このブログを検索

2025年11月25日火曜日

授業参観って

 11月あたりも、授業参観が行われやすいかもしれませんね。

一時期、毎月授業参観を実施するとか、一週間オープンスクールにして授業参観ができるようにするとか、授業参観を増やす方向で進んでいました。でも、今は、授業参観の回数が減る傾向にあるような気がします。年間、3回程度なのでしょうか。6月、9月、12月くらいの感覚なのでしょうか。2月あたりもあるかもしれませんね。6月は、もともとは父の日の合わせて実施していた名残ですね。昔は父親参観日のような名称実施していたものです。

授業参観の内容も、回数が多かった時とは違いが見られます。-イベント中心の形になっています。発表会形式のものが増えています。普段の授業の様子を見せることが基本的には大事だと思うのですが、先生たちは、普段の授業を見せても、受けが悪いと思っているようです。

でも、保護者としては、日常どのように授業が進められているのか、クラスの雰囲気がどうなのかというを知りたいのではないかと思います。自分の子どもがどのような態度で授業を受けているのかに関心があると思います。確かに、イベント系の授業参観をした方が受けているように見えるかもしれませんが、それをやると、必要以上に準備に時間がかかりますし、子ども達にも負担をかけると思います。

日頃通りの授業を、普段通りに進めるようにしていれば、授業参観も負担にはならないように思うのですが…。どうなんでしょうね。

2025年11月23日日曜日

刺激が刺激を生み、悪循環が始まる

 ここ数年の傾向として言えるのは、刺激が刺激を生み、悪循環が始まるということです。

発達障害の子どもがいるのは、今では学級編成をする際に当たり前のことになっています。程度の差はあると思います。ADHDの子どもの中には、自分で自分の行動を制御できないケースもあります。そうしようとしていなくても、何かに操られるように動いてしまうというケースを見たことがあります。授業中に大きな声を出してしまう。授業中なのに座っていることができないなど、先生が苦労している場面を何回も見ています。

だからと言って、その子たちをしかりつけるという対処法では、何も解決はしません。

解決法は、刺激を作らないということだと考えています。教室内が落ち着いていることが、大切です。発達障害がある子ども達は、刺激が苦手な子どもが多いと思います。教室内で、不必要な動きが見られたり、大きな音が立てられたりすると、それに誰よりも早く反応してしまうのです。教室が落ち着き、みんなが話を聞いている状態を作ることができれば、発達障害を持っている子供も、普通に授業を受けることができます。教室内が荒れてしまえば、誰よりも反応し、反応したことを先生や周りの子ども達が注意するとよけい状態は悪化します。

思考することが大切、話し合うことが大切というのは当然のことかもしれませんが、それ以前に落ち着いた雰囲気を作り出すことがまず一番重要になると思います。

話を聞かせるときに、静かにしている状況を子ども達に理解させることが大切になります。

教室の外の音が聞こえる状態が静かであると教えてあげるだけで子ども達の態度は変わってくると思います。静かな状態が少しの間でもできれば、静かにしましょうねと声をかけるだけで静かな状態を作ることができるようになります。それが、1分、2分と継続するようになるだけで、教室の雰囲気はよくなると思います。刺激を受ける時間が短ければ、刺激に反応しやすい子も教室で過ごしやすくなると思います。もちろん、他の子たちも、過ごしやすくなるはずです。

そして、子ども同士に注意させるのも止めた方がよいです。子ども同士の上下関係を作り出してしまいますし、変な優越感を持つ子供が生まれてしまいます。

まずは落ち着いた時間を過ごすことができるようにすることが大切だと思います。


2025年11月22日土曜日

東京だけが救われる

 東京都の様々な政策が話題になります。以前から、東京は学校の配置人数でも、周辺都市を簡単に量ができるだけの人件費を割いているわけです。東京の予算規模は、国家レベルです。千葉や埼玉、神奈川などの周辺都道府県とは一桁違うといってもいいと思います。

豊富な財源をもとに、教員の囲い込みも行っています。非常勤講師の時給だけ取り上げても、東京都は経験者に3000円以上の時給を払っています。当然、経験者であれば、東京を中心に考えるでしょう。周辺の政令指定都市はだいたい2500円というのが相場ですからね。

実際、東京都の小学校を見たことがありますが、信じられないほど、様々な機器が揃っています。各階に複合プリンターがあったり、各教室に大型のプロジェクターが設置されていたり。また、企業や大学など、各学校の近くにある教育環境も大きな差があります。様々な企業とタイアップしたり、大学がタイアップしたりなど、大きな差があると思います。

もちろん、初任給に関しても、東京都は諸手当を含めると30万を超えるくらいの金額になるようです。

東京都と常に競争をしていかなければならに周辺3県、さらに、政令指定都市はすべての面で東京にかなうわけがないのです。東京がその気になれば、すべてを東京に持っていかれることになるような気がします。

日本の教育は全国同じように行われていると言われますが、実際は、大きな差があります。関東の中だけを見ていっても、東京都と比較すれば大きな差があります。

人口が多いこと、税制上の問題など、解決できないことばかりですが、実際には東京至上主義になっているような気がします。でも、そんなところだけ地方分権になっていてはいけないのではないでしょうか。東京だけが優遇されている状態に、もっと声を上げたいと思います。

2025年11月11日火曜日

本当にチームっていいの?

 小学校の学級担任制の特徴は、独立性が高いことだと思います。よく言えば、担任がしっかり考え、学級づくりに取り組んでいれば、それなりの成果を得ることができるわけです。悪く言えば、独善的になりやすい、学級担任の態度で、いくらでも学級を変えることができてしまうわけです。担任の力量がはっきりと出て、学級間の差がはっきりと見えてしまいます。

初任の先生も多くなり、単独で学級担任です、十分なことができません。ということも言えず、この厳しい状況を打開するために、考え出した方法がチームという発想なのでしょう。言えば、連帯責任制になったということだと思います。これまでの基本は、自分の失敗は自分で責任を取れでした。それが、学年全体の責任に変わってきたのかもしれません。

教科分担制も、うまくいかなければ、本当に大変です。特に、あの先生の授業はとか、指導の方法がという話が広まると、学年全体が責任を問われるわけです。

毎回書いていますが、システムを変えるならば、必要な人員をしっかりと補充すべきです。それなくして、何かを進めることは、現場に不必要な負担をかけるだけです。



2025年11月9日日曜日

学級担任制解体する気が本当にあるのか?

 学級担任制は、学制発布からずっと継続している制度です。ですから、基本的にはこの制度を基盤として学校が運営されているわけで、突然「チーム学年」とか「チーム担任制」「教科担任制」などと言われても、実行できるだけの基盤などあるわけがないのです。

それに、中学校と比べても教員の配当数は少ないので、中学校並みに教科担任制が実行できるわけがありません。ぎちぎちの時間割を組むことになってしまうのは、ともかく人員数の割り当てが厳しく決まってしまっているという現状があるからです。

文科省だって、そんなこと分かっているでしょう。現場の小学校が苦しくなると分かったうえで実施している、確信犯的な政策だと言えます。現場が実際に混乱しても、大変な思いをしても、そんなこと気にするそぶりもなく行っているとしか思えません。


そして学校も、それを分かっていながら頑張って対応してしまうから無理が生じるわけです。まあ、学校が直接文科省になにかを訴える機会もないですし、都合の良い学校だけを視察する政治家や官僚ばかりなんでしょうから、どうすることもできません。もちろん、教育委員会だって中央集権型の文科省のやり方に抵抗することはできないのでしょう。

ともかく、学級担任制を解体するならば、きちんと制度的に対応すべきです。やってみたい校長が自分の学校で進め、それがなし崩し的に広がるようなやり方はダメだと思います。

これまで文科省は、現場の頑張りだけを期待して様々な政策を実施してきています。そして、日本の先生たちはそこで踏ん張ってきたのです。もう、それも限界です。これまでは先生たちのレベルの高さがあったからここまで保ってきたのです。でも、過酷な状況下で、今ではそのレベルも落ちてきていると思います。ここまで業務内容を無限に増やしてきたツケが、完全に回ってきているのではないでしょうか。

2025年11月6日木曜日

落ち着かないクラスになることも、今は珍しくないのかも

 授業中、突然大声を出す子がいたり、教室を徘徊する子供がいたり、暴力を振るい始める子がいたりするという話をよく聞きます。教室の中に、落ち着きが見られず、先生として全体をコントロールできない状況があるわけです。

この様な状況は、発達障害を持っている子供がいるからと、よく言われるのですが、確かに、原因の一つだと思います。しかし、それが主体る原因なのかというと、違うような気がします。発達障害に関しては、様々な説がありますが、クラスの1割前後いると言われています。しかし、すべてのクラスが、初めに書いたような状況になるわけではありません。

では、何が原因なのでしょう。僕が思うには、刺激しあっているのかどうかが大きな問題ではないかと思うのです。周囲が落ち着いた雰囲気で、相互に刺激しあったりしなければ、騒ぎ出す子どもが出なくなると思います。誰も刺激しなければ、多くの子どもは落ち着いて教室で過ごすことができます。

でも、制御するという名のもとに、高圧的に出ることも、問題があります。先生が圧を強め、全体を制御しているように見えるクラスは、その担任が持っている間はいいのですが、学年が変わり、柔らかい雰囲気の担任になると、制御できなくなり、学年全体が崩壊する危険があります。技術ではなく、恐怖で抑えることは、絶対に避けなければなりません。昭和の方法は、令和では通用しなくなっているのです。

全体が落ち着いた雰囲気のクラスにすることがまずは大事です。

まあ、35人もいる段階では本当に技術がないと難しいのかもしれません。文科省は、35人までにしてやったというかもしれませんが、この人数は、多すぎると思います。

2025年11月4日火曜日

真っ黒な体質を白くするためには

 


勤務時間ですが、まず朝の時間から見直すべきだと思います。

そもそも、職員の始業時間が8時15分なのに、子どもたちの登校時間がそれより前というのは、考えてみればおかしくないでしょうか。仕事を始める前に、すでに仕事ができる状態になっていなければならないわけです。せめて始業時間が8時であれば、8時15分登校というのも理解できます。要するに、慣習として「少なくとも15分はサービスで仕事をしろ」と言われているようなものです。ですから、まずはそのことから取り掛かっていかなければいけないと思います。欠席等の電話連絡も8時15分以降にするか、必ずメールにしてもらうなどの対応が必要になるでしょう。メールチェックのためにも、やはり登校時間より始業時間がある程度早く設定されている必要があると思います。

こういうことを言うと、「日本人は真面目だから」などという何の根拠もない話が出てきたりします。しかし、まずは「働く時間は始業時間から終業時間までだ」という前提を作るべきです。

せっかくタイムカードのシステムが導入されたのですから。僕が働き始めてから30年以上、出勤簿に判子を押すという仕組みでした。ですから、働いている時間の公式な記録などどこにもなかったのです。これも、現在のブラック体質を作り出している一因かもしれません。僕自身、ずっと勤務時間という意識がありませんでした。それでも比較的早く帰るようにはしていましたが…。タイムカードもない状態で、みんなが働いているから「なんとなく働いてしまう」という体質ができたのでしょうね。そう考えると、やはり40代以上の先生たちには、そうした体質が染み付いているのだと思います。

それから、おかしいと感じたことや思ったことは、誰でも意見として言えるようにすることが大切です。長年やってきていることでも、考え直してみたら「やっぱり変だ」と思うことは他にもあるはずです。

例えば「空き時間」という言い方をしていますが、これもおかしいと思います。自分が授業を持っていない時間は、空き時間ではなくデスクワークをするための時間であるはずです。「空き時間」などという言い方をしているから、別のクラスの支援に行かされたり、補欠に行かされたりするわけです。

確かに、担任をしているときに休むこともありますし、そのカバーをしてもらうことは必要です。お互い様ということなのかもしれませんが、本来は、補欠に入ることができる余剰的な先生が雇用されているべきなはずです。今は、産休前に健診に行くこともできますし、不妊治療で休むこともできます。休みのスタイルも多様化してきているのですから、学校としては、余裕のある人員配置ができる体制にしておくべきなのです。そういうことをすべて現場の裁量権としているのも、本来的におかしいことです。

2025年11月3日月曜日

どうしたらブラックじゃなくなるのか

 僕の記憶の中では、40年前には、そんなブラックな状況ではなかったのです。学校は。

40年前って、まだ、ガリ版を切っている先生がいる時代です。ちなみに、一般で使われるようなワープロが出てきたのが、1980年代前半です。それまでは、和文タイプだって使われていました。僕も使った記憶があります。そんな時代でも、ブラックな感じはありませんでした。40年間の間に仕事量が増えたんだということです。ただし、このころは、土曜日も授業があり、半日は出勤していました。実際は、半日で帰るわけではなく、午後はたまった仕事をしていたというのが実情だったかもしれません。それでも、ブラックな感じはしていませんでした。

ゆとりと呼ばれる指導要領が失敗だったと言われ、その後に、授業時間が増やされ、指導内容も増えていきました。問題は、この時期に人員を増やすということをしなかったことが大きな問題を生み出したということです。業務量だけが増え、人員が増やされなかった。常識では考えられないようなことをやってしまったのです。

基本的に学校の先生は真面目なんです。融通がきないといってもいいかもしれません。与えられた新しい業務をしっかりとこなしてしまったのです。その上、結果も出してきました。政治家たちは、教育再生だなんて言っていますが、どんなに業務が増えても、それをこなし、目標を達成することができているのは、現場に、努力と能力があったからだと思います。学校は十分に成果を出していることを評価せず、教育再生などといったことを平気で口にする政治家も、このブラックといわれる原因の一つだと思います。

では、どうしたら、ブラックじゃなくなるんでしょう。まず、一つ一つ現場を変えていかなければいけません。朝、定時までにくればいいことを共通認識することから始めるべきです。そして、朝、どれだけの時間が必要なのかを考え、授業の開始時刻を決める。それだけでも、学校の状況は変わります。電話の応対も、始業時刻から始める。メールなどに目を通す時間を確保する。今まで以上に時間を要するようになっていると思います。そうやって、一つ一つのことを考えることから始めたらどうでしょう。

実際に、日々行われていることが様々な問題の上に成り立っていることを認識し、改善する努力が必要だと思います。

2025年10月30日木曜日

授業を成り立たせる

 授業って難しいですよね。気持ちよく授業ができるなんて、1年間に何回もなかったような気がします。

まず、話を聞いてくれなければなりませんから、話を聞く習慣がクラス全体に身についていますか?

そのためには、話している方の意識が大切だと思います。話すときは、必ず子ども達を見ていること。黒板に板書しながら話すをのやめるだけで、聞く態度はよくなります。結構、時間の問題などもあり、忍耐力を要しますが、僕は大切にしたいと思っていました。

話す速さも、大切です。低学年になればなるほど、話を聞き取る力が低いです。ゆっくり話すことが何より必要だと思います。これも、なかなか、徹底できるようにするのは難しいですが、学年に応じた話す速さを意識してほしいです。

それから、先生に徹すること。これも、学年が上がると素の自分が出やすいのですが、先生という役柄を自分で作って、演じ切ることが大切だと思います。

これらのことができたら、内容です。子ども達が考えることができる問いかけができることが大切です。それは、こうなんじゃないかなと、考えることができるような設問は必要だと思います。

それから、最終地点が明確になっていること。その授業で、何を考えたのか、その結果、どういう結論を出すことができたのかが分かる授業になっているといいと思います。

子ども達が、その時間に集中できるような内容であれば、授業が終わって、満足感を持つことができるのではないでしょうか。

偉そうに書いていますが、なかなか実践するのは難しいですよね。

2025年10月28日火曜日

昭和と平成

 今では、平成生まれの先生の方が、昭和生まれより多いんでしょうか?統計的な資料を確認したことがないので正確には分かりませんが。平成元年に生まれていれば、36歳なのでしょうから、比率的には同数くらいなのかもしれませんね。

平成だから、昭和だからと、別に何の意味もないのですが、どっぷり昭和生まれとしては、去年のテレビドラマ「不適切にもほどがある」を思い出してしまいます。

1986年には、僕は先生をやっていました。あのドラマを見ながら、そうだったなと思うことがたくさんありました。もちろん、誇張されていることはたくさんあったのでしょうが、イメージ的には、あのドラマに出てきたことを納得してみていました。

そう考えると今と昭和とは隔世の感があります。一つ一つの価値観などというよりも、生き方自体に大きな違いがあるのかもしません。その割には、学校が変わっていないような気もします。文科省がひきざんがにがてということを書きましたが、学校自体も、引き算ができないのではないでしょうか。実際には、学校だけで決めれることがたくさんあります。

30年前の指導要領の改定の際、特活は70時間から、35時間に時数を減らされました。当然、クラブや委員会は時数の中に入らなくなったのですから、この時点で辞めてしまうことができたはずです。しかし、実際には、時数に組み込まれていないのに、それらは継続して行われています。これは、学校の本団として残したものです。行事についても、その時数は減らされませんでした。

最近になり、ようやく余剰時数のことは広く理解され、余剰時数がほぼなくなってきていると思います。これについても、学校の判断が誤っていたのに、教育委員会や文科省が、学校の責任でやっていることとして、知らん顔をしていた事柄です。

昭和と平成では、異なった価値観になっています。昭和がよかったなど思っているわけではありませんが、意外と昭和が残ってしまっている気がします。

早く令和のスペックを考えていかなければならないのではないでしょうか。

2025年10月27日月曜日

毛筆やそろばん

 確か、30年前の学習指導要領の家庭の際に、図工をなくしたらという話が出ていたような記憶があります。

そろばんや毛筆の話もよく出されますよね。必要なのか。そこに使われている時間が、一定の教育効果を持っているのか。東洋経済のオンライン版でも取り扱っています。

もちろん、そろばんや毛筆、図工や音楽、体育なども、どれだけ必要なのか本当に議論されているのかなと疑問に思うことはないでしょうか。

体育だって、何のために、器械運動などやるのか、よくわかりません。跳び箱やマットなどをやめてしまえば、怪我をする率だって飛躍的に低下すると思います。

東洋経済の記事には、文科省は引き算ができないと書かれています。本当に、そうだと思います。足し算で行政を進めるのなんて、簡単だと思います。やめることは、文科省じゃなくたって大変なんです。学校を運営していても、やめるという提案をするのは、とても苦しいし、嫌な思いもします。それでも、学校が成り立っていくためには、やめること、引き算をすることが必要なんです。

日本の社会は、学校でやっているということに関心を持ちすぎていると思います。各企業や業界団体など、学校が扱わなくなったら困ると思っている組織が多すぎるのです。別に、学校で水泳をやらなくても、今の時代、水泳が廃ってしまうとは思えません。学校で、そろばんをやらないから、誰もそろばんをやらないということはないと思います。もし、学校でやらないから、そのことが原因で衰退するようなものであるならば、無くなってしまうのも時間の問題だったのだと思います。

今一度、学校がやるべきことは何かを問うべきです。そして、現場の声を聴くべきだと思います。

2025年10月26日日曜日

本当に一人一人に応じた授業ができるのかなぁ

 発達障害という言葉が定着して、かなりの年数が経ちました。先生達にも、保護者にも、この言葉が定着し、様々な対応がとられるようになってきています。医療的な措置がとられ、カウンセリングや療育が一般的になっているのかもしれません。

今考えると、担任をしていた時に持っていた子供の何人かは、発達障害だったんだと思います。まだ、その頃は、発達障害という言葉一般的ではありませんでしたから、かなり高圧的に対応したこともあったと、反省してしまいます。

落ち着かない、興味や関心に偏りがある。固まってしまい、教室から出ることができない。思い当たることは山ほどあります。

今では、薬を飲むことで、安定する子やクールダウンすることで、落ち着く子もいることが分かっています。ただ、すべての子どもがそういう措置を受けているわけではありません。これだけ、発達障害が一般化していても、療育を受けることや薬を飲ませることに抵抗感を示す保護者も少なくありません。

確かに、家庭では、それほど問題行動が起きるわけではないのだと思います。家庭内では、嫌なことや関心を持てないことを強制されることはないからです。ですから、突然、怒り出したり、大声を出したり、暴力的な行為が見られたりすることは、少ないと思います。基本的に、おとなしい子も多いですから、家庭では、それほど保護者を困らせることはないのでしょう。

それから、よく聞くのは、「私もそんな子供でしたから、大丈夫です。」という言葉です。よく父親から言われます。大人になる過程で、社会的な適応ができるケースも多くあるということなのだと思います。ですが、学校では、それでは済まない現実があります。

文科省や教育委員会が言うように、一人一人に応じた教育を提供することができるのが、一番大切であるのは言うまでもありません。しかし、そのためには、現在の状況では無理だと思います。それなりのコストをかけなければできないことを現場はしっかりと主張すべきだと思います。やれと言われてできることと、やれと言われてもできないことがあることを、みんなで共有すべきです。

2025年10月24日金曜日

運動会なのに天気が悪い

 秋の運動会の季節ですよね。10月末の週末に運動会を計画していた学校も多いと思います。

それにしても、天気を相手の運動会。今までの常識が通用しない天候に、計画段階から頭を悩ませている先生も多いと思います。

僕が若いころは、春の小運動会、秋の大運動会と、2回運動会をやっていました。それがだんだん整理され、運動会は1回になったんですね。

それにしても、気候がこれだけ変わってしまうと、行事の持ち方自体を考えなくてはいけなくなってきますね。

まず、外での行事ですが、4月、5月、10月の3カ月ができる限界なのではないかと思います。どの行事もそうですが、その日だけではなく、事前の準備や練習なども含めての行事ですので、6月から0月までの暑さは、外での行事ができる状態ではないと思います。

4月に行事を組むのは、可能だと思いますが、忙しない気がもします。運動会だけではなく、遠足系の行事や宿泊関係の行事も4月は難しいかもしれません。5月は、頭の部分の連休があるので、実質的な日数が減ってしまいます。そこがネックですね。それに、6月近くなるとかなりの暑さを感じる日があります。熱中症への対策など、考えることが増えることを思うと、やはり、難しいのかもしれません。

宿泊系の行事も難しくなってきましたね。クマが出没したり、蜂が飛んでいたり、できることが限られてきています。

運動会も、宿泊系の行事も、本当は、やる意味があるのかから考える必要があると思います。様々な条件が変わってきているのに、それを考慮に入れることなく、今まで通り実施していくのは難しいことだと思います。

学校がやるべきことを縮小することが今必要だと思います。大きな行事をどうするのかを社会全体の共通の話題にできれば、学校の在り方を変える大きなきっかけにできるはずなのですが。

2025年10月18日土曜日

子ども達が話を聞いてくれない

 学級崩壊の原因の一つは、子ども達が話を聞いてくれない状況ですよね。

学級ができた時が、一番効果的ですが、まず、話を聞かせることができるようにすることが大切です。

4月や9月のようにスタート時点では、子ども達は必ず話を聞きます。どんな先生か分かりませんし、先生がどういう出方をしてくるのかは分からないので、とりあえず話を聞くわけです。この時が一番のチャンスです。この時、先生の話は分かりやすいと思わせなければいけません。

ゆっくり、あまり大きな声にならないように気を付けて、話をすることが大切です。また、指示を出した時、それが、分かりやすいことが大切です。できれば、一回の話の中で、いくつも支持が出ているのは避けたいものです。一指示、一行動とはできないかもしれませんが、一回の話の中で指示が複数あると、混乱してしまう子供が出てきます。ですから、そういう子供に照準を合わせて、指示は簡潔に、分かりやすく、さらに、複数の指示をまとめて言わないことが必要です。低学年などであれば、黒板に板書することも効果的かもしれません。

子どもによっては、単純すぎると、次はどうするかを知りたがるかもしれません。そういう子供に照準を合わせると、ついてこれない子どもがいますから、それは、避けた方がよいと思います。

子どもが質問をした時、一対一で答えないことも大切です。教室は子どもがたくさんいます。ですから、一人がした質問を全体で共有し、全体にその回答を伝えることが大切です。けして、一人、一人に答えないようにしましょう。

それから、話し方に気を付けましょう。低学年になるほど、拾える言葉の数は少ないです。ゆっくり、話をする習慣をつけましょう。その方が、確実に一人一人に言葉が伝わっていきます。

そういう積み重ねが、話を聞く子供を育てていくことになると思います。

なぜ、話を聞いてくれないのか、原因を考えましょう。

2025年10月15日水曜日

みんな大丈夫ですか。

 先生たちみんな大丈夫ですか。3学期制の学校では、1カ月半が経過し2学期の後半に向かっています。2学期制の学校は後期が始まりました。

すごく心配しているのは、子ども達の権利がとても強く認められ、先生たちが気分的に追い込まれていないかということです。余計な心配かもしれませんが、だんだんと子どもを叱ることが難しくなっているのではないかと感じています。

先生が怖い顔をしたというだけで、保護者から連絡が来たりしていないですか。

先生の怒り方が怖くて、自分が怒られていなくても、不登校になった子供が出たりしていませんか。

怒るという方法は確かに有効な手段だとは言えないかもしれません。ましてや大きな声を出したり、音をたてたりなどは、今時としては、よい方法ではないでしょう。しかし、様々な手立ての一つであることも事実です。

先生達から、一つ一つ武器が取り上げられていくと、手立てをたくさん持っている先生ならよいのですが、まだ、それほど手立てがない先生にとっては厳しい部分があるような気がします。

これから、もっと、規制される部分が出てくると思います。子ども達が先に何かを言い始めると先生たちが反論できないことも出てくるような気がしています。

そうなっても、大丈夫な技術を手に入れておくことが大切だと思います。頑張りましょう。

2025年10月9日木曜日

自分の時間は大切

 働き方については、様々な議論がされています。民間企業でどのように進んでいるかは分かりませんが、学校では、確実に進めることが元られていると思います。実際、教育委員会は、全職員の時間外勤務の状況を把握しています。何時間働いたか、どれだけ、時間外勤務をしているのか。各学校の平均を出し、校長にプレッシャーをかけています。

ただ、学校の問題は校長です。それぞれの校長の考え方によって、働き方について異なった見解が出てしまうわけです。学校という単位は小さいですので、学校の中でのことを校長が把握することは簡単です。ただ、その校長の考えがそれぞれ異なっているわけですから、なかなか、大きな単位で見た時に、統一されたものになるとは言えないと思います。特に、現在管理職になっている世代は、厳しい働き方の状況を経験している職員が多く、頑張って働くことをよしと思っている管理職が多いと思います。自分の経験をよしと思ってしまうのは、仕方ないかもしれません。特に、研究をすることを求められていた人は、それを良い経験だと思ってしまうのではないでしょうか。確かに、研究などをしていると、充実感があるのかもしれません。日本の教育の基盤だと言われ、それに素直に従ってきた世代は、当然、これからも続けたいと思っていると思います。

しかし、本当にそうなのかは明確なデータがあるわけではないのです。大学の先生たちが、日本の教育の特色をまとめた時に、諸外国にはないものとして、現場の研究姿勢を評価しただけなのではないでしょうか。

そして、今の学年主体のチーム対応というのも、実際には先生達を苦しめていると思います。チーム対応ができるだけの人的対応もせず、今までの予算の中でできることをやれと言われているわけですから。自分一人で進めてしまえばよいことまで、チームで対応ということが多くあると思います。

自分の時間を削っても、チームのため、学校のために働くことが今の時代よいことなのかは考えるべきです。自分の時間は大切です。前にも書きましたが、アウトプットだけでは、苦しくなる一方です。インプットも大事ですし、学校外の人間関係も大切にすべきです。そういう、心の余裕をなくしてしまうと、切羽詰まってくると思います。

2025年9月27日土曜日

“時間外勤務 月45時間超ゼロに” 教員の働き方改革へ指針改定なんてできないでしょ。

 表題通りのことができるわけないと思うのですが、どうでしょう。

できないということの根拠がいくつかあります。

まず、何故それだけの時間外勤務をする原因を追究していないこと。原因があるから、それだけの時間外勤務が発生してしまうわけです。それなのに、原因については、追及していないわけです。

二つ目。解決すべき方法が示されていないこと。人員増をするとか、業務内容を明確にするとか、それらのを避けていること。それでは無理があります。

三つ目。保護者との問題です。保護者は、これまでと同様のサービスを受けることを当然と思っています。それに応えようとする教員の意識。これが解決するまで、何ら解決することは難しいのではないでしょうか。

時間外勤務の原因は、足し算しかしてこなかった文科省にあるのは歴然としています。新しい政策を実施する際には、それに応じた人員を増加させるというのが当たり前のことだと思います。それをしなければ、オバーワークになるのは、当然のことです。でも、多くの場合、現場に任せればやってもらえると勝手に決めつけられてきました。そして、そのことが、多忙化を生み、教員のなり手がいなくなるという最悪のシナリオを作ってしまいました。業務内容もそうです。先生の仕事は、授業をすることです。学力を高めることが第一の仕事です。だから、OECDのピサ型の結果に一喜一憂してきたんだと思います。それなのに、給食指導だとか、清掃指導だとか、教室の整備だとか、まで教員にやらせているのが無理を生じさせていると思います。先進国の中で、こんな扱いを受けている教員は日本だけじゃないでしょうか。それは、すべて、コストカットのために行われていることなんです。

保護者との問題は、現場にも原因があります。業務時間など気にせず、いつでも対応しますという姿勢が保護者に伝わってしまっているのです。24時間営業なのかと思うような例が多々あります。これは、業務時間を明確にしてこなかった現場に問題があるはずです。

原因を追究し、その解決を図らなければ、いつまでも、時間外勤務が0になりません。0にすることが目標のはずですから。

2025年9月25日木曜日

すべてを戦力にすることができるのか

 教員不足が切実な問題になっている状況がもう何年も続いています。

これって、本当に深刻だと思うんです。小学校は、教員の配当の定数が低いですから、一人の割合が大きく全体に影響するんですよね。校長をやっているときは、ともかく、少しでも先生たちが楽になるように工夫することばかり考えていました。楽って言い方は正しくないかもしれませんせんが、楽をすることは間違えではないと思うんです。余裕があることは、大切ですし、今までの働き方や時間の使い方は、本当に無茶苦茶ですから。

余裕があることで、授業のことや子ども達のことを考えることもできますし、様子をしっかりと見る気持ちの余裕もできます。

担任としては、授業をどう進めるかを考える余裕があることは、とても大切にすべきです。事務処理だって、ちゃんと勤務時間内に収まるようにすべきなんです。だって、今の給与の在り方は、勤務時間で仕事が終わることを前提にしているんですから。給与だって、いつの間にか、OECDの中で、低い部類に入ってしまっています。僕が勤め始めたころは、日本の教員の給与って、比較的高かったような気がするのですが…。

話がそれました。教員不足で、雇用できる先生を捕まえることができない現状では、今いる先生達で、うまく回していかなければならないわけです。ところが、新採用の先生が多かったり、体調やメンタルが十分に整っている先生ばかりではないという状況があったり、産休や育休の代替さえ、見つからず、頭を抱えたりすることがたくさんあります。なかなか、配当人数とそれをもとにした戦力が一致しないということさえ起きています。もちろん、そういう時に何らかのアイディアを出すのが校長だと思うのですが…。

難しいことは百も承知で書けば、職員に少しでも負担をかけないように、無理をしないで済むように考えなければいけないと思うのです。その責任は校長が背負うべきだと思います。

校長って、考えるだけなんです。考えることだけが仕事なんです。僕は、そう思っていました。自分手では何一つ実現することができない立場です。だって、校長は先生ではないんですから。

2025年9月23日火曜日

なぜ、先生になろうと思わないかのを考えた方がいいのではないですか。

 教員採用試験を受けることすらしてもらえないというのが、現実だと思います。

もし、そうであるならば、何故先生になろうと思ってもらえないのかから考えなければならないでしょう。

大学生活の中で、人より多くの時間講義を受け、教育実習を初めとする実習に参加し、得ることができる教員免許。大変ですよね。僕は、教育系の大学だったので、それをとらなければ卒業できませんでしたから、問題はありませんでしたが。それでも、それなりの単位数をとることが必要でした。そこまでして、教員免許を取得したわけです。

でも、教員採用試験を受けてくれない。大学によって大きな差があるようですが、教育系の学部の3割程度しか教員採用試験を受けないという大学もあるようです。

何故なんでしょう。一説にはSNSの影響だと言われています。実際に学校に先生として勤務してやめた人たちのYouTubeやxなどの投稿は影響があると思います。僕は、YouTubeを何本か見ましたが、それが、全面的に正しいとは思いませんでした。SNSだけでなく、メディアの報道も悲惨な状況ばかりを伝えていますし、ドラマなどでも、いい状態を伝えているとは思えません。まあ、現在の状況からすれば、学校現場をよい職場だと、楽しい仕事だと言いにくいところがあるでしょう。

本来先生の仕事は、授業をすることです。最近になり、ようやく雑用の一部がアウトソーイングできるようになってきましたが、本当に、本来業務がおろそかにされているのだと思います。

先生がワックスのかけ方やポリッシャーの使い方を知っている必要があるのでしょうか。プールの水の管理を先生がする必要があるのでしょうか。学校に一方的に送られてくるチラシを子ども達に渡す必要があるのでしょうか。宿題の丸を付け、漢字を治す作業が必要なのでしょうか。それよりも、どうやって授業をするか考える方が大切だと思います。なぜ、先生がいろいろなことをやらなければならくなっているのか。それは、先生がやることが規定されていないからです。授業をするための人だと、分かっていれば、現状が変化していくと思います。

ぜひ、難しい議論だけでなく、一番シンプルなことを話し合ってほしいと思います。

2025年9月16日火曜日

不祥事って、組織的な責任なんですか?

 教員だけではないですよね。警察官や自衛官、医療関係などもそうでしょうが、何か不祥事が起きると、その業界関係全体が責任があるように言われるのはおかしいのではないでしょうか。あくまでも、不祥事を起こしたのは一個人です。その人物が様々なことを言われたり、非難されることは問題はないと思うのですが、関係のない職員全体に問題があると考えるのはおかしいと思います。

不祥事防止という名目で、どれだけ多くの時間を割いているのか。学校関係であれば、教育委員会が旗を振り、不祥事防止を盛んに言うわけです。しかし、不祥事の中でも、猥褻関係に関しては、確実に個人的な犯罪ですから、その個人以外がどうすることもできないわけです。もちろん、該当者が務めている学校に責任がないのかといえば、全く責任がないとは言えないかもしれません。兆候を見ることができたかもしれないし、言動についても、把握できることがあったかもしれません。また、保護者が自分の子どもが被害にあっていないか、疑心暗鬼になるでしょうし、他にもそういうことがなかったのか、聞きたくなる気持ちは理解できます。

それでも、言ってしまえば、あくまでも、個人のしたことであり、不祥事を起こした本人が責められるべきことだと思います。

それに、冤罪ということもあります。実際、不起訴になった例もありますから、教育委員会が発覚後、丁寧に調査をすることは大切だと思います。不起訴になっても、そのことはほとんど報道されません。以前、事件は大きく報道されたのに、不起訴になり、当該職員は何も問題がなかったということがありました。街頭校の校長は、そのことが報道されず、事件を起こしたとされる職員の名誉が回復されないことを怒っていました。

ともかく、学校関係者全体が責任を負っているということは、事実ではありません。もちろん、不正会計などは、学校単位で責任を負わなければならないかもしれません。ですが、すべての事件を学校関係者全体が責任を負っているという方向性は間違っていると思います。

SNSの時代ですから、ことさら、この様な形になりやすいと思います。もう一度考えることってできないのでしょうか。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...