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2026年3月3日火曜日

働き方に対しての意識を変えないと。


いつから学校の「働き方」は問題になったのか

働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないのですから、自分がどれだけ残業しているかを気にする習慣もありませんでした。

子ども達が下校し、会議が終わって、ホッとする。 それからお茶を飲みながら、クラスの様子や子どもたちのことを同僚と語り合い、自分のペースで事務処理を進める。仕事が終わってから帰りたい職員もいれば、残って仕事を続けたい職員もいる。夕方の職員室には、比較的ゆったりとした時間が流れていました。

変わる職員室と、過去の記憶

教育委員会が時間外勤務の実態把握と縮減に本腰を入れ始めたのは、2020年ごろではないでしょうか。各学校へ統計数値が送付され、会議の場でも具体的な改善が求められるようになりました。

つまり、2020年以前から教員をしている人たちは、旧来の「ゆったりとした」タイムスケジュールを体で覚えているのです。日中が過密スケジュールだからこそ、夕方以降は少しリラックスして、のんびり自分のペースで仕事をしたいという気持ちになるのも理解できます。

また、終業時間が「16時45分」という点も影響しています。春から秋にかけてはまだ外が明るく、「まだ時間がある」という心理的な要因から、ついつい学校に残って仕事をしてしまうのです。


時間を意識する仕組みと、AIによる業務効率化

しかし、解決策は確かにあります。

一つは、「先生たちに時間を意識してもらうこと」です。 私は学校を異動するたびに、職員室でチャイムが鳴るように設定してきました。16時45分、17時45分、18時45分、そして最後は20時。音で時間を区切ることで、意識は確実に変わります。

もう一つは、「最新ツールによる業務効率化」です。 今は、テストをスキャンするだけで自動で誤答を見つけ、点数集計までしてくれるシステムがあります。週案も5分で作れます。さらに、保護者へのお手紙の文面、企画書、指導案の作成などは、AIが強力にサポートしてくれます。工夫次第で、仕事は大幅に効率化できるのです。

ベテランと管理職が背中を見せる

こうした改革は、40代、50代の中堅・ベテラン教員が先頭に立って実践しなければ、職員室の雰囲気は決して変わりません。そして言うまでもなく、校長自身がそのトップに立つべきです。

毎年4月になっても教員不足が解消されないという深刻な事態を防ぐためにも、働き方の改善は、今すぐ取り組むべき「急務」なのです。

2026年3月2日月曜日

仕事の進め方について、考えていたのは、こんなこと。

皆さんは、日々の仕事の進め方でどんなことに気を付けていますか?

学校現場は、年度末から年度初めにかけてが一番忙しい時期ですよね。担任は通知表だけでなく指導要録を書かなければなりませんし、新しい学年の学級編成の準備もあります。子どもたちの引き継ぎ業務も必要です。他にも、処理しきれていないテストやプリントなどが残っているかもしれません。

そんな多忙な中で、僕は仕事を進める上で「2つのこと」を大切にしていました。


一つ目は、「目の前の仕事を一つひとつ確実に終わらせること」です。
学校には細々とした案件が多く、並行して進めなければならない仕事も山のようにあります。人員に余裕があれば手分けもできますが、現実にはなかなかそうはいきません。だからといって、マルチタスク風にいくつもの仕事を同時進行していると、どうしても抜け漏れが生じやすくなります。だからこそ、必ず一つひとつを完結させながら仕事を進めることが大切だと考えてきました。

二つ目は、「15分を1単位として考えること」です。 15分間というのは、人が確実に集中できる時間の単位だと思います。たとえば、30分かかる仕事は「2単位分の仕事」と考えます。その日の終業時間までに「あと何単位分の時間があるか」を逆算し、どの程度の業務を処理できるか算段をつけて、必ず時間内に終わらせるようにしていました。 もちろん、この進め方にはTODOリストが欠かせません。さらに、経験を重ねて「1単位(15分)で自分がどの程度の業務を処理できるか」を把握しておくことも重要です。

今はAIを活用できる時代になり、大幅な業務の時短が可能になっています。テストの採点処理や週案の作成なども、おそらく5分、10分の仕事になりつつあるでしょう。そのため、私の過去のやり方自体はもう参考にならない部分もあるかもしれません。ですが、「時間の使い方」や「仕事の手順を組み立てること」の重要性については、今の時代の先生方にもぜひ考えてみていただきたいなと思っています。

2026年3月1日日曜日

臨任に登録してくれる人、いませんか。

最近、こんな話を聞きました。 ある学校で産休に入る先生がいたのですが、代替の臨任(臨時的任用教員)が来ないそうです。担任を空けるわけにはいかないので、児童指導専任の先生が担任代行をしているとのこと。さらにその学校では、もう一人療休(病気休暇)に入った先生もいて、そちらは専科の先生が担任代行を引き受けているそうです。

同じ時期に二人の欠員が出る。現場ではありうる話ですが、管理職の視点から見ると、この2つのケースは性質が全く異なります。

産休の場合、妊娠が分かり出産予定日が見えてくる頃には、校長は教育委員会へ「〇月に産休に入る職員がいるので手配をお願いします」と連絡を取ります。つまり、教育委員会の人事担当者は、半年も前から「〇ヶ月後に産休代替が必要になる」と分かっているのです。以前なら、これで無事に事は進み、手配が完了していました。産休代替は「予定が立つ欠員」なのです。 一方、療休は突然の出来事ですから、すぐに対応するのが難しいのは十分に理解できます。しかし、今は「予定が立っているはずの産休代替」すら見つからないという異常事態が起きているのです。

実は、臨任の先生の給与は正規職員と遜色がありません。自治体によって差はありますが、新卒であっても月給30万円以上を提示する自治体もありますし、40代・50代のベテランになれば50万円まで段階的に給与が上がる自治体も存在します。

しかし、ここに別の根深い問題があります。「教員経験者が、果たして再び臨任としてフルタイムで働きたいと思うか」ということです。 以前も書きましたが、現在の学校の「働き方」自体が嫌で辞めた人は、待遇が良くても臨任を引き受けるとは思えません。定年退職後の先生方も同じ気持ちでしょう。その結果、「フルタイムの臨任は負担が大きいけれど、非常勤講師なら引き受けてもいい」という流れになるのです。

この非常勤講師の働き方も、自治体によって勤務時間の上限が明確に異なります。東京都なら週26時間、横浜市なら週29時間、川崎市に至っては週35時間といった具合です。これを主たる収入源にするか、あるいは兼業前提で働くかなど、働く側の目的によっても選択肢が変わってきます。

いずれにしても、「臨任としてフルタイムで現場を支えたい」と登録してくれる人が決定的に不足しているのが今の教育現場の現実です。 学校現場は、教員が離れていかないよう「働きやすい職場づくり」に今すぐ本気で取り組まなければ、この先もずっと人員不足に悩まされ続けることになるでしょう。

2026年2月28日土曜日

私立中学の受験の2月でしたね。

 


■ 3年間で350万円。中学受験にかかる費用と親の心理 2月は、私立中学受験の月でした。最低でも3年間、子どもたちは受験のために多くの時間を使い、親は多額の費用をかけてきました。僕の感覚的なものですが、3年間に必要な塾などの費用は350万円くらいになると思います。 金額的に見ると「そんなにかかるのか」と思うかもしれませんが、「私立中学に入れば、それ以降は塾に行かずに済む。公立の中高に進んで通塾した場合と比べても、トータルでの出費はそれほど差がない」と考えるご家庭も多いようです。


■ 首都圏における進学率の実態と「親の経験」
現在、私立中学に進学する割合は、高い地域では5割近くなっています。東京都の文京区、港区、千代田区などが高く、それに続くのが世田谷区、渋谷区、目黒区などです。 東京都に次いで高いのは横浜市です。横浜からはすべての鉄道が東京に向かっているため、都内の私立中学に進学しやすいという背景があります。田園都市線沿線の青葉区や都筑区、東横線沿線の港北区や神奈川区などが高い地域になっており、いずれも3割前後の進学率になっていると思います。

これらの地域は、保護者の学歴や教育への意識が高く、経済的にもゆとりがある家庭が多いと考えられます。ただ、それだけではありません。東京都内や横浜、川崎などに住んでいる家庭は、親自身が私立中学出身である可能性が高くなっています。 そうなると、私立中学に進学することは至極当然のことであり、「自分と同じように、より良い環境で学生生活を送らせてやりたい」と考えるのだと思います。

■ 公立小学校の「無関心」とこれからの課題 これまで公立小学校は、児童の私立中学への進学に全く無関心でした。地方出身の教員からすると「わざわざ私立を受験させなくても……」と考えることも多いでしょう。 また、学校には受験の資料も何もないため、保護者も「受験の相談は塾でするもの」「学校には受験することすら伝える必要がない」と考えているのだと思います。 しかし、中学受験が子どもたちを取り巻く環境の一つだとすれば、学校としても、せめて「受験をするのかどうか」くらいはしっかり把握しておくべきではないかと思います。

これから少子化が進むなかでも、中学受験熱はさらに過熱していくと思います。親の意識と経済力による差がつきやすく、また、学力の差もつきやすい部分です。1日に学校以外で3時間、4時間と学習していれば、それだけでも単純に学力は高くなり、知識量も豊富になります。 今後は、子どもたちを取り巻く状況を理解するためにも、ある程度は学校側も受験について関心を持った方がよいと思います。

2026年2月27日金曜日

時代による変化が。AIもその一つだから。

 現在、子ども達はごく自然にAIを使っています。スマートフォンやタブレットを通じて日常的にAIに触れられるため、彼らにとってはすでに「あって当たり前」のツールです。今の段階で、彼らはすっかりAIを使いこなし始めていると言っていいでしょう。

振り返ってみれば、僕がパソコンを使い始めたのは1980年。そして、携帯電話やインターネットに触れ始めたのは1992年頃のことでした。この約45年の間に数多くの新しい技術が生まれ、それに伴って子ども達の「当たり前の範囲」も大きく広がってきました。

たとえば、1983年に登場したファミコン。僕自身も子ども達に混ざって夢中でプレイした記憶がありますが、現在の40代はまさにこのファミコンと共に育ってきた世代です。また、当初は接続が難しかったインターネットも、Windows 95の発売を機に一気に普及しました。現在の30代にとっては、インターネット環境が整っているのが「当たり前」の世代です。

1980年以降、どの時代に生まれたかによって、新しい技術に対する経験値や「何が当たり前か」の基準は大きく異なります。この前提の違いは、決して無視できないものです。

生まれた時からAIが存在する子ども達と、これから新しい技術として「学習しよう」とする大人とでは、AIに対する意識に決定的な差が生まれます。まだ全貌が見えないAIに対して、大人たちは恐れや戸惑いを感じているのが実情ではないでしょうか。

しかし、出遅れてしまった大人たちが今やらなければならないのは、とにかく早くAIに触れ、対話してみることです。 これからの学校は、AIを大いに活用していく場に変わっていくでしょう。だからこそ、先生一人ひとりが「教育現場でどうAIを使うべきか」を主体的に考えていかなければなりません。すでにAIを活用している先生方には笑われてしまうかもしれませんが、これからの学校教育のあり方について、僕は少なからず危惧を抱いています。

2026年2月26日木曜日

一人一人に応じた教育、とても大事ですよ。心配なこともあるけれど。

 

一人一人に応じた教育の実現に向けて、文科省は様々なケースを挙げ、学校現場に対応を求めています。各自治体の教育計画も同様の方向性を示しています。 外国籍の子ども、経済的な配慮が必要な子ども、個別支援教室や情緒支援級で学ぶ子ども、発達障害やギフテッドと呼ばれる子ども、不登校やその傾向にある子ども――。どのような子どもに対しても合理的配慮は必要であり、適切に対応すべきです。その理念は、間違いなく「正しい」ものです。

しかし、なぜ今になってこの問題が強く叫ばれるようになったのでしょうか。その発端は、2022年に国連の「障害者権利委員会」から日本が受けた厳しい指摘にあります。国連は、現在の日本の個別支援学級を「分離型の教育」であり、フル・インクルーシブとはかけ離れた制度だと批判しました。

日本の個別支援学級が、世界のインクルーシブ教育の潮流と異なっているという国連の指摘は、もっともな部分があります。ただ、問題の根本は別のところにあります。それは、日本の教育制度が長年「コスパ(費用対効果)」ばかりを重視してきたという事実です。

私たちは、戦後の経済力がない時代に作られた枠組みを、未だに使い続けています。少ない教員に多種多様な業務を押し付けられる「35人学級」や「個別支援学級」のシステムは、お金を出す側からすれば、これほどコスパが良く、ありがたい仕組みはありません。そして皮肉なことに、**現場の教員たちが身を削って「それなりの成果を上げてきてしまったこと」**が、この古い制度を温存させる最大の原因になっているのかもしれません。

さらに、教育予算の財源を「地方交付税交付金」という一般財源に頼っている仕組みにも問題があります。国が教育費として計算した予算であっても、各自治体の財政事情によっては全く別の事業に使われてしまうのが現状です。

「障害者差別解消法」が施行され、誰もが合理的配慮を求められる社会になりました。国として条約を批准し、社会全体で共生を目指す以上、文科省や教育現場だけがその波から逃れることは許されません。

私が危惧しているのは、十分な予算的配慮も、現場を支える「人的な保障」もないまま、理念だけが先行し、学校にさらなる圧力がかかってくる未来です。このままでは現場が破綻してしまうのではないかと、心配でなりません。

2026年2月25日水曜日

「一人一人に応じた教育って、今のままでできますか。


2月も終わろうとしています。学校では今年度のまとめをしつつ、来年度への準備も始まっていることと思います。来年度の準備と言っても、今の時期は校長が次年度の構想を練ったり、教育課程の日程を組んだりすることが中心になるでしょう。

さて、現在文科省が中心となり、「一人一人に応じた教育」を推進することになっています。しかし例のごとく、理念ばかりが先行し、それを実現するための予算の手当てが伴っていないように見受けられます。

確かに、全学年で35人学級が実施されたことは大きな一歩かもしれません。しかし、現場の感覚からすれば35人は依然として多いのが実情です。これだけで「一人一人を見るための条件が整った」とは到底言えません。先進諸国と比較しても、一つの教室にいる子どもの数としては明らかに多い水準にあります。

文科省はよく全国平均を用いて「1学級22人」という数字を挙げます。これならば先進諸国と同等に見えますが、あくまで平均値のトリックです。都市部の学校では35人ぎりぎりの教室がひしめき合っている一方で、過疎化が進む地域では35人が全校児童数というケースもあり、全国平均で語ることにまったく意味はありません。

では、現状からさらに踏み込んで「35人を30人に」できるかといえば、それは不可能に近いと言わざるを得ません。

理由は大きく二つあります。一つは「教員不足」です。これは当面解消のめどが立たない深刻な課題です。

そしてもう一つが「ハードウェア(施設)の問題」です。都市部の学校では、教室の絶対的な不足が起きています。自治体は6年先までの推計児童数に基づき計画を立てますが、一部の地域では予測を超えて児童数が増加し続けています。

さらに首都圏などでは、児童数が飛躍的に増加した時代(1950〜70年代)に建てられた校舎が一斉に建て替えの時期を迎えています。しかし、建設費の高騰に加えて建築基準が変更されているため、「これまで4階建てだった校舎が、建て替えると3階建てにしかできない」といったケースが多発しているのです。児童数が増え、35人学級化などで必要な学級数も増えている中、建て替えすら一筋縄ではいきません。その結果、21世紀の今の時代にあっても、運動場に簡易的なプレハブ校舎を建てて急場を凌ぐ事態となっています。

教員不足も教室不足も、一朝一夕には解決しない中長期的な課題です。そうであればこそ、国はもう少し先を予見し、実効性のある施策を立てるべきだったのではないでしょうか。

このような厳しいハード・ソフトの現状がある中で、果たして本当に「一人一人に応じた教育」など実現できるのでしょうか。

2026年2月23日月曜日

AIを使ってみてくれますか


前にも書いたことがあるんですが、今の先生達ってどのくらいAIを使っているんでしょうか。 世代による違いもあるかもしれませんね。若い世代は頻繁に利用し、それなりに使いこなしている印象があります。ただ、彼らは意外とパソコンを使わず、すべてスマホで完結させているという話もよく耳にします。

いずれにしても、AIに触れる機会を増やしていくことは、これからの時代とても大切です。

汎用的なAIとしては、以下の3つが有名です。

  • Gemini(Google)

  • ChatGPT(OpenAI)

  • Microsoft Copilot(Microsoft)

これらは検索代わりにもなりますし、対話型のパートナーとしても多くの人に活用されていることでしょう。 僕自身も、このブログの文章を校正してもらったり、イラストを作成してもらったりして活用しています。お馴染みのキャラクターも、Geminiと対話しながら誕生しました。一度ベースを作ってしまえば、新しいポーズや動きをつけることも簡単です。

ただ、やみくもに使うのではなく「必要性がある場面で利用する」のが良いと感じています。実際に文章を作らせたり、校正させたりして初めて「AIに何ができるのか」を実感として理解できるからです。最近は教育用のGeminiも登場しているようですから、すでに学校業務で活用し始めている先生も多いかもしれませんね。


また、子どもたちの学びをサポートするAI教材としては、Qubena(キュビナ)やMonoxer(モノグサ)が有名です。名古屋市では4年ほど前からQubenaを全市で導入していると聞きますし、Monoxerの活用事例についても耳にする機会が増えました。どちらも確かな使用実績があるため、自分で直接使ったことはなくても、名前を知っている先生は多いはずです。

ともかく、今の段階で「AIに全く触れていない」という人は少なくなってきているのではないでしょうか。最先端を追いかける一部の人だけでなく、私たちの日常業務の中にも使える場面はたくさんあります。

「まだ使ったことがないから」と立ち止まるのではなく、積極的に活用できる場面を見つけていく姿勢が大切です。その試行錯誤の経験こそが、何よりも大きな力になるはずですから。

2026年2月22日日曜日

定時退勤のメリット・学ぶ側の心理を知る重要性

定時退勤の最大のメリットは、自分のための時間を作れることです。それだけで心身ともにリラックスできますし、学校の出来事や子どもたちのことを一旦忘れる時間を持つことを強くお勧めします。オンオフの切り替えがしっかりできれば、日々の辛い気持ちも少しずつ軽減されていくはずです。

そしてもう一つお勧めしたいのが、文化的なことやスポーツなど「何かを学ぶ時間を作る」ことです。これは単なるリフレッシュの目的だけでなく、「自分が学ぶ側に回る」という点に大きな価値があります。 例えば、トレーニング中にトレーナーから的確な一言をかけられると、それだけで内容が大きく改善することがあります。自分だけでは気づかない点を指摘される効果です。私たちは普段、常に「教える側」にいるため、どのような指導が本当に効果的なのかを客観的に実感しにくくなっています。だからこそ、自分が学習者の立場に立ってアドバイスを受ける経験が不可欠なのです。

また、指導者によって指摘の仕方や技術的な説明の仕方は千差万別です。「どう教えられると理解しやすいか」を自分自身で体感することは、日々の授業や生徒指導の引き出しを増やすことに直結します。

さらに、自分自身が「上達する喜び」を再確認することも非常に大切です。子どもたちは誰もが「上達したい」「理解したい」と望んでいます。彼らに諦めさせることなく、少しでも前進している事実を伝えてあげることは大きな意味を持ちます。学年が上がるにつれて学習に諦めを抱く子どもを出さないためにも、まずは先生自身が学ぶ側になり、励まされ、褒められる経験を味わってほしいと思います。

朝が早い職業なのですから、一般の人よりも早く帰宅できるのは当然の権利です。この環境をチャンスと捉え、ぜひ定時に帰り、ご自身の時間を最大限に有効活用してください。

2026年2月21日土曜日

あと1か月。学級担任頑張れ!

 学級担任をもつと、「完璧にクラスをまとめなきゃ」とプレッシャーを感じるかもしれません。でも、最初からすべての先生がうまくいくわけではないんです。子ども達と上手くいかず、一度躓くとなかなか軌道修正できなくて悩む……そんな時期は誰にでもあります。これは、私自身にも上手くいかなかった経験があるからこそ言えることです。


振り返ってみると、子ども達と良い関係性が築けなくなる要因は、「教師が強引に物事を進めようとした時」にあるのだと思います。よく言われがちな「子どもに舐められちゃいけない」と肩肘を張ってしまう感覚が出てきたときは、要注意です。そこで強く出て押し切ろうとしても、良いことは何一つありません。 関係性がぎくしゃくしている時に、上から押さえつけたり強引に進めたりすれば、子ども達の不満はたまる一方です。特に高学年になると、その傾向はより顕著になります。

大切なのは、まずは子ども達の話を丁寧に聞き、よく観察してあげることです。強引な態度や上からの強気な発言は控え、ソフトで柔らかな対応を心がけてみてください。

もし、教室に向かう廊下や階段で「足取りが重い」「行きたくない」と感じるようになったら、それは心がかなりSOSを出している状態です。精神的に追い込まれ、子ども達の前に立っても気力を保てなくなっているサインです。

学級担任制の難しさは、教室という密室に「先生が一人しかいない」という点にあります。困った時に他の先生が応援に来てくれても、最終的には担任自身が子ども達と向き合わなければ、本当の収拾はつきません。 だからこそ、学級が荒れそうになると、つい大きな声を出したり物を叩いて音を立てたりと、「威圧」によってコントロールしようと考えてしまいがちです。その焦る気持ちは、とてもよく分かります。

でも、そんな時こそ、学級担任は「ソフトに、柔らかく、丁寧に」子ども達に接することが不可欠です。何よりもまず、「先生は話を聞いてくれる」「話しやすい」という安心感を子ども達に持ってもらうことが、クラスづくりの第一歩になります。

どうか、精神的にすり減ってしまうことのないよう、自分自身の心を守りながら、目の前の子ども達と向き合っていってくださいね。

2026年2月18日水曜日

教員採用試験って、どうなっていくのかな

ネットニュースなどで、様々な地域の来年度の教員採用試験に関する情報が出始めています。

教員採用試験は、この40数年間に大きく変容してきました。僕が採用試験を受けたのは1981年です。この年は、試験内容が大きく変わった年でした。実技試験が実施されるようになったのです。記憶が定かではありませんが、オルガンでの弾き語りや水泳、器械運動などが試験科目にあったような気がします。いくつかの自治体を受験したのですが、どこも同じような試験内容でした。

ちょうどこの頃、前時代の大量採用が終わり、採用者数が「激減」したのだと思います。採用枠が狭き門になったからこそ、一人ひとりをじっくり見る実技試験を実施できるようになったわけです。僕の上の世代はまさに大量採用時代で、地方まで教育委員会の人が学生の勧誘(あいさつ回り)に来ていたこともあったようです。

その後、1990年代になると教員採用がほぼなくなり、採用数が極端に少ない「氷河期」を迎えます。今の50代の先生方は、本当に大変だったと思います。臨任(臨時的任用教員)を何年も続けながら、採用試験に挑戦し続けた方も多かったはずです。

それが、2000年を過ぎたあたりから再び状況が変わってきます。第2の大量採用時代の到来です。当時のベビーブーム世代が一斉に定年退職を迎えたことから始まりました。さらに、35人学級への移行に伴う教員の需要増も拍車をかけています。

これまでにも何度か触れてきましたが、SNSで広まった教員のブラックな働き方のイメージや、民間企業の好景気、少子化による若者の減少などが重なり、現在に至るわけです。

現在の採用試験ですが、各教育委員会はともかく「受験者を集めること」に腐心しています。一歩間違えれば定員割れを起こしかねない状況ですからね。今後は実質的に、一次試験(筆記)が無くなっていく流れになるのかもしれません。

でも、本当にそれでもいいのかなぁと思います。「先生としての最低限の学力が保証されなくてもいいのだろうか」「ペーパーテストの結果なんて関係ない、という声もあるかもしれないけれど…」と。 ただ、現場で教員が「1人不足する」ことのダメージがあまりにも大きい現状を考えると、多少なりとも目をつぶって人数を確保しなければならないのも事実です。ここは非常に大きなジレンマですね。

でも、試験のハードルを下げるような小手先の対策よりも、本当は「教員という仕事がこれだけ魅力のある職場なんだよ」とわかってもらうことの方が、ずっと大切だと僕は思っています。

2026年2月16日月曜日

給与の話。先生の給与が、バイトの時給より低くてもいいのか。

 ■ バブル期に言われた「公務員の安定」という神話 1980年代、日本の教員の給与は欧米諸国よりも高いと言われていました。当時の欧米の教員は教会のボランティアから発展した歴史があり、給与水準が低かったという背景もあったようです。 私はバブル期にも教壇に立っていましたが、ものすごい勢いで潤っていく民間企業を羨ましく見ていたものです。その際、「公務員は好景気の恩恵は受けられないが、不景気の影響も受けないのだから我慢しろ」とよく言われました。

■ 20年間の「給与据え置き」と管理職の給与カット しかし、現実は全く違いました。いざ不景気になるとベースアップは停止し、気づけば20年近く給料が上がらない時代を経験しました。 上がらないどころか、私が副校長を務めていた時には、かなりの金額の給与カットまで断行されました。管理職である私の方が、同い年の一般の先生よりも給
料が低くなるという逆転現象まで起きていたほどです。

■ 国際比較:いつの間にか開いた欧米との埋めがたい格差 国際比較で見ても、この20年で状況は激変しました。20年前は日本の教員の方が高給でしたが、現在ではドイツの教員の半分程度に留まっています。円安の影響を考慮したとしても、決して教員の地位が高いとは言えないアメリカと比べても、300万円以上の開きがあるのが現実です。

■ 現場のリアル:時給換算「200円以下」を生み出す給特法 しかも、これは純粋な額面だけの比較です。実質的な「時間外勤務の長さ」を考慮すると、さらに悲惨な現状が見えてきます。 例えば、年収400万円程度の20代の若手教員が月に60時間の時間外勤務をした場合、時給換算で1,500円程度にすぎません。さらに深刻なのが「給特法」の問題です。若手の場合、4%の教職調整額は月1万円程度。これで60時間の時間外労働を計算すると、残業代の時給はなんと「200円以下」になってしまいます。

■ 見えない残業:「月60時間の時間外労働」は決して大げさではない この「月60時間」という数字は、極めてリアルな実態です。朝30分早く出勤し、終業後に2時間残るだけで月50時間になります。そこに持ち帰り残業で明日の授業準備や指導案の作成を行えば、プラス10時間などあっという間に超えてしまいます。

■ 結論:自己犠牲を前提としたシステムからの脱却 これまで日本の教育は、現場の先生たちの「献身的な努力」によって維持されてきました。そして社会も、それを当然のこととしてここまで来たのです。 現在、深刻な教員不足が叫ばれていますが、労働力人口そのものが減少している中で、若者がより良い条件の仕事を見つけるのは当然の帰結です。今の50代前後が経験したような「先生になりたくても、競争率が高くてなれなかった時代」とは完全にフェーズが変わっているのだという認識を、私たちは今こそ再確認しなければなりません。

2026年2月15日日曜日

学校のお金事情 〜「計画的な発注」の建前と本音〜

計画的に発注を」はあくまで建前? 「急に必要なものなどない。計画的に学習を進めていれば、1か月前だって発注ができるはず。ともかく、計画的に物事を進めましょう」 学校ではよくこう言われます。確かにその通りです。教育課程は決まっており、教科書も事前に確認できるので、必要なものはすべて前もって用意できるはず……。 でも、これって建前なんですよ。

小学校では一人の教員が5〜6教科を担当することも珍しくありません。何度その学年を経験していても、その日その日の業務に追われる中で、どうしても準備が抜け落ちてしまうことがあります。 特に、家庭科や理科などの実習・実験を伴う教科では顕著です。1か月前にすべての消耗品を完璧にチェックするのは至難の業。例えば調理実習の調味料も「クラス数×グループ数」となるとかなりの量で、最後のクラスの時には足りなくなってしまうことだってあるのです。

結局、先生の「自腹」で解決してしまう現状 もし急に足りなくなったらどうするか。正規のルートなら業者に発注しますが、見積もりや発注書などの事務手続きが必要で、それでは明日の授業に間に合いません。 そうすると、「数百円のことだし……」と、先生が帰りにスーパーで自腹を切って買ってくるケースが大半となります。

「学年費などの予算を使えないの?」と思われる保護者の方も多いでしょう。しかし今は、4月に1年分の予算を算出して口座引き落とし等で集金しているため、こうした突発的な買い物に使うことはできない仕組みになっています。

数万円の「立て替え」が当たり前の出張費 もう一つ、社会科見学や宿泊体験学習の費用についても触れておきます。 引率する先生たちも、当日は交通費や宿泊費を支払います。後日、出張費として支給されるのは2〜3か月後。それまでは、各自が数万円を立て替えておかなければなりません。これは事前の下見の際も同様です。 「いずれ戻ってくるお金だから」とはいえ、教員個人の財布に負担を強いるこの仕組みはどうなのでしょうか。

「現金を持たない学校」のジレンマ 過去の様々な不祥事(お金にまつわる問題も含め)を背景に、学校は「現金を扱わない方向」へと進んできました。 私自身、昔は現金で集金袋を扱っていた経験があるので、現金管理がどれほど煩雑で責任が重いかは身をもって知っています。先生たちが直接現金に触れない仕組みづくりは正しい方向だとは思います。

しかし、現場に「全く現金がない状態」というのも、現実の運用を考えると難しい気がしています。小口現金としていくらか用意しておく仕組みもあるにはありますが、それですべての不足を補えるわけではありません。

「ではどうすればいいのか?」という完璧なアイデアは、まだ私にもありません。ただ、学校の裏側にはこうした「実態」や「ジレンマ」があるということを、まずは知っていただきたいのです。


2026年2月14日土曜日

学校現場のお金の話〜教員の初任給と一般企業との「恐ろしい差」〜

 

学校にいると、あまり給料の話は出てきませんよね。 昔は「お金のことなどどうでもいいだろう」という雰囲気が職場全体にありました。僕は昔の人間ですから、初任から数年間は現金で給料をもらっていました。就職して10年くらいたってから、ようやく銀行振り込みに変わったと記憶しています。

さて、昔話はこれくらいにして、今回は**「現在の教員の給料」**について考えてみたいと思います。

見た目の初任給は「プライム上場企業」並み?

昨年の初任者の給与を見てみると、東京都や横浜市は27万円前後の初任給が出ているようです。実はこの金額、プライム市場に上場している大企業と遜色ない水準です。

一方、同じ神奈川県でも地域手当がつかない一部自治体(県西の地域など)の初任給は22万円前後。東京都や横浜市と比較すると、毎月5万円程度の差が生じています。(もちろん鎌倉市や藤沢市など、横浜市と大差ない地域もありますし、近年はベースアップで以前より少し差が小さくなっている傾向はありますが)。

「残業代ゼロ」がもたらす逆転現象


額面だけ見ると、一般企業との差は意外と小さいように思えます。しかし、ここには毎回問題になる**「時間外労働に対しての残業代」**が含まれていません。

教員は「給特法」により残業代が数パーセント上乗せされてまとめて支払われているため、どれだけ働いても実質的に残業手当は出ません。一方、一般企業は残業した分だけしっかりと手当が支給されます。これが積み重なると、1年目から月に数万円の大きな差になっていきます。

何十年も働いた後に待ち受ける「恐ろしい差」

では、初任給以降はどうなるのでしょうか。 長く働いていく中で、一般企業と教員に大きな差を生むのが以下の要素です。

  • 役職手当の差: 一般企業は学校よりも役職のポストが多く、昇格による給与アップが見込めます。

  • 業績連動型ボーナス: 企業が好業績であれば、連動して大きなボーナスが支給されます。

  • 昇給率と残業代の蓄積

何十年も働き続けた結果、生涯賃金で見ると一般企業と教員とでは恐ろしいほどの差がついてしまうのが現実です。

これでは、優秀な人材が待遇の良い一般企業に流れてしまうのも納得できます。今では「教員採用試験の一次試験は実質的にフリーパスだ」という見方すらあります。倍率が下がりすぎて、一次試験で絞り込む意味が失われつつあるのです。

お金に関心を持つことも、教育の未来を守るため

最初に書いた通り、学校はあまりお金の話題が出ない職場です。自分で給与表を見なければ、将来の待遇を理解するのは難しいでしょう。

しかし、先生も現実に一人の労働者です。もっと給与に関心を持つべきだと思います。 労働人口全体が減っている今の時代、給与の面でも魅力を感じさせられる職業でなければ、誰も教員を選んでくれなくなるのではないかと、強く心配しています。

2026年2月13日金曜日

40分、午前5時間授業は、どうなんでしょう。賛成ですか、反対ですか?


以下にご紹介するのは、午前中に5コマを設定する場合(1コマ40分ベース)の一例です。


以前、私が勤務していた学校でも、午前5時間を「45分授業」で実施した経験があります。その際は、朝の会を8時10分開始とし、給食を12時半から設定していました。

午前5時間制の是非については様々な意見がありますが、実際に取り組んだ先生方からは「この日課の方が楽だ」という感想が多く聞かれました。6時間目まである日でも、午後は残り1コマとなるため、時間的な切迫感をあまり感じずに済むようです。

編成上の課題としては、給食の時間が挙げられます。配膳や調理の都合上、給食時間を大きく動かすことは難しく、その制約がある以上、時間割の工夫にも限界があります。 また、休み時間の長さについても議論になります。私は15分で十分だと考えていますが、委員会活動などの時間を確保するためには「20分は必要だ」と主張する先生もおり、調整が必要です。

さらに大きな問題点は、1年生の授業時数が過多になることです。 1年生の標準時数は年間850時間ですが、午前5時間制を導入すると、本来4時間授業で済む日も5時間授業となります。計算上は35時間程度の超過ですが、実際の日数で考えると50時間以上も授業が増えてしまう計算になります。最大の問題は、この超過分を解消する有効な手立てがないという点です。

ご参考までに、日課表のサンプルを作成しました。

【日課表の例】

時間帯内容備考
8:00出勤
8:10児童登校開始
8:20朝の会
8:30 〜 9:101時間目40分間
9:15 〜 9:552時間目40分間
10:00 〜 10:403時間目40分間
10:40 〜 10:55休み時間15分間
10:55 〜 11:404時間目45分間
11:45 〜 12:205時間目35分間
12:20 〜 13:00給食40分間
13:00 〜 13:15休み時間15分間
13:15 〜 13:506時間目35分間
13:50 〜 13:55帰りの会
13:55 〜 14:05清掃クラスの半分

まだ全国的な取り組みとは言えないかもしれませんが、文科省には、40分授業や午前5時間制の運用について、現場が判断しやすい明確な説明やガイドラインを求めたいところです。



2026年2月12日木曜日

これからの先生たちの働き方について考えてみたい


これからの先生たちの働き方について考えてみたいと思います。

先生の仕事の中核は「授業」です。何よりも優先すべきは授業です。 今後、AIの導入によって授業の形は大きく変わるでしょう。しかし、「AIを活用するための基礎力」を育てるという本質は、何ら変わるものではありません。

「読む力」「書く力」。これらはAI活用の授業になっても不可欠です。AIへの指示(プロンプト)が音声であれキーボードであれ、的確に入力するためには言語的な基礎力が求められるからです。また、そもそも「問いを立てる(疑問を持つ)力」も必要であり、そのためには基礎知識も欠かせません。 これらは現在の授業でも重視していることです。つまり、AI時代になっても「授業をしっかり行う」という重要性は変わらないのです。

子どもたちが疑問を持ち、それを解決しようとすること。 今まで以上にこうした姿勢が必要になります。授業では子どもたちにしっかりと考えさせ、その手段としてAIを使わせていくべきでしょう。

一方で、授業以外の事務作業はDXによって大幅に削減できるはずです。 テストはスキャンして自動採点し、文書作成もAIで大方解決できます。指導案、教材、習熟度確認プリントなどもAIが作成してくれるようになるでしょう。評価業務も、日々のデータ入力さえ行えば、集計・分析はAIが担ってくれます。 ドリルはAIドリルに、行事計画書やしおり作成もAI活用で効率化できます。すでに週案などは専用ソフトでかなり楽になっている実感があります。

こうして事務作業の多くをAIに任せることで、先生は本来の仕事である「授業」に集中できるのではないでしょうか。 全国的な進捗状況は様々ですが、「授業こそが先生の仕事である」ということは間違いありません。 もちろん保護者対応など、他にもやるべき業務はありますが、「先生は授業をする人だ」ということを社会全体で再認識し、そこに集中できる環境をつくることが大切だと思います。

2026年2月11日水曜日

40分授業にするなら

「40分授業にしてもいいですよ。5分×6コマで30分浮きますね。その30分は研修や研究など、有効に使ってくださいね。使い道さえ説明できればOKです」  ――これが、新しい「40分授業」の考え方なのでしょうか。

 昔々、まだ土曜日に授業があった頃の話です。当時も40分授業がよく話題に上りました。  しかしその時、文部省(現・文科省)は猛烈に反対したのです。「それは法的違反行為だ」と。  実際には、子供の下校時刻などを考慮して、土曜日は40分授業にしている学校も多かったのですが、それでも文部省は頑なに「それはおかしい」と言い続けていました。

 まあ、省庁の名前も変わりましたし、今更昔のことを蒸し返しても仕方がないのかもしれませんが、隔世の感があります。

 さて、40分授業にすることで浮いた時間の使い方は、学校の裁量に任されることになります。  当面は「モジュール学習」という形で活用するケースが多いでしょう。実験校のように特別な教科(探究など)に充てる学校は、新しいカリキュラム開発の負担があるため、そう多くはない気がします。  一方で、浮いた時間を教員の研究や研修、事務処理などに割り振る学校は増えてくると思います。つまり、実質的に「40分授業」がスタンダードになる形です。

 いつも思うのですが、遠回しな言い方ではなく、ハッキリ言えばいいんですよ。  「小学校は1コマを40分にします。コロナ禍での実践を通じて、これが可能だと証明されました」と。

 保護者がそれをマイナスに受け止めることはないと思います。実際、今は子供たちの下校時刻は早くなっており、1時過ぎには下校してくる姿を見る日も多くなりました。

 学校の多忙化の主たる原因を作っているのが文科省であることは明白です。そして、それを改善する権限を持っているのもまた、文科省です。  制度を分かりやすく変え、学校の惨状を何とかする責任があるのは彼らです。  解決策はシンプルです。はっきりと法律を変えればいいのです。年間の授業時数の数字を書き換える、ただそれだけで済むのですから。

2026年2月10日火曜日

【現場の悲鳴】「先生が一人足りない」は、単なる1コマの負担増ではない

■「家庭科」の授業を担任が持つということ  学校現場で「専科の先生が一人配置されない(欠員)」という状況がいかに深刻か、具体的なシミュレーションをしてみたいと思います。

 例えば「家庭科」です。週1.5コマ(2週で3コマ)の配当ですが、実習準備や後片付けが必須の教科です。専科の先生がいれば、複数のクラスを連続して授業することで準備・片付けを効率化できます。  しかし、これを担任が持つとなると話は別です。

  • 空き時間が消滅する

  • 準備・片付けの時間が新たに発生する

  • 慣れない実習手順の確認作業が増える

 結果として、他の教科の準備や採点業務がすべて後回しになります。感覚としては、授業1コマの負担増ではなく、**「3時間分の業務ロス」**が発生するのに等しいのです。

■「月44時間」の残業が生む矛盾  こうした業務のしわ寄せは、すべて時間外勤務に直結します。  よくある勤務実態として、朝30分、放課後1時間半の残業をしたとします。

  • 1日2時間 × 22日 = 月44時間

 これは、労働基準法の原則的上限(月45時間)ギリギリの数字です。しかし、教員の場合は給特法の壁があり、これを「残業」とは呼んでもらえません。

  • 現状: 月額約1万6千円(調整額)のみ支給

  • 本来: 年額約150万円相当の残業代が未払い(試算)

  • 罰則: いくら働かせても管理職への罰則なし

 給特法制定当時(昭和40年代)の「残業月8時間」という前提は、もはや完全に崩壊しています。


■「1兆円」を惜しんで現場を疲弊させるのか
 もし今、教員に正当な残業代を支払うと、国全体で約1兆円が必要になるそうです。国や自治体がこの問題に口をつぐむのは、結局のところ「教員の健康より予算が大事」だからではないでしょうか。

 若手教員の増加に伴う産育休の取得、メンタル不調による休職……。「先生が足りない」というリスクは今後ますます高まります。  「未配置」の穴埋めで現場が倒れてしまう前に、時間外勤務の削減と、給特法の抜本的な見直し(残業代の支払い含む)が急務です。

2026年2月9日月曜日

一人いないと、だから、非常勤講師でもほしい!

 

 非常勤講師と臨任では、大きな違いがあります。非常勤講師は、最大29時間勤務することができます。1日6時間を上限にしています。おそらくそうしたのは、社会保険料の雇用者負担が増えることを避けるためだったのではないかと思います。

 1日6時間だと、8時半にスタートして、14時半までが勤務時間になります。もちろん、スタートの時間を変えることはできますが、よくあるパターンは8時30分から14時30分だと思います。6時間勤務ですから、休憩時間は必要ないので、6時間ぴったりの勤務になります。雇用する自治体によって異なるようですが、授業の持ち時間は20コマ以下が一般的ではないかと思います。残り3分の1は事務処理や教材研究の時間になっています。正規の職員よりも待遇はよい面もあります。

 一方、臨任は、基本的にはすべて正規の職員と同じ条件になります。ですので、小学校のように配当人数が少ない場合、当然のように担任をすることが求められます。他の都道府県で正規に先生をやっていたけれど、年度の切り替えで家族が転勤になった場合などに臨任で1年間働こうという人などが以前はいました。今は、未経験でも担任を依頼することすらあるというのが実情だと思います。そして、より人員が配当されないのが、急な療休です。産休の場合には、いつという目安がありますし、最近では、産休だと分ると4月からお休みが取れるようになっている自治体もあるようです。ともかく、療休への対応はバタバタになります。

 教員不足が言われる中、教育委員会の方でも人員をストックしておくことができなくなっています。ですから、急に療休だといわれても、代わりの先生が来ないわけです。

 非常勤の先生は、勤務時間を考えても、所謂校務に関しては、ノータッチになります。ですから、非常勤講師が配当されても、授業をする以外の面では、+にはなりません。

 一方臨任の先生は、正規の先生と同じように校務などの分担もあります。ただ、全く経験がない方の場合には、配慮していかないと、業務が停滞することがあります。ですので、それなりに仕事をしてもらうというのが現実です。

 最近では非常勤講師を配当して、何とかしてほしいという声を聴くことがあります。定年で辞めた先生などは非常勤ならやってもいいというからです。

 教員の希望者の不足、時間外勤務の問題など、いろいろなことが関わってきて今うのです。

2026年2月8日日曜日

週の授業時数は、他の国より少ないんだって

 


 調べると、意外なことに日本の先生の1週間の授業時数は、欧米諸国より少ないようです。それには、いろいろと理由があるようです。

 欧米諸国の先生たちは、授業をすることが仕事なわけです。契約の段階で授業をすることが仕事ですとはっきりしているわけです。以前にも書きましたが、先生が掃除や給食などの面倒を見ている国などないようです。また、放課後に会議があるということも少ないようです。

 ともかく、しっかり授業さえすれば、それで仕事は終わりになり、フランスなどは、それで、帰宅してよいことになっているようです。夏休みは、授業がないわけですから、当然学校に来ることすらない期間になるようです。

 なぜ、こんなことになってしまったのでしょう。一つは戦後、日本経済に余力がなかったことが考えられます。例えば、欧米並みに清掃は業者がやるという形をとれればよかったのに、そのための経費を計上しなかったことが考えられます。昼食についても同様です。そのためのスタッフを雇用するということができなかったのではないでしょうか。

 先生の仕事が、授業をすることではなく、学校で起きていることにすべて対応するというのは、本当に豊かな国ではないということの証明ではないでしょうか。自分たちの教室を自らきれいにすると言われれば、とても聞こえがよいです。給食についても、自分たちの力で配食し、協力する場として活用する。食べ物の意味や価値を考えるなどといわれれば、これも、とても高尚なことをしているような気にさせられます。しかし、現実は、そのことが多忙化だったり、休憩時間が取れないことにつながっているわけです。

 授業時数が多くても、それに対応することができる仕組みがあればよいのですが、表面的なきれいごとで済ましてしまっている行政の責任は大きいと思います。

 週休2日にしたときに、文科省は、学校週5日制という表現を使いました。実際には、教職員の週休2日を実施しなければならなくなっただけなのに、美辞麗句でごまかすような姿勢を見せたことが、いい例だと思います。はっきり、先生も週休2日にしなければならないのですと言ってしまえばよかったのです。そして、先生の仕事は授業をすることだと、明言すべきです。

 夏休みについても、未だに先生は通常勤務だと言っています。これだって、おかしいと思います。逆に、休みだと言ってしまえば、職業としての魅力も上がるはずなのですが。

 言い方を間違えると、社会的批判を受けるからではなく、職業としての在り方をしっかりというべきだと思います。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...