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2025年10月26日日曜日

本当に一人一人に応じた授業ができるのかなぁ

 発達障害という言葉が定着して、かなりの年数が経ちました。先生達にも、保護者にも、この言葉が定着し、様々な対応がとられるようになってきています。医療的な措置がとられ、カウンセリングや療育が一般的になっているのかもしれません。

今考えると、担任をしていた時に持っていた子供の何人かは、発達障害だったんだと思います。まだ、その頃は、発達障害という言葉一般的ではありませんでしたから、かなり高圧的に対応したこともあったと、反省してしまいます。

落ち着かない、興味や関心に偏りがある。固まってしまい、教室から出ることができない。思い当たることは山ほどあります。

今では、薬を飲むことで、安定する子やクールダウンすることで、落ち着く子もいることが分かっています。ただ、すべての子どもがそういう措置を受けているわけではありません。これだけ、発達障害が一般化していても、療育を受けることや薬を飲ませることに抵抗感を示す保護者も少なくありません。

確かに、家庭では、それほど問題行動が起きるわけではないのだと思います。家庭内では、嫌なことや関心を持てないことを強制されることはないからです。ですから、突然、怒り出したり、大声を出したり、暴力的な行為が見られたりすることは、少ないと思います。基本的に、おとなしい子も多いですから、家庭では、それほど保護者を困らせることはないのでしょう。

それから、よく聞くのは、「私もそんな子供でしたから、大丈夫です。」という言葉です。よく父親から言われます。大人になる過程で、社会的な適応ができるケースも多くあるということなのだと思います。ですが、学校では、それでは済まない現実があります。

文科省や教育委員会が言うように、一人一人に応じた教育を提供することができるのが、一番大切であるのは言うまでもありません。しかし、そのためには、現在の状況では無理だと思います。それなりのコストをかけなければできないことを現場はしっかりと主張すべきだと思います。やれと言われてできることと、やれと言われてもできないことがあることを、みんなで共有すべきです。

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