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2026年3月22日日曜日

学校の不思議。体育着や赤白帽がいりますか。


体育の時間になると、どの学年でも着替えをします。特に1年生などは、ものすごく時間がかかりますよね。ここ10年ほどの間に、更衣室がない学校では、教室の中央にアコーディオンカーテンを設置し、男女に分かれて簡易更衣室を作るようになりました。2000年以降に建った比較的新しい学校には更衣室があったりするのですが、そこでのトラブルが多いこともあり、教室を半分に仕切る方法が広がったのでしょう。

体育の時間に「体育着(体操着)」に着替えるのは、大人からすると当然のことだという感覚があります。「体育着を忘れたら見学」と言われた経験が、皆さんにもあるのではないでしょうか。

しかし、みんなが同じような体育着(学校によっては校章をプリントした指定服)を着るというのは、日本独自の学校文化のようです。(転校生が前の学校の体育着を着ているのを見て、そう実感することもあります)。考えてみると、必ずしも体育着である必要性はないんです。別に、運動ができる格好であればよいだけの話です。大体の子どもは普段から動きやすい服装で登校していますから、そのまま体育をやればよいと思うことが多くありました。

「衛生面で問題がある」と指摘する先生たちも少なくありません。しかし、休み時間に外で走り回って汗びっしょりになって教室に帰ってきても、着替えるわけではないのです。家庭にいても、外で遊んで汗をかいたからといって、いちいち着替えさせるご家庭も少ないのではないでしょうか。

体育着は戦前からあったようです。女子に評判の悪かったブルマは1960年代あたりから普及し、現在のハーフパンツは2000年ごろから定着しました。しかし、本当に「全員お揃いの着替え」が必要なのでしょうか。

それから、赤白帽です。これは1959年ごろに登場したものらしいです。チーム分けで鉢巻を結ぶ手間を省き、日射病対策にもなるということで普及したそうです。まあ、近年の猛暑の前では何の役にも立たない「時代の遺物」のような気がしてなりません。

現在では、チーム分けに赤白帽を使うことも減っていると思います。ビブスが普及し、学校にはすぐに着られるビブスが何セットも用意されています。本当に熱中症対策を考えるなら、より意味のある帽子を使うべきです。今は熱中症計が普及し、危険な暑さの時は外での活動自体が禁止されます。それに、普段から「必ず帽子をかぶって外に出ましょう」と徹底されているわけでもないと思います。

なぜ赤白帽や体育着が必要なのか、校内でしっかりと議論されているのか疑問です。「これまで使ってきたから」という理由だけで使われているような気がしてなりません。また、その理由が「他校も使っているから」「それが普通だから」ということであってはならないと思うのです。

ちなみに、体育着も赤白帽も、他の先進諸国では使われていません。これらはまさに、日本独自の学校文化なのです。

2026年3月18日水曜日

卒業式の不思議な光景

卒業式のシーズンを迎えました。小学校6年間で最も重要な式典とされるため、かつては準備に膨大な時間を割いていました。歩き方や証書の受け取り方、お辞儀の角度に至るまで徹底し、さらに歌や「呼びかけ」の練習を3月以前から始めていた時代もありました。現在では、さすがにそこまで長時間の細かい指導は行われていないでしょう。

以前は、ある程度仕上がった通し練習を校長が視察し、その鶴の一声で急遽変更が入ることもありました。今となっては昔話ですが、とにかく大変な時間をかけていたのです。

コロナ禍を経て、卒業式の風景は大きく変わりました。歌唱数の減少、在校生(5年生)の不参加、保護者の入場制限などが見直しのきっかけとなりました。中には紅白幕の設置をやめた学校もあると聞きます。幕そのものに本質的な意味はないため、それも一つの英断だと思います。

そこで見直しの俎上に載せたいのが「呼びかけ」です。証書授与を省略できないとすれば、簡略化の余地があるのはここではないでしょうか。「呼びかけ」は本来、形式的で退屈な儀式から脱却し、子どもたちが主体的に参加できる場面を作ろうと考案されたものです。自分たちで言葉を紡ぎ、声を合わせることで参加者としての自覚を促す意義は、確かにありました。

しかし、今こそその「やり方」を再考すべきです。必要最低限の形式的進行にとどめ、校長や来賓の祝辞を3分以内にするなど工夫すれば、式はもっと短縮できます。そうすれば練習は1時間もあれば十分で、浮いた時間を卒業前のより有意義な活動に充てられるはずです。半世紀も前に「当時の子どもたちのため」を思って考案された形に、現代の私たちが縛られ続けることは、創始者にとっても本意ではないはずです。

2026年3月10日火曜日

ランドセルじゃなければダメですか

 僕が教員になったころは、高学年になるとランドセルを使っている子は少なく、多くの子どもたちはデイパックなどを利用していました。

それが30年ほど前でしょうか、「6年間ランドセルを使わせたい」という流れが定着してきたように感じます。学校には不思議な文化があり、時にこうした流行が作られます。何か大きなきっかけがあったわけではなく、おそらく当時の保護者の集まりなどで「うちは卒業まで使わせることにしたの」といった発言があり、「じゃあ、うちもやってみよう」と口コミ的に広がっていったのではないでしょうか。

現在のランドセルは、本革や高品質な素材が使われているものが多く、正式な「ランドセル」として認定されるには国内製造であるといった厳しい基準もあるそうです。価格が高騰しているのには、そうした背景もあります。

学校現場にいた頃、「必ずしもランドセルじゃなくてもいいのではないか」と提案しようとしたことがありました。実際に、新1年生の説明会であえて「ランドセル」という名称を使わず、「背負ってこられるもの」という表現を試みたこともあります。 しかし、「今は早いご家庭だと、年長の春にはもう購入しているんですよ」という実情を聞き、諦めざるを得ませんでした。入学の1年も前から購入活動(ラン活)が始まっているのなら、直前の説明会で学校側がどう表現しようと、まったく意味をなさないわけです。人気のランドセルを手に入れるためには、そこまで早く動かなければならない時代になっていました。

最近では、富山県の立山町がモンベルと共同開発した通学用リュック「わんパック」が話題になり、それに追従するように布製や合皮製の軽いバッグを無償配布する自治体も増えてきているようです。

学校現場でも負担軽減の工
夫は進んでおり、以前とは違って教科書やノートを教室に置いて帰る「置き勉」が広まっています。下校時の子どものランドセルの重さを量ったことがありますが、5キロ以上もありました。子どもの体重を考えれば、明らかに重すぎます。その点からも「本当に従来のランドセルでなければいけないのか」と考えてしまいます。

もちろん、ランドセル市場は日本全国で見れば巨大な経済活動ですから、「廃止しよう」などと言い出す政治家や官僚はいないでしょう。しかし、ランドセルは決して法律で制度化されたものではありません。 両手がふさがらないリュック型の安全性を保
ちつつ、従来のランドセルに代わる軽くて自由なカバンを使っていこうというムーブメントが、今後さらに広がっていくといいなと願っています。

軍隊の背嚢(はいのう)が原型だということで、軍国主義の名残だとまで言うつもりはありません。ただ、「みんなと同じカバンでなければいけない」という同調圧力のような考え方については、これからの教育において少し見直していく時期に来ているのかもしれません。

話を聞く姿勢を作りましょうⅡ

  ■ 低学年の子どもには「話す速さ」に要注意   子どもたちに話をするときは、「話す速さ」を意識しなければなりません。特に低学年の子どもは、耳から入った音の情報を脳で処理する能力がまだ十分に発達していません。人間の聴覚の素晴らしいところは、必要な音だけを拾い上げて脳に伝えられる...