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2025年12月18日木曜日

人事への期待



個人的な感情語を抑え、客観的な事実と論理展開を強調しました。

かつての人事要望において、校長は「算数指導の見識がある人材」「体育指導で職員を牽引できる人材」「教務主任を担える人材」など、学校運営に必要な具体的スキルを持った教員を求めていました。しかし近年では、「授業が成立する教員」「1年間担任を務められる職員」であれば十分とする傾向が強まっています。以前は「最低条件」であったはずの要素が、今や「採用の決め手」となっているのが実情です。

この背景には、大量採用世代の産休・育休取得増や、男性職員の育休取得、さらには病気療養に入る職員の増加があります。これにより欠員が生じ、臨時的任用教員(以下、臨任)であっても担任を任せざるを得ない状況が常態化しています。 本来、学校管理職としては経験の浅い臨任を担任に据えることは避けたいところですが、一校で多数の臨任を雇用せざるを得ない現状では、彼らを担任として配置しなければ人員配置が完了しません。 また、正規職員の中にも、指導力不足により学級崩壊や保護者からの苦情を招く者がおり、担任を任せられないケースが存在します。こうした要因が重なり、冒頭のような「最低限の要望」しか出せない状況に陥っています。

教育委員会は「チーム学年経営」や「ペーパーティーチャーの復帰支援」などの対策を講じていますが、抜本的な解決には至っていません。 小学校における人員不足は深刻です。「過重労働」という評判が人材確保を困難にし、その結果として現場の負担がさらに増すという悪循環が続いています。しかし、こうした状況下でも教員定数の改善に関する議論は進んでおらず、給与引き上げの話も不透明なままです。

現在は、人材育成を論じる以前の段階にあります。まずは最低限の人員を確保すること。そのために、給与等の待遇改善を行い、人材を呼び込む施策こそが急務であると考えます。



2025年12月16日火曜日

学校が全部やるって無理なんじゃないですか

学校の本来の目的は、「人格の形成」と「体系的な学習」を進めることです。そして先生たちは、そのために存在しています。 この2つは決して切り離せるものではありません。日々の学習を通して意欲が育ち、新たな興味関心が芽生える。それが、子どもたちの人格形成において大きな役割を果たします。しかし現在の学校現場は、そうした本来の姿から遠のいてしまっていると言わざるを得ません。 その原因は、学校側の「学校が全部やらなければ」という姿勢と、社会の「学校に任せておけばよい」という意識の双方が絡み合っていることにあるのではないでしょうか。

異常な「ダブルスクール」の常態化 特に都市部で顕著ですが、今の日本では小学校高学年あたりから学校と塾の「ダブルスクール」が常態化しています。私が教員になった頃は、小中学生が塾に通うことはまだ一般的ではありませんでした。 欧米のように、学校外の活動がスポーツや芸術などであれば、学校での学習と重複しないため問題ありません。しかし現在の日本は、完全に「座学の重複」を引き起こしています。子どもたちは、学校にいる時間以上に机に向かって勉強し続けているのです。この異常な状態は、何としても改善すべき課題です。

「先生=何でも屋」からの脱却を これを解消するためには、「学校がすべてを抱え込む」という構造自体を見直す必要があります。 例えば、35人学級の中に学習に集中することが難しい子どもがいた場合、一人の担任ですべて対応するのは不可能です。先生たちは本来「授業を通して体系的な学習を進めるプロ」であり、必ずしも「発達障害や特別な支援を要する児童への対応のプロ」ではありません。そこまで一人の担任に背負わせてしまうからこそ、現場はパンクしてしまうのです。

また、これからの時代、給食や清掃といった時間を子どもたちに任せず、そうした雑務から子どもたち(そして指導する先生たち)を解放することも検討すべきでしょう。さらに、学校行事の大幅な見直しも急務です。イベントの準備や練習に膨大な時間を割くことは、学校の本来の目的から外れています。

繰り返しますが、学校は「全部」をやることはできません。 今まで学校が担ってきた業務を思い切って整理・精選し、先生たちを「授業のプロ」という本来の立ち位置に戻すこと。それこそが、今一番求められている教育改革ではないでしょうか。


2025年12月14日日曜日

朝の時間の設定


 いろいろ言われているけれど、まず疑問なのが朝の時間の設定です。

朝は、自治体によって異なるでしょうが、僕が務めていた市では、8時から8時30分の間に学校ごとに勤務時間の設定ができました。8時に勤務時間を設定すると、就業時間は16時30分になります。大方は8時15分から16時45分という時間設定がされていました。早い時間にせってしないのは、保育園などによってから勤務する職員がいるためでした。実際には、フレックスタイムが認めれるので、保育園などの関係で8時に間に合わない場合の対応は可能になっていました。

さて、朝の時間の何が問題なのでしょう。子ども達の登校時間です。8時10分から8時20分の間に登校しましょうと設定しているとします。ところが、先生たちの出勤時間は8時15分から。そうです。出勤時間の前に子ども達が登校してきてしまうのです。長年、このことは問題にされてきませんでした。子ども達が教室に入る時間が先生たちの勤務時間の枠の外になっていることさえ、問題にしていない学校が存在するわけです。出勤時間が8時15分で、子ども達の登校時間が8時15分だとしても、問題はあるわけです。今は、アプリを使って、出席や欠席の連絡がおこなわれています。それをチェックする時間や連絡を取る時間も必要になります。また、留守番電話を使っている学校が大半だと思いますが、留守番電話を解除する時間だって問題になります。勤務時間の前に留守番電話が解除されれば、電話対応をするわけですが、これが、勤務時間外であるのは問題だと思います。

そうすると、8時に先生が出勤、子ども達は8時15分から登校。というのが、妥当な時間配分だと思います。

先生たちの善意で何かを行うことは正しいとは言えません。

学校は、これまで、先生たちの善意に依存してきました。そのことが学校をブラックだと指摘する原因になっていると思います。

勤務時間と子ども達の動きに矛盾が生じないようにすることが、まず大事だと思います。

2025年12月2日火曜日

働き方改革とやりがいと新しいシステム

 働き方改革といわれて、なんだかんだ、10年近く経っているような気がします。10年物間、どれだけの成果があったんでしょう。確かに、時間外労働に対する意識が高まって、80時間の時間外勤務をする人は少なくなり、45時間の時間外労働をする人の割合も減ってきていると言われています。でも、実際には持ち帰る仕事の量が増えているとも言われています。放課後の時間も増え、事務的なことをサポートしてくれている人員も増やされているし、教員の人数も増やされています。しかし、肝心な授業時数の削減や授業内容の見直し、根本的な教科数の見直しなどには、誰も手を付けてくれません。授業時数に関しては、確かに次期指導要領で改善されると言われていますが、今一つ鮮明ではない気がします。また、1学級の人数も、35人にしたことで、それをさらに減らしてく行くという方向性も見えません。

でも、それだけではなく、働き方を変えるための最大のキーワードが話題になっていないことが問題だと思います。それは、「やりがい」です。やりがいというキーワードが学校での働き方改革の最大の障害だと思います。「こどもたちのためだから」「よい授業をしなくてはならないから」

僕が最後いた学校では、朝、8時前に出勤しても、校庭には何人かの先生がいて、1時間目の体躯の授業の準備をするのが定番となっていました。もちろん、誰に命令されているわけではないのです。でも、必ず「子供たちが楽しく体育ができるように」準備をしているわけです。今どきの朝は、忙しいんです。先生たちは、まずパソコンの電源を入れ、出欠席の連絡が連絡用のアプリに入っていないかを確認します。それから、保護者からの連絡が入力されていないかを見て、返信が必要ならば、朝のうちに返信をします。それだけで、10分やそこらはかかってしまいます。これは、学校によりシステムが異なっているでしょうが、出席、欠席を入力するなり、手で書き込むなりして、ようやくひと段落なわけです。もちろん、保護者からのメッセージにクレームなどがあれば、児童支援選任なり、学年主任なり、場合によっては校長に相談することが必要になってきます。そうなれば、さらに、朝の時間は消費されてしまいます。まあ、この時間自体、朝の勤務時間前に行われるのですから、やはり問題はあります。でも、これらのことをやっておかなけければ、何も進まないのですから、仕方ないとあきらめるわけです。校庭で作業をしていた先生たちは、この作業の時間の前に校庭で準備をしていますから、逆算すれば、30分以上早く仕事を始めていることになります。

これらは、すべて、やりがいがある仕事だから、仕方ないと思われいます。「子供たちのため」という言葉がすべてに優先するのが学校なのです。



新しいシステムは、教育DXだからと言うことになっています。確かに、利便性はあがり、作業効率を高めていると思います。ただ、現場のタイムスケジュールを度外視していると思います。まあ、導入を決める人たちはそんなこと、どうでもいいのでしょうけど。

2025年11月28日金曜日

休息時間について

 休息時間をとらなければならないことは、労基法で定められています。6時間以上の勤務ですから、45分は休息をとらなければなりません。しかし、もともと、この休息時間は、昼休みをとることを前提として考えられたものでしょう。お昼の時間に食事をし、お茶を飲むことを考えたものだと思います。そうだとすると、教員には無理な話なわけです。お昼は食べています。しかし、休息とは程遠いものです。給食の配膳をし、子ども達が整然と食事をすることができるように注意をしているわけです。

たとえば、企業で休息時間に電話番をしていたら、それは休息とは認められません。また、労基法の休息は一斉にとることを前提としています。そうなると、子ども達が完全に下校してから休息時間をとることが自然な形になります。

子ども達の下校が15時なら、15時45分までが休息時間となります。そうすると退勤時間まで、休息が終わって残り1時間なわけです。これって、どうなんでしょう。子ども達が帰ったら、とりあえずその日の提出物を見たり、テストやドリルの採点をしたりしたくなりますよね。それをやっていたら、全然休息じゃないわけです。保護者への電話連絡などもそうです。急送時間に、勝手にやっていることだからという理屈なのでしょうか。校長が命じたわけじゃないから、その時間に仕事をしているのは、先生たちの自発的意志であり、それが、休息時間だと主張するのでしょうか。おかしいですよね。でも、現実の学校では、罷り通る率苦なんですよね。それに、子ども達が下校した後は、何らかの会議が設定されている場合が多く、その時間は、自分の学級に関することや自分が担当している教科について、何もすることができないのです。

授業をする時間 8時15分から14時30分(これ以上早くすることは難しいのでは)

休憩時間 14時30分から15時15分

会議 15時15分から16時15分

事務処理の時間 16時15分から16時45分

14時までに完全下校という学校も出てきていますから、もう少し余裕のある学校もあるかもしれません。一方子ども達の完全下校が15時という学校もあると思います。



いずれにしても、タイトだということと、休憩時間を過ごすにしても、住宅地の中に建てられた学校が多い現状では、学校外で過ごすことがすごく難しいのです。学校にいるなら仕事をしちゃえとなると、実際は、労働時間が45分伸びているだけとなります。

もう少し考えてもらえるといいのですが、どう思いますか。

2025年11月26日水曜日

就学時健康診断を学校に押し付けているのはどうにかならないの

 10月から12月にかけて、就学時健康診断が実施されます。小学校に上がる前年度、幼稚園や保育園の年長さんが受けに来ます。おそらく、どこの自治体でも、その子が入学する予定の学校で実施しているというのが現状だと思います。しかし、本来は、教育委員会が実施するものであり、学校が準備や実施、片付けをするものではないはずです。少なくとも学校保健安全法を読む限り、学校が実施するものではないはずです。実施責任が教育委員会にあるのですから、教育委員会が実施し、その結果を学校に送付するというのが正しい手順なのではないでしょうか。法定検診として1.5歳と3歳の2回、これは、自治体が実施しているのですが、設定されています。決して、学校が実施しなければ実施できないというものではないと思います。各学校に実施させれば確かに費用の面や場所の確保の面から言えば教育委員会は楽ができるのだと思います。人数の多い都市部ではとてもできないというのかもしれません。しかし、実際に1.5や3歳の検診は実施できているのですから、方法はあるはずです。

働き方改革をどの教育委員会も言っています。しかし、就学時健康診断のように学校に業務を押し付けて実施しているものもあるわけです。学校は準備に十分時間をとっています。事前の打ち合わせもしますし、お医者様の日程に合わせ、日程を決める作業もしています。寒ければ、内科検診の際の部屋の温度の調整もします。もちろん、学校にとってのメリットもあります。入学する前に、どのような子が入学してくるのかを見ることができます。ですが、この点については、今は事前に幼稚園や保育園に見学に行くことも多いと思いますので、補うことはできます。

保護者としては、自宅近くの学校はよい検診場所かもしれません。しかし、日程の調整ができないという点で不自由があると思います。両親ともに仕事に行っている場合や、片親の場合なども本来日程の調整ができる方が望ましいと思っていると思います。

いずれにしても、法律にあるように教育委員会が実施すべきものは実施すべきです。

2025年11月25日火曜日

授業参観って

 11月あたりも、授業参観が行われやすいかもしれませんね。

一時期、毎月授業参観を実施するとか、一週間オープンスクールにして授業参観ができるようにするとか、授業参観を増やす方向で進んでいました。でも、今は、授業参観の回数が減る傾向にあるような気がします。年間、3回程度なのでしょうか。6月、9月、12月くらいの感覚なのでしょうか。2月あたりもあるかもしれませんね。6月は、もともとは父の日の合わせて実施していた名残ですね。昔は父親参観日のような名称実施していたものです。

授業参観の内容も、回数が多かった時とは違いが見られます。-イベント中心の形になっています。発表会形式のものが増えています。普段の授業の様子を見せることが基本的には大事だと思うのですが、先生たちは、普段の授業を見せても、受けが悪いと思っているようです。

でも、保護者としては、日常どのように授業が進められているのか、クラスの雰囲気がどうなのかというを知りたいのではないかと思います。自分の子どもがどのような態度で授業を受けているのかに関心があると思います。確かに、イベント系の授業参観をした方が受けているように見えるかもしれませんが、それをやると、必要以上に準備に時間がかかりますし、子ども達にも負担をかけると思います。

日頃通りの授業を、普段通りに進めるようにしていれば、授業参観も負担にはならないように思うのですが…。どうなんでしょうね。

2025年11月23日日曜日

刺激が刺激を生み、悪循環が始まる

 ここ数年の傾向として言えるのは、刺激が刺激を生み、悪循環が始まるということです。

発達障害の子どもがいるのは、今では学級編成をする際に当たり前のことになっています。程度の差はあると思います。ADHDの子どもの中には、自分で自分の行動を制御できないケースもあります。そうしようとしていなくても、何かに操られるように動いてしまうというケースを見たことがあります。授業中に大きな声を出してしまう。授業中なのに座っていることができないなど、先生が苦労している場面を何回も見ています。

だからと言って、その子たちをしかりつけるという対処法では、何も解決はしません。

解決法は、刺激を作らないということだと考えています。教室内が落ち着いていることが、大切です。発達障害がある子ども達は、刺激が苦手な子どもが多いと思います。教室内で、不必要な動きが見られたり、大きな音が立てられたりすると、それに誰よりも早く反応してしまうのです。教室が落ち着き、みんなが話を聞いている状態を作ることができれば、発達障害を持っている子供も、普通に授業を受けることができます。教室内が荒れてしまえば、誰よりも反応し、反応したことを先生や周りの子ども達が注意するとよけい状態は悪化します。

思考することが大切、話し合うことが大切というのは当然のことかもしれませんが、それ以前に落ち着いた雰囲気を作り出すことがまず一番重要になると思います。

話を聞かせるときに、静かにしている状況を子ども達に理解させることが大切になります。

教室の外の音が聞こえる状態が静かであると教えてあげるだけで子ども達の態度は変わってくると思います。静かな状態が少しの間でもできれば、静かにしましょうねと声をかけるだけで静かな状態を作ることができるようになります。それが、1分、2分と継続するようになるだけで、教室の雰囲気はよくなると思います。刺激を受ける時間が短ければ、刺激に反応しやすい子も教室で過ごしやすくなると思います。もちろん、他の子たちも、過ごしやすくなるはずです。

そして、子ども同士に注意させるのも止めた方がよいです。子ども同士の上下関係を作り出してしまいますし、変な優越感を持つ子供が生まれてしまいます。

まずは落ち着いた時間を過ごすことができるようにすることが大切だと思います。


2025年11月22日土曜日

東京だけが救われる

 東京都の様々な政策が話題になります。以前から、東京は学校の配置人数でも、周辺都市を簡単に量ができるだけの人件費を割いているわけです。東京の予算規模は、国家レベルです。千葉や埼玉、神奈川などの周辺都道府県とは一桁違うといってもいいと思います。

豊富な財源をもとに、教員の囲い込みも行っています。非常勤講師の時給だけ取り上げても、東京都は経験者に3000円以上の時給を払っています。当然、経験者であれば、東京を中心に考えるでしょう。周辺の政令指定都市はだいたい2500円というのが相場ですからね。

実際、東京都の小学校を見たことがありますが、信じられないほど、様々な機器が揃っています。各階に複合プリンターがあったり、各教室に大型のプロジェクターが設置されていたり。また、企業や大学など、各学校の近くにある教育環境も大きな差があります。様々な企業とタイアップしたり、大学がタイアップしたりなど、大きな差があると思います。

もちろん、初任給に関しても、東京都は諸手当を含めると30万を超えるくらいの金額になるようです。

東京都と常に競争をしていかなければならに周辺3県、さらに、政令指定都市はすべての面で東京にかなうわけがないのです。東京がその気になれば、すべてを東京に持っていかれることになるような気がします。

日本の教育は全国同じように行われていると言われますが、実際は、大きな差があります。関東の中だけを見ていっても、東京都と比較すれば大きな差があります。

人口が多いこと、税制上の問題など、解決できないことばかりですが、実際には東京至上主義になっているような気がします。でも、そんなところだけ地方分権になっていてはいけないのではないでしょうか。東京だけが優遇されている状態に、もっと声を上げたいと思います。

2025年11月11日火曜日

本当にチームっていいの?

 小学校の学級担任制の特徴は、独立性が高いことだと思います。よく言えば、担任がしっかり考え、学級づくりに取り組んでいれば、それなりの成果を得ることができるわけです。悪く言えば、独善的になりやすい、学級担任の態度で、いくらでも学級を変えることができてしまうわけです。担任の力量がはっきりと出て、学級間の差がはっきりと見えてしまいます。

初任の先生も多くなり、単独で学級担任です、十分なことができません。ということも言えず、この厳しい状況を打開するために、考え出した方法がチームという発想なのでしょう。言えば、連帯責任制になったということだと思います。これまでの基本は、自分の失敗は自分で責任を取れでした。それが、学年全体の責任に変わってきたのかもしれません。

教科分担制も、うまくいかなければ、本当に大変です。特に、あの先生の授業はとか、指導の方法がという話が広まると、学年全体が責任を問われるわけです。

毎回書いていますが、システムを変えるならば、必要な人員をしっかりと補充すべきです。それなくして、何かを進めることは、現場に不必要な負担をかけるだけです。



2025年11月9日日曜日

学級担任制解体する気が本当にあるのか?

 学級担任制は、学制発布からずっと継続している制度です。ですから、基本的にはこの制度を基盤として学校が運営されているわけで、突然「チーム学年」とか「チーム担任制」「教科担任制」などと言われても、実行できるだけの基盤などあるわけがないのです。

それに、中学校と比べても教員の配当数は少ないので、中学校並みに教科担任制が実行できるわけがありません。ぎちぎちの時間割を組むことになってしまうのは、ともかく人員数の割り当てが厳しく決まってしまっているという現状があるからです。

文科省だって、そんなこと分かっているでしょう。現場の小学校が苦しくなると分かったうえで実施している、確信犯的な政策だと言えます。現場が実際に混乱しても、大変な思いをしても、そんなこと気にするそぶりもなく行っているとしか思えません。


そして学校も、それを分かっていながら頑張って対応してしまうから無理が生じるわけです。まあ、学校が直接文科省になにかを訴える機会もないですし、都合の良い学校だけを視察する政治家や官僚ばかりなんでしょうから、どうすることもできません。もちろん、教育委員会だって中央集権型の文科省のやり方に抵抗することはできないのでしょう。

ともかく、学級担任制を解体するならば、きちんと制度的に対応すべきです。やってみたい校長が自分の学校で進め、それがなし崩し的に広がるようなやり方はダメだと思います。

これまで文科省は、現場の頑張りだけを期待して様々な政策を実施してきています。そして、日本の先生たちはそこで踏ん張ってきたのです。もう、それも限界です。これまでは先生たちのレベルの高さがあったからここまで保ってきたのです。でも、過酷な状況下で、今ではそのレベルも落ちてきていると思います。ここまで業務内容を無限に増やしてきたツケが、完全に回ってきているのではないでしょうか。

2025年11月6日木曜日

落ち着かないクラスになることも、今は珍しくないのかも

 授業中、突然大声を出す子がいたり、教室を徘徊する子供がいたり、暴力を振るい始める子がいたりするという話をよく聞きます。教室の中に、落ち着きが見られず、先生として全体をコントロールできない状況があるわけです。

この様な状況は、発達障害を持っている子供がいるからと、よく言われるのですが、確かに、原因の一つだと思います。しかし、それが主体る原因なのかというと、違うような気がします。発達障害に関しては、様々な説がありますが、クラスの1割前後いると言われています。しかし、すべてのクラスが、初めに書いたような状況になるわけではありません。

では、何が原因なのでしょう。僕が思うには、刺激しあっているのかどうかが大きな問題ではないかと思うのです。周囲が落ち着いた雰囲気で、相互に刺激しあったりしなければ、騒ぎ出す子どもが出なくなると思います。誰も刺激しなければ、多くの子どもは落ち着いて教室で過ごすことができます。

でも、制御するという名のもとに、高圧的に出ることも、問題があります。先生が圧を強め、全体を制御しているように見えるクラスは、その担任が持っている間はいいのですが、学年が変わり、柔らかい雰囲気の担任になると、制御できなくなり、学年全体が崩壊する危険があります。技術ではなく、恐怖で抑えることは、絶対に避けなければなりません。昭和の方法は、令和では通用しなくなっているのです。

全体が落ち着いた雰囲気のクラスにすることがまずは大事です。

まあ、35人もいる段階では本当に技術がないと難しいのかもしれません。文科省は、35人までにしてやったというかもしれませんが、この人数は、多すぎると思います。

2025年11月4日火曜日

真っ黒な体質を白くするためには

 


勤務時間ですが、まず朝の時間から見直すべきだと思います。

そもそも、職員の始業時間が8時15分なのに、子どもたちの登校時間がそれより前というのは、考えてみればおかしくないでしょうか。仕事を始める前に、すでに仕事ができる状態になっていなければならないわけです。せめて始業時間が8時であれば、8時15分登校というのも理解できます。要するに、慣習として「少なくとも15分はサービスで仕事をしろ」と言われているようなものです。ですから、まずはそのことから取り掛かっていかなければいけないと思います。欠席等の電話連絡も8時15分以降にするか、必ずメールにしてもらうなどの対応が必要になるでしょう。メールチェックのためにも、やはり登校時間より始業時間がある程度早く設定されている必要があると思います。

こういうことを言うと、「日本人は真面目だから」などという何の根拠もない話が出てきたりします。しかし、まずは「働く時間は始業時間から終業時間までだ」という前提を作るべきです。

せっかくタイムカードのシステムが導入されたのですから。僕が働き始めてから30年以上、出勤簿に判子を押すという仕組みでした。ですから、働いている時間の公式な記録などどこにもなかったのです。これも、現在のブラック体質を作り出している一因かもしれません。僕自身、ずっと勤務時間という意識がありませんでした。それでも比較的早く帰るようにはしていましたが…。タイムカードもない状態で、みんなが働いているから「なんとなく働いてしまう」という体質ができたのでしょうね。そう考えると、やはり40代以上の先生たちには、そうした体質が染み付いているのだと思います。

それから、おかしいと感じたことや思ったことは、誰でも意見として言えるようにすることが大切です。長年やってきていることでも、考え直してみたら「やっぱり変だ」と思うことは他にもあるはずです。

例えば「空き時間」という言い方をしていますが、これもおかしいと思います。自分が授業を持っていない時間は、空き時間ではなくデスクワークをするための時間であるはずです。「空き時間」などという言い方をしているから、別のクラスの支援に行かされたり、補欠に行かされたりするわけです。

確かに、担任をしているときに休むこともありますし、そのカバーをしてもらうことは必要です。お互い様ということなのかもしれませんが、本来は、補欠に入ることができる余剰的な先生が雇用されているべきなはずです。今は、産休前に健診に行くこともできますし、不妊治療で休むこともできます。休みのスタイルも多様化してきているのですから、学校としては、余裕のある人員配置ができる体制にしておくべきなのです。そういうことをすべて現場の裁量権としているのも、本来的におかしいことです。

2025年11月3日月曜日

どうしたらブラックじゃなくなるのか

 僕の記憶の中では、40年前には、そんなブラックな状況ではなかったのです。学校は。

40年前って、まだ、ガリ版を切っている先生がいる時代です。ちなみに、一般で使われるようなワープロが出てきたのが、1980年代前半です。それまでは、和文タイプだって使われていました。僕も使った記憶があります。そんな時代でも、ブラックな感じはありませんでした。40年間の間に仕事量が増えたんだということです。ただし、このころは、土曜日も授業があり、半日は出勤していました。実際は、半日で帰るわけではなく、午後はたまった仕事をしていたというのが実情だったかもしれません。それでも、ブラックな感じはしていませんでした。

ゆとりと呼ばれる指導要領が失敗だったと言われ、その後に、授業時間が増やされ、指導内容も増えていきました。問題は、この時期に人員を増やすということをしなかったことが大きな問題を生み出したということです。業務量だけが増え、人員が増やされなかった。常識では考えられないようなことをやってしまったのです。

基本的に学校の先生は真面目なんです。融通がきないといってもいいかもしれません。与えられた新しい業務をしっかりとこなしてしまったのです。その上、結果も出してきました。政治家たちは、教育再生だなんて言っていますが、どんなに業務が増えても、それをこなし、目標を達成することができているのは、現場に、努力と能力があったからだと思います。学校は十分に成果を出していることを評価せず、教育再生などといったことを平気で口にする政治家も、このブラックといわれる原因の一つだと思います。

では、どうしたら、ブラックじゃなくなるんでしょう。まず、一つ一つ現場を変えていかなければいけません。朝、定時までにくればいいことを共通認識することから始めるべきです。そして、朝、どれだけの時間が必要なのかを考え、授業の開始時刻を決める。それだけでも、学校の状況は変わります。電話の応対も、始業時刻から始める。メールなどに目を通す時間を確保する。今まで以上に時間を要するようになっていると思います。そうやって、一つ一つのことを考えることから始めたらどうでしょう。

実際に、日々行われていることが様々な問題の上に成り立っていることを認識し、改善する努力が必要だと思います。

2025年10月30日木曜日

授業を成り立たせる

 授業って難しいですよね。気持ちよく授業ができるなんて、1年間に何回もなかったような気がします。

まず、話を聞いてくれなければなりませんから、話を聞く習慣がクラス全体に身についていますか?

そのためには、話している方の意識が大切だと思います。話すときは、必ず子ども達を見ていること。黒板に板書しながら話すをのやめるだけで、聞く態度はよくなります。結構、時間の問題などもあり、忍耐力を要しますが、僕は大切にしたいと思っていました。

話す速さも、大切です。低学年になればなるほど、話を聞き取る力が低いです。ゆっくり話すことが何より必要だと思います。これも、なかなか、徹底できるようにするのは難しいですが、学年に応じた話す速さを意識してほしいです。

それから、先生に徹すること。これも、学年が上がると素の自分が出やすいのですが、先生という役柄を自分で作って、演じ切ることが大切だと思います。

これらのことができたら、内容です。子ども達が考えることができる問いかけができることが大切です。それは、こうなんじゃないかなと、考えることができるような設問は必要だと思います。

それから、最終地点が明確になっていること。その授業で、何を考えたのか、その結果、どういう結論を出すことができたのかが分かる授業になっているといいと思います。

子ども達が、その時間に集中できるような内容であれば、授業が終わって、満足感を持つことができるのではないでしょうか。

偉そうに書いていますが、なかなか実践するのは難しいですよね。

2025年10月28日火曜日

昭和と平成

 今では、平成生まれの先生の方が、昭和生まれより多いんでしょうか?統計的な資料を確認したことがないので正確には分かりませんが。平成元年に生まれていれば、36歳なのでしょうから、比率的には同数くらいなのかもしれませんね。

平成だから、昭和だからと、別に何の意味もないのですが、どっぷり昭和生まれとしては、去年のテレビドラマ「不適切にもほどがある」を思い出してしまいます。

1986年には、僕は先生をやっていました。あのドラマを見ながら、そうだったなと思うことがたくさんありました。もちろん、誇張されていることはたくさんあったのでしょうが、イメージ的には、あのドラマに出てきたことを納得してみていました。

そう考えると今と昭和とは隔世の感があります。一つ一つの価値観などというよりも、生き方自体に大きな違いがあるのかもしません。その割には、学校が変わっていないような気もします。文科省がひきざんがにがてということを書きましたが、学校自体も、引き算ができないのではないでしょうか。実際には、学校だけで決めれることがたくさんあります。

30年前の指導要領の改定の際、特活は70時間から、35時間に時数を減らされました。当然、クラブや委員会は時数の中に入らなくなったのですから、この時点で辞めてしまうことができたはずです。しかし、実際には、時数に組み込まれていないのに、それらは継続して行われています。これは、学校の本団として残したものです。行事についても、その時数は減らされませんでした。

最近になり、ようやく余剰時数のことは広く理解され、余剰時数がほぼなくなってきていると思います。これについても、学校の判断が誤っていたのに、教育委員会や文科省が、学校の責任でやっていることとして、知らん顔をしていた事柄です。

昭和と平成では、異なった価値観になっています。昭和がよかったなど思っているわけではありませんが、意外と昭和が残ってしまっている気がします。

早く令和のスペックを考えていかなければならないのではないでしょうか。

2025年10月27日月曜日

毛筆やそろばん

 確か、30年前の学習指導要領の家庭の際に、図工をなくしたらという話が出ていたような記憶があります。

そろばんや毛筆の話もよく出されますよね。必要なのか。そこに使われている時間が、一定の教育効果を持っているのか。東洋経済のオンライン版でも取り扱っています。

もちろん、そろばんや毛筆、図工や音楽、体育なども、どれだけ必要なのか本当に議論されているのかなと疑問に思うことはないでしょうか。

体育だって、何のために、器械運動などやるのか、よくわかりません。跳び箱やマットなどをやめてしまえば、怪我をする率だって飛躍的に低下すると思います。

東洋経済の記事には、文科省は引き算ができないと書かれています。本当に、そうだと思います。足し算で行政を進めるのなんて、簡単だと思います。やめることは、文科省じゃなくたって大変なんです。学校を運営していても、やめるという提案をするのは、とても苦しいし、嫌な思いもします。それでも、学校が成り立っていくためには、やめること、引き算をすることが必要なんです。

日本の社会は、学校でやっているということに関心を持ちすぎていると思います。各企業や業界団体など、学校が扱わなくなったら困ると思っている組織が多すぎるのです。別に、学校で水泳をやらなくても、今の時代、水泳が廃ってしまうとは思えません。学校で、そろばんをやらないから、誰もそろばんをやらないということはないと思います。もし、学校でやらないから、そのことが原因で衰退するようなものであるならば、無くなってしまうのも時間の問題だったのだと思います。

今一度、学校がやるべきことは何かを問うべきです。そして、現場の声を聴くべきだと思います。

2025年10月26日日曜日

本当に一人一人に応じた授業ができるのかなぁ

 発達障害という言葉が定着して、かなりの年数が経ちました。先生達にも、保護者にも、この言葉が定着し、様々な対応がとられるようになってきています。医療的な措置がとられ、カウンセリングや療育が一般的になっているのかもしれません。

今考えると、担任をしていた時に持っていた子供の何人かは、発達障害だったんだと思います。まだ、その頃は、発達障害という言葉一般的ではありませんでしたから、かなり高圧的に対応したこともあったと、反省してしまいます。

落ち着かない、興味や関心に偏りがある。固まってしまい、教室から出ることができない。思い当たることは山ほどあります。

今では、薬を飲むことで、安定する子やクールダウンすることで、落ち着く子もいることが分かっています。ただ、すべての子どもがそういう措置を受けているわけではありません。これだけ、発達障害が一般化していても、療育を受けることや薬を飲ませることに抵抗感を示す保護者も少なくありません。

確かに、家庭では、それほど問題行動が起きるわけではないのだと思います。家庭内では、嫌なことや関心を持てないことを強制されることはないからです。ですから、突然、怒り出したり、大声を出したり、暴力的な行為が見られたりすることは、少ないと思います。基本的に、おとなしい子も多いですから、家庭では、それほど保護者を困らせることはないのでしょう。

それから、よく聞くのは、「私もそんな子供でしたから、大丈夫です。」という言葉です。よく父親から言われます。大人になる過程で、社会的な適応ができるケースも多くあるということなのだと思います。ですが、学校では、それでは済まない現実があります。

文科省や教育委員会が言うように、一人一人に応じた教育を提供することができるのが、一番大切であるのは言うまでもありません。しかし、そのためには、現在の状況では無理だと思います。それなりのコストをかけなければできないことを現場はしっかりと主張すべきだと思います。やれと言われてできることと、やれと言われてもできないことがあることを、みんなで共有すべきです。

2025年10月24日金曜日

運動会なのに天気が悪い

 秋の運動会の季節ですよね。10月末の週末に運動会を計画していた学校も多いと思います。

それにしても、天気を相手の運動会。今までの常識が通用しない天候に、計画段階から頭を悩ませている先生も多いと思います。

僕が若いころは、春の小運動会、秋の大運動会と、2回運動会をやっていました。それがだんだん整理され、運動会は1回になったんですね。

それにしても、気候がこれだけ変わってしまうと、行事の持ち方自体を考えなくてはいけなくなってきますね。

まず、外での行事ですが、4月、5月、10月の3カ月ができる限界なのではないかと思います。どの行事もそうですが、その日だけではなく、事前の準備や練習なども含めての行事ですので、6月から0月までの暑さは、外での行事ができる状態ではないと思います。

4月に行事を組むのは、可能だと思いますが、忙しない気がもします。運動会だけではなく、遠足系の行事や宿泊関係の行事も4月は難しいかもしれません。5月は、頭の部分の連休があるので、実質的な日数が減ってしまいます。そこがネックですね。それに、6月近くなるとかなりの暑さを感じる日があります。熱中症への対策など、考えることが増えることを思うと、やはり、難しいのかもしれません。

宿泊系の行事も難しくなってきましたね。クマが出没したり、蜂が飛んでいたり、できることが限られてきています。

運動会も、宿泊系の行事も、本当は、やる意味があるのかから考える必要があると思います。様々な条件が変わってきているのに、それを考慮に入れることなく、今まで通り実施していくのは難しいことだと思います。

学校がやるべきことを縮小することが今必要だと思います。大きな行事をどうするのかを社会全体の共通の話題にできれば、学校の在り方を変える大きなきっかけにできるはずなのですが。

2025年10月18日土曜日

子ども達が話を聞いてくれない

 学級崩壊の原因の一つは、子ども達が話を聞いてくれない状況ですよね。

学級ができた時が、一番効果的ですが、まず、話を聞かせることができるようにすることが大切です。

4月や9月のようにスタート時点では、子ども達は必ず話を聞きます。どんな先生か分かりませんし、先生がどういう出方をしてくるのかは分からないので、とりあえず話を聞くわけです。この時が一番のチャンスです。この時、先生の話は分かりやすいと思わせなければいけません。

ゆっくり、あまり大きな声にならないように気を付けて、話をすることが大切です。また、指示を出した時、それが、分かりやすいことが大切です。できれば、一回の話の中で、いくつも支持が出ているのは避けたいものです。一指示、一行動とはできないかもしれませんが、一回の話の中で指示が複数あると、混乱してしまう子供が出てきます。ですから、そういう子供に照準を合わせて、指示は簡潔に、分かりやすく、さらに、複数の指示をまとめて言わないことが必要です。低学年などであれば、黒板に板書することも効果的かもしれません。

子どもによっては、単純すぎると、次はどうするかを知りたがるかもしれません。そういう子供に照準を合わせると、ついてこれない子どもがいますから、それは、避けた方がよいと思います。

子どもが質問をした時、一対一で答えないことも大切です。教室は子どもがたくさんいます。ですから、一人がした質問を全体で共有し、全体にその回答を伝えることが大切です。けして、一人、一人に答えないようにしましょう。

それから、話し方に気を付けましょう。低学年になるほど、拾える言葉の数は少ないです。ゆっくり、話をする習慣をつけましょう。その方が、確実に一人一人に言葉が伝わっていきます。

そういう積み重ねが、話を聞く子供を育てていくことになると思います。

なぜ、話を聞いてくれないのか、原因を考えましょう。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...