2026年3月14日土曜日

教員の間の人間関係ってどうなんですか。

 人間関係の話に入る前に、採用試験についてはこれまでも何回か書いてきました。 僕は1982年に教員になりました。教員採用試験に「実技試験」が導入された年です。

■ 1980年代:採用減と実技試験の導入 それまでは採用枠が広かったのですが、少しずつ採用数が減り、実技試験が導入されるようになりました。

■ 1990年代~2000年代:採用超氷河期 この時期は、一番採用がなかった時代です。「当面は採用0でも問題はないけれど、後々の年齢構成を考えると0という訳にはいかない」という話が出るほどでした。1994年ごろだったと思いますが、実際に4月の新規採用者が「一桁」だった都市もあるくらいです。採用試験の倍率も10倍を超えていました。

■ 2010年代:大量退職と採用枠の拡大 大量採用されたベビーブーマー世代の先生たちが、一斉に退職し始めた頃です。

ここから、教員の出身大学も大きく変わっていきました。 僕の頃は都市部であっても、まだ地元の国立大学の卒業生が半数くらいいました。僕自身は私立大の出身なのですが、以前は国大出身の先生が多くいたものです。しかし今は、地元の国大卒業生が「0」という学校も少なくありません。

地方になれば、現在でも教員の大半は地元の国大出身者というところが多いはずです。ですので、大学の先輩・後輩関係は未だにあるのではないでしょうか。 その辺りの実情は僕にはわかりませんが、人間関係が濃厚な地方と、希薄になりやすい都市部とでは、職員室の雰囲気にも大きな差があるかもしれません

■ 飲み会から見る、職員室の人間関係 基本的に、今の教員同士で飲みに行くとか、食事に行くということは少ないと思います。それでも、人数の多い若い子たちは月に1回くらい食事に行ったりすることはあるようです。

昔は「野郎会」(男子だけで飲みに行く)なんていうものもありました。行事の後や研究授業の後などにも飲みに行く機会がありましたが、今はほとんどない気がします。 ハラスメントへの配慮もありますし、昔ほど人間関係が濃厚ではないからかもしれません。やっても、5月の歓送迎会と12月の忘年会くらいでしょうか。それも強制ではないので、全員が参加するわけではありません。 前回も書いた通り、年代間の差が大きく、感覚のずれも大きいのです。その辺りも現在の人間関係に影響しているのでしょう。

まあ、仕事にプライベートを持ち込む必要はないので、その程度のドライな人間関係でも問題はないと思います。ただ、ちょっとした愚痴を言ったり、相談したりできる相手は、やっぱり必要ですよね。

2026年3月13日金曜日

世代間の差があっても、共感はしないとね。

40年前、通知表はすべて手書きでした。全教科の所見を年3回書き、さらに行動欄や特別活動欄、総合所見まで手書きで埋めていたのです。小さな枠に文字を詰め込むため、0.3mmの極細ペンを使い、修正液は使用禁止だったため、間違えた時は電動消しゴム(今の若い方はご存知ないかもしれませんね)で慎重に消していました。

テストの成績処理も、パソコンが普及していない当時は、ノートに記録した点数をひたすら電卓で計算する時代でした(もっとも、私は自分のパソコンを持っていたので、自作のプログラムで計算していましたが)。こうした時代を知っているのは、今の50代以上の教員でしょう。その後、20年ほど前にExcelの通知表フォーマットを作成し、周辺の学校にも配布しました。パソコンを使えるようになっても、通知表の作成には20時間前後かかっていたと記憶しています。手書き時代は、さらにその倍近くの時間を費やしていたことになります。ただ、当時は今よりも会議などが少なかったため、子どもたちが帰った後の教室にこもって、ひたすら書く時間を確保できていました。

ここで言いたいのは、「昔は大変だった」という自慢ではありません。手書き時代を知らない若い世代にとっては、パソコン処理が当たり前です。だからといって、彼らの仕事が「楽になった」わけではないのです。今は出席日数の表記や総合所見、行動欄がなくなり、文章による所見を一切記載しない学校も増えました。それでも、その体制になってから教員になった人たちにとって、通知表の作成は依然として大きな負担なのです。

自分の過去の経験だけを基準にしてしまうと、ここ数年で教員になった人たちの本当の苦労は見えてきません。私たちが感じた大変さは、その時代を共有した人にしか分からないのと同じです。決して自分の経験を絶対的な基準にして、今の状況を語らないよう気をつけなければならないと自戒しています。

例えば、最近は教室のワックスがけをアウトソーシング(外部委託)する学校が増えました。剥離剤とポリッシャーで床をきれいにしてからワックスをかけるなんて、本来なら教員がやらなくてもいい作業ですが、以前はみんな自分たちでやっていました。これは、かつての非効率な業務の典型例です。教員にそんな作業をさせていたこと自体が問題なのであって、「自分たちはその苦労をしてきたから」と、それを今の基準にする必要は全くありません。

この40年間の学校現場の変化は非常に大きいものです。だからこそ、昔の苦労を基準にして「今は楽になった」と決めつけるべきではありません。大変さの形は、時代とともに変化していくからです。もし「昔より楽そうだ」と思ってしまったとしても、それは心の中に留め、今の時代ならではの大変さに寄り添い、共感する姿勢を持つことが何より大切だと思います。

2026年3月12日木曜日

どこで働くかで年収100万円の差?教員給与の「地域手当」と民間比較

教員の給与については以前にも触れましたが、現在の公務員の給与制度では、東京都に勤務する教員の給与が相対的に高くなる仕組みになっています。その理由は「地域手当」の存在です。

首都圏の1都3県を見ても、この手当によって大きな差が生まれます。東京23区では地域手当が基本給の20%も加算されるのに対し、千葉県や埼玉県の平均は8%程度にとどまります。この差が積み重なると、50代の年収ベースで約100万円もの開きが生じるのです。

隣接する市町村で生まれる理不尽な給与差

地域手当は、地域間の必要な生活費の差を反映させる目的で、国の人事院や各自治体の人事委員会が等級を定めています。しかし、教員の業務内容はどの地域でも基本的に変わりません。

それにもかかわらず、例えば県内に3つの政令指定都市を抱える神奈川県の場合、横浜市や川崎市に勤めていれば16%の手当がつきますが、それ以外の市町村に勤務するだけで、同じ50代でも年収で40万円ほどの差が出ます。隣接する地域間でこれほどの給与格差があることは、やはり制度的な課題と言えるでしょう。

これが東京都と千葉・埼玉県の比較になれば、先述の通り100万円の差になります。これから教員を目指す方にとって、どこに勤務するかを決める上で、給与は非常に大きな判断材料になるはずです。

プライム上場企業との比較で見える実態

公務員にはストライキなどの労働基本権が認められていないため、代わりに人事院が客観的な数値をもとに給与を算出しています。しかし、過去30年近くにわたり「いかに公務員給与を引き下げるか」という方向で制度改定が重ねられた結果、東証プライム市場に上場するような大手企業とは生涯賃金で大きな差が開いてしまいました。

もちろん、プライム上場企業は日本を代表する大企業であり、優秀な人材を集めるために給与の引き上げに躊躇しない側面もあるでしょう。ですから、公務員と差があってしかるべきだという意見もあると思います。実際に民間企業間でも、50代になれば大企業と小企業で倍近い給与差が生じます。

ただ、民間企業と教員の給与を単純に比較することには注意が必要です。教員などの公務員には性別による給与の差がなく、同じ職務・経験年数であれば同一の給与が支払われます。一方、民間企業では依然として男女間の給与格差が存在することが統計からもわかっています。

この点を考慮すると、特に男性に絞って比較した場合、教員と大手民間企業との実際の給与差は、表面的な平均値のデータ(※ここに表を挿入)よりもさらに開いているのだということをご理解いただけるかと思います。

給与の引き上げが無理なら、別の魅力を

深刻な教員不足についてはこれまでも何度も指摘してきましたが、人材確保のためには給与水準の引き上げが本来「マスト」の施策です。

しかし、財政的な理由ですぐにそれが叶わないのであれば、給与面以外で異なったアピールができるように考えるべきです。一つの提案として、夏休み期間中の教員の特別休暇を現在の5日間から10日間に増やすだけでも、教職の魅力を高める有効な手立てになるのではないでしょうか。

皆様はどのようにお考えになりますか?もしご意見があれば、ぜひコメント欄でお聞かせください。

参考資料

教員の給与
地域(地域手当の割合)20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
東京23区(20%)約450万円約620万円約804万円約870万円
横浜市・川崎市(16%)約435万円約600万円約777万円約840万円
さいたま市・千葉市(15%)約430万円約595万円約770万円約835万円
神奈川県(平均約10%※)約415万円約570万円約737万円約800万円
埼玉県・千葉県(平均約8%※)約405万円約560万円約723万円約785万円
民間企業の規模別給与20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
大企業(1,000人〜)約430万円約580万円約720万円約840万円
中企業(100〜999人)約380万円約480万円約580万円約630万円
小企業(10〜99人)約340万円約420万円約490万円約510万円
プライム市場に上場している企業
年代(目安)20代(約25歳)30代(約35歳)40代(約45歳)50代(約55歳)
平均年収の推計(諸手当・賞与込み)約480万円 〜 520万円約650万円 〜 720万円約850万円 〜 920万円約950万円 〜 1,050万円

2026年3月11日水曜日

新採用された先生たちは今

 もうすぐ今年度の新採用の先生たちは、1年間の試用期間を終えようとしています。教員の試用期間(正式には「条件付採用期間」といいます)は、1989年に半年から1年間へと変更されました。一般の地方公務員の試用期間は現在も旧来通り半年ですから、教員の場合は「初任者への指導を手厚く行い、早く一人前の先生に育てたい」という制度上のねらいがあるのでしょう。

この1年間、新採用の先生は「初任者研修」を受けることが義務付けられており、学校内では「指導教員」が担当として付きます。指導教員は、実際に初任者の学級で模範授業をして見せたり、初任者の授業を観察して指導法の改善に向けた助言を行ったりと、日々の業務をバックアップする役割を担います。

この指導教員の配置には、主に2つのパターンがあります。1つは「専任の指導教員」が配置されるケースで、これは退職後に再任用されたベテランの先生が担うことが多いです。もう1つは「校内の教諭が兼任する」ケースです。この場合、指導教員となる先生の授業負担を減らすため、非常勤の先生が割り当てられ、指導教員のクラスの授業を代わりに受け持つことになっています。

しかし現在、深刻な教員不足により、この体制が崩れつつあります。特に、兼任方式において代わりを務めてくれる非常勤の先生が見つからない事態が起きています。

学校のシステムは本来「どの先生が教えても授業が成立し、子どもたちの学習が進む」ことを前提としていますが、この時点で、現状に合わなくなっているのは明白です。また、専任の指導教員が配置されたとしても、複数の学校を巡回するため「週に1日だけの指導」となるケースも少なくありません。以前にも書きましたが、放課後になれば会議などに追われ、初任者が腰を据えて指導を受ける時間を確保すること自体が難しいのが実情です。

報道によれば、都市部における新採用教員の1年以内の離職率は、今や約6%に達しているというデータもあります。退職の多くは「自己都合退職」として処理されるため、適性がないと判断されての事実上の不採用なのか、心身の不調等による真の自己都合なのか、数字の内訳は区別できません。そのため、この6%という数字が持つ意味を単純に断定することはできません。しかし、1年目の壁を越えられずに教壇を去る若者が増えているという重い事実については、十分考える必要があると思います。

お子さんがいる方が読まれていたら教えていただきたいのですが、

1.新採用の先生が担任でも、かまわない。

2.新採用の先生だけは、担任にならないでほしい。

3.新採用かどうかより、先生としての力量があれば、どちらでもよい。

コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

2026年3月10日火曜日

ランドセルじゃなければダメですか

 僕が教員になったころは、高学年になるとランドセルを使っている子は少なく、多くの子どもたちはデイパックなどを利用していました。

それが30年ほど前でしょうか、「6年間ランドセルを使わせたい」という流れが定着してきたように感じます。学校には不思議な文化があり、時にこうした流行が作られます。何か大きなきっかけがあったわけではなく、おそらく当時の保護者の集まりなどで「うちは卒業まで使わせることにしたの」といった発言があり、「じゃあ、うちもやってみよう」と口コミ的に広がっていったのではないでしょうか。

現在のランドセルは、本革や高品質な素材が使われているものが多く、正式な「ランドセル」として認定されるには国内製造であるといった厳しい基準もあるそうです。価格が高騰しているのには、そうした背景もあります。

学校現場にいた頃、「必ずしもランドセルじゃなくてもいいのではないか」と提案しようとしたことがありました。実際に、新1年生の説明会であえて「ランドセル」という名称を使わず、「背負ってこられるもの」という表現を試みたこともあります。 しかし、「今は早いご家庭だと、年長の春にはもう購入しているんですよ」という実情を聞き、諦めざるを得ませんでした。入学の1年も前から購入活動(ラン活)が始まっているのなら、直前の説明会で学校側がどう表現しようと、まったく意味をなさないわけです。人気のランドセルを手に入れるためには、そこまで早く動かなければならない時代になっていました。

最近では、富山県の立山町がモンベルと共同開発した通学用リュック「わんパック」が話題になり、それに追従するように布製や合皮製の軽いバッグを無償配布する自治体も増えてきているようです。

学校現場でも負担軽減の工
夫は進んでおり、以前とは違って教科書やノートを教室に置いて帰る「置き勉」が広まっています。下校時の子どものランドセルの重さを量ったことがありますが、5キロ以上もありました。子どもの体重を考えれば、明らかに重すぎます。その点からも「本当に従来のランドセルでなければいけないのか」と考えてしまいます。

もちろん、ランドセル市場は日本全国で見れば巨大な経済活動ですから、「廃止しよう」などと言い出す政治家や官僚はいないでしょう。しかし、ランドセルは決して法律で制度化されたものではありません。 両手がふさがらないリュック型の安全性を保
ちつつ、従来のランドセルに代わる軽くて自由なカバンを使っていこうというムーブメントが、今後さらに広がっていくといいなと願っています。

軍隊の背嚢(はいのう)が原型だということで、軍国主義の名残だとまで言うつもりはありません。ただ、「みんなと同じカバンでなければいけない」という同調圧力のような考え方については、これからの教育において少し見直していく時期に来ているのかもしれません。

2026年3月9日月曜日

FAXを使っているのはダメですか。確かにDXじゃないですね。

今日、ニュースで「小中学校の7割がFAXを使っている」と言っていました。 実際のところ、職員室には今もFAXがあります。利用頻度は低いですが、使っているのは事実です。その理由は大きく3つあります。

1. 教育委員会や学校給食会からの緊急連絡 給食に入っていないはずのものが入っていることが分かったとか、アレルギー対応などについての緊急の知らせが届くためです。

2. 学校には「メールを見る習慣」が意外と根付いていない 現在は欠席や体調不良の連絡がアプリで行われるようになったため、担任は必ずアプリを起動してチェックします。事務職員も、委員会や業者とやり取りをするので比較的メールを見ているかもしれません。

ところが、委員会からのメールは「誰が見るか」が必ずしも決まっておらず、誰もチェックしていないという事態が起こり得ます。学校宛てのメールは全員に届くわけではなく、校長宛てのものや、基本的には校長・副校長・事務職宛てに送られてきていました(他の職員に送るよう設定することもできましたが)。

しかも、「何時までに必ずメールをチェックする」というルールもありません。ですから、朝にメールチェックをしない校長や副校長がいてもおかしくはないわけです。そうなると、委員会側も「緊急の用件をメールで送るのはリスクがある」と考えても不思議ではありません。

3. 業者側の事情 業者によっては「FAXで」と指定されることがあります。給食を納品している会社の一部など、メールを使う習慣がない場合や、注文書に押印を求めてくる会社もあるため、どうしてもFAXが必要になります。

デジタル化を進めたい文科省としては、早くすべてをデジタル化しろと言いたいのでしょうか。 確かに、今の管理職世代は、メールチェックの重要性をそれほど感じていないのかもしれません。僕は、必ずしていましたが…。

2026年3月8日日曜日

白衣を着なきゃダメですか。学校が考える当たり前

給食当番って、今でもやっています。先生も子ども達も、給食用の白衣を着ているわけです。今日は、その白衣の話です。

2010年ごろからでしょうか。給食の白衣が問題になるようになりました。だいたい1クラスに10着程度の白衣があり、それを子ども達は着回します。金曜日になると給食の白衣を持ち帰り、洗濯をして、アイロンをかけて月曜日に学校に持ってきます。これがずっと繰り返されるわけです。

何が問題になったかというと、一番最初に問題になったのが柔軟剤の香りです。海外製のように強い香りを発する柔軟剤を使用する家庭が出てきたのです。香りの好みは人それぞれですし、強い香りは無理という子どももいるわけです。でも、学校としてはなかなか「その柔軟剤を使うのはやめてほしい」とは言えません。「それならば学校で洗濯してください」と言われても困るというのが実情かもしれません。

次に問題になったのは、アタマジラミです。かなり流行してしまうときがあるわけです。アイロンをかけてほしいという理由の一つには、アタマジラミなどが付着しないように熱処理をしてほしいという意図もありました。

3点目は、アイロンです。「そもそもアイロンをかける必要があるのか」という疑問が保護者側にはあるようでした。今、昔ほど家庭でアイロンをかけていないという背景があるのだと思います。

この問題を解決するために、まず最初に採った方法は、給食の帽子だけを各家庭で購入してもらうことでした。 そして次に、給食の白衣自体も購入してもらってよいという形にしたことで、香りの問題やアタマジラミの問題、アイロンの問題を解決することになりました。 これは、コロナ禍で感染症対策が叫ばれたことで、だいぶ進んできたことの一つでもあります。

でも、疑問なのは「何故、白衣なのか」ということです。別にエプロンでもいいのではないかと、何回か学校栄養士と話をしました。そうすると、「市内でエプロンを認めている学校などない」と言われました。袖まで隠れていることや、白衣のように汚れが目立つようになっていないことも理由としてあげられました。

学校って、一度決めたことを変えるのを嫌がる傾向が強いですよね。そして、他の学校と違うことをするのを嫌います。別に、そのような横並びの意識はどうでもよいと思うのですが。

2026年3月7日土曜日

「勝ち組」にならなければダメですか。

 

ずっと気になっている言葉があります。それは「勝ち組」「負け組」という言葉です。 1990年代後半、いわゆるバブル崩壊のころから使われ始めたと記憶していますが、日本社会が「一億総中流」という幻想から目覚めた時期と重なるのかもしれません。

「自分の子どもを、必ず勝ち組にしなければならない」 「それができなければ、親としての失敗だ」いつしか親たちがそう考えるようになり、教育に対する捉え方は大きく転換しました。かつて信じられていた「終身雇用」が崩壊し、就職すらままならない「就職氷河期」の到来が、親の不安心理を極限まで高めたと言えます。その結果、教育投資の余力がある都市部の中間層以上の家庭を中心に、子どもを確実に「勝ち組」へ引き上げようとする意識が強まりました。

この現象は、年々過熱しています。都市部の私立中学受験の熱狂や、幼児期の早期教育などはその最たる例でしょう。ここには、親の「自分の理想通りに子育てをしたい」という思い以上に、周囲の環境やコミュニティの言動に左右されてしまう現実があります。

ここ数年「社会の分断」が盛んに議論されますが、目立たないところにある「教育に対する姿勢の違い」も、間違いなく深刻な分断の一つです。 実際、同級生の6割が中学受験の準備をする地域がある一方で、受験する子どもがほぼ皆無という学校もあります。これは「地元の公立中学校が良いから受験しない」というわけではなく、親の意識や経済力の差がそのまま表れているに過ぎません。

以前のブログでも触れましたが、中学受験には学習塾代だけで3年間で約350万円かかると言われています。さらに受験料や入学金、私立の学費も必要です。高い経済力を持つ層が集まる地域でなければ、そもそも受験が話題にすら上らないのが現実なのです。

今の社会で、何が「勝ち組」なのかは誰にも分かりません。 だからこそ、親たちは「合格」という明確な結果が出る中学受験に強く惹かれ、そこにすがるように熱心に取り組むのではないでしょうか。

2026年3月6日金曜日

【ニュースから考える】なぜ教員免許取得者は増えているのに教員不足が起きるのか

今朝のニュースで、教員不足が大きく取り上げられていました。昨日、文部科学省から発表された「教員不足」に関する実態調査の結果を受けた報道です。このニュースを見て、改めて現在の教員採用のアンバランスさについて考えさせられました。


■ 国立偏重だった時代から、私学で免許が取れる時代へ 私が大学を受験した頃は、小学校の教員になりたければ基本的に旧師範学校の流れをくむ国立大学の教育学部に行くのが当たり前でした。私立大学で免許を取得しようとすると選択肢は極端に狭く、理系が苦手で私立に進んだ私の周りでも、関東で免許が取れる私立大学は当時7校程度しかなかったと思います。 しかし、今は200近い私立大学で小学校教員免許が取得できます。資格取得を大学の売りにする学校が増えたためです。

■ 免許取得者は3万5,000人。なのに倍率は2倍未満 1980年代には約3万人だった小学校教員免許の取得者は、現在では年間約3万5,000人にまで増えています。 一方で、1年間に必要とされる新規の教員数は1万5,000人を切る程度です。計算上は採用試験の倍率が2倍を大きく超えるはずですが、現実は大半の自治体で2倍を切っています。 つまり、「教員免許を持っている人を増やす」という施策だけでは、教員不足は全く解決しないということです。

■ 学生が教職を敬遠するリアルな理由 SNSを開けば、現場からの悲痛なリポートが多く目につきます。教員免許を取得するための教育実習で、現場の余裕のなさを目の当たりにして嫌になってしまう学生も少なくありません。また、民間企業が高い初任給を提示していることも、他業種へ人材が流れる大きな要因になっています。

■ 今までの慣習にとらわれない改善策を 以前から繰り返し主張していますが、まずは以下のことを進めるべきです。

  • 業務時間を明確にし、保護者にもしっかり伝える

  • 夏休みを確実に取得させ、新しい「職業的な売り」にする

  • AIを効果的に利用し、事務作業などの業務軽減を図る

これだけでも、職場としての魅力は大きく変わるはずです。もちろんその他の施策も必要ですが、現場にはすぐにできる改善策がたくさん眠っています。これまでの慣習にとらわれず、本気で改善する努力をすべき時が来ています。

2026年3月5日木曜日

すべての学年を担任できるのが「良い先生」なのですか。

すべての学年を担任できるのが「良い先生」なのか?

担任を担うことが小学校の先生の基本であるというのは、チーム担任制だろうが教科担任制であろうが、あまり変わりはないと考えています。担任として学級の基盤を作り、子どもたちが学習に集中できる基礎を作っていくことは、やはりとても大事なことです。

私自身、教員時代は1年生から6年生まで、どの学年も複数回担任を経験してきました。自分が現場にいた頃は、「すべての学年を担任できるのがよい教員だ」と信じていました。

ですが、校長として学校全体を俯瞰するようになった時、その考えは少し違うのではないかと思うようになりました。1年生と6年生とでは、担任に求められるスキルや視点が「全く」異なっているからです。

1年生と高学年、求められる役割の大きな違い

1年生の担任として最も気を付けるべきことは、子どもたちの日々の細かな変化に気づくことです。1年生は、体調や精神的な変化があっても、それを十分に言葉で伝えることができません。心のありようが身体的な変調として表れることもよくあります。

また、視野が狭かったり、聴力がまだ十分に発達していなかったりするため、早口で話をしても伝わらないことがあります。保育園や幼稚園からの良い習慣を引き継ぎつつ、学校で「初めて」身につけるべき習慣を教えるなど、低学年特有の発達段階を深く理解した指導が求められます。

一方、高学年になると、子ども達は身体的にも精神的にも大きな変化の時期を迎えます。思春期の入り口に立つ子もいれば、まだそうでない子もおり、成長の個人差が非常に大きくなります。

大人に対して反発心が芽生えたり、大人のウソを見抜けるようになったりする、とてもセンシティブで不安定になりやすい時期です。コミュニケーション能力の差も顕著になり、一人ひとりに合わせたより複雑な対応が必要になってきます。

これからの時代に合った「担任の在り方」とは

運動会などを見ていると実感しますが、小学校の6年間という期間は、子どもの成長にとってあまりにも長い時間です。

だからこそ、低学年を担任する先生と、高学年を担任する先生をある程度「固定化」する方が理にかなっているのではないでしょうか。「1年から3年まで」「4年から6年まで」と担当範囲が決まっていれば、教員はその年代の専門性をより深く磨くことができ、業務も効率的に進めることができます。

以前の記事でも触れたかもしれませんが、アメリカやイギリスでは学年を固定し、その学年を専門に担任する方式が一般的です。(逆に北欧などでは、同じ担任が6年間持ち上がる方式が多いようですが、これも一つの専門性の形と言えます)。

「どの学年でも無理なく持てなければならない」というこれまでの常識は、教員の働き方が問われる今の時代には、少し無理が生じているような気がします。

新年度を前にして、これからの時代に合った「担任の在り方」について、今一度考えてみてはいかがでしょうか。

2026年3月3日火曜日

働き方に対しての意識を変えないと。


いつから学校の「働き方」は問題になったのか

働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないのですから、自分がどれだけ残業しているかを気にする習慣もありませんでした。

子ども達が下校し、会議が終わって、ホッとする。 それからお茶を飲みながら、クラスの様子や子どもたちのことを同僚と語り合い、自分のペースで事務処理を進める。仕事が終わってから帰りたい職員もいれば、残って仕事を続けたい職員もいる。夕方の職員室には、比較的ゆったりとした時間が流れていました。

変わる職員室と、過去の記憶

教育委員会が時間外勤務の実態把握と縮減に本腰を入れ始めたのは、2020年ごろではないでしょうか。各学校へ統計数値が送付され、会議の場でも具体的な改善が求められるようになりました。

つまり、2020年以前から教員をしている人たちは、旧来の「ゆったりとした」タイムスケジュールを体で覚えているのです。日中が過密スケジュールだからこそ、夕方以降は少しリラックスして、のんびり自分のペースで仕事をしたいという気持ちになるのも理解できます。

また、終業時間が「16時45分」という点も影響しています。春から秋にかけてはまだ外が明るく、「まだ時間がある」という心理的な要因から、ついつい学校に残って仕事をしてしまうのです。


時間を意識する仕組みと、AIによる業務効率化

しかし、解決策は確かにあります。

一つは、「先生たちに時間を意識してもらうこと」です。 私は学校を異動するたびに、職員室でチャイムが鳴るように設定してきました。16時45分、17時45分、18時45分、そして最後は20時。音で時間を区切ることで、意識は確実に変わります。

もう一つは、「最新ツールによる業務効率化」です。 今は、テストをスキャンするだけで自動で誤答を見つけ、点数集計までしてくれるシステムがあります。週案も5分で作れます。さらに、保護者へのお手紙の文面、企画書、指導案の作成などは、AIが強力にサポートしてくれます。工夫次第で、仕事は大幅に効率化できるのです。

ベテランと管理職が背中を見せる

こうした改革は、40代、50代の中堅・ベテラン教員が先頭に立って実践しなければ、職員室の雰囲気は決して変わりません。そして言うまでもなく、校長自身がそのトップに立つべきです。

毎年4月になっても教員不足が解消されないという深刻な事態を防ぐためにも、働き方の改善は、今すぐ取り組むべき「急務」なのです。

2026年3月2日月曜日

仕事の進め方について、考えていたのは、こんなこと。

皆さんは、日々の仕事の進め方でどんなことに気を付けていますか?

学校現場は、年度末から年度初めにかけてが一番忙しい時期ですよね。担任は通知表だけでなく指導要録を書かなければなりませんし、新しい学年の学級編成の準備もあります。子どもたちの引き継ぎ業務も必要です。他にも、処理しきれていないテストやプリントなどが残っているかもしれません。

そんな多忙な中で、僕は仕事を進める上で「2つのこと」を大切にしていました。


一つ目は、「目の前の仕事を一つひとつ確実に終わらせること」です。
学校には細々とした案件が多く、並行して進めなければならない仕事も山のようにあります。人員に余裕があれば手分けもできますが、現実にはなかなかそうはいきません。だからといって、マルチタスク風にいくつもの仕事を同時進行していると、どうしても抜け漏れが生じやすくなります。だからこそ、必ず一つひとつを完結させながら仕事を進めることが大切だと考えてきました。

二つ目は、「15分を1単位として考えること」です。 15分間というのは、人が確実に集中できる時間の単位だと思います。たとえば、30分かかる仕事は「2単位分の仕事」と考えます。その日の終業時間までに「あと何単位分の時間があるか」を逆算し、どの程度の業務を処理できるか算段をつけて、必ず時間内に終わらせるようにしていました。 もちろん、この進め方にはTODOリストが欠かせません。さらに、経験を重ねて「1単位(15分)で自分がどの程度の業務を処理できるか」を把握しておくことも重要です。

今はAIを活用できる時代になり、大幅な業務の時短が可能になっています。テストの採点処理や週案の作成なども、おそらく5分、10分の仕事になりつつあるでしょう。そのため、私の過去のやり方自体はもう参考にならない部分もあるかもしれません。ですが、「時間の使い方」や「仕事の手順を組み立てること」の重要性については、今の時代の先生方にもぜひ考えてみていただきたいなと思っています。

2026年3月1日日曜日

臨任に登録してくれる人、いませんか。

最近、こんな話を聞きました。 ある学校で産休に入る先生がいたのですが、代替の臨任(臨時的任用教員)が来ないそうです。担任を空けるわけにはいかないので、児童指導専任の先生が担任代行をしているとのこと。さらにその学校では、もう一人療休(病気休暇)に入った先生もいて、そちらは専科の先生が担任代行を引き受けているそうです。

同じ時期に二人の欠員が出る。現場ではありうる話ですが、管理職の視点から見ると、この2つのケースは性質が全く異なります。

産休の場合、妊娠が分かり出産予定日が見えてくる頃には、校長は教育委員会へ「〇月に産休に入る職員がいるので手配をお願いします」と連絡を取ります。つまり、教育委員会の人事担当者は、半年も前から「〇ヶ月後に産休代替が必要になる」と分かっているのです。以前なら、これで無事に事は進み、手配が完了していました。産休代替は「予定が立つ欠員」なのです。 一方、療休は突然の出来事ですから、すぐに対応するのが難しいのは十分に理解できます。しかし、今は「予定が立っているはずの産休代替」すら見つからないという異常事態が起きているのです。

実は、臨任の先生の給与は正規職員と遜色がありません。自治体によって差はありますが、新卒であっても月給30万円以上を提示する自治体もありますし、40代・50代のベテランになれば50万円まで段階的に給与が上がる自治体も存在します。

しかし、ここに別の根深い問題があります。「教員経験者が、果たして再び臨任としてフルタイムで働きたいと思うか」ということです。 以前も書きましたが、現在の学校の「働き方」自体が嫌で辞めた人は、待遇が良くても臨任を引き受けるとは思えません。定年退職後の先生方も同じ気持ちでしょう。その結果、「フルタイムの臨任は負担が大きいけれど、非常勤講師なら引き受けてもいい」という流れになるのです。

この非常勤講師の働き方も、自治体によって勤務時間の上限が明確に異なります。東京都なら週26時間、横浜市なら週29時間、川崎市に至っては週35時間といった具合です。これを主たる収入源にするか、あるいは兼業前提で働くかなど、働く側の目的によっても選択肢が変わってきます。

いずれにしても、「臨任としてフルタイムで現場を支えたい」と登録してくれる人が決定的に不足しているのが今の教育現場の現実です。 学校現場は、教員が離れていかないよう「働きやすい職場づくり」に今すぐ本気で取り組まなければ、この先もずっと人員不足に悩まされ続けることになるでしょう。

2026年2月28日土曜日

私立中学の受験の2月でしたね。

 


■ 3年間で350万円。中学受験にかかる費用と親の心理 2月は、私立中学受験の月でした。最低でも3年間、子どもたちは受験のために多くの時間を使い、親は多額の費用をかけてきました。僕の感覚的なものですが、3年間に必要な塾などの費用は350万円くらいになると思います。 金額的に見ると「そんなにかかるのか」と思うかもしれませんが、「私立中学に入れば、それ以降は塾に行かずに済む。公立の中高に進んで通塾した場合と比べても、トータルでの出費はそれほど差がない」と考えるご家庭も多いようです。


■ 首都圏における進学率の実態と「親の経験」
現在、私立中学に進学する割合は、高い地域では5割近くなっています。東京都の文京区、港区、千代田区などが高く、それに続くのが世田谷区、渋谷区、目黒区などです。 東京都に次いで高いのは横浜市です。横浜からはすべての鉄道が東京に向かっているため、都内の私立中学に進学しやすいという背景があります。田園都市線沿線の青葉区や都筑区、東横線沿線の港北区や神奈川区などが高い地域になっており、いずれも3割前後の進学率になっていると思います。

これらの地域は、保護者の学歴や教育への意識が高く、経済的にもゆとりがある家庭が多いと考えられます。ただ、それだけではありません。東京都内や横浜、川崎などに住んでいる家庭は、親自身が私立中学出身である可能性が高くなっています。 そうなると、私立中学に進学することは至極当然のことであり、「自分と同じように、より良い環境で学生生活を送らせてやりたい」と考えるのだと思います。

■ 公立小学校の「無関心」とこれからの課題 これまで公立小学校は、児童の私立中学への進学に全く無関心でした。地方出身の教員からすると「わざわざ私立を受験させなくても……」と考えることも多いでしょう。 また、学校には受験の資料も何もないため、保護者も「受験の相談は塾でするもの」「学校には受験することすら伝える必要がない」と考えているのだと思います。 しかし、中学受験が子どもたちを取り巻く環境の一つだとすれば、学校としても、せめて「受験をするのかどうか」くらいはしっかり把握しておくべきではないかと思います。

これから少子化が進むなかでも、中学受験熱はさらに過熱していくと思います。親の意識と経済力による差がつきやすく、また、学力の差もつきやすい部分です。1日に学校以外で3時間、4時間と学習していれば、それだけでも単純に学力は高くなり、知識量も豊富になります。 今後は、子どもたちを取り巻く状況を理解するためにも、ある程度は学校側も受験について関心を持った方がよいと思います。

2026年2月27日金曜日

時代による変化が。AIもその一つだから。

 現在、子ども達はごく自然にAIを使っています。スマートフォンやタブレットを通じて日常的にAIに触れられるため、彼らにとってはすでに「あって当たり前」のツールです。今の段階で、彼らはすっかりAIを使いこなし始めていると言っていいでしょう。

振り返ってみれば、僕がパソコンを使い始めたのは1980年。そして、携帯電話やインターネットに触れ始めたのは1992年頃のことでした。この約45年の間に数多くの新しい技術が生まれ、それに伴って子ども達の「当たり前の範囲」も大きく広がってきました。

たとえば、1983年に登場したファミコン。僕自身も子ども達に混ざって夢中でプレイした記憶がありますが、現在の40代はまさにこのファミコンと共に育ってきた世代です。また、当初は接続が難しかったインターネットも、Windows 95の発売を機に一気に普及しました。現在の30代にとっては、インターネット環境が整っているのが「当たり前」の世代です。

1980年以降、どの時代に生まれたかによって、新しい技術に対する経験値や「何が当たり前か」の基準は大きく異なります。この前提の違いは、決して無視できないものです。

生まれた時からAIが存在する子ども達と、これから新しい技術として「学習しよう」とする大人とでは、AIに対する意識に決定的な差が生まれます。まだ全貌が見えないAIに対して、大人たちは恐れや戸惑いを感じているのが実情ではないでしょうか。

しかし、出遅れてしまった大人たちが今やらなければならないのは、とにかく早くAIに触れ、対話してみることです。 これからの学校は、AIを大いに活用していく場に変わっていくでしょう。だからこそ、先生一人ひとりが「教育現場でどうAIを使うべきか」を主体的に考えていかなければなりません。すでにAIを活用している先生方には笑われてしまうかもしれませんが、これからの学校教育のあり方について、僕は少なからず危惧を抱いています。

2026年2月26日木曜日

一人一人に応じた教育、とても大事ですよ。心配なこともあるけれど。

 

一人一人に応じた教育の実現に向けて、文科省は様々なケースを挙げ、学校現場に対応を求めています。各自治体の教育計画も同様の方向性を示しています。 外国籍の子ども、経済的な配慮が必要な子ども、個別支援教室や情緒支援級で学ぶ子ども、発達障害やギフテッドと呼ばれる子ども、不登校やその傾向にある子ども――。どのような子どもに対しても合理的配慮は必要であり、適切に対応すべきです。その理念は、間違いなく「正しい」ものです。

しかし、なぜ今になってこの問題が強く叫ばれるようになったのでしょうか。その発端は、2022年に国連の「障害者権利委員会」から日本が受けた厳しい指摘にあります。国連は、現在の日本の個別支援学級を「分離型の教育」であり、フル・インクルーシブとはかけ離れた制度だと批判しました。

日本の個別支援学級が、世界のインクルーシブ教育の潮流と異なっているという国連の指摘は、もっともな部分があります。ただ、問題の根本は別のところにあります。それは、日本の教育制度が長年「コスパ(費用対効果)」ばかりを重視してきたという事実です。

私たちは、戦後の経済力がない時代に作られた枠組みを、未だに使い続けています。少ない教員に多種多様な業務を押し付けられる「35人学級」や「個別支援学級」のシステムは、お金を出す側からすれば、これほどコスパが良く、ありがたい仕組みはありません。そして皮肉なことに、**現場の教員たちが身を削って「それなりの成果を上げてきてしまったこと」**が、この古い制度を温存させる最大の原因になっているのかもしれません。

さらに、教育予算の財源を「地方交付税交付金」という一般財源に頼っている仕組みにも問題があります。国が教育費として計算した予算であっても、各自治体の財政事情によっては全く別の事業に使われてしまうのが現状です。

「障害者差別解消法」が施行され、誰もが合理的配慮を求められる社会になりました。国として条約を批准し、社会全体で共生を目指す以上、文科省や教育現場だけがその波から逃れることは許されません。

私が危惧しているのは、十分な予算的配慮も、現場を支える「人的な保障」もないまま、理念だけが先行し、学校にさらなる圧力がかかってくる未来です。このままでは現場が破綻してしまうのではないかと、心配でなりません。

2026年2月25日水曜日

「一人一人に応じた教育って、今のままでできますか。


2月も終わろうとしています。学校では今年度のまとめをしつつ、来年度への準備も始まっていることと思います。来年度の準備と言っても、今の時期は校長が次年度の構想を練ったり、教育課程の日程を組んだりすることが中心になるでしょう。

さて、現在文科省が中心となり、「一人一人に応じた教育」を推進することになっています。しかし例のごとく、理念ばかりが先行し、それを実現するための予算の手当てが伴っていないように見受けられます。

確かに、全学年で35人学級が実施されたことは大きな一歩かもしれません。しかし、現場の感覚からすれば35人は依然として多いのが実情です。これだけで「一人一人を見るための条件が整った」とは到底言えません。先進諸国と比較しても、一つの教室にいる子どもの数としては明らかに多い水準にあります。

文科省はよく全国平均を用いて「1学級22人」という数字を挙げます。これならば先進諸国と同等に見えますが、あくまで平均値のトリックです。都市部の学校では35人ぎりぎりの教室がひしめき合っている一方で、過疎化が進む地域では35人が全校児童数というケースもあり、全国平均で語ることにまったく意味はありません。

では、現状からさらに踏み込んで「35人を30人に」できるかといえば、それは不可能に近いと言わざるを得ません。

理由は大きく二つあります。一つは「教員不足」です。これは当面解消のめどが立たない深刻な課題です。

そしてもう一つが「ハードウェア(施設)の問題」です。都市部の学校では、教室の絶対的な不足が起きています。自治体は6年先までの推計児童数に基づき計画を立てますが、一部の地域では予測を超えて児童数が増加し続けています。

さらに首都圏などでは、児童数が飛躍的に増加した時代(1950〜70年代)に建てられた校舎が一斉に建て替えの時期を迎えています。しかし、建設費の高騰に加えて建築基準が変更されているため、「これまで4階建てだった校舎が、建て替えると3階建てにしかできない」といったケースが多発しているのです。児童数が増え、35人学級化などで必要な学級数も増えている中、建て替えすら一筋縄ではいきません。その結果、21世紀の今の時代にあっても、運動場に簡易的なプレハブ校舎を建てて急場を凌ぐ事態となっています。

教員不足も教室不足も、一朝一夕には解決しない中長期的な課題です。そうであればこそ、国はもう少し先を予見し、実効性のある施策を立てるべきだったのではないでしょうか。

このような厳しいハード・ソフトの現状がある中で、果たして本当に「一人一人に応じた教育」など実現できるのでしょうか。

2026年2月23日月曜日

AIを使ってみてくれますか


前にも書いたことがあるんですが、今の先生達ってどのくらいAIを使っているんでしょうか。 世代による違いもあるかもしれませんね。若い世代は頻繁に利用し、それなりに使いこなしている印象があります。ただ、彼らは意外とパソコンを使わず、すべてスマホで完結させているという話もよく耳にします。

いずれにしても、AIに触れる機会を増やしていくことは、これからの時代とても大切です。

汎用的なAIとしては、以下の3つが有名です。

  • Gemini(Google)

  • ChatGPT(OpenAI)

  • Microsoft Copilot(Microsoft)

これらは検索代わりにもなりますし、対話型のパートナーとしても多くの人に活用されていることでしょう。 僕自身も、このブログの文章を校正してもらったり、イラストを作成してもらったりして活用しています。お馴染みのキャラクターも、Geminiと対話しながら誕生しました。一度ベースを作ってしまえば、新しいポーズや動きをつけることも簡単です。

ただ、やみくもに使うのではなく「必要性がある場面で利用する」のが良いと感じています。実際に文章を作らせたり、校正させたりして初めて「AIに何ができるのか」を実感として理解できるからです。最近は教育用のGeminiも登場しているようですから、すでに学校業務で活用し始めている先生も多いかもしれませんね。


また、子どもたちの学びをサポートするAI教材としては、Qubena(キュビナ)やMonoxer(モノグサ)が有名です。名古屋市では4年ほど前からQubenaを全市で導入していると聞きますし、Monoxerの活用事例についても耳にする機会が増えました。どちらも確かな使用実績があるため、自分で直接使ったことはなくても、名前を知っている先生は多いはずです。

ともかく、今の段階で「AIに全く触れていない」という人は少なくなってきているのではないでしょうか。最先端を追いかける一部の人だけでなく、私たちの日常業務の中にも使える場面はたくさんあります。

「まだ使ったことがないから」と立ち止まるのではなく、積極的に活用できる場面を見つけていく姿勢が大切です。その試行錯誤の経験こそが、何よりも大きな力になるはずですから。

2026年2月22日日曜日

定時退勤のメリット・学ぶ側の心理を知る重要性

定時退勤の最大のメリットは、自分のための時間を作れることです。それだけで心身ともにリラックスできますし、学校の出来事や子どもたちのことを一旦忘れる時間を持つことを強くお勧めします。オンオフの切り替えがしっかりできれば、日々の辛い気持ちも少しずつ軽減されていくはずです。

そしてもう一つお勧めしたいのが、文化的なことやスポーツなど「何かを学ぶ時間を作る」ことです。これは単なるリフレッシュの目的だけでなく、「自分が学ぶ側に回る」という点に大きな価値があります。 例えば、トレーニング中にトレーナーから的確な一言をかけられると、それだけで内容が大きく改善することがあります。自分だけでは気づかない点を指摘される効果です。私たちは普段、常に「教える側」にいるため、どのような指導が本当に効果的なのかを客観的に実感しにくくなっています。だからこそ、自分が学習者の立場に立ってアドバイスを受ける経験が不可欠なのです。

また、指導者によって指摘の仕方や技術的な説明の仕方は千差万別です。「どう教えられると理解しやすいか」を自分自身で体感することは、日々の授業や生徒指導の引き出しを増やすことに直結します。

さらに、自分自身が「上達する喜び」を再確認することも非常に大切です。子どもたちは誰もが「上達したい」「理解したい」と望んでいます。彼らに諦めさせることなく、少しでも前進している事実を伝えてあげることは大きな意味を持ちます。学年が上がるにつれて学習に諦めを抱く子どもを出さないためにも、まずは先生自身が学ぶ側になり、励まされ、褒められる経験を味わってほしいと思います。

朝が早い職業なのですから、一般の人よりも早く帰宅できるのは当然の権利です。この環境をチャンスと捉え、ぜひ定時に帰り、ご自身の時間を最大限に有効活用してください。

2026年2月21日土曜日

あと1か月。学級担任頑張れ!

 学級担任をもつと、「完璧にクラスをまとめなきゃ」とプレッシャーを感じるかもしれません。でも、最初からすべての先生がうまくいくわけではないんです。子ども達と上手くいかず、一度躓くとなかなか軌道修正できなくて悩む……そんな時期は誰にでもあります。これは、私自身にも上手くいかなかった経験があるからこそ言えることです。


振り返ってみると、子ども達と良い関係性が築けなくなる要因は、「教師が強引に物事を進めようとした時」にあるのだと思います。よく言われがちな「子どもに舐められちゃいけない」と肩肘を張ってしまう感覚が出てきたときは、要注意です。そこで強く出て押し切ろうとしても、良いことは何一つありません。 関係性がぎくしゃくしている時に、上から押さえつけたり強引に進めたりすれば、子ども達の不満はたまる一方です。特に高学年になると、その傾向はより顕著になります。

大切なのは、まずは子ども達の話を丁寧に聞き、よく観察してあげることです。強引な態度や上からの強気な発言は控え、ソフトで柔らかな対応を心がけてみてください。

もし、教室に向かう廊下や階段で「足取りが重い」「行きたくない」と感じるようになったら、それは心がかなりSOSを出している状態です。精神的に追い込まれ、子ども達の前に立っても気力を保てなくなっているサインです。

学級担任制の難しさは、教室という密室に「先生が一人しかいない」という点にあります。困った時に他の先生が応援に来てくれても、最終的には担任自身が子ども達と向き合わなければ、本当の収拾はつきません。 だからこそ、学級が荒れそうになると、つい大きな声を出したり物を叩いて音を立てたりと、「威圧」によってコントロールしようと考えてしまいがちです。その焦る気持ちは、とてもよく分かります。

でも、そんな時こそ、学級担任は「ソフトに、柔らかく、丁寧に」子ども達に接することが不可欠です。何よりもまず、「先生は話を聞いてくれる」「話しやすい」という安心感を子ども達に持ってもらうことが、クラスづくりの第一歩になります。

どうか、精神的にすり減ってしまうことのないよう、自分自身の心を守りながら、目の前の子ども達と向き合っていってくださいね。

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化

私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より...