少子化ということが言われるようになって、既に30年以上の年月が経っています。実際には1975年に合計特殊出生率が2を切っているので、その時点が人口問題の分岐点だったのかもしれません。そして、現在は合計特殊出生率が1.2を下回っているわけです。
この問題に関しては、2000年代に入り、担当大臣を置いたり、直近の出来事としては
子ども家庭庁を設置したりしています。しかし、一考に少子化は止まっていません。むしろ低下しているわけです。
政治は、戦前から戦後にかけて、人口問題に常に口を出し、手を出してきました。昭和初期は、子どもが多ければ表彰されるような仕組みがありました。これは、日本が生産力を高めるため、軍事力を高めるために必要なことであったからです。本来、政治とはかけ離れた個人ベースのことに、政治が加入したよい事例だと思います。一方、戦後は、人口の増加に歯止めをかけるために、産児制限を行います。家族計画という言葉ありましたが、字の通り計画的に出産をすることを政府が中心になり進めたわけです。4人家族という「標準」を作り、国民にそれを提示してきました。これも、家庭や家族に、政治が介入した例になると思います。
この経験から、政治は、人口問題や家族の問題にも口を出すことができると考えているのかもしれません。しかし、実際にこの50年の間、何一つ成功した事例はありません。ひたすら人口は減少しています。
人口減少が起こっている原因は、よく出てくるように経済的な問題だけではないと思いますが、経済的なことも問題ではあります。労働者を再生産することは、資本家たちにとって大切なことだったはずです。労働者がいなければ、生産自体ができないわけです。ですから、従来の労働者が子どもを作り、新たな労働者となることをできるような給与を支払ってきたわけです。しかし、現在一時雇用や非正規採用が増えたことで、労働者を再生産するだけの給与の支払いをしなくなったという現実が大きな要因の一つです。
ただ、それ以上に、子どもを育てることに対する価値が下がっていることが大きい影響を与えているのではないでしょうか。以前、「勝ち組」と「負け組」について書きました。実際に子どもを産み育てる中で、競わされている部分が多くあります。また、1度か2度しかない子育ての中で失敗は許されないという心理も働いていると思います。これは、過酷な戦いです。そういう心理的負担が影響しているのではないでしょうか。また、「楽しいこと」がたくさんあるのに、あえて子どもを育てるという事業を自ら呼び込む気にならない人も多くいるような気がします。SNSなどでのコミュニケーション、推し活のような熱中できる活動など、今の時代になり力を持ってきた事柄が多くあるわけです。
そして、誰かと濃密な関係性を持つことに対する拒否間のようなものもあるのかもしれません。
いずれにしても、少子化に政治が介入しても、何一つ解決にはならないのでしょう。それよりも、本当に少子化を改善するのならば、仕事をする人たちが子どもを育てる余裕のある社会にしなければいけないのではないでしょうか。


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