。成績の評定なども、ちょっとした記録だけで、解決することができるようになっています。グループウェアの活用も、会議や情報の共有化という点では各自に進んできています。

 50代よりも上の人たちからすれば、これらのことは、非常に働き方改革を進める上で大きな効果を上げていると感じると思います。

 しかし、40代よりも下の先生たちにとっては、これらは、当たり前のことであり、別段驚くようなことではないのです。スマホが普及し、デジタル情報を処理することに慣れている先生たちにとっては、アナログだらけだった教育現場の方が不思議な正解だったかもしれません。通知表に文章での起債が無くなったことで、通知表を作る時間が何十時間も減っていく。すごい改革だと思うのですが、最初から文章での記載がない先生たちにとっては、何ら改革ではなく、通知表は大変な仕事なのです。

 働き方改革を進めるためには、定数法の改正が必要です。これまで、何十年もの間、仕事量を増やしたにもかかわらず、教員の定数をまったく増やしてこなかったことのつけが回ってきているのです。もちろん、やっていることややらされていることを減らしていかなければどうにもならない面もあります。

 表面的には働き方改革が進んでいるように見えるかもしれません。しかし、それは、表面的なことだけであり、数値の問題だけなのだと言いたいです。


2025年12月21日日曜日

学校は保育園か?

  

イメージキャラクターを作ってみました。ココアちゃんです。


 学校の開門時間を7時にする自治体があると報じられています。すでに、放課後については学校施設を利用して、子ども達を夜まで預かるシステムができています。こちらの方は、初めに、子ども達を集団遊びができるような機会を増やすと言って始めたものが、純然と預かり機能になってきています。僕の記憶が正しければ、たぶん30年近く経っていると思います。朝の預かりシステムも、固定化してくれば、それなりにコストがかかるシステムになるでしょうし、場合によっては、学校での対応も求められるようになるかもしれません。

 これらのシステムが学校とは異なるものだということを保護者にしっかり理解してもらえるようにすることがまず大切です。実際、所管している部署が違いますので、本来的には学校と切り離されたものだというのは明白なのですが、同じ施設を利用しているだけに、保護者には、分かりにくいとは思います。行政的には、少子化対策の一環として、大人の都合で、子ども達を預かるシステムが必要だと考えているのでしょう。

 学校が保育機能を持っていると実感させられたのはコロナ禍です。この時期に、学校が子ども達をできるだけアズってほしいという保護者が多くいることが分かった気がします。何もしなくても、学校が預かってくれるだけでいいという声をも多く聞いたと思います。

 


 確かに、学校にいるということは、基本的に安全だということもありますし、食事も提供されますから、保育とみてもおかしくはないのかもしれません。

 本体的には、学校は保育機関ではないのですが、日本社会のシステムが不十分な分、学校という社会的施設に、保育機能まで求めてしまうのかもしれません。学校が本来の機能を取り戻すためには、社会全体の構造が変化しなければならないのだと思います。

2025年12月18日木曜日

人事への期待



個人的な感情語を抑え、客観的な事実と論理展開を強調しました。

かつての人事要望において、校長は「算数指導の見識がある人材」「体育指導で職員を牽引できる人材」「教務主任を担える人材」など、学校運営に必要な具体的スキルを持った教員を求めていました。しかし近年では、「授業が成立する教員」「1年間担任を務められる職員」であれば十分とする傾向が強まっています。以前は「最低条件」であったはずの要素が、今や「採用の決め手」となっているのが実情です。

この背景には、大量採用世代の産休・育休取得増や、男性職員の育休取得、さらには病気療養に入る職員の増加があります。これにより欠員が生じ、臨時的任用教員(以下、臨任)であっても担任を任せざるを得ない状況が常態化しています。 本来、学校管理職としては経験の浅い臨任を担任に据えることは避けたいところですが、一校で多数の臨任を雇用せざるを得ない現状では、彼らを担任として配置しなければ人員配置が完了しません。 また、正規職員の中にも、指導力不足により学級崩壊や保護者からの苦情を招く者がおり、担任を任せられないケースが存在します。こうした要因が重なり、冒頭のような「最低限の要望」しか出せない状況に陥っています。

教育委員会は「チーム学年経営」や「ペーパーティーチャーの復帰支援」などの対策を講じていますが、抜本的な解決には至っていません。 小学校における人員不足は深刻です。「過重労働」という評判が人材確保を困難にし、その結果として現場の負担がさらに増すという悪循環が続いています。しかし、こうした状況下でも教員定数の改善に関する議論は進んでおらず、給与引き上げの話も不透明なままです。

現在は、人材育成を論じる以前の段階にあります。まずは最低限の人員を確保すること。そのために、給与等の待遇改善を行い、人材を呼び込む施策こそが急務であると考えます。



2025年11月26日水曜日

就学時健康診断を学校に押し付けているのはどうにかならないの

 10月から12月にかけて、就学時健康診断が実施されます。小学校に上がる前年度、幼稚園や保育園の年長さんが受けに来ます。おそらく、どこの自治体でも、その子が入学する予定の学校で実施しているというのが現状だと思います。しかし、本来は、教育委員会が実施するものであり、学校が準備や実施、片付けをするものではないはずです。少なくとも学校保健安全法を読む限り、学校が実施するものではないはずです。実施責任が教育委員会にあるのですから、教育委員会が実施し、その結果を学校に送付するというのが正しい手順なのではないでしょうか。法定検診として1.5歳と3歳の2回、これは、自治体が実施しているのですが、設定されています。決して、学校が実施しなければ実施できないというものではないと思います。各学校に実施させれば確かに費用の面や場所の確保の面から言えば教育委員会は楽ができるのだと思います。人数の多い都市部ではとてもできないというのかもしれません。しかし、実際に1.5や3歳の検診は実施できているのですから、方法はあるはずです。

働き方改革をどの教育委員会も言っています。しかし、就学時健康診断のように学校に業務を押し付けて実施しているものもあるわけです。学校は準備に十分時間をとっています。事前の打ち合わせもしますし、お医者様の日程に合わせ、日程を決める作業もしています。寒ければ、内科検診の際の部屋の温度の調整もします。もちろん、学校にとってのメリットもあります。入学する前に、どのような子が入学してくるのかを見ることができます。ですが、この点については、今は事前に幼稚園や保育園に見学に行くことも多いと思いますので、補うことはできます。

保護者としては、自宅近くの学校はよい検診場所かもしれません。しかし、日程の調整ができないという点で不自由があると思います。両親ともに仕事に行っている場合や、片親の場合なども本来日程の調整ができる方が望ましいと思っていると思います。

いずれにしても、法律にあるように教育委員会が実施すべきものは実施すべきです。

2025年6月29日日曜日

人が足りないのを解消できるのでしょうか。

昨年、12月に給与表の改定をしたのだと思います。初任給を上げるためが一番の理由だったと思います。初任給を上げるということは、若手の給与を同じように上げなければなりません。その結果、勤続年数が多いほど、給与を上げないということが起こったわけです。物価だから、給与の引き上げをするという報道がありました。しかし、20代は、1カ月分の給与引き上げをしたのですが、40代以上は、5000円程度の引き上げにとどまることになりました。企業の状況は分かりませんが、教員に関しては、そういう実態がありました。「いまさら転職するわけないから、給与は引き上げない」と考えているんじゃないという声が職員室で聞かれました。

人材不足が著しい中、大企業では、初任給30万という発表が続きました。それに引き換え、教員の初任給は、手取りで20万ちょっとだと思います。そう考えると、やはり教員になってもらうためには、初任給を引き上げるというのも必要な戦略だとは思います。

ですが、ここまで、失った30年といわれる中で、公務員の給与を抑えることに熱心に取り組んできたのは政府です。教員の給与も例外ではありません。僕自身、その中にいましたから、給与って上がらないという感覚があります。バブル以前から仕事をして痛みとすると、本当に、異常な事態が続いていたんだという実感があります。

今まで、就職氷河期などがいい例ですが、就職難の時代ほど、簡単に人材を集めることができたのだと思います。また、就職氷河期の時代は、ちょうど、教員の採用が少なかったじきでもあります。ですから、採用試験のハードルも高く、苦労した人たちも多いと思います。ちなみに、僕が採用試験を受けた時には、実技試験がありました。実技試験を始めた年でした。水泳をしたり、跳び箱運動をやったり、オルガンを弾いたりしました。

今の20代は実技試験が無くなっています。採用試験を受けてくれる人を増やすためです。試験の負担の軽減を図っても、実際には採用試験を受けてくれる人が増えているという様子はないような気がします。もちろん、一つの自治体が実技試験をやれば、そこだけが避けられるというのも事実でしょう。

教員免許を取得するための大学も増え、初任給も上げ、採用試験の煩雑さをなくした。これだけのことをしても、今年の採用試験の倍率が上がらい。これが事実です。では、どんな手を打てばよいのでしょう。初任者研修を進めるために、初任者のためのサポートのための先生を雇用しています。しかし、毎日いてくれるわけではなく、週に1日だけ、いてくれる程度なのです。こういう直接担任をするのではない職種なら、定年で辞めた人でも、やってくれる可能性はあります。思い切って一人に一人指導教官をつけ、複数で1クラスを見るという手も打てるのではないかと思います。

それから、思い切った手としては、夏休みです。夏休みをしっかりとれる仕事だと謳ってしまえばよいと思います。長期の休暇が取れる職種として、魅力が出るのではないでしょうか。夏季休暇を10日つけるとか。そうすれば年休(有給休暇)と合わせれば2週間以上休みを取ることができます。これならば、人件費が増えることはないので、実行可能だと思います。世間的にも、学校の先生をこれだけ優遇しているとアピールできることになると思います。

そこまでしないと人が集まらないという実態を訴えるべきです。

2025年6月21日土曜日

目標よりも、実行と評価を

 学校にはたくさんの目標があります。まず学校教育目標。市の教育委員会が出した教育目標。もちろん、文科省が示す目標的なもの。学校教育目標のもと作られる瞠目、図書、総合学習、情報教育、情操教育、環境教育、学校保健目標、学校給食目標、まあ、それぞれの分野で目標を作れと言われるわけです。でも、こんなに目標があって、その上に学年目標、学級目標まで。子ども達だって、先生だって、覚えているわけないじゃないですか。それぞれの部署が、自分のところは大切だからと思うのでしょうか。ともかく目標的なものが山とあります。学校が多忙化する要因の一つは、そういう各部署ごとにいろいろといってくる教育委員会の姿勢にあると思います。もちろん、教育委員会にいろいろ言ってくる文科省の責任であることは、間違いありません。それから、目標でいえば、公立学校という立場の危うさでしょうか。基本的に、公立学校ですから、どこの学校に行っても、同質の教育が受けられるはずです。また、公立学校として、日本全国津々浦々、同じ教育目標であるはずなのです。各学校ごとの特性や特質を生かしてといいますが、まず、基準となる学校教育の指導要領が示されているわけですから、目標だけが、各学校で異なっていることが不思議でたまりません。少なくとも、教育委員会単位で、示される目標は同じではないのでしょうか。異なった目標を立てる必要性がよくわかりません。第一、近隣の学校と学区が明確に線引きされ、学校間での競争があるわけでもありません。国によっては、学区が廃止され、児童数に応じて教育予算が異なることもあるようです。その場合は、学校間で競争が発生するのかもしれません。隣の学校よりも優れている点を強調したいでしょうし、特性を伸ばしたいと思うかもしれません。しかし、そのような競争もありません。また、目標を立てるということは、実行した後に、効果測定があるべきなのです。しかし、その点もされていない現状があるのではないでしょうか。一時期数値化することに意味があるという論調の時代がありましたが、それも、なんとなく消えています。目標を立てるなら、しっかりと、評価するべきだと思います。保護者へのアンケートをとったりしていますが、そのアンケートも学校単位ではなく、教育委員会単位でアンケートを十すべきだと思います。少なくとも、学校への満足度の比較をすることはできるのではないでしょうか。目標を持つことはいいことだと思います。学級目標を作り、それを実現した姿を子供たちに考えさせ、実現するための手順を明確に示すことができれば、少なくとも、学級崩壊を招くことはないと思います。また、先生達にも、達成すべき姿を明確に示し、そのために、どのようなことをしていかなければならなかを議論してもらうことには意味があると思います。

2025年6月14日土曜日

給料の問題なのか

 働かせ放題の温床は、給特法にあるのは間違えないでしょう。基本的に、公務員ですから人件費も予算の枠内で納めなければなりません。教員の「訳の分からない」残業にも給与を出していったら、いったいいくらかかるか分からない、と、感じている財務省や文科省には、それを推し進めることはできないでしょう。

ただ、お金の問題は、実は、表面的なものではないかと思うのです。それ以上に、「やりがい」ということの方が問題のような気がします。先生は、子ども達のことを第一に考え、子ども達のためならば、できるだけのことをするものだと、刷り込まれている方が問題なのではないでしょうか。最近はさすが出てきませんが、「聖職」などといわれていた時代もあります。その歴史があるからでしょうか、お金のことって職員の間では話題にならないような気がします。もちろん、給料が高いに越したことはありませんが、そのことが話題に出ることはないような気がします。日教組自体が給与闘争をして問いことも聞いたことはあまりありません。労働組合なのに、給料や労働環境にあまり熱心に取り組んできたとは言えない気がします。「やりがい」は、とても危険な言葉だと思います。それでも、これまでは、「やりがい」があるんだから、頑張れるという風潮が職員の中にはあったのではないでしょうか。

今でも、実際には土曜日や日曜日に学校に来ている職員がいます。仕事が終わらないからだけでなく、自分が考えていることを実現させるために、教材づくりや授業準備をするために学校で休日も働いているわけです。これらは、まさに「やりがい」マジックのなせるものだと思います。ライフワークバランスが言われ始めたのもつい最近のことだと思います。「やりがい」に浸食されている先生たちにライフワークバランスなどといっても響くものがないような気がします。

働き方を考えることは、大切なことです。しかし、仕事をすることで理想を実現できると感じている「やりがい」世代には考えようがないのかもしれません。自分の時間をたっぷり楽しむことを体感していかないと駄目なような気がします。ですから、単に給料の引き上げを実現しても、改善はされないでしょう。

2025年6月11日水曜日

現場を知ってもらうために

働き方改革の議論をする前に、文科省に入ったら、2年間学校現場で仕事をすることを義務化したらどうでしょう。

教育問題って、誰でも参加することができるテーマなんですよね。だって、国民の全員が、経験していることなんですから、教育については一言、二言、三言、話すことができるわけです。でも、学校の現状を実感できるのはその場にいたことがある人だけだと思うんです。国によっては、教育に関わる人は、全員学校での教員経験がある人という条件が付いているという話を聞いたことがあります。この国は、全く違いますよね。様々な会議や委員会の席に、現場からは数人出ているだけだと思います。有識者ということで、畑違いの人が参加していたり、メディアで話題になっている人が出ていたり、あとは、学者さんばかり。実際の学校の様子を理解sているとはとても思えません。

コンビニやファストフード、チェーン店化しているレストランなどに就職すると、3年間程度は、店舗の店長や副店長を経験しなければならないということを聞いたことがあります。文科省に入ったら、学校現場で経験を積むことで、現場の課題や問題などを実感できるようになるのではないかと思うんです。まあ、担任をやれとまでは言いません。免許法の関係もありますから、難しいと思います。せめて、校長を2年間やってみるというのがいいのではないでしょうか。確かに、文科省から教育委員会に出向している人もいます。教育委員会の課長級で、様々な場面の視察をする機会もありますし、学校の職員の声も聴く機会があると思います。しかし、それでは不十分だと思います。何が学校で起こっているのか実際に一緒に働かなければ分からないのではないでしょうか。

学校は、視察があるといえば、その場しのぎでも格好をつけます。悪く見えるようなことはしません。それはそうですよね。だから、問題がないと見えるかもしれませんが、実際には小さな出来事がたくさん起きているわけです。

本当に困っていること、悩んでいること、それらを実感できるような仕組みを作ることはとても大切なのではないでしょうか。

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化

私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より...