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2025年8月10日日曜日

年間授業時数の話

 中央教育審議会でも、年間授業時数について話し合われているようですが、今の現状を変えるためには、この年間授業時数を削減するか、人員を大幅に増やすか、の二者択一しかないように思いますが、どうでしょう。

年間授業時数について、ここ数年でようやく、計画段階で時数が立入れていればよいと言われるようになりました。それまでは、非常変災による授業時数の削減を見越して、標準事業時数+非常変災が見込める分を授業時数として計上しなければいけないという風潮がありました。10年以上前に組んだ校長から、それは間違えで、計画段階で時数が満たされていればよいという見解が文科省から出されていると教えてもらいました。でも、この考え方が浸透することはなく、コロナ禍で、授業時数が大幅に減ったことをきっかけにようやく計画段階での授業時数の確保がされればよいことが浸透していきました。4年生以上の標準事業時数は、1015時間ですが、以前は、1050時間くらい計画段階で撮っていたのだと思います。これだけでも、大きな負担になっていたはずです。

だいたい、授業時数を増やした時に、職員を増やさなければならなかったはずなのですが、そんなことは、話題にもされなかったような気がします。授業時数が増えるということは、かなり、大きな業務の拡大だと思います。しかし、そうは、文科省は考えることがなかったような気がします。

給料払ってるんだから、働けばいいんだと思っているんじゃないでしょうか。その姿勢がブラック企業体質だと言われることにつながっているのだと自己批判してほしいものです。

新しい施策を起案したとき、合わせて、予算と人員について考えるのが一般的だと思うのです。しかし、そんなことを考えなかったのか、小学校など、その程度の内容の消化は現有の人員で簡単にこなせると思っているのか分かりませんが、年間の授業時数が増えても、人員を増やすことはなかったのが、大きな問題だと思います。それに、その時点で、余剰時間をとる必要がないと声を大にして言ってほしかったと思います。

現状を変えていかなければ、これからの学校教育を進めていくことがよけい難しくなると思います。そのすべては、文科省にかかっているのだということをもっと自覚してほしいものです。

2025年8月9日土曜日

突然、先生になったりできるのか。

 基礎的なことができれば、本当は小学校の先生はできるはずということなのでしょう。そう考えていなければ、突然先生になってみようと考える人はいないと思います。

初任者は、年間何十時間化の校外研修と何百時間化の校内研修を行っています。かなり時間的にも厳しい中、そこまでやるのかという数の研修会を行っています。それでも、学級がまとまらず苦戦したり、パニックに陥ったりしている現状があります。正規に採用された場合には、文科省が定めた研修を実施する義務が教育委員会にありますから、なんとか、時間を作り出し、ねじ込み、研修を行っています。もちろん、校内でもそれに合わせた研修を実施しなければなりません。人員も配当され、なんとか、進めることが求められます。一方非常勤講師や臨任の先生には、そのようなフォローはありません。経験があろうが、なかろうが、関係なく、教室で授業をしたり、学級経営をしたりしなければならないわけです。

そこで問題なのは、突然、先生になって、先生をやることができるのかということです。もちろん、教員免許を持っているわけですから、先生になる資格はあるわけです。資格を取るために、それなりに大学時代に勉強をしたり、通信教育で学んだりしてきています。ですから、できるのかといわれると、難しいものがあると思います。何十年も前に学んだことは現在に通用しません。もちろん、その間に新しく導入された英語やIPADの活用などにも、対応できないでしょうし、そのことを学ぶ余裕もないわけです。それだけではありません。ここ20年くらいの間に、保護者への対応など、それまで以上に難しい課題が出てきています。発達障害についての理解や対応も、複雑さを極めてきています。実際、正規で採用されても、1年間持続することができない先生も多くなっています。そう考えると、そんなに簡単に先生になれるような状況ではないと誰だって考え付くと思います。

それでも、定数が決まっているので、先生は必要になりますし、療休や産休、育休をとる人だって出てくるわけです。そうなると、先生は必要になってしまいます。早く、負のループを抜け出す方法を考えなければ、現場は疲弊するだけです。方法はあります。補助教員的な形で、あまり責任のない形で、先生を雇用することです。人数を増やし、人数の力で学校経営を計算できるようにするべきです。経験がない先生には、その中で力をつけてもらい、正規の先生には、事務負担の軽減ができるようにするのがよいと思います。

2025年8月8日金曜日

学校には余力がない

 学校には余力がないんです。人員が充足していない学校もあります。たった一人足りないだけで、十分にダメージを受けます。産休や育休のように事前に、それも半年以上前に産休に入る職員がいて、その職員が1年間は最低でも育休をとると教育委員会の人事に報告します。しかし、直前になるまで、人員の照会がないんです。さらに、臨任は難しいので、非常勤でもよいかといわれることがあるのが現状です。非常勤が来ても、非常勤の勤務時間は、8時30分から14時30分まででです。時間給の職員ですから、時間の延長をお願いすることは難しいわけです。ですから、1日勤務時間で働いてくれる臨任の職員とは大きく違います。非常勤の場合、1週間に29時間の勤務になります。そのうち、9時間程度は、事務処理や教材研究の時間にするように、教育委員会からは指導されているわけです。そうすると、18時間程度しか、授業をお願いすることができません。もちろん、それでも十分に戦力にはなるかもしれませんが、何をやってもらえるかというと、おのずと限定されてしまいます。

定数法で小学校は、学級数の1.1倍前後の職員しかいません。1.1倍というのもアバウトな話らしく、いろいろと条件があるようですが。まあ、分かりやすく言えば1.1倍です。それしか、職員が配当されないのは、基本的に学級担任制というコスパの良いシステムを捨てきることができなことが原因です。いろいろきれいごとは言えるかもしませんが、学級担任制は、かつて良い方法だったとしか評価しようがありません。学級担任制では、現状対応することができないわけです。しかし、予算規模は大きくすることができない。じゃあ、教科分担制を取り入れてやればいいんじゃないか。今までだって、現場は何とかやっているのだから、そのままやるって言っちゃえ。的な感じがするのは僕だけでしょうか。

定数が改善され、他の先進諸国並みに25人上限くらいまではやってくれないことには、どうすることもできません。

国防費はトランプの一言で、膨大に膨れ上がることが決まっています。一方学校現場にはお金をかけなくても、成果が出ているんだから。ちょっと給与を増やして、待遇改善をしているっていえばいいんじゃなないかと考えているのでしょう。

そんな状況で、学校には余力がないんです。本当にきつい状態だと思います。

2025年8月6日水曜日

教育DXを進めるのか

 この投稿を書く前に、僕自身は、とても早くからパソコンを使っていました。最初に使っていたのはNECのPC8001です。たぶん、1980年ごろのことです。それから、ずっとパソコンを使ってきています。授業での活用などについても、多少なりとも考え、実践をしてきています。

ですから、全く否定的に教育DXをとらえているわけではないのです。ただ、最近、考えているのは、10歳までの子ども達に、一切、そういう機器を使用させないほうがいいのではないかということです。もちろん、10歳に根拠はありません。区切りとして、考えているだけです。

何を言いたいのかというと、手を十分に使う活動をさせることが大切なのではないかと考えているからです。そして、ある一定年齢までは、活字を読むことに特化した方がよいような気がします。

現在の大人は、誰一人として、IT機器を使って漢字を覚える経験をしているわけではありません。みんな、鉛筆と紙を使って漢字を覚えてきています。今、検証結果が出ているかもしれませんが、少なくとも、昨年度までの間に、デジタルドリルを使った方が有効だという数値を見たことはありません。数年前に、大手のメーカーが検証実験を進めていたようですが、2年間で辞めたという話を聞いたことはあります。検証して、デジタルドリルを使うメリットが大きいということであれば仕方がありませんが、漢字を覚える作業を通して、手の動きの練習をしたり、視覚でとらえたことを指先に伝えたりという意味合いも出てくるのではないでしょうか。その辺の研修がされているのか、知りたいと思います。

DXを進めることは、社会の進み方からしても絶対に必要です。しかし、子供の成長に合わせたものにならなければなりません。

僕の世代でも、すでに40年以上前になりますが、大学生でも本を読むことはないという傾向がみられていました。これだけ、様々な映像が流れるようになっている現在、それを止めることができませんし、映像という手段が、文字にとって代わる自己表現の手段になっているのかもしれません。確かに、そういうことも理解できますが、子ども達が成長し、能力を高めるための経過を研究し、それに合わせた新しい学校づくりをすることも大切なのではないかと思うのです。

2025年8月2日土曜日

一人一人の学びが大切なのはわかっているけれど

 一人一人への教育的配慮が必要。障碍者差別禁止法が施行されて、今教育の世界にもこのことの影響が出てきていると思います。もちろん、一人一人への教育的配慮が必要なのは当然です。僕は、個別支援学級自体が必要ないと思っています。全員が同じ教室で学ぶことに学校教育の基本があるのは自明の理だと思います。ただ、現状では、それが難しいことであるのも間違いありません。35人学級になっても、都市部では、35人という上限で日々を過ごしている子ども達が多くいます。文科省の統計のように全国という単位をつかっていれば、1クラスの平均はもっともっと下がっていきますが、人口密集地帯では、そのような数値にはならないわけです。

一人一人に配慮した学校教育を実施すするためには、上限が25人とか、20人に下がっていかなければ無理があると思います。1クラスの人数をそこまで引き下げ、なおかつ、主たる先生と補助する先生がいて、初めて成り立つような内容だと思います。

少なくとも先進国といわれる国々で30人を超える人数の子どもが1つの教室にいることはないと思います。それだけの予算を教育に割いていかなければ基礎となる条件は整いません。僕が若いころは、教員の給与の国際比較では日本は高い方だったと思います、。もちろん、この30年の間に日本の教員の級は低い方になっています。もっと、教員のなり手がいる時代に、1クラスの人数を減らし、先生をたくさん雇用していれば、なんとかなったはずなのですが、今となっては、手遅れかもしれません。

今では、都市部の学校では1割近い子どもが個別支援学級に通っていることも見られます。個別支援級という枠を別に作り、対応することは望ましいことではありませんが、それをするならば、様々な配慮をすることが条件だと思います。もちろん、発達障害という診断名がついていても、一般級にいる子供たちがいるという現状を考えても、1クラスの人数は減らしていかなければならないはずです。

教育学者や文科省の役人をやっている人たちは、みな、僕なんかよりはるかに勉強が好きな人たちだと思います。そして、人間はみな勉強する存在だと思っているかもしれません。でも、現状は違います。一人一人に対応するためにも、教育の場の在り方をもっと考えていかなければならないはずです。教育にはお金がかかり、とりあえずの収益は0です。でも、それが必ず取り返せるものになるはずだと信じて、お金を投じてほしいと思います。

2025年7月31日木曜日

夏休みの宿題

 夏休みの宿題って、どこの学校でも出しているのでしょうか。教材会社が「夏休みの課題」的なものを出しているので、それを1冊は仕上げなさいとか、1学期にやった漢字の書き取りのテストを夏休み明けにやるから、夏休み中にやりましょうとか。他には、各企業や経営団体、地方自治体などが主催しているコンクール的なものの紹介をしたりしているかもしれません。そして、世間の、保護者の評判が悪い自由研究などもあります。読書感想文も。

夏休みの宿題って本当に必要なのでしょうか。僕は担任だった時に出さなかったこともあります。一番大きな理由は、受験生がいたことです。受験組はかなり長時間塾に拘束されますし、塾で出される宿題の量も多いのです。そこに、さらにやる必要のない学校の宿題が加算されると、とても大変になります。ですから、宿題ということではなく、学習目標を立て、自分に合った形の宿題をやるように勧めていました。もちろん、事前に対応しなければなりませんが、夏休みは、学校が干渉するようなものでは本来ないはずなので、そうしていました。できない子たちは、そこまでのドリルなども進んでいないので、それにチャレンジするようにしていました。

まあ、それでも、やらない子はやりません。それでも本当はよいと思います。理由は、夏休みだからです。

夏休みの宿題は、保護者からの要望があるからということになっています。しかし、本当にそうなのでしょうか。宿題依存になりやすい傾向が保護者にはあります。決まり文句のように「宿題はやったの」と、言っているのでは、何ら解決することができません。夏休みの過ごし方を保護者と子どもと話し合い、最後の1週間まではしっかり遊ぶ。最後の1週間はリハビリ期間として、少しずつ学習に取り組む。その程度で本当はよいのではないでしょうか。

まあ、最近はデジタルドリルを使用するようになっていますから、その活用で、だいぶ違った夏休みになっているような気がします。

学校が何でも引き受ける。その慣習を断ち切らなければ、学校は変わっていかないと思います。

2025年7月27日日曜日

チーム〇〇

 チームで対応ということが言われるようになって、何年か経ちます。小学校は、学級担任制が基本になったシステムができています。まあ、自分のことは、自分で何とかしろというシステムになっていました。真実がどうか分かりませんが、この10年間くらいの間に、学級担任制を維持できない先生が増えてきているのだと思います。そこで、責任を分散し、できる先生には、なるべく多くの負荷をかけていこうというのがチームで対応の最初だったのではないでしょうか。本来ならば、基本的なシステムを変更することが先で、その実行手段として、チームでの対応ということが出てくるはずだと思います。確かに、学年内で教科分担制を実施したりすることも進めています。ですが、中学などで実施している教科分担ではありません。余剰人員という言い方は適切ではないかもしれませんが、ぎりぎりの人数で実施する教科分担制は、とても組み込むのが大変です。どう考えても、教科分担制を実施するためには、学年の学級数+1いないと難しいのです。そんなことは、文科省は100も承知だと思いますが、例後のごとくゴリゴリと話すを進めるわけです。そして、多少の人数を増やして、これでできるだろうと、現場に投げている状態だと言えます。

チーム制に関しては、本当に大変な先生は大変になっているだけだと思います。自分のクラスのことだけでなく、隣のクラスのことまで気にしていなければなりません。これって、教科分担制とはそぐわない部分が多いのです。教科分担制は、授業が始まって、授業が終わるまでをしっかりとみる。授業を進めるというのが基本になるはずです。学級担任制は、1日の何時間もを一緒に過ごし、細かく見ていることが求められます。ですから、教科分担をしていくと、学級担任制の時と同じフォローができなくなるという側面があります。ましてや、余剰人員がいない状態では、よい方向に向かうことは難しいはずです。

今、若い先生が増えています。フォローしなければいけないことも多くなっています。だから、チームでというでしょうが、負担が多くなり、潰れていく先生も増えていくと思います。また、責任の所在を明確にできない部分が出てくることも心配です。教科分担制を進めるにしろ、学年担任制を進めるにしろ、システム自体の基本を変化させていかないと解決できないはずなのです。そのためには、多くの予算や人材の育成も合わせて検討していかなければならないはずです。また、これらの話は、都市部と都市部以外では状況が異なり、同じように話すことも難しいと思います。

教育は、全国を同じように見てできるものではないと思います。そのあたりまで含めて、悉皆りとした検討をし、現場に様々なことを押し付けないでほしいと思います。

2025年7月23日水曜日

しっかり夏休みが取れることをアピールしよう

 最低でも2週間まとめて休暇が取れることは、職業上の魅力だと思います。夏季休暇の5日間と年休5日間で2週間の休み。なかなか、まとめて休暇をとれない職場多くある中、しっかりとまとめて休暇をとれる小学校の先生。十分に魅力的ではないでしょうか。同じ公立でも、中学校は、部活があり、夏休みは対外試合も組まれたりして、まとめての休暇は難しいかもしれませんが…。

戦後、日本に経済力がなかったことから、現在の有給休暇制度ができたと聞いたことがあります。本来なら、ヨーロッパ並みに、バカスができるようまとめて休暇が取れるように義務付けたかったようですが、それをするだけの経済的な体力がなかったことから、小刻みな休暇の取り方が一般的になってしまったようです。

小学校の先生はまとめた休暇が取れるだろうと書きましたが、1年間にほとんど年休を使っていない先生も多くいるのもわかっています。しかし、20日の有給休暇を全部消化すれば、実質的な労働日数は11か月分になるのです。もちろん、これは、すべての労働者に言えることで、教員だけではありません。年休をとらないことは、1か月分ただ働きをしているのと同じことになってしまいます。権利だからではなく、制度としてあるものですから、労働者としては、それを執行すべきだと思います。

特に、小学校の先生のようにまとめて休暇をとれる体制が取りやすいなら、それを大切に使うべきだと思います。

海外に行くのも、よい刺激になります。国内でリラックスできる過ごし方もよいと思います。今までやったことがないことに挑戦することも、貴重な体験です。そして、それらは、視野を広げ、必ず先生という仕事に役立つものになると思います。

僕は、一人で海外に行き、美術館を巡るのが好きです。とても楽しい、刺激的な時間になっています。もちろん、国内の美術館を巡るのも楽しい時間です。

制度としてあるものを有効利用することは、とても大切だと思います。僕が若いころ、風邪をひいたら困るから年休は使い切らないほうがよいと教わりました。しかし、公務員の休暇制度は充実しています。風邪をひいたら療養休暇を申請すれば済みます。

ですから、よけいなことを考えずに、みんながまとめた休みをしっかりとってほしいと思います。そして、そのことがこの仕事の魅力の一つになると思います。

2025年7月21日月曜日

通知表と評価の話をもう少し

 学校間の格差が実際には存在していても、それが、通知表に反映されていないことは、書きました。もう少し具体的に。

小学校では、出版社が出しているテストを買っています。なぜ、そうなっているのかは分かりません。40年以上前にも、すでにテストは購入していました。不思議ですよね。一番肝心な部分の学習状況を把握するものを出版社に任せているわけですから。疑問に思って、購入を辞めようといったこともあります。しかし、それに賛成してくれる人はいませんでした。

あの出版社が出しているテストって、必ず教科書に書かれていることが理解できていれば、必ず100点が取れるようになっているはずなのです。僕は、そんなに詳しく分析したことはありませんが、出版社によって、ある程度難易度が異なっていると言われます。そうはいっても、どの出版社のテストでも、それほどの差があるとは言えないと思います。

学校間格差は、テストの処理の仕方にも表れます。学習に対して熱心な学校であれば、この程度の問題はかなりできてしまうのです。算数などは顕著で高学年になっても、平均点が98点くらいなことも珍しくありません。そうであれば、少なくともテストで計測できている分に関しては、クラスの大半にAをつけてよいはずなのです。しかし、実際には、Aの基準を上げていく傾向が強いと思います。逆に、学習面で低い学校では、平均が80点ということも多く見られます。そうすると80点でもAという評価になってしまうわけです。同じテストを購入していれば、この様な現実も見えてくると思います。

ですから、通知表でつけられている評価、もっと言えば、指導要録につけられている評価だって、実態をしっかりとあらわしているものだとは言えないと思います。それに、昨日も書きましたが、日本にはなぜか留年という発想がありません。ですから、1をつけられても、それに対する解決手段がないまま、進級してしまうわけです。個に応じた教育の必要性がいまさらながら言われていますが、それを実現するための予算や人材、教材の開発がされていないという現実があります。

評価は大事です。でも、現実には、いろいろな問題が解決されていないという現実を振り返るべきではないでしょうか。

2025年7月20日日曜日

小学校の通知表に意味があるのか

 3学期制の学校では、通知表が渡されたことと思います。その通知表ですが、本当に意味があるのでしょうか。まあ、保護者としては、一定の評価がされたと、一つの基準にはなるかもしれません。

しかし、現在の小学校の通知表は、基本的に指導要録を基準としています。ですから、3年生以上に3段階の評定がされるわけです。そして、指導項目についても3段階の評定がされています。

本来的には、この評価の基準は、すべての小学校で同じはずなのです。ところが、転校した先の学校と転校する前の学校の評価が全く違ってしまうということがあります。前の学校では、ほとんど2だったのに、転校したら3がつくようになったり、逆のこともあると思います。僕が若いころには、通知表の評価も、指導要録の評価も相対評価で行われていました。クラスの中での位置が関係が分かるようにつけられていたわけです。7%、24%、38%、24%、7%の5段階に分けて評価をする方法をとっていました。それが、絶対評価に変わっていったのです。ところが、実際には、「絶対」評価を行っているのかといわれると、かなり疑問が残ってしまいます。

学校の現実として、地域性が必ず反映しています。私立中学の受験率が高い学校の子ども達は、当然、「できます」。まあ、塾のおかげもあるでしょうが、基本的に1日の学習時間が長いのです。放課後3時間以上学習に充てているという子供の割合が6割以上という学校もあります。反対に、受験の割合が10%以下という学校もあります。当然、放課後の学習時間など、ほとんどありません。この差は、学力に関して大きく反映するのは当然です。ですから、学校間の評定が同じなのかといえば、全然違っているはずなのです。家庭で学習に力を入れている地域では、3の割合が60%だとしてもおかしくないわけです。一方あまり学習に熱心ではない地域の学校では3の割合が10%でも不思議はありません。それが、絶対評価ということですから。しかし、おそらく、どの学校も3をとっている子の割合はそれほど違っていないはずです。ですから、本来的な意味での絶対評価が今でも、実施されていないというのが現状だと思います。どこかしら、相対評価的な心理が働いていると思うのです。

それだけではありません。日本には留年制度はありません。たとえ、すべての教科の評価が1であろうと、進級してしまいます。そういうことも、通知表の在り方が重視されていない理由かもしれません。次回は、もう少し具体的に細かい評価の話をしていきたいと思います。


2025年7月19日土曜日

教育費の保護者負担の軽減なんて軽く言わないでほしい

 給食費を公費負担します。という文言を選挙の時によく聞きます。教育にかかる費用の負担をします。これも、よく出てきます。実際に高校の無償化などもそのよい例でしょう。教育にかかるコストが家計費の負担になっている。教育を受ける権利を侵している。貧困率が高くなっている現状を考えた方がよい。選挙の中で訴えられていることです。でも、この様な形で、本当に教育費の負担を公的に行い、教育環境を平等にしているって言えるのでしょうか。実際に所得にかかわらずに給食費を全額公費負担することは、よく言われています。まあ、給食費に関しては、ここまでも、ほぼ半額以上は公費で負担してきているはずです。保護者が払っている給食費は原材料費だけです。原材料費でも100%ではないと思います。給食を作る調理員や栄養士の人件費、光熱費、そして、機材にかかる費用などはすでにすべて公費負担です。給食に係る調理機器は、かなり高価なものです。おそらく、一つの給食室でそろえている機材は1億近いような気がします。それだけのものを公費負担していますから、いまさら、給食費の全面的な公費負担といっても、年間60000円程度の負担の軽減にしかなりません。

まず、東京都がやっているように、どんなときも所得にかかわらずというのが問題だと思います。所得が高い層は、軽減されたり、無償化されて、浮いたお金を別の形で子どもに投資していきます。所得が低い層は、その分を他の分野に使ってしまいます。要するに、教育への投資額が高所得層では、より高くなり、所得による差が教育にかけるコストの差を開かせてしまうことになるのだと思います。

日本は、教育政策に関しての振り返りをしません。とってきた教育政策がよかったのか、悪かったのか。基本的な部分での評価がされないまま、ここまで来ているのだと思います。特に、義務教育に関して、システムも含め、よかったのかどうかを振り返るべきです。小学生も中学生も、少なくとも、都市部ではダブルスクール状態になっています。

中学生で塾に行かないという選択肢が無くなっています。小学校の高学年でも、それに近い状態になっています。小学生も中学受験をしなくても、塾に行く子が多いと思います。この話だけで、今の教育行政は失敗しているということにならないのでしょうか。学校に行っているだけでは学力がつかないと保護者が判断しているということです。この状況下にあるうちは、教育費を公費負担でなどといわないほうがよいと思います。

そして、まず、現状に関しての学校行政の評価を行うべきなのではないでしょうか。

2025年7月18日金曜日

夏休みを満喫しましょう

 


夏休みだ。今日でとりあえずの4か月間が終わり、夏休みに入ります。「先生は、夏休みがあっていい」といわれると、「そんなことはないんです」という対応をすることが多いようですが、年休の消化やこれまでの時間外勤務の振り替えなどをとれば、他の職業と違い、しっかりと2週間程度は、休みが取れます。そう説明すれば、保護者はそうですよねっと、納得してくれるはずです。別に、不当に休んでいるわけではないですから。

逆に、夏休みが取れるいい仕事だとアピールするチャンスだと思います。休んでも、他の人に


仕事が回るわけではないし、安心して、心置きなく休めるのは、とても素晴らしいことだと思います。2週間休むと、海外にも行けますし、国内でもゆっくり旅行することができます。気分転換をすることはとても大切なことです。

先生業を辞めて分かったのですが、結構緊張感がある仕事なんだと思います。いろいろな制約も感じなければならない仕事何度言うことも思います。だからこそ、夏休みをしっかりと満喫することが大切だと思います。また、夏休みをとっていることを誰にも遠慮する必要もないと思います。

先生たちは、保護者にこんな風に思われちゃいけないという意識が強すぎると思います。夏休み問題がよい例です。そんなことを気にするより、夏休みをしっかりとれる職業だということの方が今は大事だと思います。

2025年7月15日火曜日

教室の中で起きていることに気付いてほしい

 教室の中で起きていることは、ある意味でつまらない小さなことばかりです。でも、その小さなことに頭を悩ませているのが、今の先生達ではないでしょうか。報道されている教育は、こうあるべきだということは、確かに正しいのでしょう。しかし、その入り口にに立つことさえできない教室がたくさんあるような気がします。学級が崩壊状態の教室を参観したこともあります。どうすることもできないなって、見ていて思いました。もし、チャンスがあるとすれば、担任を変えることだと思いました。その教室は3年生だったと思いますが、半数近くは、話など聞いていませんでした。先生は、必死ですが、それが空回りしているわけです。もちろん、一日でそうなったわけではなく、日々、深刻な事態になっていたのは分かります。そういう教室には、どんな素晴らしい考え方や方法があっても、何の役にも立たないわけです。おそらく、都市部の学校には、少なからずこういう教室があると思います。

対処したいと考えていても、人員がいなかったり、人材がいなかったりする現状では、どうすることもできないというのが答えになってしまいます。

合理的配慮について、どう考えているのか、それが、現実には学校任せになっていないのか、十分に検証すべきだと思います。学校に任されても、小学校の定数はクラス数×1.1ですから、どうすることもできません。それに、対応することができ人材も確実に不足しているわけです。教室の中で起きている混とんとした状況を、今一度理解してほしいと思います。先生たちは、万能ではありません。得手不得手があります。それを認め始めたから学級担任制から教科担任制に移行しようとしているのでしょう。もちろん、特別支援教育についても、そこで力を発揮できる人材の育成が必要なのです。でも、そんなことを本当に推し進めているのかといえば、そうだとは言えない現状なのではないでしょうか。

児童支援選任を各学校に配置し、対応しているというかもしれません。しかし、どれだけの児童支援選任の先生が難関を通して、活躍で来ているでしょう。かなりの数の児童支援選任が、担任が潰れたためにその代わりを務めている現状があります。

素敵な未来だけでなく、今起きている現状をしっかり見ることが大切ではないですか。

2025年7月14日月曜日

対教師暴力

低学年の子ども達ですら、先生のことを叩いたり、蹴ったりする場面がみられるようになりました。その多くは、自分の感情をコントロールすることが難しい子ども達です。もちろん、学年が上がっても、同じようなことをしてしまう子供たちがいます。先生に危害を加えたり、友達に危害を加えたりするつもりはなくても、結果的に危害を加えてしまったということもあります。

自分をコントロールすることは、大切なことですが、一部の子ども達には、とても難しいことになってしまっています。今までは、そんなに話題になることはありませんでしたが、だんだんと増加傾向にあるのだと思います。なぜ、増えてきたのでしょうか。別に子ども達に大きな変化があったわけではないと思います。実際40年以上学校にいましたが僕自身は、子どもに危害を加えられてことはありません。まあ、見た目決して優しく見えないからとか、若干背が高いからなどが理由のようですが。もう一つは、先生が強く出ることが無くなったというではないかと思います。基本的に、日本の学校は、理不尽なことでも、それを子供に押し付けてきました。右向けといわれれば、右を向き。左だと言われれば、左を向くような子供を育ててきたという一面があります。それがよいことではないと考えるようになり、子ども達は、必ずしも、自分を抑制しなくてよいと判断するようになってきているのだと思います。昔は、対教師暴力は、中学校以上での問題でした。今では、異なった問題として、小学校での問題になっているのだと思います。

今は、感情の制御ができなければ、別室でクールダウンをさせたり、個別に指導をしたりすることが多くなっています。多くの場合、落ち着けば、別に特別な問題を起こすわけではありません。しかし、現実の問題として、ここでも、先生が不足していることが大きく影響しています。また、この様な問題が起きれば、それ自体、人を必要としてしまうのです。定数が定められているだけでなく、教員自体が不足しているのが、大きく響いてきます。そして、そのような問題が大きくなれば、学校が働く場として、よくない職場だということになって今します。まさに、悪循環。

2025年7月13日日曜日

先生たちの働き方に責任を感じていない管理職がいる事実

 どんな職業でもそうでしょうが、自分がやってきたことがベースになります。今、50代前半から、40代後半の先生たちが今は校長や副校長・教頭になっています。この世代が管理職になり、職員の管理をしているわけですが、この世代は、ここまでハードな働き方をしてきてしまっている世代です。採用された時には教員の採用枠が非常に少なく、教員になっても、同世代がほとんどいないような時期でした。ですから、若いうちからかなりハードワークを強いられてきたのだと思います。また、この世代が先生になったころから、学校の業務が不思議と拡大した時期です。また、保護者からのクレームなども増えてきましたし、コンプライアンスに係るようなことも増えていった時期だと思います。ですから、遅くまで仕事をしていることが自然とそれまでよりも増えていったと思います。

そういう世代が、今管理職として、学校や職員を管理しているわけです。その世代の先生たちは、授業研究などにも熱心に取り組んできました。ですから、授業研究などもとても大切にしたい人たちが多くいます。教育関係の学者さんたちが、日本の教育のアドバンテージは、授業研究にあるなどと発信していた時期でもあると思います。また、教育課程の大転換があった時期でもあります。様々な事柄が、この世代の先生たちの方向性を決めていると思います。ですから、今でも、授業研究を熱心にやることが必要だと考えている管理職は少なくないと思います。実際に、どのような効果を上げているのかなど測定することがないのが教育界ですから、よいと思えば、つき進めていく傾向が強いのです。

しかし、勤務時間の中で、授業研究に関する業務をすることは、ほとんど不可能です。これは、即座に時間外勤務時間を増やしたり、自宅への持ち帰り仕事になることは、自明の理です。

先生たちの仕事は朝早いです。少なくとも8時ごろには出勤しています。ですから、本当ならば、5時前には勤務時間が終わっていなければなりません。早く帰れと言われても、2週間後には、指導案を出さなければならないとなれば、当然、その仕事は家に持ち帰るしかなくなります。それも、どれだけ、そのことに意味があるのか分からない仕事なのです。

150年前から、現在に至るまで、教育に関する決定的なマニュアルはできていません。何をどうすればよいかなど、どんな教育学者でも答えを出すことができていないのです。それなのに、授業研究と称して、一般の先生たちにそれを強いるのは無駄なことではないでしょうか。

自分たちが大変だったから、後輩にもそれをさせるのは、悪循環でしかありません。もっと、現在の流れを感じて、管理職として、働いてほしいものです。

2025年7月12日土曜日

人手不足の実態は

 毎日のようにネット上には教員不足についての記事が出ていますよね。でも、それって真実ではない気がします。実態は、もっとひどい状況なのではないでしょうか。

教員採用試験を受けてくれる人がいない。教員免許を持っていても、募集に応じてくれない。欠員は、今では日常茶飯事等々。このことは、よく伝えられています。ですから、いまさら書いてもしょうがないかもしれません。でも、現場は、そういう事態どころではないという話を聞きます。自分の体験としても、もっと状態は悪いと思います。

まず、欠員補充がされても、使える先生ばかりが補充されるのではないということです。

この採用試験の状況の中で、何年も合格を得ることができない人がいます。教育委員会が厳しいのではないと思います。実際に面接試験の試験官を経験したことがありますが、落とすからには、落とすなりの理由があります。今の採用試験は、かなり甘いと思います。採用試験の時の基準は、僕は、自分の学校で一緒に仕事ができるのか、という基準で臨んでいました。一緒に働くことに抵抗があると思った場合は不採用にしてきました。一緒に働くというのは、その人を先生として育てていけるかということです。けして、最初から完璧にできることを期待しているわけではないのです。ようするに、先生として育成することが難しいというレベルでなければ、採用してもやむなしと思って、採用するかどうかを考えているわけです。その状況で落ちた人たちが、補充される先生の候補になっています。かなり、この状況ってひどいと思います。実際、試験を落ちている人を先生として雇用したことがあります。ですが、やはりうまくいかないんです。先生という職業に向いていいない要素があるのです。アドバイスされても、それをうまく消化できなかったり、子どもの話を聞くことがうまくできなかったり、事務処理が計画的に進められなかったりとか。いろいろなトラブルが起きてしまいます。保護者からも、いろいろ指摘を受けることになります。

欠員補充も問題なのですが、これもよく報道されていますが、メンタルの不調を訴える先生が本当に増えています。みんなと同じように仕事をしてもらうことが難しかったり、担任は無理だというケースも多くなっています。特に、小学校は、定数が少ないですから、一人でも、仕事上の配慮をすることができる枠がほとんどないわけです。そういう先生が年々増えていくとどうなるかは、分かってもらえると思います。担任ができる先生の数とクラスの数が一致しなくなっている学校も増えていると思います。

実際の人手不足は、報道されているよりももっと深刻だと思います。

2025年7月9日水曜日

やっていた行事を止められますか?

 去年までやってきたことを止めたり、規模を縮小したりすることはできるのでしょうか。答えは、「できます」です。学校がどの行事をやるのか、決めることができるのは、学校自身です。ほかの人たちー保護者や地域の人、教育委員会などーから、何かを言われる必要はないと思います。どうしても、これまでやってきたことを止めるのに躊躇するのは事実です。ですが、なぜ、やめることにしたのか、明確に説明ができれば、それで十分だと思います。例えば、学校だよりですが、今までは、何百部も刷って、地域に配布していました。やめたら、地域の自治会から何か言われるのではないかと考え、ずっと続けていました。しかし、実際に地域の自治会に学校だよりの配布を止めたいというと、その方がうれしいと言われました。手間がかかるし、学校だよりだけならば、ホームページを見れば済むとのことでした。前にも書きましたが、運動会を午前中だけの実施にしました。実際に午前中にしてアンケートをとると、圧倒的に午前中だけの実施がよいという回答をもらいました。テントをなくしましたが、なくしてもらってよかったという意見が多数を占めていました。4年生の宿泊体験学習の実施を止めた時も、保護者の意見は学校の判断を支持するというものでした。実施しないと保護者から、クレームが来るのではとドキドキしていましたが、そのような声は一つも上がりませんでした。

学校は、無難なこと=昨年通りという式で考えているのだと思います。しかし、今の保護者は、とても理解があるのだと思います。理解を求めるというよりも、なぜ、そうしているのかを明確に保護者に説明してくことが何より大切なのではないかと思います。

まず、校内でしっかり話し合い、方向性を明確にすることが大切だと思います。校長としては、ドキドキすることがいろいろあります。それは、何か言われたらいやだなと思ってしまうからです。しかし、職員のことや子ども達のことを考え、決めたことには意味があると思います。そして、その考えがしっかり伝われば、保護者からの苦情という形にはならないのではないでしょうか。僕は何年間か、校長をしていましたが、色々変えたことについて、保護者から言われることは一度もありませんでした。

学校が、保護者や地域の人たちを信頼し、学校独自でしっかりと物事を決めていくことが何より大切だと思います。

2025年7月8日火曜日

午前5時間授業って、そんなにいいのか。

 ここ2.3年流行っているのが、午前5時間授業です。僕も、午前中に5時間実施するという経験をしました。実際に実施してみて、先生たちの感想は、「よい」というものでした。ですので、それ以降のその学校では、午前5時間授業を実施しています。

じゃあ、何がよいのかですが、おそらくよく言われるのが、子ども達の下校時刻が早くなるということです。働き方改革の一環としてとらえられていると思います。確かに、午前中5時間やってしまえば、午後は最大で1時間授業をすればよいわけです。ですので、下校時刻がうまくやれば14時過ぎになるというのが売りになります。

しかし、問題点もあります。給食を実施している場合、早くても、給食の時間は12時。遅くても12時30分には、給食を開始しなければなりません。その制約があるために、思っているほど子ども達の下校時刻を繰り上げることはできません。午前4時間授業でも、下校時刻を15時前にすることは可能です。まあ、1時間近く早くなっていますから効果がないとは言えませんが。問題点の2は、1年生の授業時数が大幅に多くなってしまうことです。1年生の授業時間は、週に2から3回は4時間目までで授業が終わります。それで、ちょうど授業時数が合うわけです。しかし、午前5時間授業だと、100時間以上指導要領に書かれている標準時数よりも授業時間が多くなってしまいます。ほかの学年が、授業時数を減らしている中、1年生にだけ、授業時数が増えていくのは、一考の余地があると思います。もう一つの問題は、40分授業です。午前5時間を45分授業で実施しようとすると、やはり始業を早める必要があります。そうすると、文科省が出しているように40分授業を選択するということになります。あまりうるさく言われていないので、よいのかもしれませんが、標準事業時数は、従来のままという条件が残されている現状では、いろいろと40分授業には問題が出てきます。国語や算数は、繰り返し練習をした方がよい内容があります。理科や社会も、それなりに工夫することができると思います。ですが、図工や音楽、体育、家庭科などは、そうはいかないと思います。8時間実施すると、9時間目が必要になるわけですが、それに合わせて、授業時数を調整するのはとても難しいと思います。

昔々のお話ですが、45分授業と40分授業をめぐってはいろいろと論争がありました。文科省が40分授業は認めないといったために、全国小学校は45分授業の実施をしてきたわけです。休み時間についても、ゆったりと休み時間をとれという方針の時代があり、小学校は、かなり長い休み時間を設定していました。それらの経過を、全く無視して、新しい制度を現場の声として進めようとしている気がします。

もし、新しいことを始めるならば、新しい考え方をしっかりと中核に据えて実施すべきです。中途半端なことをやれば、また、矛盾点が出てくるような気がします。

2025年7月6日日曜日

ベテランからの伝承

 いったいどのくらいやっているとベテランっていうのか分かりませんが、20年くらいを一つの区切りとして考えたいと思います。20年というと、23賛意から始めると43歳以上になります。

この世代は、まだ、教員になるのが難しい時代の最後くらいになると思います。また、意外と他業種からの転職組が多い感じもします。ですから、年齢=経験年数ではない世代でもあります。

また、このくらいの年齢から上は、ベビーブーマーの子ども達であり、この国の中では、最後の競争世代かもしれません。いろいろな面で大変な世代であり、今は、給与が一番挙げてもらえないなど、不満を抱えている世代でもあります。

単純に言えば、ベビーブーマーの子ども達ですから、本当は、この世代の子ども達は、多くなるはずなのですが、統計的には、そういう傾向はみられないと思います。出生率が下がり始めの世代でもあると思います。それだけ、出産や子育てに力を注ぐことができなかった世代だということもできます。また、価値観の転換が起きた世代なのかもしれません。

この世代は、人数も少なく、その上の世代からは、いろいろとやらされてきた世代です。今の50代に育てられた世代です。この業界は、かなり流行で動きます。どこかの誰かがやったことがじわじわ広がり、いつの間にかみんなが当然やることになっていきます。

一例をあげます。漢字ドリルの話です。いつのころからか、漢字ドリルで間違えがあると、付箋を貼ってあげるというのが広がってきました。僕は、現役時代、そういうことをやっていませんから、おそらく今の50代前半あたりが始めたことだと思います。間違えがあると、その部分に付箋を貼るわけです。子ども達は、その付箋を見て直し、再度提出し、先生はそれを再度採点します。付箋が無くなれば、okなのですが、また、間違って練習をしていれば、そこに付箋を貼るわけです。問題は、その作業時間です。ここまでずっと書いてきていますが、時間は有限なのです。いったい、どれだけ手間をかければよいのかという話になります。

先生たちは、そのことが効果を上げているかをあまり考えていません。よいと思えば、取り入れ、その効果測定をすることなく継続するというパターンになります。おそらく付箋を使い始めた人は、もう一工夫していたのではないでしょうか。やり方だけを継続しても、効果は上がらないと思います。

今のベテランは、丁寧に指導することにこだわりがあるような気がします。そして、伝承してしまうのです。そのやり方を若手に。やらなければ、やらないで済ませるのでしょうが、多くの場合、やり方の伝承は続いていきます。

デジタルデバイスが普及し、方法論にも変化が出てきています。折角のチャンスですから、今までやってきたことを振り返り、その効果性について検証するというスタンスが必要だと思います。

2025年7月5日土曜日

よい授業って何だろう

 よい授業って、基準は何でしょう。おそらく一人一人違っているんだと思います。意見が多く出て、子どもたち同士が対話的に授業が進んでいけば、まあ、大半の人がそれは、よい授業だと思うかもしれません。静かな教室でも、子ども達が試行していることがわかる授業であれば、それもよい授業だと感じる人が多い気がします。意見がたくさん出るため目には、回答しやすい問いが必要です。発問が適切であれば、意見は出ますが、問題は、そこから先です。その発問と子どもの回答で完結してしまえば、一問一答の典型になってしまいます。回答が複数考えられる問題で、さらに、回答が対立するような内容でなければ、対話的な授業が成立しないことになります。

今は、教科分担制が小学校でも実施されるようになり、一人の先生が複数回同じ授業を行うことができます。複数回行うことで、発問を少しず変えて、よりよい発問に変えることができるようになります。

まず、考える授業にするためには、考えるきっかけを子供一人一人が持つことができることが大切です。子ども達が考えるためのきっかけを持っていなければ、発問は子ども達の頭の上を通過するだけです。逆に、単純な答えが出されるようであれば、それ以上授業の広がりは出てきません。

先生がしゃべりすぎる授業も、子ども達にとって、考えるチャンスが無くなるので、一生懸命しゃべっても、あまりプラスにはならないような気がします。

もちろん、教えなければならないことは、しっかり教えなければなりません。

ともかく、答えが複数考えられるような発問を考えてみたらどうでしょう。そういう問いができれば、考えるきっかけができます。また、自分の考えを裏付ける資料を探したり、友達の意見を生かしたりすることができます。

よい授業かどうかは分かりませんが、子ども達が楽しく考えることができる授業をするように心がけることが大切だと思います。

働き方に対しての意識を変えないと。

いつから学校の「働き方」は問題になったのか 働き方の問題が現場で話題になり始めたのは、2016年ごろだったと思います。 それ以前は、働き方が問われることはほとんどありませんでした。タイムカードすら存在せず、遅くまで仕事をして注意されることなど一度もなかった時代です。記録がないので...