2026年5月26日火曜日

チーム学年担任制でいいですか。

「チーム」という言葉が頻繁に使われ始めて、5、6年が経つと思います。相も変わらず、「予算はないけれど、アイデアは出したから現場で頑張ってね」という国の姿勢は変わっていないように感じられます。

簡単に言ってしまえば、これまで担任1人の力で保ってきた学級経営が、いよいよ保てなくなったということでしょう。東京都が公表している数値では、初任の先生が1年間で約5%(実数では200人以上)も退職しているそうです。これは教員採用試験の倍率が低下している現状を考えても、極めて深刻な数字です。

今の時代、初任者がいきなり単独で担任を持つこと自体、構造的に難しくなっているのだと思います。その大きな要因の一つが「デジタルデバイス」の存在です。

タブレットなどの端末を子どもたちに適切に使わせるためには、使用ルールの徹底が不可欠です。そうでなければ、学習のツールから一瞬でおもちゃへと変貌してしまうからです。今の世代の子どもたちはデジタルデバイスの扱いに慣れています。家庭でも触れる機会が多いですが、そのほとんどは学習のためではなく「お楽しみ(娯楽)」のためです。

慣れ親しんだ「おもちゃ」を学校で与えられ、「授業中に使っていい」と言われれば、最初のお約束を忘れて夢中になってしまう子が出てくるのは当然です。指導者側は、この子どもの心理をしっかりと理解した上で、これはおもちゃではなく「学習のためのツール」なのだという認識を、子どもたちの中に浸透させなければなりません。

これは「先生がその場で注意すればいい」というレベルの話ではありません。そんな簡単なことで約束が守れるなら、最初から問題にはならないのです。繰り返し、繰り返し指導し、子どもたちが心から納得した上で活用できるよう、粘り強く文化を作っていく必要があります。正直なところ、経験の浅い初任の先生に、最初からこれほどの指導技術を求めるのは酷だと言わざるを得ません。今まで以上に、教員に求められる指導技術のハードルが上がっている局面に来ていると感じます。

こうした背景もあってか、中学校から始まったとされる「チーム担任制(学年担任制)」が小学校でも導入され始めています。しかし、これが本当に小学校で機能するのでしょうか。

小学校のシステムは、基本的に「1学級に1人の担任」を前提に作られてきました。先生と子どもたちが密に関わり、時間をかけて一つの学級(集団)を作り上げていくことに価値が置かれてきたのです。

もし1週間ごとに担任が変わるシステムになったらどうなるでしょうか。 金曜日にトラブルが起こったとして、月曜日にはその経緯を深く知らない別の先生が担任になる。あるいは、友達関係で悩んでいる子が「本当に話を聞いてほしい先生」が担任として回ってくるのは1か月後……そんな事態が起きないと言い切れるでしょうか。

保護者は一体、どの先生に連絡や相談をすればよいのでしょうか。特定の人気のある先生に相談が集中してしまうことはないでしょうか。また、「学年全員が担任」という建前の中で、誰が最終的な責任を持って学年をまとめ、運営していくのでしょうか。

疑問は尽きません。このシステムは、一歩間違えれば「責任の所在を曖昧にする」だけになってしまうのではないか。そう危惧せざるを得ません。

みなさんは、この「チーム学年(チーム担任制)」というシステムについて、どのようにお考えになりますか。ぜひご意見をお聞かせください。

2026年5月24日日曜日

教員っていい仕事の面もあるって、思いませんか。


教員は、本当にいい仕事だと思います。決して、今世間で言われるほど敬遠されるばかりの仕事ではないと感じています。

この仕事の性質上、数字で何かを評価されることはほとんどありません。確かに、全国学力・学習状況調査の結果などは数字で出ますが、前年度の時点で学級編成がなされている(=前任者の影響や子どもの実態が多様である)関係上、その数字だけで担任の技量が測れるわけではなく、数字自体が大きな意味を持つことはありません。そのため、学級担任の間で過度に数字を競い合うようなこともあまりないと言えます。

また、「自由度が高いこと」も、仕事としては非常に面白いところです。授業の進め方や学級での活動について、最初から強い制約があるわけではありません。自分で考え、有効だと思う方法で学習を進めることができます。子どもたちの人間関係をよくするためにどんな工夫をすればよいかも、担任の裁量で考え、実行することができます。

もちろん、自由度が高いということは、裏を返せば「正解がない」ということであり、何でも担任一人で抱え込んでしまいがちになる大変さもあります。しかし、だからこそ自分の工夫がピタッとハマり、子どもたちに届いたときの喜びは、何物にも代えがたいものがあります。

教室内のレイアウトや掲示物も、工夫のしどころです。「どんな掲示をすればよいか」「どんな効果を期待しているのか」、それらもすべて自分で考え、自由に教室という空間をデザインすることができます。

こうした工夫は、必ずしもすぐに効果が表れるわけではありません。しかし、数か月が経ったとき、子どもたちの姿に変容が見え、確かな効果を実感できる瞬間があります。

また、担任は教室の中では一人ですが、決して孤立した仕事ではありません。「どうすればクラスがよくなるか」「この授業をどう組み立てるか」を、学年主任や同僚の先生たちと相談し合い、チームとして知恵を出し合える一体感も、この仕事の大きな魅力です。

自由度が高いということは、工夫の仕方がいくらでもあるということです。私は学校以外の職場で働いた経験がないため、他業界との比較は難しい部分もありますが、それでも「先生」という仕事は、自分が考えたことを形にし、同僚と支え合いながら、子どもたちと一緒に学級を作り上げていくことができる、極めてクリエイティブで楽しい仕事であることは間違いありません。

マイナス面を見れば、確かにSNSなどで言われている「ブラック部活」や「長時間の時間外労働」といった指摘も、決して的外れではありません。「やりがい」という言葉を隠れ蓑にして、無理をするのが当たり前になっている現状は、明確に間違っていると思います。

だからこそ、マイナス面だけでなく、この仕事が持つ本来の「よい面」にも同じように光を当てることが大切なのだと思います。

教員という仕事には、まだまだたくさんの魅力があるはずです。この記事を読んでくださった皆さんが思いつく「先生のよい面」があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

2026年5月23日土曜日

教員免許の在り方について考えてみた。

教員免許のあり方について様々な議論がなされているが、まず「教員という職業そのものの魅力」が向上しなければ、どのような制度改革も生きてこないのではないだろうか。

現在、教員免許には専修・一種・二種の3種類が存在する。しかし、採用時点でそれぞれの免許にどのような優位性があるのか、あるいは差がないのかすら判然としない。現場でも「専修免許を持っていたから、こんなメリットがあった」という話を聞いたことがない。二種免許では管理職になれないという事実は知られているが、免許の違いによる実質的な差として認識されているのはこの点くらいではないだろうか。実態として、採用試験の段階で免許による差が付くという印象はなく、事実、新規採用された教員が二種免許を保持しているケースもあった。

一般的な資格制度であれば、取得した区分によって採用時や給与面で明確な差(処遇の違い)が設けられているはずである。採用にも昇進にも直結しないのであれば、国が目指す「教員免許の修士レベルへの移行」など進むはずがない。現在、医学部や歯学部、薬学部などはライセンス(受験資格)そのものが大学の修業年限(6年制)と結びついている。理系分野全般において大学院進学率が高いのも、それが単なる自己研鑽ではなく、就職や研究職に就くための実質的な条件として機能しているからだ。一方で教員免許の場合、大学院を出ても相応のメリットが乏しい。教員採用試験の倍率が低下し続けている現在の状況では、志望者が「あえて大学院を出てから教員になろう」という発想に至らないのは当然である。


また、現在の「開放制(オープンライセンス制)」をとる教員免許だが、これも他の専門資格と同様に、統一された「国家試験」を実施し、合格者にライセンスを発行する形へ移行すべきではないだろうか。採用試験の倍率が下がれば、当然ながら教員の質を担保することは難しくなる。であれば、免許自体を厳格な国家資格とすることで、最低限の質の高さをスクリーニングできる。この土台があれば、将来的に「修士課程修了後に国家試験を受ける」という形への移行もスムーズになるはずだ。

いずれにせよ、冒頭に述べた通り、教員採用試験の志望者数そのものが増えない限り、どのような政策も「絵に描いた餅」に過ぎない。

どうなんでしょう。教員免許について、皆さんは、どのようにお考えでしょう。ぜひ、ご意見をお聞かせください。

2026年5月22日金曜日

子ども達が落ち着かなくなってしまう原因は

子どもたちが落ち着かない、先生の話を聞くことができない、立て歩いてしまう子どもがいる――。新学期が始まってしばらく経つと、このような様々な現象が見られるようになっているかもしれません。

話を聞くことができる子を育てることが大切だと、以前書きました。話を聞くことが、まず一番のベースだと思います。授業が抜群に上手な先生でなくても、話を聞くことができるように子どもたちを育てることはできると思います。

もし、落ち着きがない子どもたちがいるクラスがあれば、ぜひ、客観的に観察してみてください。「先生の話は分かりやすいか」「聞かせるためにどのような工夫をしているか」――もし改善できることがあれば、早期に改善すべきです。

教室内の環境(視覚的・聴覚的な刺激)に問題がないかも、重要なチェックポイントです。落ち着きがない子どもがいると、その動きに影響されて周囲の子も落ち着かなくなっていくという、連鎖的な増加が起こることがあります。その場合、きっかけ(起点)となる子が必ずいます。その子がなぜ落ち着かないのか、原因を丁寧に見極めることも有効です。

学級が落ち着かないのには、必ず理由があります。子どもたちは、基本的によい子でいたいと思っていますし、自分のクラスがよいクラスであったほうがよいことも理解しています。落ち着かず、学習も進まないような状態を望む子はいないはずです。原因は必ずどこかにあります。

原因は子どもでしょうか。それとも、先生でしょうか。子ども自身に根本的な原因があるケースは決して多くありません。 例えば、発達障害などで自己制御が難しい場合です。その子の動きが刺激となって全体に影響を与えたり、逆に、周囲のちょっとした刺激に極端に反応してじっとしていられなくなったりする子が、新たな起点になることがあります。

いずれの場合も、学校や家庭だけで対応することは難しいでしょう。専門的なアプローチや療育が必要になるケースだと言えます。保護者と密に協力することはもちろん、児童精神科医、ソーシャルワーカー、そして公認心理師などの専門家の力を借りることが不可欠です。

一方で、子ども以上に原因になり得るのは、指導側の工夫不足です。**何度も書いていますが、「話を聞かせることができているか」「そのための適切な工夫をしているか」が大きな課題になります。

一度うまくいかなくなると、その状態を挽回するのはとても大変です。ですが、諦めることなく、全員が話を聞くことができる状態を作らなければなりません。そのための丁寧なアプローチが必要です。

子どもたちは、落ち着いて学習できる環境を望んでいます。決して、荒れた状態やいい加減な環境を好んでいるわけではありません。子どもの「学びたい」という思いに寄り添うことこそが、学級改善の大きなチャンスになるはずです。

2026年5月21日木曜日

この時代、メディアとのかかわり方が難しい。

 

多様なメディアの時代になりました。それって、みんな感じていることだと思います。テレビを見るか、見ないか。テレビって見ないという話をよく聞きます。特に、リアルタイムでテレビを見る人って、どれだけいるのでしょう。特に若い世代は、リアルタイムでテレビを見ないんでしょうね。

情報の収集の仕方が大きく変化しているんですね。新聞から情報を獲得することを大切にしているNIE(エヌ・アイ・イー/Newspaper in Educatio)。様々な紙面から情報を選択し、それをもとに学習の展開を考えています。新聞ですから、画像と活字から、どう情報を獲得し、そこから、どのように対話を進めていくかなど、研究をしています。テレビでは、学校放送番組(NHK for School)が学習の中で活用されています。今は、オンデマンドで利用することができているので、番組を活用しなくても、資料として活用することも多くなっているんでしょうね。

新聞やテレビを一切見ないという子供も年々増えていっていると思います。自分の興味や関心に沿って情報を獲得する力はとても高くなっています。逆に言えば、関心がないこと、興味が持てないことについては、一切情報が入ってくることはなくなっています。新聞は、政治や経済、文化やスポーツ、地域情報と、自分が見たいと思っていない内容でも、1日分の情報として提供されてきていました。ですから、どんな記事でも、見出しが目に入ることも多かったのですが、新聞を読まなくなっているこの時代には、どんな記事があるのかということも目に入らなくなっているわけです。これは、テレビでも同じでしょう。ニュースなどに目を向けることがない子ども達も増えていると思います。

メジャーな新聞やテレビという媒体に触れることなく、自分が必要としている情報だけをSNSやYouTubeで選択していく。そうすると、ブラウザーのアルゴリズムはそのユーザが必要としている情報のみを選び出すようになっています。パーソナライズされていくのでしょう。フィルターバブル(泡の中に閉じ込められる環境)」「エコーチェンバー(似た意見だけが反響する部屋)」と呼ばれる現象です。そうなるとより狭い範囲の出来事を情報として獲得し、様々な情報に触れることが無くなってくるのだと言えます。

学校で、情報活用能力を高めることが必要だと言われています。確かに、偏った情報に左右されることも多くなるでしょう。だから、様々な情報に触れることた大切だと思います。本当に必要なのは「偏った情報に流されない態度」「あえて自分の興味の外にある良質な情報(新聞や信頼できるメディア)を取りに行く意志」です。

2026年5月19日火曜日

特別支援学級の在り方

 

日本の学校の特別支援学級の大きな特徴は、児童生徒の「学籍」そのものが一般学級ではなく、特別支援学級にあるということです。

諸外国の多くでは、どの子どもも原則として学籍は一般学級にあり、日常的にも一般学級で学習をしています。日本のように、特別支援学級をベースにして子どもの育成を図るというケースは稀のようです。もちろん、どの国にもそれぞれサポートシステムは存在します。しかし日本の場合は、特別支援学級から一般学級に出向いて「交流及び共同学習」を行う際、基本的にはそこに専門のサポートがつきません。もともと特別支援学級で一日を過ごすことが前提の仕組みになっているため、子どもは特別支援学級の担任と一緒に学習を進めるのが基本だからです。

特別支援学級には、法律上7つの種別(自閉症・情緒障害、知的障害、肢体不自由、病弱、弱視、難聴、言語障害)が定められており、学校現場では対象となる子どもの特性に合わせて学級が設置されます。 例えば、知的障害学級には知的な発達が緩やかな子が在籍しており、学年別の指導というよりは、個々の成長度合いに合わせた個別最適な学習を進めていくことが多くなります。一方、自閉症・情緒障害学級には、ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動症)などと診断された子が偏在しています。学力自体には問題がなくても、集団生活やコミュニケーションに課題がある場合、この学級で在籍・学習することになります。また、弱視学級などは対象となる児童生徒が地域にいる場合に設置され、視覚を補助する器具などの環境整備や、安全確保への配慮が不可欠となります。

特別支援学級の標準定数は、法令で「8名」と定められています。学年にかかわらず、障害の種別ごとにカウントされるため、例えば同じ種別の子どもが16名いれば、8名ずつで2クラスという計算になります。

現在、日本の特別支援教育における大きな課題となっているのが、「一般学級で過ごす時間」のあり方です。インクルーシブ教育が主流となっている現代において、一般学級での活動を増やすこと自体は望ましい方向性だと言えます。しかし、そこには構造的な問題があります。 一般学級へ交流に行く際、多くは「子ども単独」で向かうことになる点です。もし特別支援学級の担任がその子に付き添って一般学級へ行ってしまえば、特別支援学級に残された他の子どもたちの指導体制が崩れてしまいます。かといって、子どもだけで一般学級へ行かせれば、本来何らかの専門的サポートが必要だからこそ特別支援学級籍になっているにもかかわらず、何の支援もないまま一般学級の集団に置かれることになります。これは現場の大きな矛盾です。

国連からは、日本の分離された特別支援教育について「差別的である」との是正勧告を受けています。文部科学省はこれに対し、インクルーシブ教育の推進や交流学習の充実を掲げていますが、現場の体制が追いついていないのが現状です。ここでもやはり、教員定数や人件費というコストの問題が横たわっているように感じられます。 教育を効率性や「コスパ」だけで測ってよいのでしょうか。みなさんは、この現状をどう考えますか。








2026年5月17日日曜日

学習指導案って大切ですか?

学習指導案は、すべての教員がゼロから書けなければならないものなのでしょうか。確かに、新しい指導法や、子どもがより学習しやすい方法を考えることは大切です。また、学習指導の予定や記録としても、指導案には意義があるでしょう。しかし、すべての教員が常に学習指導案を自ら作成する必要があるかといえば、疑問を感じます。

第一の理由は、物理的な時間の制約です。1時間の授業についてじっくり考察することは有意義ですが、すべての授業の指導案を書くことは不可能です。また、学級担任制が基本の現状では、同じ授業を繰り返す機会はほとんどありません。教科担任制であれば複数クラスで実践できるため意義があるかもしれませんが、日常の授業とかけ離れた「特別な準備」を要する指導案の作成は、あまり現実的とは言えません。

第二の理由は、どの学校・どの学級でも通用する「普遍的な授業」は存在しないということです。学校や学級によって児童の学力や特性に差があるのは当然です。いくら素晴らしい授業プランであっても、目の前の児童の実態に合っていなければ授業として成立しません。同一の指導案で、どこでも同じ反応が得られるわけではないのです。

第三の理由は、多様な方法で学習指導案を入手できる環境が整っていることです。現在では、生成AIを活用すれば数分で指導案のベースが作成できます。AIを使わずとも、インターネットで検索すれば全国の教員が作成した優れた指導案を容易に閲覧できます。単元に入る前に自分のイメージに近い指導案を見つけ、それをベースに自学級向けにアレンジするだけでも、十分に有効な教材研究になるはずです。

もし教材研究にたっぷり時間を割けるのであれば、白紙の状態から指導案を練り上げるのもよいでしょう。しかし、多忙を極める現状では、それは非現実的です。

一から学習指導案を作成することに労力を費やすよりも、自分の考えに近い既存の指導案を活用し、実際の授業実践に注力することのほうが意義があるのではないでしょうか。どのようにすれば子どもたちを引きつけられるか、どのように新しい疑問を持たせることができるかなど、目の前の子どもたちに向けたアプローチを工夫することこそが、現実的な授業改善につながります。これまでの授業研究は「まず指導案ありき」でしたが、これからは指導案の形式に縛られることなく、授業を実践する「パフォーマンス力」を高めることが求められていると考えます。

2026年5月16日土曜日

体を鍛えた方がよいですか。

先生という仕事ですが、結構体力勝負なところがありますよね。そうでもないでしょうか。

担任の頃、万歩計をつけて授業中の歩数を測ったことがあります。僕の場合は6,000歩くらいでした。文科省が出している数値では8,000歩以上らしいので、あまり動きの良い先生ではなかったということになります。反省ですね。

先生という職業は、歩くことに関してはゆっくりとした移動が多いので、それほど激しい運動量があるわけではありません。ただ、基本的には「立ち仕事」だと言えると思います。 45分の授業のうち30分立っているとすると、4時間授業をすれば丸々2時間立っている計算になります。ただ立っているだけでなく、しゃがんだり、子どもの視線まで腰を下げて話をしたりする場面もあります。同時に、子どもたちの活動全体を見渡したり、板書をしたりと、肉体的にはそれなりに負荷がかかる仕事です。実際、腰痛になったりすると本当に大変なことになります。

また、5月ごろになると、声が出なくなる若手の先生を見かけることがあります。原因は声の出しすぎです。必要以上に大きな声を出すのはよくないのですが、若手の頃は体力勝負ができてしまう分、どうしても体に過度な負荷をかけてしまいがちです。教員の仕事は精神的な負荷が問題になることが多いですが、肉体的な負荷も確実にかかっています。

さらに、先生といえば「日焼け」です。体育や野外活動などの際にはどうしても日焼けします。正直なところ、男性は女性ほど日焼け対策をとっていない人が多いので、かなり焼けてしまう傾向にあります。水泳の授業が始まると、なおさらひどいかもしれません。10年くらい前からラッシュガードが普及してきたのでだいぶ良くはなりましたが、それでも焼ける部分は出てきます。 最近では、目からの紫外線が体に悪影響を与えると言われているため、体育を続けて行う場合などにサングラスを着用するケースも見られるようになってきました。

「先生=頭脳労働」というイメージがあるかもしれませんが、実際は結構体力勝負なところもあります。日頃からストレッチや軽い運動をする習慣を持つことが、意外と大事だと思います。


2026年5月14日木曜日

直接意見を聞くことも、大切だと思います。

 5月の連休が終わると、5月や6月に運動会を予定している学校は、いよいよ練習を始めますね。

運動会を実施することの意義については意見が分かれるところだと思いますが、正直なところ、やめることが難しい学校行事であることは確かです。 何年か前に、運動会に関するアンケートをとりました。その時、「従来の運動会をやめて、陸上記録会やダンス発表会のように、体育学習の一環にしたらどうだろうか」という提案を入れてみたのですが、圧倒的に「現在の形の運動会がよい」という反応でした。 これには、ちょっと驚きました。そんなに保守的な考えの保護者が多い地域ではなかったので、「運動会はいらない」という意見が多くなるのではないかと期待していたのですが、そうはなりませんでした。

たしかに、「自分たちが経験したことを子ども達にも経験してほしい」と願う傾向が強いのだと思います。これは、運動会だけでなく修学旅行などにも言えることかもしれません。

それでも、運動会を午前中開催にすることで、だいぶ先生たちの負担を軽減することができるようになりました。ただ、ここ数年のアンケートの回答などを見ると、一番午前中開催を望んでいたのは、実はお弁当を作る保護者だったということが分かります。 そうですよね。雨が降って延期になれば、用意していた材料だけが残ってしまいます。それに、当日の朝の時間が非常にタイトになり、忙しい思いをする人が出てくるのですから。「お弁当作りが無くなることが何よりよかった」という声があがるのも頷けます。

しかし、コロナ禍以前は、そうした声を拾い上げることができませんでしたし、学校側は「午前中開催の方が求められている」などと考えたこともなかったわけです。だ
からこそ、盛りだくさんのプログラムを組み、午後3時ぐらいまで運動会をやっていたのですね。

保護者の考えと学校の考え。それらをすり合わせることは意外と難しいものです。「保護者はこう考えているのだろう」という学校側の思い込みもあるのかもしれません。 今はICTの活用などで様々な意見を集めることも簡単にできる時代です。思い込みで進めるのではなく、保護者に直接意見を求めてみることは、大いにやってみる価値があると思います。

今年は、昨年よりも一段と暑さが厳しくなりそうです。運動会の練習で子ども達の体調が崩れないように配慮することも、これからの学校の重要な役割の一つになるんでしょうね。お疲れ様です。

2026年5月10日日曜日

デジタル教科書の賛否。紙の教科書の方がよいですか?

デジタル教科書を、紙の教科書と同等に扱うことになったようですね。ノートと鉛筆を使うのか、タブレット端末(以下、タブレット)を使うのか。いろいろと意見が分かれる部分だと思います。しかし、実証されていないことですから、意見が分かれるのも無理はありません。少なくとも、小学校時代にタブレットを使って学習をした経験を持つ大人は一人もいないのですから。

タブレット学習を早くから牽引していたのは、ベネッセやジャストシステムでしょう。この2社の展開により、タブレットを活用した学習が進んだと言えます。ただ、この2社が提供していたのは「学習専用のタブレット」であり、現在学校で配備されている「汎用性のあるタブレット」ではありません。以前、ジャストシステムの方から「試験的にアメリカで導入した際、保護者からは汎用端末ではなく、学習にしか使えない専用システムがとても好評だった」というお話を伺ったことがあります。

最近、スウェーデンで教科書を紙に戻すことについて取り上げている記事を読みました。スウェーデンだけでなく、オランダやデンマークでも同様の方向性が示されているようです。

いったい何が問題なのでしょうか。デジタル教科書そのものが問題なのでしょうか。私はそうではないと思います。タブレットを「どう使わせるか」という指導のあり方が問題なのです。

現場でよく耳にするのは、先生の指示とは関係なく、好きな時間に好きなようにタブレットを触ってしまう子どもの話です。みんなが学習で使っているときに、関係のない動画を見たり、ゲームをしたりしている。先生が注意しても、手放すことができない。しかし、これらは「タブレットを使った学習」以前の話です。クラスの中でタブレットを使うための約束事(ルール)が確立されていないこと、そして、学習のツールとして使う意味が子どもたちに理解されていないことが根本的な問題なのです。

今の時代、タブレットを使って学習できなければ、子どもたちが将来困ることになります。さらに言えば、生成AIを活用する力はこれからの必須スキルだと言えます。それにもかかわらず、ルール作りという「学習以前の問題」がクリアできないために、最新のツールが活用できなくなるのは残念でなりません。

タブレットは、これまでになかった画期的な学習ツールです。と同時に、子どもたちにとっては家庭で「楽しむためのツール」として親しんできたものでもあります。そこに指導の難しさがあります。しかし、学級の中でしっかりとした約束を作っていくことで、間違いなく「学習のためのツール」に切り替えることができると思います。

もし問題が起きたなら、それこそがチャンスです。問題を子どもたち自身に話し合って解決させることで、学級内に納得感のある確かな約束が出来上がるはずです。決まった約束は、誰もが忘れないように教室内に掲示しておけば、しっかりと浸透していくでしょう。

まずは、学習の基盤となる確固たるルールを作ることが大切です。そして、作ったルールはぜひ保護者にも伝え、家庭内でも徹底されるよう協力を求めるべきです。

その上で、先生方には今の時代に合った素晴らしい授業を展開してほしいと願っています。

2026年5月9日土曜日

寝ることって、とっても大切。

今回の話題は「睡眠」についてです。直接学校とは関係ないことですが、少し書いてみたいと思います。

退職して、毎朝決まった時間に起きる必要がなくなりました。それでも、遅く起きすぎると生活リズムが崩れますし、日々の家事もあるため、7時過ぎには起床するようにしています。 在職中は、学校ごとの通勤時間の違いや、教諭時代と管理職時代での立場の違いもあり一定ではありませんでしたが、だいたい朝6時に起き、7時過ぎには家を出るという生活でした。就寝は11時30分ごろになることが多く、睡眠時間は平均6時間程度だったと思います。

今も就寝は11時から11時30分頃と大きくは変わりませんが、確実に12時前には眠りについています。そして起床は7時過ぎ。つまり、睡眠時間が現役時代より1時間以上長くなりました。

たった1時間程度の差ですが、日中に眠くなることがほとんどありません。昼寝をする時間はたっぷりあるのに、不思議と「昼寝をしたい」とは思わないのです。この体の変化に気が付いたのは、いまの生活を始めてから半年ほど経った頃でした。

20代の頃は「3時間寝れば大丈夫」と豪語していました。年齢とともに体力が落ちたのか徐々に睡眠時間は長くなっていきましたが、それでも在職中は、日中に眠気を感じる時間帯がありました。 当時は、寝ている時間を「無駄だ」とすら思っていました。睡眠時間を削ってでも活動時間を増やすことが大切だと信じ、夜遅くまで自宅で仕事をするパターンも多かったです。

しかし、時間を自由にとれるようになった今、強く感じるのは「体が要求している時間だけ、しっかり寝ることの大切さ」です。(そして、睡眠と同じくらい、しっかり運動することも大切だと実感しています)

教育現場の働き方改革において、よく「持ち帰り仕事の多さ」が問題になります。他業種でも同様かもしれませんが、教員は授業以外の雑務に加え、授業準備などでどうしても持ち帰り仕事が多くなりがちです。 身を削って働くことで「頑張っている自分」を感じられる側面はあるかもしれません。しかし、それは同時に視野を狭くし、体力的な無理を強いている状態ではないでしょうか。

そうそう、ベッドに入ってからのスマホはやめたほうがよいですよ。本当に眠れなくなりますから。

まずは、しっかり寝ること。そして、先生方がしっかりと睡眠をとれる「環境づくり」こそが、今一番大切なのではないかと思います。

2026年5月6日水曜日

初任に担任させなきゃダメですか。

 

初任の先生の離職率が高いということについては、以前も記事にしました。これまで、初任で辞めてしまう先生はほとんどいなかったのですが、それが今や1割を超えている自治体も出てきていることは、大きな問題だと思います。

聞いた話では、1年経った時点で「本採用には適さない」という校長の意見を聞き入れず、教育委員会が本採用にするよう指示してきた例もあります。(※教員は、最初の1年間は「条件付採用」となっています)。これも以前であれば、考えられなかったことです。実際、本採用にしてもらえず裁判を起こした例もあるくらいです。

1年で見切りをつけるという決断も一つの選択肢ですから、決してそれを否定するものではありません。しかし、現場で見て「教員を続けることは難しい」という判断があっても、辞めさせたくない教育委員会があるという事実が問題だと思うのです。

初任者研修についても、以前書いたことがあります。法定研修ですから、かなりの予算をつぎ込み、時間をかけて研修を行っています。しかし、そんなことをするよりも、まず1年間じっくりと育てることが大切ではないでしょうか。そのためには、小学校では「最初の1年間は担任を持たせない」というのが、唯一の解決法だと考えています。これは、私が実際に校長をしていたときに試みた手法でもあります。

今の時代、4月の始めからいきなり学級担任を任せるというのは難しいのだと思います。どんな仕事でも、4月の頭から「仕事は任せた。よろしく。」と言って丸投げすることはないでしょう。「今日から営業担当だ。取引先のリストを渡すから、1人で行って契約を成立させてこい。」なんて、ありえない話ですよね。

確かに、大学の4年間でそのための学習をしてきていますし、教育実習も4週間経験しています。だからと言って、「今日から担任よろしく。」というのはやはり無理があると考えています。

ですので、私の学校では、高学年や中学年の教科担任として理科などを担当してもらい、特別活動や道徳などは信頼できるベテランの先生のもとで、実際に授業を見せてもらったり、一部の授業をさせてもらったりする形をとってきました。個人面談の際なども「副担任」という立場で同席させ、保護者とのやり取りを学んでもらいました。

人員が不足していなければ、このような形を今でもとることはできます。しかし、学校には様々な事情で担任を持つことができない先生もいます。正規の教職員だけで構成されていればよいのですが、それが叶わない状況も多々あります。そうなると、初任であっても担任を任せざるを得ないわけです。

初任者研修に多くの時間を割くよりも、OJTとして、担任を持たずに実践と研修を兼ねる「形」をとることが、今の教育現場には必要なのではないでしょうか。

2026年5月5日火曜日

心が病まないために

学校で働く教員にとって、いかに心を病まないようにするかは、今や非常に重要な課題になっていると思います。

心を病んでしまう最大の原因は、学級の状態にあるのではないでしょうか。指示が通らない、子どもたちに落ち着きがない、思い通りに授業が進められない、あるいは子どもたちとの関係がうまくいっていない。このような状態があれば、朝、教室に向かうことすら苦痛になっていくでしょう。足取りが重くなり、子どもたちが下校した後もため息ばかりが出てしまうような状況は、本当に苦しいはずです。

状況を改善するためには、以前にも触れましたが、子どもたちと「話をしっかり聞く」ためのルールを作ることが大切です。それと同時に、教師自身も子どもたちに話を聞かせるための技術を身につけなければならないと思います。

もし、心が折れそうになったり、すでに苦しい状態に陥ってしまったりした場合は、一人で抱え込まず誰かに助けを求めましょう。校長、教頭、学年主任、養護教諭、児童支援専任教諭など、誰でも構いません。ただし、あまり多くの人に意見を求めすぎるのは、かえって混乱を招くため避けた方がよいでしょう。できれば、自分が目指す教育スタイルを実践している先生を見つけて、相談するのがベストです。

教師の性別や体格によって、適した授業スタイルは異なります。例えば、小柄な女性の先生が、体格の良い男性の先生と全く同じ方法で指導するのは難しいでしょう。その場合は、同じように小柄な女性の先生のやり方を見せてもらう方が、自身の現場でも実践しやすいはずです。力技で押し切るような指導をしている先生を参考にするのはお勧めしません。やはり、確かな指導技術を持っている先生のやり方を見習うべきです。

また、心を病まないための防衛策として、最低限の仕事を早く終わらせて、少しでも早い時間に帰ることも重要です。気分が落ち込んでいると、つい学校でダラダラと過ごしてしまいがちになります。しかし、それでは疲労感が増すばかりか、一人暮らしの場合などは、負の感情を自分の部屋にまで持ち込むことになりかねません。


プライベートでの気分転換も非常に大切です。リフレッシュの方法は人それぞれですので「これが一番」とは言えませんが、仕事から完全に離れる時間を作るよう意識してください。ジムで筋トレに励んだり、ランニングを日課にしてみたりするのも楽しいでしょう。格闘技の練習などは、無心になれるという点でとても効果的です。シミュレーターを使ったゴルフや、サッカー・野球などのチームスポーツに参加するのも良いですね。もちろん、映画鑑賞や観劇、ライブに行くといった楽しみ方もあります。

どのような形であれ、仕事から自分自身を解放し、心を休ませる時間を持つことが何よりも大切だと思います。

2026年5月3日日曜日

話を聞く姿勢をつくりましょう。

4月になりました。新しい気持ちと期待でいっぱいなのは、子ども達だけではないでしょう。先生たちにとっても、子ども達以上に緊張感と期待感に満ちた時期だと思います。

4月の学校のスケジュールによっても変わってくると思いますが、僕の経験上、個人面談や家庭訪問が一区切りになります。もちろん、どの学校でも予定されているとは限りませんが、その場合でも、5月の連休までが一つの区切りとなるでしょう。

スタートの時期に当たる4月。必ずやらなければならないのは、「話を聞く姿勢」を作ることです。先生が前に立ち、動きを止めたら、全員が話を聞く意思を見せることができるようになることが大切です。

どんなに素敵な話をしても、どんなに大切なことを伝えようとしても、子ども達の側に「話を聞く」という意思がなければ伝わりません。子ども達に話を聞くことの大切さを伝えることも必要ですが、まずは、先生が教室の前に立ち、子どもたち全員が先生の方を向いて、話を聞く態勢をとれるようにすることが何より重要です。

もちろん、そうするためには、しなければならないことがあるでしょう。 まず、話し始めるタイミングをはっきりと分かるようにすることです。先生が黒板の前に立ち、動きを止める。そうした行動で、先生が何かを話す時だということを教えます。また、話をするときは、先生自身が子ども達をしっかりと見ること。子どもたち全員が話を聞くことができると判断するまで、話し始めないことも伝えておきましょう。

初めの頃は、定位置以外では話さないようにする工夫も有効です。特に、板書をしながら話をするのは避けましょう。板書しているときは子ども達に背を向けていますから、その状態で話をしてしまうと、全員が話を聞いているかどうか確認できません。

声の大きさも大切です。子どもたち全員が教室内にいるとき、先生の声がどう聞こえているのかを確認しましょう。声質によって、声の響きや通り方に差が出ます。一番後ろの子どもにまで、しっかりと声を届けることは絶対条件です。しかし、大きすぎる声もよくありません。大きい声には限界がありますし、言葉がきつく感じられてしまうこともあるからです。

話す「速さ」も、わかりやすい話し方の重要なテクニックです。小学生の場合、低学年の聞き取る力はまだかなり低いと考えておいてよいと思います。子ども達がしっかり聞き取れる速さで話をしなければなりません。**一方で、高学年に対して全く同じ話し方をするわけにはいきません。**それぞれの学年にとって、適切な速さはどれくらいなのかを理解する必要があります。

こうやって文章にすると簡単なのですが、時間が少ない時、あわてているとき、子ども達が落ち着かない様子の時などに、話し方に気を付けるのはなかなか難しいものです。

もし、これを初任の先生や若手の先生が読んでくれていればいいなと思っています。 続きがまだありますので、また明日書いてみたいと思います。

読んでくださっている方々、ありがとうございます。 もしよければ、どんな方が読んでくださっているのか、コメント欄で教えていただけると幸いです。


話を聞く姿勢を作りましょうⅡ

 

■ 低学年の子どもには「話す速さ」に要注意 

子どもたちに話をするときは、「話す速さ」を意識しなければなりません。特に低学年の子どもは、耳から入った音の情報を脳で処理する能力がまだ十分に発達していません。人間の聴覚の素晴らしいところは、必要な音だけを拾い上げて脳に伝えられる点です。以前、聴覚障害のある子どもたちを教える先生から、「補聴器は音を単純に大きくするため、必要のない雑音まで大きく聞こえてしまう」という話を伺ったことがあります。実は、小学校低学年の子どもたちもそれと似ていて、必要な音だけを上手に拾い上げることがまだ十分にできないと言われています。そのため、大人の話すスピードが速すぎると、理解への大きな障害になってしまうのです。まずは、十分にゆっくりと話すことが必要です。もちろん、速さだけの問題ではありません。周りの雑音が極力遮断されている環境をつくることも、子どもたちが話を聞き取りやすくなる重要なポイントです。

■ 1回の指示は短く!「1文を長くしない」工夫 次に気をつけてほしいのは、「1文を長くしないこと」です。話の中に、いくつもの指示が詰め込まれていることがよくあります。例えば、「休み時間になったら校庭に出ます。チャイムが鳴るまでは遊んでいてよいですが、鳴ったら鉄棒の前に集まり、班ごとに分かれます。校庭に出るときには赤白帽を持っていってください。」といった具合です。指示を出す側としては伝えたいことばかりですが、1回の話に複数の指示内容を盛り込むのは避けるべきです。どうしても複数の指示を出したい場合は、話した後に黒板に書くなどの視覚的なフォローが欠かせません。指示に限らず、子どもたちに何かを理解させたい場合は、図表や具体的なイラストなどを用いることも非常に効果的です。

■ 「間」の取り方と、視覚的な補助道具の活用 「間の取り方」もよく指摘されるポイントです。「間の取り方」もよく指摘されるポイントです。間をとることには、重要な部分を強調する効果があります。また、子どもたちの理解度を判断したり、話すペースを調整したり、内容を繰り返したりするためにも大切な時間です。適切な間をとることで、言葉が子どもたちの心に印象深く残るため、上手に活用してほしい技術です。

よく実践される方法ですが、時計の模型を使って「長い針がここに来たら、こうします」と視覚的に示すなど、話す際の補助的な教具を導入することも大切ですね。

■ 学年始めに押さえたい「聞く姿勢」の育て方 「話を聞く姿勢」を育てることは、学年始めに取り組むべき最重要課題の一つです。「これから先生が話しますよ」という合図を子どもたちに理解させる。そして先生自身も、声の大きさや表情、話す速さ、間の取り方などに気を配り、子どもたちが「理解できる話し方」を心がける。まずは、この基本となる部分をしっかりと押さえていくのがよいのではないでしょうか。

教室の中で、先生が気を付けなければいけないことって。

 

子どもたちの座席は、基本的には机を一つひとつ離して配置するのがよいでしょう。1クラスの児童数が最大35名の場合、横に7列、縦に5列のレイアウトが基本になります。机を2つ繋げた配置は集中力が途切れやすくなるため、一人ひとりが自分のパーソナルスペースを確保できる独立型のほうがメリットは大きいです。活動内容に応じて、その都度レイアウトを工夫するとよいでしょう。

教室における先生の立ち位置は、基本的に黒板の前です。そこで重要になるのが「子どもたち全体をどの程度見渡せているか」です。実は、一番前の席は先生が立っていると死角になりやすく、意外と視野に入りません。先生の身長にもよりますが、最も視界に入りやすいのは前から2〜3列目あたりです。

続いて、横の視野についてです。先ほどの「7列×5列」の配置は横に広いため、両端の席の子が視野から外れやすくなります。教員としての経験を積むにつれて自然と視野は広がり、クラス全体を無理なく見渡せるようになります。それができるようになれば、顔の向きに関わらず「先生はいつもみんなを見ているよ」と態度で示せるようになります。とはいえ、最初から完璧にこなすのは難しいため、まずは一人ひとりの顔を見ながら、視線を合わせて話す習慣をつけることが大切です。子どもは先生と目が合うことで「見られている」と自覚し、自然と話に集中するようになります。

また、学級経営においては荷物の整理整頓も重要です。小さな机の引き出しに何を入れるのか、ロッカーや教科書ボックスはどう使うのか、タブレット端末はどのように保管するのか。学校によっては、これらについて全学年共通のルールが定められていることも多いでしょう。全員に徹底させるのは根気のいる作業ですが、基本的なルールは一つずつ丁寧に確認していく必要があります。

決まったルールを守るのが得意な子もいれば、苦手な子もいます。しかし、習慣化してしまえば必ずできるようになりますので、ここは焦らず丁寧に指導し、定着させていきたいですね。

2026年5月1日金曜日

最近思っていることですが……。

最近思っていることですが……。

生成AIがさらに精度を高めたとき、果たして学校は生き残れるのでしょうか。そして「先生」という職業は残るのでしょうか。少なくとも、「知識を教え、学習を進める」という従来の学校の機能は、あまり意味をなさなくなってくるはずです。 子どもたちは今後、自分専用のパートナーである生成AIとともに学習を進めるようになるでしょう。自分の考えをAIに伝え、そこで対話的な授業が行われます。生じた疑問に対しても、自分の考えを仮説として持ち、先生や友達ではなくAIとのやり取りを通して解決していく。おそらくその方が、これまでの教室での一斉学習よりも個々の思考を深めることができ、結果的により質の高い学習活動が実現できるのだと思います。

学習とは、本来パーソナルなものです。自ら考えることから始まり、対話によって考えを深めていく。そうした理想的な形を実現できるのが、生成AIを活用した学習です。生成AIは日々進化しており、今考えていることも1年経てば古くなってしまうでしょう。すでにこうした学習様式を試行している学校も多くあるはずです。現場での検証を待つ必要はあるかもしれませんが、学習形態が根本から変化していくことは間違いありません。


一方で、だからこそ「実体験」の大切さがより一層重視されるようになるでしょう。鉛筆で字を書くことや、クレパスで絵を描くこと。工作でのりを使い、手についたベタベタを拭き取ることの心地悪さと大切さ。みんなでボールゲームを楽しみ、共同作業の意義を体感すること。そして、休み時間の何気ないおしゃべり。学校生活におけるさまざまな瞬間での実体験は、子どもたちの成長に決して欠かすことのできない要素として残るはずです。

そうはいっても、学校や先生の存在意義は確実に変わっていきます。しかし現状では、何一つと言っていいほど検証が進んでいません。そもそも鉛筆を使うことに意味があるのか。手書きで漢字が書ける必要があるのか。外国語を学習する意味は残るのか。数多くの疑問符が浮かびます。 だからこそ、これからの教育のために、早い段階での検証が不可欠なのです。教育に関する先進的な研究を推し進めることは大切です。国としてもしっかりと予算をつけ、国立大学の附属学校などで実験的に生成AIを活用した授業を行い、その実践結果を広く社会へ伝えるべきではないでしょうか。

2026年4月28日火曜日

指示をシンプルに

 新しい学年になり、1か月。うまくいっていることもあれば、思った以上に苦戦していることもあるでしょう。 今、子ども達の様子はどうでしょうか。教室は整然としていますか? 先生の話を聞く態度は、しっかり身についてきているでしょうか。

タブレット等のICT端末を利用した授業をするにしても、基本的に「先生からの指示」が理解されなければ授業は成り立ちません。ツールの問題ではなく、基礎となるものが何であるかが重要なのです。

以前にも書きましたが、一番の基礎となるのは「話を聞くことができるかどうか」です。そのためのトレーニングがどの程度進んでいるかが、今後の大きなカギを握ります。

もちろん、「子ども達が楽しく学習できれば、自然とそうなる」という意見もあるでしょう。魅力的な授業ができる先生であれば、たしかに自然と話を聞く姿勢は育っていきます。しかし現実問題として、子ども達が楽しいと感じる授業を“毎時間”できる先生はそう多くはありません。 毎回楽しい授業をするのが難しいのであれば、せめて「整然とした教室環境を整える」ことに努めることが大切だと思います。

その意味で、ゴールデンウィーク明けは大きなチャンスです。 話し方を工夫し、子ども達にとって分かりやすい指示を出すよう努めるだけでも、教室の雰囲気は変わってきます。この機を逃すと、次は夏休み明けまで、なかなか良いきっかけが訪れません。

もちろん、それぞれの学校の状況は違います。先生の指示が通りやすい環境もあれば、そうではない環境があることも重々承知しています。どの学校でも全く同じアプローチが通用するとは思いません。 しかし、「分かりやすい指示を出すよう心掛ける」だけでも、状況は確実に変わってくるはずです。

落ち着きがない子が騒いでしまうのは、「指示が不明確な時」や、「これから行うことの順序(見通し)が分かりにくい時」です。また、そういった子ども達は、周りの子の言動にものすごく影響を受けます。周囲の言動すべてが刺激になり、落ち着かない要因になってしまうのです。

ですから、指示はなるべく全体に向けて、シンプルに出すように心がけてみてください。 「自分が何をすればいいのか」という指示さえしっかり分かれば、あえてそれに反して動きたいと思う子は、そう多くはないはずです。

2026年4月25日土曜日

少子化対策、学校は制度が整っていますよ。

少子化対策が進む中、学校という職場も大きな変化を見せています。特に小学校は女性教員の比率が高いため、その変化の影響を強く受けています。

現在では少子化対策の一環として、育児休業を最大3年間取得できるようになりました。この動きは民間企業でも見られ始めています。学校現場においては、産休・育休期間中に代替教員が雇用されるため、本来であれば業務への影響は少ないはずです。また、育休は男性も取得可能であり、その利用率は年々高まっています。

復帰後の育児期間中には、「育児短時間勤務」という選択肢があります。4時間や6時間といった勤務枠を選ぶことができ、例えば4時間勤務を選択した場合、始業から4時間の勤務となります。不足する3時間45分については非常勤講師が代替として雇用されますが、勤務時間に応じた給与体系となるため、収入は大幅に減少します。

もう一つの選択肢として、「フレックスタイム(時差出勤)制度」の利用が挙げられます。これは5分単位で勤務時間を前後にずらすことができる制度です。1日7時間45分という所定労働時間は変わらないため、給与への影響はありません。始業時間を早める形での利用が多く見受けられます。自治体によって規定は異なりますが、多くの場合、子どもが小学校を卒業するまで利用可能です。

教員の大量採用から10年以上が経過しました。当時採用された教員たちが25〜35歳前後の出産適齢期を迎えており、これらの制度の利用者が増加していると考えられます。こうした制度は教員の働き方を支える上で非常に重要です。しかし、以前のように臨時的任用教員(臨任)や非常勤講師のなり手が豊富であれば問題ありませんでしたが、現在は代替教員の需要と供給のバランスが崩れているという深刻な課題があります。

妊娠・出産・育児は、人生において極めて重要な期間です。育休の延長、時短勤務、フレックスタイムといった制度は、導入当初こそ現場に混乱をもたらしましたが、浸透するにつれて運用上の工夫も生まれてきました。適切に活用すれば、教員の生活に余裕をもたらす有効な手段となります。

少子化は欧米諸国を含め、社会全体の問題となっています。教員が人生の大きな選択を前向きに考えるためにも、多様な働き方を支える制度の充実は不可欠な条件と言えるでしょう。

2026年4月23日木曜日

授業以外の業務ってなんですか。


授業に関する業務:学級担任の重圧
学級担任は、日々の授業において以下のような多岐にわたる業務を(多くの場合、全教科分)こなしています。

  1. 授業の準備 授業の目的の明確化、教材研究、授業展開の構想。さらに、補助資料やプレゼン用のデータ作成、授業中に使用するプリントやフォーマットの用意などを行います。

  2. 授業の実践 実際の指導を行います。

  3. 授業後の処理 児童たちの評価のまとめ、小テストの実施と採点。ドリルや授業中に使ったプリントの回収・処理・評価記録の作成、そして提出物の確認と評価を行います。

従来、学級担任は自分のクラスの全授業を担うため、1時間の授業ごとにこれだけの業務が発生していました。教科担任制を部分的にでも導入すれば、同じ内容の授業を複数のクラスで行うことができるため、特に「1. 授業の準備」にかかる時間は大幅に削減できます。では、なぜ担任の負担は減らないのでしょうか。それは、「授業に関係しない業務」が膨大だからです。

授業以外の業務:肥大化する校務分掌と担任業務 学校組織には「校務分掌(事務分掌)」があります。本来は、基本的な分掌(教務、総務、経理、行事、視聴覚、図書など)と、学年・学級の業務(担任業務)だけで回っていたはずですが、時代とともに新しい課題が次々と追加され、組織だけが肥大化しています。

現在、一人の学級担任が抱える役割は以下のようになります。

  • 学年・学級運営: クラス運営に加え、学年部会への参加。さらに日本の場合は、休み時間、給食時間、掃除の指導といった生活面の指導も「担任の業務」として重くのしかかっています。

  • 各種研究会: 教科(国語、算数など)の研究会に加え、教科外(道徳、英語、特別活動など)の研究会。

  • 各種委員会・担当業務: 児童指導部、特別支援教育部、いじめ防止対策協議会、人権教育協議会など。


例えば、ある担任の先生は「5年担任」をしながら、「国語専任」「図書担当」「教務」「児童指導」「特別支援」「いじめ防止」「人権」を一人で兼任することになります。 その結果、書写展や文集の指導・事務手続きを行い、教務として職員会議の資料をまとめ、図書担当として読書感想文を取りまとめます。各種会議や人権教育の研修にも必ず参加し、支援が必要な児童がいれば個別の資料を作成して全体へ周知しなければなりません。 これに加えて、教育実習や初任者研修の師範授業、登下校指導のための資料作成や実地指導なども重なります。さらに各学校で行われる「授業研究会」のために指導案を作成し、他の教員に授業を見てもらい協議する会まであります。

大雑把に書き出しても、学級担任がどれほど常軌を逸した量の業務を抱えているかがお分かりいただけると思います。

現状の課題と今後の展望 「授業研究が日本の教育の要だ」と主張する学者もいますが、そこに費やしている膨大な時間と労力に見合うほど、授業改善に直結した例を私はほとんど見たことがありません。

これまで、日本の学校は「足し算」ばかりをしてきました。組織図を見れば、次々に新しい業務を継ぎ足してきたことが分かります。人員が増えない状況下で業務だけを増やせば、現場が破綻するのは必然です。 現状を打破するためには、ともかく人員を増やすことが不可欠です。それに加え、AI活用を阻む様々な制約を早期に撤廃し、AIの力で効率化できる業務を次々と見つけていかない限り、先生たちが本来の「授業」に力を注げる状況にはなりません。

「コスパが良いから」「先生たちが身を粉にして頑張ってくれるから」という方法論に依存し続ければ、学校の先生になろうという志望者は今後減るばかりだと思います。

教頭職の多忙さを考える:10年前の経験と教育DXがもたらす変化

私が教頭職を務めていたのは10年ほど前までですので、現在の状況とは異なる部分もあるかもしれません。当時は「教頭は校長より早く出勤し、校長より遅く退勤する」という暗黙の了解のような空気がありました。しかし、私はそれを頑なに守る必要はないと考えていたため、自分の仕事が終われば校長より...