学習指導案は、すべての教員がゼロから書けなければならないものなのでしょうか。確かに、新しい指導法や、子どもがより学習しやすい方法を考えることは大切です。また、学習指導の予定や記録としても、指導案には意義があるでしょう。しかし、すべての教員が常に学習指導案を自ら作成する必要があるかといえば、疑問を感じます。
第一の理由は、物理的な時間の制約です。1時間の授業についてじっくり考察することは有意義ですが、すべての授業の指導案を書くことは不可能です。また、学級担任制が基本の現状では、同じ授業を繰り返す機会はほとんどありません。教科担任制であれば複数クラスで実践できるため意義があるかもしれませんが、日常の授業とかけ離れた「特別な準備」を要する指導案の作成は、あまり現実的とは言えません。
第二の理由は、どの学校・どの学級でも通用する「普遍的な授業」は存在しないということです。学校や学級によって児童の学力や特性に差があるのは当然です。いくら素晴らしい授業プランであっても、目の前の児童の実態に合っていなければ授業として成立しません。同一の指導案で、どこでも同じ反応が得られるわけではないのです。
第三の理由は、多様な方法で学習指導案を入手できる環境が整っていることです。現在では、生成AIを活用すれば数分で指導案のベースが作成できます。AIを使わずとも、インターネットで検索すれば全国の教員が作成した優れた指導案を容易に閲覧できます。単元に入る前に自分のイメージに近い指導案を見つけ、それをベースに自学級向けにアレンジするだけでも、十分に有効な教材研究になるはずです。
もし教材研究にたっぷり時間を割けるのであれば、白紙の状態から指導案を練り上げるのもよいでしょう。しかし、多忙を極める現状では、それは非現実的です。
一から学習指導案を作成することに労力を費やすよりも、自分の考えに近い既存の指導案を活用し、実際の授業実践に注力することのほうが意義があるのではないでしょうか。どのようにすれば子どもたちを引きつけられるか、どのように新しい疑問を持たせることができるかなど、目の前の子どもたちに向けたアプローチを工夫することこそが、現実的な授業改善につながります。これまでの授業研究は「まず指導案ありき」でしたが、これからは指導案の形式に縛られることなく、授業を実践する「パフォーマンス力」を高めることが求められていると考えます。


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