学校の本来の目的は、「人格の形成」と「体系的な学習」を進めることです。そして先生たちは、そのために存在しています。 この2つは決して切り離せるものではありません。日々の学習を通して意欲が育ち、新たな興味関心が芽生える。それが、子どもたちの人格形成において大きな役割を果たします。しかし現在の学校現場は、そうした本来の姿から遠のいてしまっていると言わざるを得ません。 その原因は、学校側の「学校が全部やらなければ」という姿勢と、社会の「学校に任せておけばよい」という意識の双方が絡み合っていることにあるのではないでしょうか。異常な「ダブルスクール」の常態化 特に都市部で顕著ですが、今の日本では小学校高学年あたりから学校と塾の「ダブルスクール」が常態化しています。私が教員になった頃は、小中学生が塾に通うことはまだ一般的ではありませんでした。 欧米のように、学校外の活動がスポーツや芸術などであれば、学校での学習と重複しないため問題ありません。しかし現在の日本は、完全に「座学の重複」を引き起こしています。子どもたちは、学校にいる時間以上に机に向かって勉強し続けているのです。この異常な状態は、何としても改善すべき課題です。
「先生=何でも屋」からの脱却を これを解消するためには、「学校がすべてを抱え込む」という構造自体を見直す必要があります。 例えば、35人学級の中に学習に集中することが難しい子どもがいた場合、一人の担任ですべて対応するのは不可能です。先生たちは本来「授業を通して体系的な学習を進めるプロ」であり、必ずしも「発達障害や特別な支援を要する児童への対応のプロ」ではありません。そこまで一人の担任に背負わせてしまうからこそ、現場はパンクしてしまうのです。また、これからの時代、給食や清掃といった時間を子どもたちに任せず、そうした雑務から子どもたち(そして指導する先生たち)を解放することも検討すべきでしょう。さらに、学校行事の大幅な見直しも急務です。イベントの準備や練習に膨大な時間を割くことは、学校の本来の目的から外れています。
繰り返しますが、学校は「全部」をやることはできません。 今まで学校が担ってきた業務を思い切って整理・精選し、先生たちを「授業のプロ」という本来の立ち位置に戻すこと。それこそが、今一番求められている教育改革ではないでしょうか。
2025年12月16日火曜日
学校が全部やるって無理なんじゃないですか
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