生成AIがさらに精度を高めたとき、果たして学校は生き残れるのでしょうか。そして「先生」という職業は残るのでしょうか。少なくとも、「知識を教え、学習を進める」という従来の学校の機能は、あまり意味をなさなくなってくるはずです。 子どもたちは今後、自分専用のパートナーである生成AIとともに学習を進めるようになるでしょう。自分の考えをAIに伝え、そこで対話的な授業が行われます。生じた疑問に対しても、自分の考えを仮説として持ち、先生や友達ではなくAIとのやり取りを通して解決していく。おそらくその方が、これまでの教室での一斉学習よりも個々の思考を深めることができ、結果的により質の高い学習活動が実現できるのだと思います。
学習とは、本来パーソナルなものです。自ら考えることから始まり、対話によって考えを深めていく。そうした理想的な形を実現できるのが、生成AIを活用した学習です。生成AIは日々進化しており、今考えていることも1年経てば古くなってしまうでしょう。すでにこうした学習様式を試行している学校も多くあるはずです。現場での検証を待つ必要はあるかもしれませんが、学習形態が根本から変化していくことは間違いありません。
一方で、だからこそ「実体験」の大切さがより一層重視されるようになるでしょう。鉛筆で字を書くことや、クレパスで絵を描くこと。工作でのりを使い、手についたベタベタを拭き取ることの心地悪さと大切さ。みんなでボールゲームを楽しみ、共同作業の意義を体感すること。そして、休み時間の何気ないおしゃべり。学校生活におけるさまざまな瞬間での実体験は、子どもたちの成長に決して欠かすことのできない要素として残るはずです。
そうはいっても、学校や先生の存在意義は確実に変わっていきます。しかし現状では、何一つと言っていいほど検証が進んでいません。そもそも鉛筆を使うことに意味があるのか。手書きで漢字が書ける必要があるのか。外国語を学習する意味は残るのか。数多くの疑問符が浮かびます。 だからこそ、これからの教育のために、早い段階での検証が不可欠なのです。教育に関する先進的な研究を推し進めることは大切です。国としてもしっかりと予算をつけ、国立大学の附属学校などで実験的に生成AIを活用した授業を行い、その実践結果を広く社会へ伝えるべきではないでしょうか。


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